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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第三章:工業都市プラミィーシュレ
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回遊するキモチ

第三章の最後は、カマールのお話で締めくくりたいと思います。それでは、どうぞ。


「もう、カマールったら、リョウがいなくなった途端にこれなんだから!」

 呆れた顔をしながらも、テキパキとした動作で部屋の中を片付けて行く女の後ろ姿を、カマールは静かに視界の隅に認めた。


 母親が暮らすスフミ村から遥々やって来た【伝令】が、この街を旅立ってから早二日、鍛冶職人としてのカマールの日常は、良くも悪くも以前と同じように小さな衝突と混沌と、そして幾ばくかの平穏に沿って、いつもの日常を取り戻しつつあった。

 全てが元の流れに戻って行く。小さな支流が再び大海に注ぐが如く。

 だが、その中にごくごく小さな変化が訪れていることに気が付くのは、もう少し後になってからのことだった。

「折角、綺麗になったと思ったのに。こんなんでどうするのよ?」

 ――――――――これだから、男の一人暮らしは目も当てられないわ。


 滑らかに止めどなく流れ出す憎まれ口を耳にするのも久し振りのことだった。

 日数にしてみれば、あの子がここに居た間のことであるから、十日程というごくごく限られた短い期間でしかない筈なのだが、それを懐かしいと感じてしまった自分に、カマールは内心、驚いていた。

 口を開けば出て来るのは、怠惰な男を窘める言葉ばかり。愛嬌があると外では専らの評判の丸顔も眉がしんなりと寄って、かなりおかんむりのようだ。

 恐らく、あの子の見送りに立ち会えなかったことをいまだ根に持っているのだろう。もう少し早く知らせてくれれば、ちゃんと時間を作って別れの挨拶ぐらい出来た筈であるのにと。

 あの子のことを憎からず思っていたのは自分と同じようで、まるで弟のように可愛がっていたらしいことを後で中庭に集まっていた近所の女たちに聞いたのだ。

 最後に一言、直に言葉を交わせなかったことが、相当残念だったようだ。

 カマール自身は、自分が怠惰だとは思っておらず(寧ろ、勤勉な部類に入ると自負している)自分の遣りたいようにやっているだけなのだが、それは女の方から見たらてんで話にならないらしい。

 認識の差は明らかに甚だしく、だが、今更、それを埋めようとは思ってもいなかった。


「それは、後でやろうと思ってたんだよ」

「まぁ、『後で』って。カマールの『後で』は、明日や明後日のことなのね?」

 良く回る口を動かしながらも、その手は休まることを知らない。

 よくもまぁ、あれだけしゃべくり回れるものだと寡黙な性質であるカマールは、常々、女という生き物が不思議で仕方がなかった。

 不機嫌になるのならば、わざわざ来なくとも良かろうに。

 売り言葉に買い言葉で、思わず出掛かりそうになる口癖を喉の所で押し留めた。

 口では敵わないのは重々承知だ。それに、きちんと連絡を入れなかった落ち度もやはり自分の方にはあるのだろう。そう思うが故に、カマールは押し黙って、小さな不平不満を垂れ流しながらも綺麗に片付いて行く部屋の一角を複雑な気分で眺めていた。

「そんな説教染みたことばっかり言ってると男が逃げるぞ?」

 ついついそんな憎まれ口も言ってみたくなる。

「まぁ、お生憎さま。これでもそれなりに引く手数多なのよ?」

 背中を向けたまま、返す女の口調はいつものように強気であった。

「ハハ。そいつは恐れ入ったぜ」

「是非家に来てくれって、縁談だってあるんだから」

 そう言って振り返った女の頬は、年相応の張りと艶に溢れていた。

 暫しの労働に薄らと赤く染まる肌の血色の良さは、元々の白さを一層際立たせることになった。

 冬場だというのに腕まくりされた袖から覗くしなやかな腕の白さを、カマールは、眩しいものを見るように見詰めた。


 ソーニャに見合い話が持ち上がっている。そんな話を聞いたのは、ついこの間のことだった。狭い地域での商売仲間同士が交わす世間話の中でだ。この界隈の噂はあっという間に広がる。

 【スタローヴァヤ(街の食堂)の看板娘】の通り名の通り、若くて気立てのいい娘であるソーニャには度々、見合い話が持ち込まれているらしい。

 そのことをカマールは当然の如く感じていた。


 ソーニャとは、カマールがこの街に来て、レントの下に見習いとして弟子入りした時からの付き合いだから、かれこれ、十年は軽く超える。初めは人見知りをする大人しい子だと思っていたが、蓋を開けてみれば、それなりに社交性のある明るくて陽気な性質だった。

 特別美人という訳ではないが、愛嬌のある丸顔にいつも浮かんでいる頬の片笑窪が優しい気性を良く表していた。

 流行り病で早くに母親を亡くし、その後、父親と二人で同じ通りにある金物屋の店を切り盛りしていたが、ここ数年は、金物屋の商売は父だけに任せて、自らは街の食堂に給士として働きに出ていた。

 若い娘であるソーニャの朗らかな笑顔をお目当てに来る男の客もいるらしい。そんなことも風の噂に耳にした。

 往々にして世話焼きな娘だ。自分のような者の所にまでも気を配り、近所のよしみということで態々お節介を焼きに来る位だ。ソーニャは、嫁ぎ先では良き妻、そして良き母になるだろう。それを少し誇らしく思った。

