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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第三章:工業都市プラミィーシュレ
111/232

三文芝居の一幕


 それは、一通りの食事を終えて、食後のお茶をゆっくりと楽しんでいた時だった。

「これはこれは、皆さま、お揃いで」

 そんな台詞と共に個室の戸口に一人の男が立った。

 ゆっくりと視線を向けた先、そこに現れた男の顔を見て、リョウは硬直した。そして、目を合わせないように咄嗟に顔を逸らしていた。

 鼓動が妙な胸騒ぎに駆け足を始めていた。

 どうしてあの男がこのような所にいるのだ。偶々なのか。それとも………。

 不安が湧き出るようにして目に見えない形で膨らみ始めていた。

 なんと間の悪いことだろう。

 リョウは巡り合わせの悪さを呪わずにはいられなかった。

 昨日の衝撃は、燻るようにしてまだこの身に残っていた。


 リョウは震えそうになる身体を落ち着かせる為に、カップを手に取ると温かいお茶に口を付けた。

「ルスラン。こっちにはいつから来ていたんだ? 折角いるなら、連絡をくれてもいいだろう?」

 戸口に寄り掛かっていた男は、そう言うと、ふらりと中に入って来た。

 男が付けている香水だろうか、華やかな匂いが、揺らぐ空気に乗って鼻先を掠めた。

 それは、昨日嗅いだものと同じ匂いだった。

 リョウの心は漣が立ち始めた。その匂いに触発されるようにして体内に抑え込んでいた筈の様々な感情が呼び起こされそうになる。それを、カップを握る手に力を入れることで堪えていた。

