お伽噺の裏表
第三章の最後に、リョウを見送った後の五人の男たちの様子を小話にしました。
「あのー、質問なんですけど」
小さく挙手をした己が部下に、ドーリンは目線で続きを促した。
「結局、あの威圧感ばりばりの人って、誰だったんですか?」
ここは、スタルゴラド第五師団が駐屯する詰め所、通称【ツェントル】の中にある団長室の一室である。
束の間の旅人の見送りを終えた一行は、通常業務に戻るべく、自分たちの持ち場に帰ってきたのだが、五人の男たちは、そのまま一旦、団長室に入ることになった。
質問を発したウテナの横で、イリヤも同じように好奇の色をその眼差しに強く乗せていた。
眩いばかりの長い白髪に光の加減によって虹色に変化をする灰色の瞳。研いた石材のようにどこか作り物じみた造形。顔立ちは、恐ろしく整った部類に入るだろう。
だが、それよりも、本能にひしひしと訴える厳かな空気と圧迫感にイリヤとウテナは身の竦む思いをしたのだ。
兵士としてそれなりに様々な修羅場を潜り抜けて来たと自負する自分たちが、あのような気分になるのは初めてのことだった。
それにユルスナール、ブコバル、ドーリンの三人の男たちが、あの人物に只ならぬ敬意を払っていた。 それだけでも相当な部類に入るだろうが、あの男は、王都の貴族という訳ではなさそうだった。あれだけ特異な人目を引く風貌をしていれば、職業柄、イリヤとウテナが知らないということはあり得ないからだ。とりわけ、自身貴族の出身であるウテナは尚更のことだった。
ドーリンは、いつになく興味津々の視線を向けて、こちらをじっと見る二対の瞳に愉快そうに微笑んでいた。
「あの方は、この国の者なら誰もが知っているだろう。まさか、このように間近でお目にかかれるとは思ってもみなかったが」
そう言って、どこか冷めやらぬ高揚に長い息を吐いた己が上司に、イリヤは口の端を引きつらせた。
それは、まるで恋する乙女のような反応に見えたからだ。
「確かになぁ。あんな顔してっけど、ありゃぁ、相当な爺さんのはずだぜ。俺もおったまげたし」
「まぁな。リョウから事前に人の姿を取るとは聞いてはいたが、なかなかどうして、この目で直に見るまでは、俺も想像がつかなかった」
「てか、ありゃぁ、詐欺だよなぁ。ぜってぇ。まぁ、捻くれてる中身は変わんねぇみたいだけど」
「そんなことを口にするとまたどやされるぞ。まぁ、姿形は違えども、あの気は変わらないからな」
同じく見送りに出ていた第七師団の双璧であるユルスナールとブコバルは何やら思うところがあるのか、急に意気投合して話を弾ませていた。
前提条件の分からないウテナとイリヤは、益々混乱していた。
それを見たドーリンは仕方がないかと小さく息を吐いてから、口元を緩めると、窓際に立ち、静かに瞑目した。
「【彼の者、森の守り人。古の約定に従い、天と地の理を説く】」
聞き慣れた低い声が紡いだのは、この国の人間ならば、誰もが知るお伽噺の一節だった。
「【その身に纏うは白銀の衣。虹色に輝く眼は、神々に愛でられし証なり。この世に大地が生まれし時と共に産声を上げし古き一族。その身に刻むは悠久の時】」
「それって………かの有名な【ヴォルグ】の一節ですよね?」
「森の王、あの創世記の神話に出てくる?」
驚きに固まった二人に、ドーリンは静かに頷いた。
それは、この国では、子供から大人まで広く知られている存在だった。お伽噺の中や昔話の中に必ず登場する獣だった。
この国の遥か北の方角には、この大陸の始まりからあるという【原始の森】があった。別名【太古の森】ともいう。そこに古くから主のように暮らし、森を守る存在として人々から崇め立てられていたのが守護者【ヴォルグ】の一族であった。
中でも【ヴォルグ】の長は、誇り高き【白銀の王】と呼ばれた。その名は、艶やかで溢れんばかりに光り輝く白い体毛に由来しているという。人は畏怖と畏敬の念を込めて、悠久の時を刻む大きな獣の一族をそう呼んだのだ。
【ヴォルグ】は昔、森で人と共にあったという。人がまだ森に生活の基盤を置き、獣たちと言葉を交せる能力を持っていた時期のことだった。人の王は、森の長と共に交わりながら一定の秩序の下に暮らしていた。