 だが、それと同時に、一抹の言い知れぬ寂しさのようなものだろうか、形にならないもやもやとした澱が胸の奥底に溜まって行くような思いをカマール自身は感じていたが、それに対しては、見て見ぬ振りをしていた。生涯独り身を通すと決めた自分には、関係の無いことだったからだ。



 ――――――『ヒト』は、二人揃って、初めて『ヒト』になるんです。

 カマールの脳裏には、この街を去る前に交わした伝令の少年の言葉が浮かんでいた。

 あれは、あの子が自分の所から出て行く前の晩の、夕食の席でのことだった。


 自分の祖国では、『ヒト』とは、こういう字を使って表わすのだ。そう言って、少年のか細い指がくすんだお手製の紙の上に描き出したのは、斜めになった短い線と長い線が交差する不思議な象形だった。

 よくよく聞けば、それがその少年の国の文字であるらしい。

 この国では『ヒト』は、【チェラヴェーク】一語だ。そして、それが複数になると【リュージ】に変わる。其々、幾つかの文字を組み合わせた綴りで、たった一つの文字だけで意味を表わす言葉というものは存在しなかった。

 斜めになった長い線を支えるように短い線が真逆の角度で走る。其々の線は人間を表わし、こうやって互いに支え合う人間が二つになって初めて、一人の『ヒト』を形成するのだと。

 詰まり、人間は一人で生きて行くものではないのだ。知らず知らずの内に誰かに支えられ、そして自分も誰かを支えて、そういった相互干渉の中で生きて行く。それは人が人であるが故のこの世の理なのだと静かに語ったのだ。


 ―――――――ワタシは、この国に来てからずっとそのことを感じていました。そして、この幸運に感謝しているんです。

 そう言ってひっそりと締めくくった向かいに座る少年の顔は、いつも以上に大人びていて、とても真摯なものだった。

 ―――――――ですから、『一人で生きなくては』なんて思う必要は、本当はないんだと思います。人が人である以上、それは絶対に不可能なことなのですから。そう思ったら、ある時、ふっと肩の力が抜けたんです。


 あの時は、何故、そんな話になったのかは皆目、見当が付かなかったが、今では、あの子の言いたいことが何となく分かるような気がしていた。

 あの子に面と向かって、自分の主義や主張を話したことはない。それでも、敏い所のある子だ。恐らく周囲からの反応や噂話に自分のことを聞き齧ったのだろう。

 そして、鍛冶職人が身を置く厳しい現実も。

 中途半端な同情や憐憫とも違う淡々とした口調は、あの子自身のことを話しているように見えて、その実、自分が敢えて目を背けてきた物事へと目を向けるようにと仕向けたものであったのかもしれなかった。

 いや、流石に、そこまで考えるのは、穿ち過ぎだろうか。あの子に他意はなかったのかもしれない。

 今となっては、それを直に確かめることは出来ない。だが、その言葉は、思いの外、カマールの心の中に響いたのは確かだった。


 ―――――――素直になってみてもいいのだろうか。それも今更か。

 カマールの男らしい口元が、自嘲気味に歪んだ。

 主義を変えるのは、それまでの自分の行いを否定するようで居た堪れなかった。中々、そう変われるものではない。特に自分のような保守的な男は。

 暫し、瞑想をしてみる。

 自分が描く未来予想図。その軌道上に立つのは――――――――。

 幾つもの分岐する選択肢の中で、自分の日常の中に変わらず佇む女の横顔を思い浮かべてみた。

 そして、出された一時的な結論を、まぁ悪くはないかもしれないなどと思ってみたことも確かだった。


 カマールは、忙しそうに動く背中と滑らかな曲線を描く腰に揺れる白い前掛けの結び目へ再び目を遣った。

 そして、その景色を名残惜しそうに記憶の片隅に切り取ってみた。

「まぁ、アレだ。お前がとうとう最後まで売れ残っちまって、仕方がねぇって時には、俺が引き取ってやらんでもねぇか。これも近所のよしみってやつだ。有り難く思え」

 そう言って意地の悪そうな男らしい笑みを浮かべたカマールをソーニャは、振り返るとまじまじと見詰めた。

 突然、何を言い出すのかと思えば。

 男にしては珍しい冗談だ。

 しかしながら、こちらをじっと見つめる男の瞳は、いつになく真剣で誠実なものだった。

 ソーニャは、ふいと顔を背けた。

「大きなお世話よ。あんたみたいな男なんてこっちから願い下げなんだから。売れ残る前にとっとと行っちまうんだから」

 そんな辛辣な言葉とは裏腹に、ソーニャは、慌てて顔を壁の方に戻すと込上げて来るものを指先でそっと拭った。

「もう、いきなり、何なのよ、一体」

 何の心境の変化なのかは知らないが、唐突に訳の分からない事を言いだした男に、小鳥のようにぶちぶちと憎まれ口を囀りながらも、その顔は、昂ぶる感情のままにどこか泣き笑いのような表情を浮かべていたのだった。


ここまでお付き合い下さりありがとうございました。

次回はオマケの小話にて締めくくりたいと思います。

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