 かなり酒を過ごしているのかもしれない。顔色は変わらないが、どことなく浮ついた軽薄な空気が男の周りを囲んでいた。

「何の用だ?」

 緩慢な足取りで上機嫌にテーブルに近づいて来た男をユルスナールは冷ややかに見遣った。

「『何の用だ』とは何だ。随分な御挨拶じゃないか。暫く振りに見る知己に挨拶ぐらいはするだろう」

 そう言って肩を竦めた男のいつになく緩んだ目元を見て、ユルスナールは苛立たしげに舌打ちした。

「大分、飲んでいるな。あの二人はどうした?」

 闖入者である男の傍には、必ず影のようにして控えているお目付け役の男が、二人いた筈だった。

 その事を暗に仄めかせば、

「ああ。あいつらは向こうだ。少し、風に当たろうと思ってな。抜け出して来た」

 男は、事も無げに言い放つと身体をくるりと反転させた。

「やぁ、ブコバル。それにドーリンも。久し振りだな」


 ―――――――ふざけやがって。

 白々しい程の口振りに、ブコバルはあからさまに嫌そうな顔をした。

 昨日の今日で良くもそんな口が聞けたものだと(はらわた)が煮えくりかえそうになる。

 こっちはとんだ莫迦男の所為で昨日は大変な目に遭ったのだ。

「ああ」

 言い返したいのは山々だったが、ここで昨日の話を蒸し返しても碌なことにならないのは分かり切っているので、ブコバルはぞんざいに頷いて見せるだけに留めた。

 そして、ちらりと目の前に座るリョウに案じるような視線を投げた。

 そこには明らかに色を失い、何かを押し留めるようにきつく紅を刷いた唇を引き結んだ女の顔があった。

 それを見て、ブコバルはリョウが闖入者のことを的確に認識したことを知った。

 というよりも昨日の今日だ。忘れたくともそう簡単に忘れられるものでもないだろう。気丈には振る舞っているが、カップを握る細い指が微かに震えている。

 こうなれば、男がリョウに気が付く前に、早々にお引き取りを願うしかないだろうとブコバルは判断した。

 それに昨日の顛末を知っているユルスナールは、相当、頭にきているに違いなかった。

「レオニード。戻れ」

 ある程度、自制してはいるようだが、内心の腹立たしさを隠すことなく言い放たれた言葉は、実に冷え冷えとしていた。

「相変わらず、はっきり言うな」

 だが、対する男は、それに堪えることなく、感情の読めない笑みをその口元に刷いた。

「お前がここに居ても仕方がないだろう。食事の邪魔だ」

「見た所、食事はもう終えたみたいだな。お茶位なら混じっても構わんだろう?」

 この場所に居座る積りなのだろうか。

 男の口から出された思いも寄らない提案にユルスナールが身に纏う空気が一段と凍りついた。痛い位の緊張感が張りつめていた。

「向こうが心配するだろう。お前が中々戻ってこないと」

「それなら、ここから伝えればいい」

 そう言って戸口に控えていた給士に合図を送ろうとした男を、

「レオニード」

 ユルスナールは低く、窘めるようにその名を呼ぶことで制した。

「いいから戻れ」

 そして、きっぱりと男に立ち去るように告げた。

「おいおい、レオニード。お前、いい加減、空気くらい読めよ」

 拒絶の言葉を吐かれても中々腰を上げない相手にブコバルは呆れた顔をして、気だるそうにひらりと片手を振った。

 だが、その人を食ったような態度が感に障ったのか、男は鋭い目つきでブコバルを睨みつけた。

「何だ。その言い方は。俺が邪魔だとでもいうのか」

 気位の高い横柄な態度も相変わらずだった。

 ブコバルは、至極、面倒臭そうに片方の眉を上げた。

「ああ。そうだよ。分かってんじゃねぇか。お前にしては上出来だ」

「何だと。莫迦にする気か!」

 忽ち、男が低い声を出した。


 リョウは顔を俯けたまま、目と鼻の先で交わされる男たちの遣り取りを聞いていた。

 思いも寄らない闖入者の所為で、折角の穏やかな雰囲気も楽しい気分も霧散してしまった。その原因になった男を内心腹立たしく思った。

 徐々に険悪になる空気に、このままブコバルと男の間で口論が続くのだろうかと内心ひやひやしていれば、

「レオニード」

 それまで沈黙を貫いていたドーリンが、静かに闖入者を見据えた。

 ドーリンの声は低く小さいものだったが、男の注意を引くには十分だった。

 声を掛けられて、男は何だとばかりに訝しげな視線をドーリンに投げた。

「お前がこの【プラミィーシュレ】に来てからの噂は、こちらにも届いている。このままでは、後で事実確認の為に、改めてお前から話を聞く必要があるやもしれんな。事と次第によっては本家に連絡を取ることになるが、どうする?」

 【ツェントル】の所長としての顔を全面に押し出しての言葉は、それなりに効果があったようで、男があからさまに怯んだ顔をした。

「なん…だと?」

「第一、余所のテーブルに乱入するなど無粋にも程がある」

 痛いところを突かれてか、男が眉根を寄せて押し黙った。


 そのまま、男の視線が脇に逸れた。

 そして、テーブルの一角に着いていた一人の女の姿を捉えると、その目が実に興味深そうに細められた。

 顔を伏せていたリョウは、只ならぬ視線を感じて、居心地悪そうに身じろいだ。

 鼓動が脈打つのに合わせて、血液が体内をもの凄い速さで巡り始めていた。

「おや? こんなところに女性がいたとは。これは失礼」

 そう言って、急に身に纏う空気を和らげた男に、リョウはこのまま無視を決め込む訳にはいかなくなった事を悟った。

 どうか気が付きませんように。祈るような気持ちでゆっくりと顔を上げた。

 そこにあったのは、昨日、自分を娼館の一室に強引に招き入れた時と同じ、どこか胡散臭い微笑みのようなものを浮かべている男の顔だった。

 リョウは無言のまま、静かに目礼を返すだけに留めた。

「ルスラン。どういう風の吹き回しだ? お前が女連れで来るなんて」

 からかうように男がユルスナールを流し見たが、瑠璃色の瞳はそれに応えることなく、冷たさを孕んだまま、より一層の剣呑さを増しただけだった。

「おやおや。随分とおかんむりのようだ。勿体ぶることもないだろうに」

 そう言って、大げさに肩を竦めて見せると徐にリョウの傍に歩み寄った。

 そして、あろうことか、テーブルの上にそっと置いていた小さな手の上に男が自分の手を重ねた。

 途端にリョウの背筋に悪寒が走ったが、それを慌ててやり過した。

 男はリョウの手を少し持ち上げると、腰を屈めて顔を近づけた。

「初めまして。麗しいお嬢さん。ああ、貴女はまるで現と夢の狭間を彷徨う夜の精のようだ。私は差し詰め、貴女の魔法に掛かった愚かな旅人だ。どうか、そのお名前をお聞かせ下さいませんか?」

