新しい仲間たち
いよいよ本格的に第四章のスタートです。
「それでは、今日はここまでにします」
教壇に立つ講師のその一言に、教室内からは、『ありがとうございました』との唱和がなされた。
すると、それまで静寂の中で止まっていたかに思われた時間が、一斉に動き出したかのように室内に独特なざわめきが広がり始めた。
講師を相手に講義について更に踏み込んだ質問をする生徒、手荷物を手早く纏めて、終了の合図と共にいち早く教室を抜け出した生徒、のんびりと仲間と雑談をする生徒。今後の予定を確かめ合ったり、出された課題に付いて議論を交わし合う生徒たちの姿もある。
中にある顔触れは、皆一様に若かった。歳の頃は十代の後半から、精々行って二十代の前半までであろう。志高く、其々が思い描く来るべき輝かしい未来と目標に向けて夢と希望に満ちていた。
その中に、黒い癖の無い髪を無造作に束ねた人物の姿もあった。明るい茶色系統の頭部が並んだ室内で、その者の黒い頭部も同じようにこの空間に違和感なく溶け込んでいた。
くすんでごわついた些か不格好な御手製の帳面を手に、今しがたの講義の中で重要と思われた部分に注意書きをし、それをざっと見返していた所だった。その人物は、少し考えを巡らす風に天を仰いだ後、手にしたこれまた御手製の筆記用具(鉛筆だ)の端で頭を掻いてから、満足そうに小さな笑みをその口元に刷いた。
全体的に見て、周囲に集う生徒たちと比べても、その者は小柄で線が細かった。
その華奢な背中に、後方に集まり始めていた生徒たちから声が掛かった。
「おーい、リョウ。いこーぜ」
その人物は、掛けられた声に振り返ると、穏やかな微笑みを浮かべて頷いた。
そして、手元の帳面と筆記具を慣れた手付きで使い古して飴色になった鞄の中にしまい込むと、他の生徒たちと同じように席を立った。
教室を出て直ぐ、先に廊下で待っていた同じような仲間たちに合流した。
「昼飯行くだろ?」
「勿論」
「食堂にすっか」
「ええ~、外に行くのは?」
「却下。面倒」
「そうそう。遠いし時間の無駄だよ」
「ええ~、飽きたじゃん」
「そうか?」
「贅沢者め、罰が当たるぞ」
「あ、今日のお勧めチェックしてくんの忘れた!」
「別にどうでもいいだろ」
「よくないっしょ。それによっては午後から、気合入るかが決まるんだから!」
一人が口を開けば、方々から好き勝手な声がこだまする。その遣り取りは、気の置けない仲間同士の実に年相応で活発、且つ他愛ない事柄だった。そんな軽薄で調子のよい、時には珍問答にも聞こえる会話を耳にするのも、中々に愉快な一時に思えてきた頃合いだった。
先頭を切って歩いていた若者が、歩を進めながら首だけ振り返った。
その視線の先は、仲間内の軽妙な会話に混じることなく、静かに成り行きを見守っていた黒い頭髪の人物を捉えていた。
「リョウはどうする?」
成長期の若者たちの頭の中は、既にこれからの昼食の事で一杯だった。
確認するように意思を問われて、自分よりは確実に一回りは大きい彼らの微笑ましい光景に、幾ばくかの懐かしさのようなものを感じながら、控え目に口を開いた。
「食堂なら、一緒に行くよ」
その言葉に先頭の若者は、満足そうに頷くと片腕を上へと突き上げた。
「おっし、そうと決まれば、メシだ。メシ!」
そして、意気揚々と混み合う廊下を長靴の踵を踏み鳴らしながら、腹を空かせた一団が通り過ぎて行った。
季節は巡り、本格的な冬が、この【スタルゴラド】の地にも訪れていた。暦の上では黒の第一の月の後半に入っていた。
この場所で経験をする二度目の冬だった。
リョウは、今、この国の中心、王都【スタリーツァ】に居た。そこにある【術師養成学校】で、短期間の講義を受けている最中だった。
ユルスナールの好意で、この国の常識をお浚いする為に北の砦に滞在をしたのは、凡そ一月程前の事だ。その時に、主にシーリスとヨルグから国内事情についての講義を受ける傍ら、今後、【術師】としてこの国で暮らしてゆく為の方策について、様々な助言を、ユルスナールを始めとする北の砦の幹部連中に貰ったのだ。
