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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
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マラウドとマレビト

タイトルは【客人たち】というところでしょうか。




 食堂と呼ぶには実に上品で煌びやかな空間で食事を終えた後、リョウは再び午後の講義を受ける為に仲間たちと別れて、一人、校舎の中を移動していた。

 次の講義は、シーリスの義兄であるレヌート・ザガーシュビリが講師であった。

 東の神殿に仕える神官であるレヌートの専門分野は、【祈祷治癒】であった。

 【祈祷治癒】とは、神への祈りに特化した呪いの言葉を紡ぎながら、病の元を取り除くという分野だ。治癒には、一般的な薬師と同じように薬草を用いるが、その薬草を効果的に作用させる為に祈りの言葉を紡いだ。神殿の神官が代々手掛ける治療の一種で、この地域の医薬の分野を長い間担ってきた正統派といえる分野だった。

 レヌートは壮年の男で、神官という言葉から想像するに違わない、静かで穏やかな気性の持ち主だった。敬虔な信者を思わせる柔らかな面立ちに、奥深い知性を感じさせる瞳は、孔雀石のような深い緑色をしており、穏やかに微笑むと眦には沢山の細かい笑い皺が刻まれた。明るい薄茶色の髪を長く伸ばし、緩く脇の方で一つに束ねている。シーリスの歳の離れた(七つ上だ)姉の夫ということで年齢的には、四十の半ばは回っているとのことだったが、実際には、ずっと若々しく見えた。

 こちらに来てから気が付いたことではあったが、術師である講師たちは、髪を長く伸ばしている者が殆どだった。そして、皆、ゆったりとしたカフタンのような襟無しの外套を羽織っていた。

 ガルーシャもその髪は短かったが、似たような格好をしていたことを思い出す。恐らく、それがこの場所での一般的な術師の服装であるらしかった。


 穏やかな昼下がりの陽射しが差し込む渡り廊下を過ぎて、講師たちが利用する個人の部屋が立ち並ぶ棟に入った。

 この場所には、休憩や講義のための準備に利用する部屋の他に、簡易的な居住設備も備えられており、講師たちは寝泊まりが出来るようにもなっていた。

 階段を上がり、三階の突き当たりから二番目の部屋がレヌートの一室だった。

 目的の場所まで来ると、飴色に艶を放つ重厚な木の扉を軽くノックする。

「レヌート先生、リョウです」

 小さく訪いを告げれば、

「どうぞ」

 了承を告げる低めのくぐもった声がした。

「失礼します」

 扉をそっと開けて中に入れば、普段、定位置になっている筈の大きな机にレヌートの姿はなかった。

 ぐるりと見渡せば、壁一面にびっしりと様々な書物が埋まる巨大な本棚がまず目に入る。

「リョウ、こちらです」

 声のした方に首を向ければ、その本棚の向こう側にある小振りの応接用のソファにレヌートが腰を下ろしていた。その対面には、もう一人の人物がいた。

 客人があったようだ。

 リョウは邪魔をしてはいけないと思い、そのままお伺いを立ててから、立ち去ろうかと思ったのだが、ゆっくりと振り向いた客人の顔を見て、途端に口元を緩めた。

「シーリス!」

 それは、自分をこの場所に導いてくれた北の砦・副団長の姿だった。

 シーリスは、その柔和な面立ちに優しい笑みを浮かべていた。

「リョウ、元気にしていましたか?」

 腰掛けていたソファからゆっくりと立ち上がって両手を差し出したシーリスに、リョウも自ら抱擁を交わすべく近寄った。そして、互いに抱き締め合うと両方の頬に掠めるように唇を軽く寄せて、この国のしきたりに基づく一般的な挨拶を交わした。