 男の本性を知る身からしてみれば、全くもって笑えない白々しい程の歯の浮くような台詞に、引き攣りそうになる口元を叱咤しながら、リョウは、息を整えると、ゆっくりと微笑んで見せた。

「それでは、ワタクシは泡沫(うたかた)の存在。夢か現か分からぬものに名乗る名などございません」

 そう言ってやんわりと男の手の中から自分の手を抜き出した。

 すると、男は拒絶されるとは思ってもみなかったのか、芝居掛かった様に胸に片手を当てて、傷ついた顔をして見せた。

「これは勝気なお方ですな。随分とつれないことを仰る」

「こいつは振られたな。レオニード」

 茶々に入ったブコバルを男は睨みつけた。

 だが、直ぐにそれを気に留めずに言葉を継いだ。

「それとも、そうやって私の気を引こうとするお積りですかな?」

 ――――――どうしてそうなるのだ。

 昨日も感じた事だが、この男の思考回路をリョウは到底理解できそうもなかった。

「まぁ、そんな恐れ多いこと」

 リョウは性質の悪い酔っ払いに絡まれている気分になっていた。

 出来るだけ無駄に高い男の自尊心を傷つけないように気を付けながら言葉を選ぶ。こちらに気が付かない内に早くお暇をして欲しかった。

 だが、そう思ったのも束の間、じっとこちらを見下ろしていた男が首を傾げた。

「……はて、お嬢さん、何処かで、お会いしたことはございませんかな?」

 核心に近づきそうになる言葉をリョウはさらりとかわした。

「まぁ、こちらの殿方は、皆さん、お上手ですこと」

 その言葉は、口説きの常套句でもあったからだ。

 リョウは口元に手を当てると小さく笑った。なるべく軽薄な空気になるように。そして、この男の興味が早々に自分から離れるように。

 だが、その願いも虚しく、男の視線が、つとリョウの開いた胸元に煌めくペンダントに注がれた。

 歪な形をした濃紺の石は、室内を照らし出す柔らかな橙色の発光石の灯りの下、穏やかな青白い光を放っていた。

 リョウは反射的にそれを手で覆った。そして、自分で取ったその行為に愕然とした。

 なぜなら、それは昨日、この男の前でも取った反応であったからだ。


 その瞬間、男の目が何かを見定めるようにすっと細められた。

「おやおや。これは、珍しいものを着けていらっしゃるようだ。【キコウ石】とは」

 男の灰色の瞳が、意味深に怪しく輝いた気がした。

 男は身体を起こすと、改めて、ゆっくりとテーブルに並んだ顔触れを見渡した。

 ユルスナールは、ごっそりと感情の抜けた能面のような顔を晒していた。ドーリンは相変わらずの無表情だ。次に男と目が合ったブコバルは苛立ちの中にも苦々しい顔をしていた。

 その居並ぶ男たちの反応を見て、男なりに何か思うところがあったらしい。殊更ゆっくりと頷いて見せると、不意に白々しい笑みを浮かべた。

「ついこの間、偶然にも似たような代物を目にする機会があったのだがね。はて、どこであったか」

 表情を変えないまま、沈黙を貫いたリョウに、

「それを首にぶら下げていたのは、随分と小生意気な小僧の筈だったが、確か、その者も黒い髪に黒い瞳だった」

 ――――――そう、貴女のようにね。

 男の目が、何かを探る様に険を帯び、すっと細められた。

「それは、凄い偶然ですね」

 対するリョウもその口元に微笑みを湛えて、同じようにシラを切っていた。

 ここで認める訳にはいかなかった。たとえ相手が何がしかのことに気が付いていたとしても。

「ええ。仰る通り。単なる偶然としては出来過ぎている。そうは思いませんか?」

「ですが、そういうことも、【偶には】あるのではありませんか?」

「そうですね。【偶には】ね」


「レオニード・ボストークニ」

 リョウの隣から鋭い声が上がった。

 それ以上、男の暴挙を見逃す訳にはいかなかったのだろう。

 降りた沈黙を刺し貫くように、低く漏れたユルスナールの声は、異様な程の緊張感と冷たさを運んで来ていた。

「下らないお喋りはそこまでだ。お前は自分の所に戻れ。即刻だ」

 ユルスナールは椅子から立ち上がると、男の傍に歩み寄った。

 その隙に、ドーリンは戸口に控えていた給士の男に何がしかの合図を送ったようだった。

「私に指図をするのか、ルスラン」

 ―――――――嫌だと言ったら?