【術師】となる為には、国の認可が必要である。それは【術師】全般を取り仕切る国の中央機関に登録を認可され、免状を頂くことで承認された。その為には、現在【術師】として生計を立てている人物の推薦状と、もし、その【術師】と師弟関係にあるならば、そこで学んだ分野の一覧を持って、王都にある【術師承認登録機関】に申請書を提出する。そこで分野ごとに一連の試験を受けた後、一定以上の基準に達していると認められれば、登録の認可が下りた。そして、個人の【印封】――――要するに【術師】一人一人に固有の識別符号や署名のようなものだ――――を正式に登録し、それを認めた小さな免状(プレートのようなものと考えれば良いだろう)を授与されることによって、晴れてこの国で【術師】として認められる形になっていた。その後、各街や村々にある其々の専門分野に特化した寄り合いに登録するか否かは、各人の自由となっていた。
そして、リョウはシーリスの伝手を頼る形で、術師の養成学校へ通うことになったのだった。
ガルーシャ・マライとの関係は伏せたままの方がよいとのことで、王都で神官の職に付いているシーリスの義兄に推薦人になってもらうという形で話が進んだ。
身元保証人には、シーリスが名乗りを上げた。ガルーシャの旅立ち後、その遺志を引き継いでリョウの後見人のような積りでいたユルスナールは、それに対して余りいい顔をしなかったのだが、ユルスナール自身の王都での立ち位置とその身辺状況を考慮した上で、この一連の申請作業に下手に噛まない方が妥当であると見做され、渋々と身を引いたのだった。
シーリスの義兄は神官職の傍ら、術師の養成学校で臨時に教鞭を取っているそうで、そこに入学をした方が、その後の申請の手続きが円滑に進むだろうとのことだった。
養成学校は、国内外各地から【術師】としての素養のある若者を、貴賎を問わず集め、国が全面的に面倒をみる形で、授業料やら滞在用の寮費、寮内での食費などが免除されていた。
門戸は、誰にでも広く開かれていた。
単に話を聞くだけであるならば、中々に太っ腹な話に思えるかもしれないが、そこにはのっぴ切らないこの国の事情が隠されていた。
世界的に見て【術師】になるだけの素養を持つ人間は年々減少傾向にあった。そのような衰退とも呼べる傾向の中で、【スタルゴラド】は、国を挙げて能力の発現が認められる人間を囲い込もうという方策に出ていたのだ。勿論、国費による恩恵を受け、【術師】として正式に認められた暁には、この国に帰属する【術師】としての登録を求められる形になっていた。
そのような状況を【鎖に繋がれて、体よく飼い馴らされる】と忌避し眉を顰める者も、往々にして独立心の強い術師連中の中には多々あったが、先の隣国【ノヴグラード】との大きな戦を経て、漸く国内の術師保護に向けて重い腰を上げた国の中央機関の施策を歓迎する風潮があったのも確かだった。
紐付きであるには違いなかったが、授業料やら申請費やら、その他諸々の経費の心配をしなくてよいというのは、リョウとしてはかなり有り難いことだった。独り立ちをする為に無駄な借金をしなくて済むのだ。長い間、お金の掛からない生活をしていた為、この国の金銭感覚に疎い身としては、非常に助かった。
登録後の術師に対する国の管理(という名の締めつけか)がどれ程のものかは、現時点では把握できなかったが、何分にも術師として認められることを一番の念頭に置いていたので、現時点では気に留めないことにした。それに、それはその時になってみないと分からない事であるだろうから。
そういった訳で、リョウは術師になるという確固たる目標を胸に、単身という訳ではなかったが、王都に乗り込んだのだった。
