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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第三章:工業都市プラミィーシュレ
108/232

闇に寄り添う男たち


 それより少し時を遡って。

 【エリセーエフスカヤ】より北に約300【サージェン】(約600m)、街の治安維持を司るスタルゴラド第五師団の詰め所、通称【ツェントル】。その一角にある兵士たちが暮らす官舎のとある一室では、一人の男が、壁に掛けられた鏡の前に立ち、身支度を整えているところだった。

「そうしてると、『馬子にも衣装』ってやつだな。…………って、そういや、お前も【お貴族さま】だったっけか」

 開いた戸口脇に寄り掛かった男が、鏡に向かうこの部屋の主の出自に関して、今更ながらのことに思い至れば、鏡の前の男はそれを横目に見ながら、首に純白のネッカチーフを器用に巻いているところだった。

 鏡越しに映る男の顔は、いかにも上機嫌という風だった。時折、何かを思い出しているかのように口角が上がる。

 その様子を、壁際に凭れていた男は、胡乱気に見遣った。

「やけに楽しそうだな」

「うふふ」

 気色悪い忍び笑いに、男の背筋に悪寒のようなものが走った。

 そして、顔を思い切り顰めたのも束の間、

「だって、面白そうなことが起こりそうじゃないか?」

 首元を整えて戸口の方を振り返った男の目は、うっそりと細められていた。

「そうか? 俺にしてみれば、面倒くさい臭いがぷんぷんするけどな」

「それが、いいんじゃないか」

 何を言っているんだとばかりに言い放たれた言葉に男は口をへの字に下げた。

 モノは言い様。見方が変われば、捉え方も違ってくる。

 つくづくこの男とは考え方が合わない。それでも何故か馬が合う。それが、なんやかんやいいながらも、この男と仕事で一緒になる(コンビを組む)事が多い理由の一つになっているのだが、幸いにして、男自身、その事実を余り認識してはいなかった。この男のことだ。気が付いたら最後、忌々しげに自分の髪を掻き毟るに違いなかった。

 だが、壁際に立つ男は、気を取り直したように口を開いた。

「ま、お前は中で。俺は外」

 そう言って腕を組み直す。

 今回、この二人の男たちに与えられた任務は、【ツェントル】の所長直々のお声掛かりだった。とある店に出掛けるという所長の身辺警護というのは表向きの名目で、そこに出入りする客に混じる不審者(と言っても、【ツェントル】の立場から見てという条件が付くが)に目を光らせるというものだった。


「中の方がよかったかい?」

「ハッ。まさか。俺には向いてねぇだろうが」

 壁際に立つ男の左頬には、斜めに走る古い傷跡があった。浅黒い肌に跳ね上げさせた金色の短い髪。笑えばどことなく人懐っこい表情になるのだが、普段の顔付きは吊り上がり気味の目尻が、見る者には取りつき難い印象を与えていた。とてもじゃないが、温室でぬくぬくと育った良家の御子息の類には見えない。その事は男自身、百も承知だった。

「まぁ、確かにね」

 相手の言いたいことが分かったのか、片や、そう言って肩を竦めて見せた男は、見るからに人好きのする笑みを浮かべていた。その口調も人当たりの柔らかい空気も、洗練された物腰と相まってか、【ツェントル】にいる無骨な兵士たちとは一線を画していた。

 いつもの隊服ではなく、どこぞの金持ちのぼんぼんのように光沢のある薄い緑掛かった灰色(鶯色)の上下に、首元には、白いたっぷりとした上質のスカーフを巻く。

 すっかりめかし込んだ男の姿を見て、相方が漏らした感想は一言。

「俺に言わせりゃ、胡散臭ぇことこの上ないけどな」

 思わず漏れた小さな本音は、すぐさま、相手の地獄耳に拾われてしまった。

「…………イリヤ。幾ら温厚なボクでも、それ以上言ったら怒るよ?」

 そして、凄みのある笑顔が、目の前に迫っていた。

 上まできっちりと着込んだイリヤと呼ばれた男の隊服の詰襟の部分に、相手の男の指が掛かっていた。

 喉を潰す気だろうか。冗談にも程がある。

 だが、目の前の男の表情からは、その真意が掴み難かった。

「へいへい」

 だが、こんなやり取りは日常茶飯事の事で。のんびりと構えていても意外に沸点の低い相方に呆れたような視線を投げながらも、男は肩を竦めて、それ以上は口を慎むことにした。