「こちらでの暮らしはどうです? 不自由な思いなどしていませんか?」

 温かい労わりとこちらの身を案じる言葉に、リョウは感謝の気持ちを込めて微笑み返していた。

「問題ありません。皆さん、本当に良くしてくださいます。レヌート先生にはお世話になってばかりで。不自由な所など、とんでもない」

 シーリスは充実に輝く黒い瞳と色艶の良い肌を見て、その言葉に嘘偽りがないことを感じ取ったようで、満足そうに微笑んだ。

「そうですか。それを聞いて安心しました」

「シーリスもお元気そうでなによりです」

「おや、最後に会ったのはほんの2.5【デェシャータク】前ではありませんか。その位でそうそう変わったりはしないものですよ?」

 おどけたように肩を竦めて見せたシーリスに、リョウもそれもそうかと笑った。

 だが、やはり住み慣れた場所から遠く離れたこの都会の真っただ中で、知り合いに出会えるというのは、格別なものだ。普段は余り、気に留めないようにしていたが、一人、新しい環境に身を置くというのは、思いの外、緊張し、心細く思えるものでもあったようだ。

 純粋に知っている人物に会えたという嬉しさが、リョウの顔には現れていた。


「シーリス、座ったらどうだ? リョウも」

 ―――――――感激の再会は分かったが、いつまでも立ち話もなんだろう?

 穏やかな低い声に遮られて、シーリスとリョウは顔を見交わせると小さく笑った。

 リョウは、少しはしゃぎ過ぎた自分を恥じるように微笑んでいた。

「それもそうですね」

「おやおや、義兄さん、無粋なことは言わないで下さいよ」

 シーリスは、そう言って水を差した義兄を流し見たが、その目は久し振りの家族との再会に嬉しそうに細められていた。それはシーリス流の御挨拶であったようだ。

 それから、簡単に雑談を交えながら近況などを報告し合あった。


 暫くして、レヌートが鷹揚に切り出した。

「リョウ、済まないが、講義はまた今度、日を改めてということでいいかい?」

 ―――――少し、こっちと話があってね。

 そう言って対面に隣に座るシーリスを流し見たレヌートに、リョウは小さく頷いた。

「はい。勿論、構いません。お二人とも積るお話もありますでしょうから。ワタシはいつでも結構ですから、レヌート先生の御都合に合わせてもらって構いません」

「ありがとう、済まないね」

 穏やかに微笑んだレヌートの反対側で、シーリスがその特徴的な菫色の瞳を細めていた。

「リョウ、後で、一緒に食事をしましょう。王都見物を兼ねて街を案内しますよ。まだこの辺りは見に行っていないのでしょう? 偶には息抜きが必要ですからね」

 講義の時間を取ってしまったことへの謝罪なのか、そう言って片目を瞑って見せた。

 確かに、ここに来て以来、まだ新しい環境に馴染むのに精一杯で余所見をしている暇も精神的な余裕もなかったから、街の様子はよく知らなかった。

 どこまでも優しすぎるシーリスの心遣いにリョウは擽ったそうに微笑んだ。

「はい。楽しみにしてます」

 そうして、暫くは中庭の所にいるから、もし何かあったら呼び付けてもらって構わないとだけ言い残して、リョウは再びレヌートの部屋を後にしたのだった。




 レヌートの部屋を辞したリョウは、そのまま中庭に出た。次の講義までの合間をそこにあるベンチで過ごそうと思っていた。

 冬もいよいよ本番となり、風はめっきり冷たさを増していたが、この中庭は、比較的温かかった。周囲を建物に囲まれている為、吹き込むような強い風当たりも無く、穏やかな日差しはぽかぽかとして心地よい。昼食を食べた後などは、うとうとと居眠りをしそうになるが、幾ら陽射しが温かくとも、このような所で惰眠を貪ったら風邪をひくことは間違い無しだ。

 リョウは、大体、いつも座っている(お気に入りの場所と言うほどでもないが)ベンチに腰を下ろした。今のように突発的に空いた時間を潰したり、自分の中で頭の中を整理したい時や気になるところを直ぐに見直したいと思った時には、よくこの場所を利用していた。


 リョウは、鞄の中から帳面を取り出すと、先程の講義を復習する為に中を開いた。

 森の小屋で暮らしていた時は、薬草採集はいつも行き当たりばったりで、目に付いたものを教わりながら書き留め、後で自分用に押し花のようにして標本を作って纏めてはいたが、ここではそれらを体系的に整理することが出来たのは実に有益であった。

