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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第一章:辺境の砦
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託された想い

「ユルスナール・ファーガソヴィッチ・シビリークス殿、ガルーシャ・マライよりこちらを預かっております。御改め下さい」

 リョウは、懐から一通の封書を取りだすと、宛名が見えるようにルスランと呼ばれている団長に差し出した。

 セレブロが口にしたシビリークスという家名。かつてガルーシャが語った男との思い出話。そこから、この目の前の男が自分の尋ね人であることを導き出した。

 ルスランというのは、便宜上の通り名、もしくは愛称のようなものかもしれない。本名をみだりに口にしないこの場所では、それは当然のことと類推出来た。


 ユルスナールは、無言のまま、差し出された封書を手に取った。表書き、裏書きを確かめる。

「確かに。ガルーシャ殿からの封書、このユルスナールが受け取った」

 切れ長の目をどこか懐かしそうに細めた後、しっかりとした口調で事実を肯定した。


 取り敢えず、依頼が果たされたことにリョウは安堵の息を漏らした。

 これで第一段階は終了だ。

 難航するかに思われた人探しが、思い他、上手くいったことにほっとした。

 だが、そんな安心感も束の間、

「ガルーシャ殿は変わりないか?」

 何気なく発せられであろう一言に、リョウは静かに目を伏せた。

 ひんやりとした沈黙が落ちた。

「ガルーシャは、旅に出ました。とても長い行路(たび)に」

 窓の外に一度視線を流してから、リョウは微かな哀しみを滲ませながら微笑んだ。

 その言葉に、息を飲むような音が聞こえた。

 暫し、空白の間が下りた。


 永遠の別れ、人がその命尽きる時、この国の言葉では、それを【旅立つ】と言い表した。その本当の意味に気が付いたのは、あの花が咲き乱れる美しい野原で、飛び交う数多もの花吹雪の中、眠るようにガルーシャが横たわった時だった。


 一陣の強い風が吹いて、無数の花弁を舞い上がらせた。

 静かに目を閉じたガルーシャの身体が花に埋もれ、瞬く間にその全身が見えなくなったかと思うと、立ち上る風に花柱となって空に消えていった。

 その時の情景は、今でも目裏にしっかりと焼き付いている。決して忘れることなど出来はしない。

 まるで夢を見ているようだった。厳かで幻想的な夢を。

 風が止むと、そこには元と同じ、草花に満ちた野原が広がっていた。

 ただ、そこにまどろむようにして横たわっていたはずのガルーシャの姿は、跡形もなく消え去っていた。

 蒼穹は天高く澄み、白い雲を従えて、その中をのんびりと鳥達が鳴いている。

 長閑な見慣れた景色。

 その中に、ガルーシャだけが足りなかった。ぽっかりと空いた虚ろな空間。

 ―ああ、ガルーシャは旅立ったのだ。永遠の行路(たび)に。もう、二度と会うことはあたわない。


 そこで、唐突に理解をしたのだ。【旅立つ】という言葉に隠された真の意味合いを。と同時に思い出した。

 なぜガルーシャがその旅にリョウを連れては行けないのだと哀しそうに言ったのかを。時間が足りないのだと言葉の端々に仄めかすようになったのかを。そして、寝る間を惜しむように、この世界の理をリョウに語り聞かせたのかを。

 残された時間は、本当に僅かで。それすらも静かに進んでいったのだ。


 ユルスナールは、その一言で全てを理解したようだった。

 暫し、目を閉じてから、手にした封書の裏面を慈しむようにそっと指で撫でた。

 そこにはガルーシャの署名、印封が描かれていた。そして、表面も同じように辿る。

 その瞬間、微かな光が封筒から発せられた。飾り文字が浮き上がり、踊るようにその場で揺れた。

 空気が振動する。何かの波長に同調するように。リョウはそう感じた。


 小さな光は、やがて青白く膨らみ、封書の上に陽炎のような半透明の映像を浮かび上がらせた。

 揺らぐ光は、古い映写機から白い幕(スクリーン)に映し出される映像のようだった。

 浮かび上がったのは、椅子に腰かけ、ゆったりと寛いだ表情を浮かべるガルーシャの姿だった。傍にはリョウが(テーブル)に着き、歌を口ずさんでいた。足下にはセレブロが目を閉じて寝そべっている。