 男の口元が挑発的に上がった。

「指図ではない。これは諫言だ」

 だが、凍りつくようなユルスナールの視線に、男は反対に興味を引かれたようだった。

「何だ、ルスラン。やけにこのお嬢さんを隠そうとするんだな。そんなことをされると余計に気になるだろう?」

 軽薄な緩い笑みを浮かべた男の反応をユルスナールは黙殺した。

「もう一度、言う。この場から失せろ。不愉快だ」

 ユルスナールは、リョウの前に立つと、不躾な男の視線から遮るように自らが壁になった。

 リョウは、舐めるような男の視線から逃れることが出来て、詰めていた息を吐いた。

「レオニード。お遊びはそこまでだ。その辺にしとけ。悪いことは言わねぇ」

 そして、対面に座るブコバルからも相手を諌めるような声が掛かる。

 その口調は、のんびりとしたものだったが、その目は決して笑ってはいなかった。

 ゆっくりと目の前に立つ、屈強な身体つきの男たちを見て、

「なんだ、なんだ、二人して」

 あからさまに興醒めだと言わんばかりに男が肩を竦めて見せた。

 だが、そのような三人の男たちの背後から、

「レオニード。時間だ」

 ドーリンの冷静な声が掛かった。

 簡潔に言い放ったドーリンの視線の先には、男の目付け役である筈の従者が戸口の陰で丁重に控えていた。

 ユルスナールの背中越しに見えたその男の顔にリョウは見覚えがあった。

 忘れられる訳がない。往来で自分を捕らえ、あの男の下に力づくで引き摺った相手なのだから。仮面のような感情の乗らない抑制された面。主の命令とあれば、目的の為には手段を選ばないであろう冷徹な男だ。

 リョウは無意識に剥き出しになっている左の二の腕を右手で覆った。今はもう無くなったが、あの後暫く、男に掴まれた場所には、赤い跡が付いていたのだ。

 従者の登場に、男は面白くない顔をした。

 だが、それが潮時であったようだ。

「レオニード様。あちらがお待ちです」

 従者の男が表面上、恭しく告げた。

 四人の男たちからの視線に、駄々を捏ねていた男も漸く諦めたようだった。

「分かった」

 そして、何事もなかったかのようにするりと踵を返した。

「邪魔をしたな。それでは、この辺で失礼する」

 だが、そのまま立ち去るかに見えた男は、戸口の所で不意に思い出したように、後方を振り返った。

「ああ、それから、ルスラン。来月、【スタリーツァ(王都)】には、お前も出て来るのだろう? 楽しみにしている。ではな」

 そんな言葉を残して、お騒がせな台風の目のような男は、上機嫌に去っていったのだった。

 後味の悪い空気を部屋の中に残して。




 男が去った背中を見送ってから、リョウは脱力したように椅子の背もたれに身体を預けると大きく息を吐いた。

「大丈夫か?」

 顔色の悪くなったことを案ずるようにユルスナールがリョウの顔を覗き込んだ。

「はい」

 問題ないと小さく微笑んでみたのだが、それが直ぐに、何とも言えない間の悪い表情に変わった。

「もしかしなくても、感づかれてしまいましたよね」

 それは、あのレオニードという男が、自分のことをカマールの弟子だとして拘束した少年であると当たりを付けたかもしれないということだった。

 そう言って、ちらりとブコバルへ視線を投げれば、

「まぁ、半々ってとこだろ」

 ブコバルは、心底、嫌そうに眉根を寄せてぼんの窪に手を宛がった。

「アイツは元々、あんまし勘のいい方じゃねぇが、今回ばっかりはな。同一人物と見做されなくとも、関係はあるって思われるだろ。姉弟とか。だが、まぁ、いずれにしろ、ルスランの関係者だって知れた時点で、面倒なことになったってのは変わりねぇだろ」