影で色々と骨を折り、根回しをしてくれたシーリスやヨルグ、ユルスナールには、感謝してもしきれないだろう。自分は、本当に恵まれている。リョウはそう思わずにはいられなかった。訳が分からないまま、こちら側に転げ落ちてしまった時は、この世の終わりのように思えた人生も、これまでの幸運と比べれば、恐らく相殺されてしまうに違いない。一から言語や生活習慣を覚えざるを得なかったこれまでの努力を差し引いても、きっと今の状況はお釣りが付いてくるに違いない。そうまで思えるようになったこの日常を捨てたものではないと思い始めている自分がいた。
そして、この養成所で、自分の実年齢よりも遥かに若い生徒たちに囲まれて過ごすようになってから、【デェシャータク】は優に経過していた。
この場所への入学の時期は、別段、決まっていないようだった。各人が最初にここの講師と面談をして、その素養の向き不向きを審査する。そして、そこから導き出された個人の傾向とその者が興味を持ち、目指したいと思う方向性を擦り合わせて、ここで開かれている講義を自由に選択するという方式になっていた。そして、習熟度に合わせて段階を踏み、ある程度の素養が固められたと判断された暁には、最終試験への道が開かれた。
その為、ここでの学習速度は実に個人により幅があった。入学から短期間で術師への道が開かれる者もいれば、時間を掛けてゆっくりと己が素養を開花させてゆく者もいる。それでも、ここで一通りのことを学べば、ここの講師(皆、術師である)が推薦人となり、最終登録試験への道は、他のやり方と比べても格段に円滑に進むと考えられていた。
一つの講義における生徒の数は、その分野と講義内容により実に様々であった。先程の一般的な薬師関係の授業は、謂わば術師の中でも基礎の分野で、選択者も多く、教室に並ぶ頭数も多かった。室内にすし詰めになることは決してないが、他のより専門に特化した分野の講義よりも賑やかであるに違いなかった。
講義を終えて、食堂に辿りついた一行は、既に出来上がっている配膳の列に並んでいた。
ここでは、この国の中心地、王が住まう都ということもあるのだろうが、目に触れるもの全てが、実に華美で豪華だった。
養成所がある場所は、王の居城である宮殿から直ぐ外側の区画内、宮殿と東の神殿を結ぶ回廊との中間地点に位置していた。それは、講師である術師の本職が宮殿と神殿である場合が多い為、彼らの利便性を考慮した立地でもあった。
ここは、宮殿ではない筈なのだが、内部の装飾はやたらと凝っていた。簡素な石壁しか目にしたことのない田舎者(要するにリョウのことである)にとっては、余りにも煌びやかで実に目が眩みそうだった。
未だに居心地が悪い気がしてならなかったが、それでも初めてこの場所を目にした時の衝撃に比べれば、随分と慣れてきたような気がしている。
ここは、国内外から広く素養のある若者を生徒として集めると謳ってはいるが、ここで実際に授業を受ける生徒たちの多くは、王都の人間か近隣の街の者が大半を占めていた。つまり、北限の村であるスフミのまたその先というようなド田舎から態々やってくるような者は、珍しいのである。
リョウはその色彩と顔立ちのこともあってか、最初の数日は物珍しそうな視線を浴びたが、儀礼的な挨拶から始まり、簡単に言葉を交わしたりして行く内に、周囲の好奇の視線は薄らいでいった。
ここに集まる生徒たちが、何分にも裕福な家庭の者が多く、一様におおらかな性質ということもあるのだろうが、ここには、ごく偶に近隣諸国からも留学生が来るらしく、中にはリョウを見て、そのような類の留学生と見做している者もいるようだった。
銘々が食べたいものの乗った皿を選び、手にした【タレールカ】に乗せて、空いている席に着いた。
北の砦とは違い、ここで提供される料理は実に多様だ。目移りするくらいに沢山の品数が、カウンターの部分に並び、生徒たちはその日の気分に合わせて食べたいものを頼んだ。
贅沢である。
味付けは一様に上品だった。個人的には、北の砦の料理長、ヒルデ特製の少し濃いめの味付けを懐かしく思い出した。
テーブルに着いた仲間たちに倣い、リョウもその端に腰を下ろした。
―――――――【ブラーガ・ザ・リュークス(リュークスの恵みに感謝を)】
小さな御祈りを唱和して、待ちに待った食事が始まった。