やがて、時は下り、原始の森を離れた人は、かつての能力を失った。そうして、森の獣たちと人の意識は分断され、人の中では【ヴォルグ】の存在も非現実的なものになったのだ。そして、真実は、細々と物語の中にしか存在しえなくなったのだ。一部の知識を脈々と受け継ぐ一族と限られた【術師】を除いては。
子供の頃に読んだ昔話を思い出しながら、イリヤはふと違和感を覚えた。
「【ヴォルグ】って、人でしたっけ? いや、獣だったよな。話の中じゃ、大きな狼みたいな四つ足の獣だってあったし。人の王の【フセスラフ】が戦いに出る時には必ず傍に寄り添ったって話だったから。ひょっとして、そういう特殊な能力を持った一族が人の中にあったっていう喩え話だったとか?」
昔話は、往々にして真実をそのまま伝えるものではない。姿形を変え、実しやかに虚構の中に真実が練り込まれているものだ。
【ヴォルグ】自体は、とある人の総体を揶揄したものだったのだろうか。
そう思い混乱するように首を巡らせたイリヤに、
「確かに、髪と瞳の色は物語の記述そのものだったよ」
ウテナも相棒の思いつきを肯定するかのように静かに頷いた。
そこには、いつもの軽薄そうな面はどこに行ったのやら、いつになく真剣な表情が浮かんでいた。
そんな部下の様子を見て、ドーリンは密かな笑みを浮かべただけだった。
「まぁ、信じるも信じないも、お前たち次第だ。あの方は、ガルーシャ・マライの友人だそうだ」
そう締めくくった。
ガルーシャ・マライ――――――それは、この国稀代の術師と名高い男の名前だった。
奇天烈な奇人、変人、狂人。人嫌いな偏屈学者。偉大な術師。
その人物を表わす枕言葉は、良くも悪くも尽きることが無い。そのどれもが幾ばくかの真実と虚構を孕んでいる。
ガルーシャ・マライの筋であれば、【ヴォルグ】と知り合いとしても頷けた。それだけの信憑性をあの男自身が持っていたからだ。
「では、仮にあの男があの【ヴォルグ】の一族に何らかの関わりのある人物だと仮定して。どうしてそんな人が、リョウの迎えに来るんですか?」
取り敢えずの部分は、仮定として置いておいて、一番気になっていた所をイリヤが口にすれば、
「それは簡単な話だ」
今更、何を言うのだという顔をして、ドーリンは二人の部下を横目に流し見た。
「リョウがあの方の知り合いだからだ」
煙に巻いたような答えに、ウテナとイリヤは暫し顔を見交わせると、天を仰いだ。
どうやら上司は、全てを明らかにしてくれる程、お人好しではないらしい。知りたいのならば、自分で調べろということなのだろう。
肩を竦めた二人に、ブコバルが思わぬことを言った。
「あの爺さんは、知り合いって言うよりもリョウの保護者気取りだぜ。見ただろ、あの好々爺っぷり。リョウには漏れなくアレが付いてくる。そう考えた方が早い。なぁ、ルスラン」
そう言ってどっかりと団長室の長椅子に腰を下ろしたブコバルに、
「まぁ、お前の言い方は幾分語弊があるが、当たらずとも遠からずと言うところか」
いつもならば、その言動を窘める筈のユルスナールまでもがそれを肯定するように頷いていた。
あの男は、外見だけを見るならば若い男だった。それも恐ろしく綺麗な部類の。
それをブコバルは【爺さん】と揶揄したのだ。
それがブコバルなりの感性なのかは分からなかったが、余計に二人の兵士の思考を混乱させたことには違いなかった。
それ以来、【ツェントル】内に設置されている様々な資料が置かれている図書室には、これまでに余りお目に掛からないような珍しい顔触れの二人組(要するにウテナとイリヤだ)が、子供向けのお伽噺の絵本を片手に、やけに熱い議論を交わしていたのだとかいないとか。
【ツェントル】の中でも自称読書好きの兵士が、物珍しそうにそれを語っていたというのは、また、別の話である。
ここまで長々とお付き合い下さりありがとうございました。
ここで第三章を終りにしたいと思います。
次回は第四章へ入る前の幕間ということで、北の砦でのお話を幾つか挿む予定にしています。