 これまで個々でばらばらであった情報が系統的に纏められ、効用や作用の仕方、そして副作用などの知識も得ることが出来た。その上、ここで薬師が診ることになる一般的な症状や症例も教わることが出来た。また、一般的に国内を流通している薬草の種類やそれらの大まかな売買価格も知ることが出来た。こういう生活に根付いた情報は中々に貴重だった。


 帳面を繰りながら、リョウはふと浮かんだ疑問点などをその端に書き留めた。恥も外聞もなく気になるところは全て明らかにし、ここで学ぶ間は、吸収できることは残さずに吸収しておきたいからだ。名立たる講師陣が教鞭を執る養成学校で学んでいるという滅多にない機会を無駄にしたくはないということもあるが、まだまだこの国の一般常識に疎い所のある自分には、同じ講義を受けていても、どこか理解力が不足したり、誤解をしたりする可能性があるからだ。上手く言えないのだが、他の生徒たちと比べても物事の考え方や捉え方が違うのだ。

 相違は相違として理解し、受け入れた上で、そこからこちらの理解になるように擦り寄せなくてはならない。かつての常識は役に立つ反面、思わぬ所で壁になったりもした。だから、習得には人一倍の努力と忍耐、そして集中力が必要だった。




「相変わらず熱心ですね」

 足元に影が差したかと思うと頭上からしっとりとした落ち着きのある声が降って来た。

 顔を上げれば、ここ数日で顔見知りになった人物の柔らかな微笑が目に入った。

「こんにちは、ゲーラさん」

 にこやかに挨拶をすれば、

「隣、いいですか?」

 その人物は、こちらの返答を聞く前に、ゆったりとした優雅な所作でリョウの隣に腰を下ろした。そして、すらりとした黒い長靴の足を組むとその上に緩く合わせた両手を置いた。

「調子はどうです? 捗っていますか?」

 当たり障りのない問い掛けに、リョウは開いていた帳面を閉じると苦笑を浮かべていた。

「順調と胸を張れれば良いのでしょうが、中々難しいですね。一進一退といったところでしょうか」

 それが、正直な所だった。

 一つ理解し、習得したと思ったら、次にまた直ぐ新たな疑問点や壁にぶち当たるのだ。ここに来て以来ずっとその繰り返しで、手ごたえのようなものを感じる間もない、余りにも知らなければならない分野が広く、そして多岐に渡り、それらを同時に掘り下げなくてはならない為、まるで途方に暮れたような気持ちになることも多々あった。

 気分は大海に小さな帆かけ舟で漕ぎ出でたようなものだ。気を引き締めていないと目指すべき終着点(ゴール)を見失ってしまう。いや、恥ずかしい話だが、今の時点ではその終着点すら見えていないのが実情だろう。

 小さく肩を竦めたリョウをゲーラは、穏やかな眼差しで見つめていた。

「おやおや、それはかなり謙虚な見方ではありませんか? 君は本当に控え目ですね」

 ゲーラはそう言って、小さく喉の奥を鳴らすと艶やかな微笑みを浮かべた。


 ゲーラと初めて顔を合わせたのは、ちょうど五日前のことだった。一人、この場所でお浚いをしていた時に、同じように向こうから声を掛けてきたのだ。

 余り見かけない顔であったので気になった。たしか、そんなことを言っていたように思う。

 ゲーラは男性なのだが、どちらかというと余り男らしさを感じさせない中性的な作りの人だった。体格もこの国の平均的な男性陣と比べると小柄な方に入るだろう。顔立ちも彫は深いが、線の細い方だ。

 ゲーラがその身に纏う空気は少し独特で、不思議な色気のようなものが滲み出ているとリョウは感じていた。言葉使いも物腰も非常に柔らかで品がある。その所為かは分からないが、年齢も不詳だった。