リョウは、そっとこの食卓(というにはどうにも華美だが)に着く面々を見渡した。
向かいには、先頭を切ってこの場所へやって来た大柄なヤステル。この中では兄貴分的立ち位置で、個性的な面々の纏め役である。その隣にいるのは、穏やかな気性のリヒター。育ちがいいのか、じつにおっとりとしている。我が道を行く性質だ。その隣を陣取るのは、アルセーニィ。背は高いが全体的に細くひょろりとした印象を受ける。学者肌の勉強家だ。そして、その向かいが、バリース。お喋りで自己主張の強い賑やかな性質だが、我儘という程でもなく、それなりに協調性がある人物だ。その隣はニキータ。寡黙な性質だが、口を開けば意外に辛辣な言葉が次々と飛び出す。無駄が嫌いで、やや潔癖症なところがある。そして、最後にリョウを加えた六人が、大体、顔が会えば挨拶を交わし、一緒に昼食を取る面子だった。中々に皆、個性的である。
北の砦の兵士たちと違って、隣に並んでも然程、圧迫感を受けるような体格の良い者はいなかった。
皆、まだまだ成長途中ということもあるのだろうが、やはり基本的に肉体派よりも頭脳派であるからだ。この中で一番体格の良いのはヤステルだが、それでも鍛えられた肉体を誇る屈強な兵士たちの中で揉まれたリョウにしてみれば、まだまだ少年特有の線の細さを残していると思われた。
「そう言えばさ、もうすぐ武芸大会が開かれるだろ。楽しみだよな」
銘々が其々の皿の中身を突いている途中、不意にヤステルが顔を上げた。
「ああ。【チェトヴェールティ・アディン(31日)】からだっけ?」
リヒターがのんびりと合槌を打つ。
「そうそう」
「うっわ、楽しみだな」
途端に目を輝かせたバリースに、
「面白いか? あんなの。暑苦しいだけだろ」
アルセーニィが興味無さそうに呟いた。
「分かってないなぁ。あれぞ男と男の仁義なき熱き闘い。互いの情熱がぶつかり合う血の滾るような瞬間。まさに男の憧れじゃないか!!!」
興奮気味に【ローシュカ】を握った拳を前に突き出して、熱く語り始めたバリースは、そのまま隣に座るニキータの背中を勢いよく叩いた。
「なぁ、ニキータ?」
いきなり叩かれたニキータは、実に嫌そうに顔を顰めた後、ギロリとバリースを睨みつけた。
「喧しい。お前の趣味に俺を巻き込むな」
アルセーニィ同様、全く興味の無いらしいニキータの反応に、バリースはムッとした顔をしたが、直ぐに諦めて、そして狙いを別に定めた。
「なんだい、アルーシャもニキータも。この国の男なら絶対見逃しちゃいけないだろうが。この国の兵士たちが頂点を目指すんだぜ。ワクワクするじゃんか。なぁ、ヤステル?」
興奮のままに振り向いたバリースに、ヤステルは宥めるような苦笑を浮かべた。
「まぁな。ここではこの時期一番の催事だからな。人気もあるし、見物客も多い。俺は楽しみにしてるぜ」
「だろう?」
「毎年、かなり盛り上がるしね」
そして、鷹揚に言葉を継いだリヒターに、
「だろう?」
漸く、この興奮を理解してくれる相手が登場し、バリースは意気揚々と胸を反らした。
リョウは、熱々のスープ・【ボルシュ】を啜りながら、テーブルの話に静かに耳を傾けていた。
随分と白熱しているようだ。若干一名という注釈が付くが。
来週、つまり、黒の第一の月の第四週の一日から開かれるという武芸大会。
武芸大会と聞いて、リョウはユルスナールたちの話を思い出していた。
自分に関する今後の方針を話し合った時に、何はともあれ、現時点でのその素養の習熟度を知る為に、王都にいるというシーリスの義兄を訪ねた方が良いということで、砦の幹部連中の意見が一致した。そして、その義兄を借りの師として師事する傍ら、術師の養成学校で学び、その後の認可登録申請を行った方が無駄無くていいだろうとのことで、方針が決められた。
具体的な話が次々と出て、いよいよ術師を目指す道筋が現実味を帯びてきたことに、リョウが改めて気を引き締め、一人、緊張気味に今後の生活に思いを馳せていると、そんな目に見えない未知への不安を素早く感じ取ったシーリスは、案じることはないと穏やかに微笑んだのだった。
