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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第三章:工業都市プラミィーシュレ
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束の間の団欒


 【ザクースカ(前菜)】、【ペールヴァエ(スープ)】に続いて【フタローエ(メイン)】の肉料理が運ばれて来た。

 テーブルには、アルコール度数の強い果実酒【ズグリーシュカ】がグラスを並々と満たしている。端の方にはワゴンが置かれ、隙なく制服を着こんだ給士の男が控えていた。


 あれから、一通りの挨拶を終えた男たちに伴われて個室に案内されて、待ちに待った食事が始まった。

 待合室の中で垣間見た上流社会の独特な空気とそこに集う多くの客たちからあからさまな視線を向けられたことへの無意識の緊張から、食べ物が喉を通るような気分ではなかったのだが、一旦、無言の煩わしさから解放されてテーブルに着き、目の前に料理を並べられると途端に腹の虫が空腹を訴えたものだから、リョウは己の現金さと神経の図太さを内心、可笑しく思ったのだった。


「ここから海は近いのですか?」

 独特な苦みのある【アグリェーツ(胡瓜)】と豆類、【シィール(チーズ)】が混ぜ合わされたサラダに続いて、前菜に出された小さな魚【セリョートカ】の塩漬けを目にしたリョウは、赤い輪切りにされた【パミドール(トマト)】の上に品よく乗る一口大に解された油分の多い魚の身を口に入れて、舌先でその味を確かめてから、不意に顔を上げた。

 隣から出された問いに、ユルスナールは、器用に【ノーシュカ(ナイフ)】と【ビールカ(フォーク)】を動かしていた手を止めた。

「ああ。近いという程ではないが、そうだな、ここから真っ直ぐ三日ほどか、南東の方角に行けば、港町がある。街道からは少し逸れるがな」


 リョウは、少し前にガルーシャの書斎で見たこの国の地図を思い出していた。

 王都である【スタリーツァ】を中心に据え、そこから網の目のように張り巡らされている街道が、点々とする大小の街や村々の名と共に記されていたものだった。

 縮尺は分からない。王都から見た国内の街や村落の大まかな配置図で、正確な距離に基づいて描かれているものでもなさそうだった。その地図には、リョウが暮らす森は、紙が擦り切れそうな程の端に小さく【レス()】との表示があるだけで、小屋から一番近いスフミ村とユルスナールたちが駐屯する北の砦が、この国に於ける北方の最果てのようだった。その表示も全体から見れば実に小さかった。

「この国には、海に面した部分があるのですね?」

「ああ。南と東の端、瘤みてぇに飛び出したところだけだけどな」

 前の席に着いて合槌を打ったブコバルに、リョウは改めてこの国の全体図を思い浮かべてみた。

 ガルーシャの書斎でこれまでに見た地図は、国内のものとこの国から見た近隣諸国との配置を描いた比較的限られた範囲のものだった。

 北から北西にかけて峻厳な山脈を挟んで隣国【ノヴグラード】がある。北東から東は大きな川を挟んで隣国【セルツェーリ】との境になっていた。そして、西から南西にかけては陸続きに隣国【キルメク】と接していた。そして、東から南東の部分には、海を思わせる波模様と魚の絵が付いた空間があった。

 この世界全体を捉えた地図はあるだろうか。そして、あの海の向こうには何があるのだろうか。港では諸外国と交易を行っているのだろうか。一度、考えだしたらきりがない程の疑問が次々と湧き上がってきた。

 と言っても、この世界は今の自分にとっては途方もない程広いに違いなく、この場所での基本的な移動手段は徒歩か馬であることを考えても、異国というのは、慎ましやかにその日その日を暮らす一般庶民にとっては、恐らく物語の中にあるような、ある種、現実味のない世界なのかもしれなかった。それにリョウにとっては自分が今まさに身を置くこの国そのものが異国である為、興味惹かれることは多々あっても、とてもじゃないが、そこまでは手が回りそうもなかった。

 まずは、この国【スタルゴラド】のことを知ることが第一義であろう。


「港町では他国と交易を行っているのですか?」

 リョウとしては、これまでの感覚から、話の流れに沿って他愛ない話題を振った積りであったのだが、不意に落ちた沈黙に顔を上げれば、斜交いに座るドーリンが、ブコバルと顔を見交わした後、ユルスナールに視線を投げていた。

