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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第一章:辺境の砦
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小さな秘密

 哀しみを堪えるように揺らいだ黒い瞳。そこに映し出されているのは、ここにはいない存在だった。悲痛に歪む眼差しに潜むのは、果てしない虚無で、泪の跡すら見当たらない。

 この子は、どれだけの哀しみをその身に宿しているのだろう。

 悲しいのならば、泣けばいい。心に正直であれ。

 かつて師であったガルーシャが語った教えは今でも身に染みついている。

 気が付けば、ユルスナールはリョウに手を差し伸べていた。もうこれ以上、哀しみを堪える顔を見てはいられないというように、その頬に指を伸ばす。

 思いの外、柔らかな感触が、自分のかさついた無骨な掌に伝わった。

「独りで抱え込むな」

『りょう。お前は独りじゃない。私達は家族だろう?』


 一筋の涙が、ゆっくりと柔らかな頬を伝った。それが合図だったのか、一度、流れ始めた涙は、次々に溢れだし顎を伝って床に落ちて行く。ぽたりぽたりと。

「あ、れ?」

 意識とは違う所で流れ続ける涙にリョウ自身が驚いて、そして戸惑いを隠せなかったようだ。咄嗟に俯いて、溢れだす透明な雫をその手で拭い始めた。

「それでいい」

『そう、それでいい』

 囁いて、傍にある身体をユルスナールは片腕でそっと抱き締めた。


 背中に回されたユルスナールの腕が、一瞬、戸惑うように動きを止めた。

 洗いざらしのシャツ越しに触れた線の細さにユルスナールの指が躊躇いを見せる。

 成長途中の少年にしては華奢で小柄な方だとは思ってはいたが、実際に触れてみたリョウの身体は、見た目よりもずっと細かった。ともすれば力の加減具合で、折れてしまうのではと思う程に。

 宥めるように撫でた背中は、恐ろしく薄い。小さく震える肩を隙間なく肌を寄せるように抱き込むと、風呂上がりだと言っていた石鹸の柔らかな匂いが鼻孔を擽った。

 無意識に空いたもう片方の手でその髪に触れた。

 自分の馬と同じような色合いの黒髪は、驚く程に滑らかでさらさらと指通りが良かった。その繊細な軽さを堪能するように優しく幾度も手を滑らせた。

 そして、衣越しに触れてみて初めて生じる何がしかの違和感。それは男では有り得ない感触だった。

 ―まさか。

 ふと浮かんだ疑問。

 壊れ物を扱うようにそっと背中を摩る大きな掌が、何かを確かめるようにその輪郭を暴き出す。上手く服で誤魔化してはあるが、ユルスナールの手が辿る背は、腰にかけて滑らかにくびれていた。

 そして、その下には、やはり男とは全く違う弾力のある肌が存在した。


 幼子のように自分の胸に縋り、声を殺して涙を流している姿は、少年のそれに近い。

 だが、この部屋に来て、ここに集う男達に対峙して見せた穏やかな眼差しは、とても落ち着いていて、見た目から受ける印象の割には酷く老成している感があった。

 一見、15、6の少年に見えるが、実際の年齢はもっと上なのかもしれない。

 この黒い髪の色もそうだが、リョウの顔立ちは、この国の人間とは明らかに違っていた。

 遥か西の方に暮らす民の中に、黒髪を持つ一族はいた。

 だが、彼らの肌は一様に日に焼けて飴色をしており、その髪もうねりのある縮れ毛が多いと聞く。リョウのように日に焼けていない肌の色と真っ直ぐな髪を持つものは、ユルスナールが知る限り、様々な民が入り混じる市場(バザール)でも見かけたことが無い。

 もし、リョウが仮に成人した女性であるならば、この国の女達と比べても、随分と華奢な部類に入るだろう。それこそ未発達の子供のように見えるかもしれない。

 それは人種の違いなのか、個体差なのか、その辺りはよく分からなかった。

 そんな考えが頭を過ったことにユルスナールは愕然とした。

 もし、本当に女だとして。

 どんな理由から男の格好をしているのかは知れないが、それはこのようなむさ苦しい男所帯では賢明な判断だとユルスナールは思った。

 驚くべきことだが、これまでの様子を見る限り、サラトフもシーリスもヨルグも、そして女には手が早いことで悪名高いブコバルでさえ、そのことには気が付いていないようだった。俄かには信じがたいことだが。

 だが、ユルスナールとてただ言葉を交わしただけでは、そこに疑念を挿まなかったであろうことは否めない。

 しかし、それで、ふと先程の唐突とも思われたセレブロの介入に合点がいった。

 人には相容れぬ気高き孤高の存在が、いつになく気にかけていた。リョウが女であるならば、ブコバルに対するあの反応も納得がいくのだ。大事な娘を節操なしの毒牙には掛けたくないという父親のような行動。


 リョウの顔立ちは、この国では珍しい、言うなれば異国風だが、客観的に見てもそれなりに整っている部類に入るとユルスナールは感じた。少年であるならば、それこそ将来を楽しみにされるという具合に。

 真っ直ぐな黒い眉、深い色合いの黒い瞳はキッシャーと同じように澄んだ光を宿し、左の目元には、近づいてみて初めて認識できる程の小さな黒子があった。

 そして、薄く引かれた唇。

 この国の女達の、どちらかといえば、ぽってりとした唇と肉感のあるふくよかな肢体を見慣れている男達にとっては、この国の基準から見て、女とも男ともつかぬ曖昧さを備えたリョウは、ある意味とても珍しく映るだろう。

 潔い程の凛とした佇まいは、女達の視線をも集めるだろう。別の嗜好の持ち主には、その希少性もあいまってか、垂涎ものに映るに違いない。

 ここでは上手く隠れているようだが、一度、その内包する美しさに気が付き、そこに潜む何がしかの艶らしき色合いを見つけてしまうと途端に目が離せなくなる。そういう類の静謐で独特な空気をその身にまとっていた。


人の好みは十人十色。

同じようなものの中に一つだけ違うものが入ると、それが目立ち、何故か気になる。それは人にでも言えることで。そういうものを”示差性”と呼ぶそうです。ユスルナールにもきっとそんなフィルターが掛かっているのでしょう。

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