 言葉を交わしてみた印象としては、自分と同じくらいか、もう少し上かもしれないという感じを受けたのだが、外見だけを見るならば、かなり若い方だろう。まぁ、リョウ自身、向こうからしてみれば、恐らく似たようなもので、余り他人の事を言えたものではないのだが。

 早い話が、ゲーラはこれまで自分の周囲にいた男たち(その殆どが屈強な肉体を持つ軍人だ)とは系統が、かなり違ったのだ。

 リョウは最初、ゲーラもこの養成所で学んでいる学生の一人なのかと思ったのだが、その予想は割と直ぐに外れることとなった。

 というのも、ある時、ゲーラに尋ねられたからだ。

 晴れて術師の資格を得た暁には、序でに軍部へ籍を登録する気はないかと。

 それは今にして思えば、勧誘のようなものだったのだろう。

 独り立ちした後、術師として生計を立てるのも、始めの内は何かと大変だ。その点、軍部直属の術師になれば、衣食住、最低限の生活は保障されることはおろか、賃金もかなり高い水準になるだろうとのことだった。

 リョウは、最初、余りことに相手が何の話をしているのか、よく理解出来なった。それぐらい突飛に聞こえたのだ。有閑貴族のような匂いのするゲーラとその対極にあるような印象を受ける(リョウにとっては、だ)軍部という言葉が、結び付かなかったということもある。


 軍部に籍を置く。それはつまり、この国の騎士団に入隊をすることになるのではないだろうか。

 王都で職を探すのであれば、それも一つの手なのかも知れないが、何も軍籍に身を置かなくとも、街の寄り合い(ギルド)に登録をして、そこからより専門分野に特化した職を探す手だってあるのだ。薬草を採集して、それを然るべき場所に卸す形でも商売にはなるだろう。

 それに、リョウは術師の肩書を手に入れたら、真っ先に森の小屋に戻ろうと考えていた。ガルーシャの書斎を整理して、自分なりの視点で、もう一度、中にあるものを吟味してみようと目論んでいた。ここで得た知識がどれだけのものになるかはまだ分からないが、少なくとも旅立ちの時よりは幾分ましにはなっているだろう。そうやって新たに得た知識(その上積みは小さくともだ)と視点で眺めた書斎の書籍たちは、どのように自分の目に映るだろうか。また、どんな発見があるだろうか。そうすれば、今後の道筋が何かしら見えてくるのではないかと思ったからだ。【術師】になることは、この国で生活をしてゆく上で、漸く始点(スタートライン)に立ったことを意味するのだ。

 【プラミィーシュレ】で目の当たりにした鍛冶職人たちの病に対する有効手段もガルーシャの跡を継いで探して行きたいとも考えていた。ひょっとしたら、もっと根本的な部分で職人たちが毒を浴びることを防ぐ手立てを考えられるかもしれない。まるで夢のような話だが、この国の人たちの枠組みに捕らわれない思考を持つ自分には、何か出来ることがあるかもしれないと思っていた。


 それに王都は余りにも都会過ぎた。昔の自分が聞いたら笑い転げそうな理由だが、人里離れた森の片隅に生活の基盤を置き、静かで長閑な時間の流れの中で、ここでの暮らしが漸く身体に馴染んできたリョウにとっては、それを失ってまでして、都会に出てくる意味などある訳がなかった。気ままでのんびりとした田舎暮らしが、性に合っている。それに今は、自分の身の回りの事で精一杯で、軍に所属するなどとてもじゃないが、考えられなかった。

 そういった理由から、ゲーラのお誘いを丁重にお断りした筈だったのだが。

「この間の話は、考えていただけましたか?」

 再び、蒸し返された問いに、リョウはどうしたものかと苦笑気味に眉を下げた。

 中々、諦めが悪いらしい。それとも自分の断り方が相手には伝わり難かったのだろうか。

 この間から、何故かゲーラは、自分を軍部に入らないかと誘うのだ。始めは冗談かと思ったのだが、こうして何かと勧誘のような言葉を仄めかされている内に、向こうはかなり本気らしいことが分かってしまった。