 男たち三人の無言の遣り取りに、リョウは自分が随分と間の悪い質問をしてしまったことを悟った。

 踏み込み過ぎたのかもしれない。どうやら考えが足りなかったようだ。

「すみません。不用意な質問をしてしまったようですね。障りのあることは流してしまって構いませんから」

 慌てて取り繕うように口にすれば、

「いや。お前の所為ではない。だからそんな顔をするな」

 情けなく眉根を下げたリョウにユルスナールが気にするなとばかりに微笑んだ。

「あの港は、やや特殊な場所だ。この国の管轄下にあるには違いないだが、住人たちの自治が行き渡っている。街を治める首長の方が、国から派遣されている役人よりも影響力を持っている。まぁ、表向きは違うがな。謂わば、一種の治外法権的な領域とでも言えばいいか。これ以上はここでは言えないが、そんなところだ」

「そうですか」

 簡潔に告げられたドーリンの言葉を心の内で反芻しながら、リョウは言葉少なに頷いた。

 問いを発した相手がこの男たちでよかったと思わずにはいられなかった。少なくとも手探り状態で知識を吸収するのに、口にして良いこととそうでない事の線引きは、政治的な事柄も含め、かなり難易度が高く、言葉選びには尋常でない程の神経を使うからだ。ものの言い方次第では、首が飛ぶ場合だって考えられるのだ。

「リョウ。お前、もう一遍、この国のことをお浚いした方がいいんじゃねぇか。お前の言動や態度を見る限りよ、知識や良識もそれなりにあるし、そこらへんのガキに比べりゃぁ、何倍も聡明だとは思うがな、なんつうか、お前にゃぁ、この国のガキでも知ってるような当たり前のことがごっそりと抜けてんだよなぁ。大人びてるかと思えば、世間知らずみてぇなとこもあるし。偶に聞いてっと、ひやひやするぜ。なぁ、ルスラン」

 思いの外、優雅な手付きで赤みを帯びた【スビョークラ】のスープを口に運んだ後、しみじみと出されたブコバルの述懐にリョウは苦笑をして見せるしかなかった。

「そうだな。お前の知識にはかなり偏りがある。一度、初歩から洗い直した方がいいだろう。お前が何をどこまで理解しているかと照らし合わせてだな」

「そうですね」

 ユルスナールとブコバルの二人から実に尤もな事を言われて、リョウとしては素直に頷く他なかった。 もしかしなくとも、これまでの自分の言動や行動は、端から見れば、危なっかしかったり、頓珍漢に思えるものがあったのかもしれなかった。

 だが、実際のところ、どうすればいいのだろう。基本的な初歩の教本となるような分野を予め聞いておいて、その関連の本をガルーシャの書斎から見繕うしかないか。後は、日常的な細々としたものであれば、スフミ村のリューバに聞く他ないだろう。

 リョウがそんなことをつらつらと考えているとユルスナールが思い付いたというようにリョウの方を見た。

「戻ってからシーリスに聞いてみるか」

「シーリスにですか?」

 久し振りに聞く名前に、リョウは菫色の瞳をした線の細い優しい面立ちをした男の顔を思い出していた。

「アイツはああ見えて、博識で学者肌なところがあるからな。教師役にはもってこいだ」

「ですが、忙しいシーリスにご迷惑をお掛けすることになってしまいます」

 申し出としては有り難かったが、本人抜きにそんなことを言っていいのだろうかと思う。

「それは気にするな」

「確かに、シーリスはもってこいだな。その代わり容赦ねぇけど。まぁ、ビシビシ扱いて貰えばいい」

 悪巧みを思い付いたような顔をして、ブコバルまでもがそんなことを言う始末。

 リョウは、その言葉に、北の砦で垣間見たシーリスの一面を思い出していた。眩しい程の笑顔を浮かべながら引き結ばれた薄い唇から飛び出すのは、実に辛辣な毒のある言葉の数々だったからだ。迫力満点の笑顔で繰り出されるシーリスのお説教を受けていた兵士たちは、大きな身体を縮こまらせて恐々粛々としていた。遠目に見るには何処か滑稽な絵図らであったが、恐らく、当事者にとっては肝の冷えることであったのだろう。柔和な面立ちをしたシーリスがユルスナールの片腕として主の留守を恙無く守っている。リョウとしては、その所以の一端を見た気がしたのだ。


「てか、リョウ。そもそも、お前は幾つなんだ?」

 不意にブコバルが、そんなことを言った。

 今更ながらのことではあったが、真正面から訊かれるのはこれで二回目のことだった。

 こちらを見るブコバルの目は、やたらと好奇に輝いていた。

 リョウは、無言のまま、ちらりと隣に座るユルスナールを見た。

 以前、北の砦を去る時に、ユルスナールには、自分の本当の年齢を告げていた。

 だが、それもこちらの暦に換算し直して出した数字であって、本来の年齢とは違う。二年前、初めてこちら側に転げ落ちた時の実年齢から素直に二年を足した辺りが相応なのだろうが、どちらが正しいのか、そうでないのか、最早、自分には良く分からなかった。というよりも、そのようなことを一々気にしてはいられなかったのだ。