王都には近々自分たちも用事があるから、向こうで顔を合わせることになるし、義兄への挨拶がてら、必ず様子を見に行くからそんなに気負うことは無いのだと優しく笑って。
その用事というのが、毎年、この時期に王都で開かれている軍部主催の武芸大会へ出場するということだった。師団長であるユルスナールは元より、ブコバルとあと数名を選抜し、毎年、この時期に第七師団の代表として大会へ参加しているらしい。奇しくも、今年の春、リョウが初めて北の砦を訪れ、そこでユルスナールとブコバルに出会った時、二人は、その王都での武芸大会に出場し、そこからの帰還であったらしかった。偶々、王都での用事が色々と長引いた所為で、帰還の時期が春も半ばにずれ込んだのだという。
ということは、その武芸大会は、もしかしなくともユルスナールたちが参加する大会の話なのだろう。
「今年はどこが優勝すると思う?」
リヒターの問い掛けに、
「去年は第一だっただろう? 第七も惜しかったよな。第五もいい線行ってたし」
やはり、同じ男としては人一倍興味があるのか、ヤステルが嬉々として食いついた。
「今年こそ、第七だね。なんてったてあそこの団長はぴか一だし」
バリースが自信満々に言い放つ。
「個人的には第三を押したいけど、まぁ、無理だろうな」
「確かにね」
すると、それまで、全く興味が無いと言っていたニキータとアルセーニィも話に入って来た。なんだかんだ言いながらも、会話には加わるらしい。
「あのさ、第一とか第五って、軍部の師団のことだよな?」
そこで、初めてリョウは口を挟んだ。
ユルスナールたちのことならば、気にならない筈がなかったからだ。
ここに来て自発的に会話に参加したリョウに残る五人が一斉に振り向いた。色とりどりの沢山の瞳に晒されて、リョウは無意識に唾を飲み込んだ。
「ああ。そうだ。リョウも興味あるか?」
ヤステルの言葉に静かに頷けば、
「おっし、男ならそうだよな」
バリースが新たな同志獲得に目を輝かせた。
「お前は初めてか?」
隣に座るニキータがつとその目を細めてリョウを見下ろした。
それは、この武芸大会の話を聞くのは初めてかということだろうか。それとも、それを観るのが初めてかということだろうか。
「ああ。話には聞いたことがあったけど、まだ観たことはないな」
どちらとも取れるように答えを返せば、バリースが長々と息を吐きだした。
「マジかぁ。リョウ、それは男として実に勿体ない。損してる。あんなすごいもん見逃すなんて」
バリースの反応にリョウは苦笑を滲ませた。
彼らは、皆、この王都在住か、遠くとも馬車で一日の距離という近隣の街に暮らしている。だから、余計に王都で開かれる祭事に参加するのは容易で当たり前のようなことなのかもしれないが、この国の辺境に暮らすリョウにしてみれば、それは途方もないことに違いなかった。
「ハハ。これまで王都に来る機会なんて無かったしな」
尤もな理由を述べれば、途端にバリースはしまったという顔をした。
自分の発言が、余りにも軽率であったことに思い至ったようだ。一見、単なる元気を持て余している賑やかな少年のように見えて、その実、バリースは意外にも、相手の気持ちに敏感で思慮深い所があった。それをリョウは評価していた。
「バリース。本当のことだ。気にすることはない。オレも気にしてないから」
気まずそうな顔をしたバリースに、リョウは心配はいらないと優しく微笑んで見せた。
リョウ自身、田舎者であることを別段、恥じてはいなかった。
この国の北限である森の小屋に暮らしていただけでは知らなかったことが、ここには沢山あった。王都は、この国【スタルゴラド】の中心であり、文化、政治、経済、そして富の中心だ。目にするもの、聞くもの全てが、かつての常識に重なるようで重ならない。それでもこれが、この世界の現実であり、この国の姿だった。
「それよりも、武芸大会のこと、もう少し詳しく教えてくれないか?」