「オレには過ぎたお話で、余りにも恐れ多いことです」

 降って湧いたような話は、余りにも現実味が無さ過ぎた。想像が付かなかった。

 軍部と術師の関係が未だよく理解出来ていないということもある。

 ゲーラ本人に尋ねるのは、どうにも躊躇われたので、後で当たりを付けて、誰かに聞こうとずっと思っていたのだ。シーリスがこちらに来たことが分かった今、リョウとしては同じく軍籍に身を置くシーリスに教えを乞おうかとも考えていた所だった。

「またまた。君は大変優秀だと講師陣からも伺っています。滅多にない逸材を我が国の軍部としてもみすみす手放したくはないのですよ。私の目から見ても君は実に惜しい人材だ」

「それは余りにも買い被り過ぎです」

 リョウは、少しだけ途方に暮れたような笑みを浮かべると、緩く(かぶり)を振った。

 何をどう曲解されて伝わっているのかは知らないが、毎日、講義とそこで出された課題に四苦八苦している状態を見れば、自分がゲーラに望まれるような人材とは程遠いことが良く分かる。

 それに軍部は、基本的に女人が立ちいるべき場所ではないのではないだろうか。

 兵士の中に剣を扱う女性がいることは以前、ユルスナールから聞いてはいたが、その存在はごく稀だという。しかも彼女たちが所属するのは、この国の第二師団、つまり近衛隊でも奥向きの方面で、主に王族の女性たちの身辺警護の為に宮殿に仕えている者が多いのだとか。仕事柄、貴族出身の者が多く、身元もかなりしっかりとしているとのことだった。

 養成学校の方でも、一応、入学には性別を問わない為、中には女生徒もいたが、やはりその数はとても少なかった。むさ苦しい(と一蹴するには中の生徒たちは一様に品があったが)若い男たちの中では、女生徒の姿は一輪の可憐な花のように見えた。可笑しな話だが、食堂で長い【ユープカ(スカート)】の裾を軽やかに翻す彼女たちの姿を遠目に見た時には、柄にもなく感動をしたものだ。

 右を見ても左を見ても、自分の周囲にいるのは男たちばかりだ。その状況をある種、当たり前のように思ってしまっていることは置いておいて、外見から受ける誤解のままに軍部に入ることだけは到底、無理な話だろうと思っていた。第一、あってはならない事だ。

 唯でさえこの国では、身元の不明の異邦人なのだから。

 恐らく、ゲーラも他の人たちと同じように自分の事を外見から、少年と勘違いしているのだろう。だから、なんの躊躇いもなく軍部へ勧誘が出来るのだ。

「軍籍に身を置くなど、オレには到底、無理な話です。折角の御好意を無にする形で申し訳ありませんが、お断りいたします」

 控え目ながらも、きっぱりと拒絶の言葉を口にした。

 そして、それが本心であることを知ら示すように真っ直ぐにゲーラの目を見つめ返した。

 淡い灰色の瞳が、日の光を反射してきらりと光った。緩く吹いた風が、その淡い金糸のような細い髪を揺らした。

「ふふふ。私はそういう君の真っ直ぐな所を評価しているのですよ」

 否定の言葉を吐いた相手に対し、何故か、ゲーラは満足そうに小さな息を吐き出していた。

「誰が相手でも物怖じしない態度。一見、柔らかく、人当たりが良さそうに見えて、その実、芯の所は実にしっかりと己を保持して揺るがない。知れば知るほど、実に惜しいですね」

 そして、男にしては実に艶やかに微笑んだ。それは、周囲の視線を集めるような綺麗な微笑みだった。

 それを真正面から見たリョウは、些か居心地が悪そうに身じろいだ。

「ですが、まぁ、気長に行くとしましょうか。幸い、まだ、時間はあるようですし。ここで余り押しても、現時点でこちら側は分が悪そうですからね。ここで君のような人に出会えたのも何かの縁です。私はこう見えて信心深い方でしてね。この運を逃したくないのですよ。思った通り、君は中々に手強い。ですが、それも一興。今度は、少し攻め方を変えてみましょうかね」