 それに自分はまだユルスナールやブコバルの年齢を知らなかった。個人的な感触としては大して変わらない位だとは思っているのだが、正直な所、これまで余り気にしたことはなかった。

 何と答えたものかと思い答えに詰まる。

「あ? 何だ、秘密か?」

 器用に手を動かして、切り分けた肉を口に運んだ後、ニヤニヤと下卑た笑みを口の端に刷いたブコバルをリョウは呆れたように見遣った。

「こちらでは、女性に面と向かって年齢を尋ねるのは、失礼に当たらないのですか?」

「ああ? それは妙齢の女に対してだろうがよ」

「妙齢というのは、実際に幾つぐらいですか?」

「成人してから精々、嫁に行くか行かないか位までだろ」

「こちらでの成人はいつからですか?」

「おいおい、そっからかよ」

 ここぞとばかりにリョウが問いを重ねれば、ブコバルは目を丸くした。

 だが、知らないものは仕方がない。こういう時でなければ聞けないだろう。

「はい」

「この国での成人は、男ならば職に付いた時だ。年齢で言えば、大体、16から18位だな。まぁ、一人前と見做されるのはもう少し後の事だが。女の場合は、地域によって異なるが、大体18前後だろう。嫁いで初めて大人の仲間入りをすると認識される場合が多い」

 ブコバルに変わってユルスナールが端的に詳しい説明をした。

「そうですか」

 リョウは強ち自分の予想が間違っていなかったこと思った。

「そうすると、一般的に女性が嫁ぐ年齢というのは、二十歳前後位と思って良いんですね?」

 リョウは、ふとこの秋に婚礼を挙げたスフミ村のアクサーナのことを思い出していた。

「まぁ、例外も多々あるには違いないが、大体そんなところだろう」

 ユルスナールが静かに合槌を打った。

 リョウは、それから、目の前にいるブコバルを見た。

 そこには相変わらず興味津々であることを雄弁に語る青灰色の双眸があった。

「そんなに気になりますか?」

「そりゃぁ、そうさ。なぁ、ドーリン?」

 突然話を振られたドーリンは、思っても見なかった展開に一瞬、意表を突かれた顔をした後、それを取り繕うように態とらしく咳払いをした。

「お前は、……察するに、成人しているのだな?」

 やや躊躇いがちに口にされた言葉にリョウは可笑しそうに小さく笑った。

 質素な上着にズボンを履いた普段の格好から受けるであろう第一印象を元にすれば、それは仕方のない反応だった。

「はい。こちらで言えば、随分とうが立った部類に入るでしょうね」

 ―――――――これ以上は秘密です。

 具体的な数字を上げることは躊躇われたので、そう言ってにっこりと微笑むと、ちらりとユルスナールを横目に見た。

 隣からの信号を感じ取ったユルスナールは、小さく息を吐くと顔色を変えずに言い放った。

「因みに、俺やお前たちとそう大差ない」

「………………」

 ドーリンが虚を突かれた顔をして、【ノーシュカ(ナイフ)】を握り締め、小さく口を開けたまま固まった。【ビールカ(フォーク)】に差していた筈の肉の切れ端が、空中に止まったまま、ぽとりと皿の上に落ちた。

 それからほんの一瞬遅れて、

「はぁぁあああ?」

 ブコバルの大きな声が室内に響き渡った。

 こういう場所では滅多に動じることがないようにと訓練されている筈の給士の男が小さく肩を揺らした。リョウも突然の大声に吃驚して身体を揺らした。

 ブコバルは、これでもかという位に目を見開いて、自分にとっては無謀とも思える発言をした相棒の顔をまじまじと見た。

「………マジかよ」

「喧しい」

 今更ながらに礼儀もへったくれもないブコバルの態度にユルスナールは顔を顰めた。

 そして、その真意を測る為か、驚きに固まったまま、こちらへと視線を向けたブコバルに、リョウはこの国の男たちが良くやるように片目を瞑ると悪戯っぽく微笑んで見せたのだった。

「………嘘だろ。いや、でも身体つきを見る限り、そうでもねぇのか?」

 何やらぶつぶつと独り言を言いだす始末。

「……ブコバル」

 駄々漏れの自己内対話を聞き咎めてか、ドーリンが窘めるようにその名を呼んだ。


 リョウは動きを止めた若干二名の男たちのことは放って置いて、目の前の皿にある丁寧に切り分けた柔らかい肉の切れ端を【ビールカ(フォーク)】に差すと、ゆっくりと口に入れ、咀嚼した。ソースの掛かった肉は驚くほど柔らかく、味が染み込んでいた。

 艶やかな紅を施した薄めの唇が弧を描いた。

「美味しいですね」

 そして、何事もなかったかのように食事を続けたのだった。


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