「どういう意味ですか?」

 その言葉にリョウは首を傾げた。

 あの男がここにいる三人の男たちの顔見知りであるということは分かったが、それがどうして『面倒なこと』になるのだろうか。

「ああ? ああ、そうか。こうなりゃ、行き掛かり上、言っておかねぇとな。なぁ、ルスラン?」

 そう言って相棒を流し見みたブコバルに、ユルスナールは無言のまま、眉間に一層の深い皺を寄せた。

 その後方で、ドーリンもどこか苦々しい表情を浮かべていた。


 それからブコバルは、簡単に、先程の男とユルスナールとの間に古くからある確執という名の溝を説明したのだった。

 早い話が、あの男が、事ある毎にユルスナールに張り合い、目の敵ににして、なにかと絡んでくるという話だった。それは、幼いころからの変わらない構図だという。そして、てんで相手にされないユルスナールに飽き足らず、いつもその傍にいるブコバルに対しても、その矛先が向けられるようになったのだと聞いた。

 その事を耳にしたリョウは、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。呆れてモノが言えないというよりも、最早、莫迦らしくて仕方がない。何とも子供染みたことに思えて仕方がなかった。

 だが、先程の男の様子を見る限り、あの男の方は、実に大真面目なのだ。

 あれは、あの男なりの愛情表現の裏返しなのだろうか。ユルスナールのことが好きで仕方がない。そして、その相手に自分を認めてもらいたい。自分を対等の立場として認識してもらいたい。若しくは、単純に構って欲しい。話を聞くだけならば、そんな幼い子供が持ち得る欲求に似たような感情が透けて見える気がして仕方がなかった。そして、可愛さ余って憎さ百倍。憧憬や思慕が転じて、憎悪を生みだすまでになった。

 だが、それは、ざっとこれまでの話を聞いてリョウが抱いた、あくまでも個人的な感想というか推察にしか過ぎず、あの男の行動の根幹を支えている原因やその思想は、男が育った環境やその周辺の人間関係などを知らずして、決めつけることなど出来なかった。それにそんな単純なことではないのかもしれない。唯、表面に見える事象を目にしただけで、あまり迂闊なことを口に出来る訳がなかった。


「ルスランも、大変なんですね」

 リョウの口から出たのは、そんな慰めにもならないような言葉だけだった。

 同情とも憐みともつかない視線を受けて、ユルスナールは口元をへの字に曲げたのだが、

「おい、リョウ。お前、そんなこと言ってっけど、他人事(ひとごと)じゃねぇぞ?」

「はい?」

 思ってもみなかったブコバルの言葉に、リョウは呆けた顔をした。

「ああ。少なくともあの男はお前に興味を持った」

 ユルスナールまでもがそんなことを言って、心底、鬱陶しそうに、お茶の入ったカップに口を付けた。

 淹れたてで温かかった筈のお茶も、招かれざる客人の登場の所為で、すっかり冷めてしまっていた。

 ユルスナールは、給士にお茶を淹れ直すように頼んだ後、軽く息を吐いた。

「だが、まぁ、余程のことが無い限り、顔を合わせることもあるまい」

「そうは言えんだろう」

 優雅にカップを傾けたまま、ドーリンが尤もらしく口にした。

 冷静な指摘に、暫し、現実逃避をしていたユルスナールとブコバルの思考が戻った。そして、二人とも苦い顔をした後、何かを振り切る様に緩く(かぶり)を振った。

「ま、用心すりゃぁ、いいか。対策、立てておけばよ」

「そうだな。そうするしかあるまい」

 そう結論付けると、大きな溜息を吐いたのだった。


 そうこうするうちに、給士の男が新しくお茶の入った茶器を持って戸口に現れた。そして、丁寧な所作で、銘々のカップに温かいお茶を注ぎ足して行った。

 そこで、この話題は一旦、終了となった。

 再び、テーブルに着いた四人は、無言のまま淹れ直されたお茶へ手を伸ばした。

 こうして、新たに生まれた若干の不安定要素を残したまま、食事会は終わりを告げたのだった。


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