 そう言うと、何故か楽しそうに口元に手を当てて笑った。


 思ってもみなかった相手の反応に、リョウは内心、途方に暮れた。

 なんという人だろうか。ここまで頑なに断っていても、それがこちらの揺るがない本心だと分かった上で、敢えて揺さぶりを掛けてこようとしているのだ。随分と諦めが悪いというか性質が悪いではないか。普通に言葉を交わして雑談をするには、なんともないのだが、一旦利害関係が絡むとややこしいことこの上ない。

 柔らかい仮面の下に覗く策士の顔に、正直ぞっとしないでもなかった。

 こうなれば根気よく断り続けるしかないだろう。そうすれば、そのうち見込みがないと諦めてくれるかもしれない。いや、それよりも、実際には、自分には向こうの期待に応えるだけの素養が無いことが判明する方が先だろうか。いずれにせよ、充実している学生生活に、気持ちの上で暗雲が立ち込めたことには、敢えて気が付かない振りをするしかなかった。

 だが、リョウは、この時の自分の考えが実に甘かったことを後日、身を持って思い知らされることになった。


 そうこうするうちに、講義の終わりを知らせる鐘の音が聞こえてきた。

「残念。時間切れですね」

 ゲーラは、言葉ほど残念には思っていないようで軽やかな声を上げると立ち上がった。

 リョウも同じように帳面を手にしたまま、ベンチから立った。

 ここでは、講義の終了と開始を知らせる合図として鐘が鳴った。少し低めの重みのある渋い音が終了の合図で、少し高めの軽やかな音が開始の合図になっていた。合図としては分かりやすい。


 そのまま何となくゲーラと肩を並べて、次の講義がある教室へ向かう為に建物の方へ歩く。

 入口の手前で、ゲーラは静かに歩みを止めると、にこやかに振り返った。

「それではまた。今度、ゆっくりお茶でもしましょう」

 そう言ってリョウの肩を軽く叩くと、養成所の建物が立ち並ぶ方角とは別の方向へ踵を返した。

 リョウは咄嗟に曖昧な微笑みを浮かべていた。そして、そうやって遠ざかってゆく男にしては小柄な背中を、些か複雑な気分で見送ったのだった。

 普通に話をする分には悪い人ではないのだろうが。さて、どうしたものか。

 だが、気を取り直したように顔を正面に戻すと、そこには、同じように分厚い本を手にしたニキータの姿があった。

「やぁ、ニキータ」

 声を掛ければ、ニキータは、遠くを透かし見ていた視線を間近に落とし、目を瞬かせたた。

「ああ。リョウか」

 そして、そこにいた知り合いの顔に今しがた気が付いたようだった。

「レヌート先生の講義じゃなかったのか?」

 中庭にいたリョウをニキータは訝しく思ったようだった。

「ああ。先生の都合が付かなくなって延期になったんだ」

「そうか」

「ニキータも、もう一コマあるんだろう?」

 頭一つ分は上にある顔を見上げれば、

「ああ」

 淡々とした頷きが、一つ返って来た。

「オレは二階の端だ」

 リョウが、次に講義が開かれる教室を告げれば、

「鉱石処理の講義か?」

 ニキータもその内容に当たりが付いたようだった。

「ああ」

「あれは…実に奥が深い」

 隣から深い溜息のような感想が漏れた。

「そうだな。こっちは付いてくのがやっとだ」

 その内容の濃さは、経験をしたものでなければ分からない。

 リョウも同意をするように微笑んでいた。

 それから、他愛のない雑談を挟みながら歩いて、階段の手前で、ニキータとは別れた。

 次の講義へ向けて互いに健闘を称えあう。そして、リョウは改めて気を引き締めると次の講義が開かれる二階の教室へ向かうべく、階段を一つ飛ばしに駆け上がった。


今後、少しずつ”俄か学生生活”の様子などを織り込んでいけたらと思っています。そのうち、北の砦のあの人たちも登場するでしょう。

2011/5/6 訂正(ゲーラの台詞の一部分『利がない』→『分が悪い』)

2011/6/17 誤表記修正

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