 そう、いつかの昼下がりの情景だ。


 次に場面は滲むように変わって、あの最後の野原になった。

 静かに横たわるガルーシャの隣には、リョウが腰を下ろしていた。

 この時もリョウはガルーシャに請われるままに、歌を口ずさんでいた。

 吹きすさぶ花弁の嵐。そして、その中に溶け込むようにして消えて行くガルーシャ。

 あの時を再現するかのように、室内に空気の渦が巻き上がり、霧散した光の粒子と共に、やがて映像はひっそりと終わりを告げた。


 誰も、声を発するものはいなかった。息をすることすら忘れてしまったかのように、柔らかく包むような沈黙がこの場を支配した。

 リョウは、ただただ、その映像が浮き上がった空間を見つめていた。

 ガルーシャが【術師】であることは知っていたが、それが、このように人の記憶に作用するものだとは思わなかった。

 リョウにとっては不可思議な現象も、目の前で展開された事実には変わりがない。

 封じ込めたはずの思いが溢れるようにして、身体から湧き出て来る。心がどうしようもなく震えた。

 漸く自分の思い違いに気が付いた時には、もう全てが終わった後で。

 何もかもが手遅れだった。

 ガルーシャにきちんとした御別れが出来なかった。あれ程までに世話になったと言うのに。それが唯一の心残りだ。


「これは…………」

 発せられた小さな呟きは、果たして誰のものであったのか。

 通常、印封の施された封書の解除は、宛名の人物が開封の意図を持って触れるだけで簡単に済む。その場合、印封の部分が音もなく消滅するだけで、今のような映像が現れることなど無かった。

 ただ、ガルーシャは術師の中でも特別な存在で、これは生前、最後にしたためられた遺書のような意味合いを持つものだ。

 であるならば、これは特別な手紙のはずで。そういうおまけが付いていてもおかしくは無いのかもしれない。

 そう、リョウは思ったのだが。

「恐らく、リョウの残像思念だろう」

 思いもよらない言葉に顔を上げるとユルスナールがこちらを見ていた。

 自分の残像思念―言われた言葉を理解するのに時間が掛かった。

 つまり、それはリョウの意識の中にある情景だったのだと。

 ガルーシャと過ごした時間の記憶の断片。

「この手紙を包むようにして残されているのは、ガルーシャ殿の気ではないからな」

「オレは、別に、………そんなことは…出来ない」

 ただ、愛する故人の残した最後の品を大事に(ポケット)に入れていただけだ。

「術師ではないし………」

「だが、これは紛れもない純粋な想いだ」


 発光石による通常の明るさを取り戻した室内。深い紺とも碧とも違う瞳が、何かを映して揺らぐ。その手には、読み終えたのか、開かれた手紙があった。

「リョウ」

『りょう』

 低く紡がれた言葉は、いつのものだったのか。誰のものだったのか。

「そんな顔をしているくらいなら我慢などするな。泣きたいのなら泣けばいい」

『そんな顔をするくらいなら涙を流しなさい。我慢をしたら、その歪みは心に生じる。この腕は、頼りなく見えるかもしれないが、お前を抱き締めるくらいは出来るのだよ』

 そう、おどけたように笑う懐かしい声が、頭の奥に響いてきた。過去の記憶が、現在に介入し、混ざり合う。

 ズレて重なった時間軸にリョウは自分がどこに立っているのか、分からなくなってきた。

 頬に触れる指先は、とても優しくて温かかった。そうやって、もう何度慰められただろうか。

 左の頬をそっと包み込む大きなかさついた掌。骨ばった指の感触。そこから注がれる慈愛に満ちた温かさ。

 内側から湧きあがって来る何かを堪えようと静かに目を閉じる。そして、吸い寄せられるように、リョウは差し出された腕に身体を預けていた。


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