その言葉に俄然、バリースが意気揚々として熱く説明を始めた。
それによると。
武芸大会は、大きく、個人戦と団体戦の二つに分かれる。個人戦は、その名の通り、個人の出場者による組合せ式の勝ち抜き戦で、対戦はくじ引きによって決まるのだとか。
出場資格は特にない。腕に覚えがあれば誰でも良いそうだ。性別も問わないという。傭兵にとっては、軍部の人間に己の技量を訴える絶好の機会でもあった。
この国の軍部には、第一から第十までの師団があり、団体戦は、その各師団の中から五名を選抜し、こちらも組合せ式の勝ち抜き戦で優劣を競った。最初の対戦は同じようにくじ引きである。対戦形式は一対一だが、両者のうち、先に五番目の大将を負かした方を勝ちとして次の師団との対戦に臨んだ。
武芸大会は別名、御前試合とも呼ばれ、個人、団体、其々の最終戦では、国王、女王を始めとする王族が観覧をする天覧試合になるのだそうだ。
期間は出場者の数によって長くなったりするとのことだが、およそ三日間。国内軍部の錚々たる顔ぶれが一堂に会するということで、試合が行われる宮殿前の大広場では、実に数多くの見物客が押し寄せた。
中でも、貴族の女性たちがお目当ての兵士の雄姿を観る為に供を連れて特別に設えられた観覧席に現れるのだとか。それを遠目に観て騒ぐ街の男どももいるらしく、中々に賑やかで、街中がお祭り一色のようになるのだとか。
「それは凄い」
説明を聞き終えたリョウは、思わず感嘆の息を漏らした。
「出場する兵士たちは、中々に人気があるんだ?」
「そうだな。皆、揃いも揃って立派な人たちばかりだからな。俺たちにとっては純粋な憧れで、女たちにとっちゃあ、目の保養ってのもあるだろうし」
ヤステルがそう言えば、その隣でリヒターも可笑しそうに微笑んだ。
「そうそう。妙齢の娘がいる家は、それこそ未来の婿探しに必死だよ。女の子も滅多に拝む事の出来ない男たちの勇猛な姿に、それこそ釘付け。大会中は黄色い野次が飛んだりもするんだ。恥も外聞も忘れてね」
「野太い野次も多々あるぞ。偶に茶色みたいなのとかも混じってるし」
何を想像したのアルセーニィが嫌そうに眉を顰めた。
「皆、観たことがあるんだな」
「まぁな。親に引っ張られて仕方なくという場合もある」
隣のニキータから漏れた呟きに、やはり街全体を上げての一大行事であることを理解したのだった。
「リョウ、お前も見に行くだろ?」
―――――なんなら俺たちと一緒に行くか?
ヤステルとリヒター、そしてバリースは、今年一緒に見物をする約束を取り付けているらしかった。
その中に加わるかという申し出に、リョウは曖昧に微笑んだ。
「どうだろう。観たいのは山々だけど。ちょうどその頃知り合いがこっちに来てるみたいだから聞いてみないと。機会があったら、是非、お願いするよ」
武芸大会に参加するユルスナールやブコバルたちとは別口で、シーリスもこちらに出て来るらしいことを昨日、伝令として飛んで来た鷹のイサークに聞いたばかりだった。
北の砦の兵士たちによると、シーリス自身、剣の腕は中々なものであるらしいのだが、これまで大会に出場することは無かったのだとか。それをしきりに勿体ないとぼやいていたのを思い出した。
シーリスがこちらに来るということは、自分のこの養成所での勉強の進み具合の把握や今後の方針のことなどをシーリスの義兄を交えて話し合うことになるだろうから、リョウとしては見学に行くような時間が果たして取れるのかどうかは分からなかった。
ユルスナールとブコバルは観に来いと言ってはいたが、シーリスならば笑顔で、そんなことに関わってる暇はないと言い切りそうだ。恐らく、シーリス次第ということになるだろう。
ということはユルスナールとブコバルも既に王都入りしているかもしれない。
リョウはそっと胸に下げた瑠璃色のペンダントに指を触れた。そして、それと同じ深い青さを湛えた瞳を持つ男の顔を思い浮かべたのだった。
登場人物がまたまた増えてきました。第四章は【王都スタリーツァ】編になります。内容もイベントも盛りだくさんの予定です。