 そして、さり気なく、話を変える。

「てか、ウテナ。お前、あの店に行ったことあんのか?」

 男にしてみれば、その話の逸らし方はある意味、あからさまであったが、それ以上、そこに拘る積りもなかったので、相手の話に乗ることにした。

「………まぁ、過去に何度かね。父親に連れられてだけど。ボクが成人した時に顔見せをしたのと、その後は数回かな。あそこで食事をするのは、根回しっていうか、関係作りというか、社交辞令的意味合いが強いから、あんまり楽しいものじゃないけどね」

 何せ、狐と狸の化かし合い、腹の探り合いをするような場所だ。

 何か嫌な事でも思い出したのか、珍しくその柔和な表情を曇らせたウテナに、

「ふーん。ま、【お貴族さま】ってのも大変なんだな」

 ――――――俺には、皆目、見当がつかねぇけど。

 男なりに気を使ったということなのだろう。

 イリヤの言葉にウテナは小さく笑うと、

「まぁね」

 軽く肩を竦めて見せたのだった。

「それじゃぁ、行こうか」

「おう」

 時間には煩い団長のことだ。少しでも遅れようものなら、神経質そうな細い眉を怒らせて、どんな罰という名の超過労働が待っているやら知れたものではない。

 そして、【ツェントル】の裏口から出てきた二人の若者(一人は、きっちりと隊服に身を包み、そして、もう一人は、良家の子息のような優雅な服に身を包んでいる)は、傍目には、どこか、ちぐはぐな印象を振り撒きながらも、沈み掛けた夕陽を背に人気のない裏道を選んで目的地へと急いだのだった。




「ヘマするなよ」

「そっちこそ」

 街灯が灯り、通りに点々と光と闇の二色が混ざり合いながら独特の空間を彩る黄昏時。

 煌々と贅沢な灯りが照らし出す明るい建物の中へ入って行った相方を見届けてから、【ツェントル】の隊服の中でも、少し特別な任務を担う時の黒色の制服に身を包んだイリヤは、深い闇が織りなすその中に静かに身を滑り込ませた。

 そして、店の表玄関とは逆側の裏口にある小さな門に手を掛けると、軽い身のこなしで高い壁を乗り越えた。

 そのまま、壁伝いに歩き、闇が作りだす影に身を潜める。

 暫くして、枝葉を大きく伸ばすとある大木の下に辿り着いた。


 そんな時だった。

 まるで測ったかのような頃合い(タイミング)で、ひらりと上方から一枚の葉が舞い降りてきた。

 イリヤはそれをそっと摘み上げた。

「首尾は?」

 掠れた風のような囁きが降って来た。風が吹いて梢が軋むような、辛うじて意味をなす言葉が聞き取れる程度の小さな囁きだ。

「まぁまぁってとこだろ」

 闇の中、建物がある前方を見据えながら、イリヤは低く返していた。

 すると、イリヤが身を潜めている隣に、音も無く、黒い影が舞い降りてきた。

 濃い影の合間から、癖の無い金色の髪がほんの一瞬、さらりと揺れた。


 影から影を渡り歩く、闇の中に同化する男だった。

 この男と顔を合わせるのは、いつも闇の中だった。濃淡を描く薄闇の中、ぼんやりと滲み出る男の輪郭はいつも曖昧だ。

 だが、男から発せられる空気は変わらなかった。

 ひんやりとした鋭い刃物の切先のような緊張感だ。それは男が発する軽薄な口調の中にも、決して失われることはなかった。


「大分餌を撒いたようだな」

 男が愉快気に笑ったのが揺らぐ空気から伝わって来た。

「ま、引っかかるかどうかは、見てのお楽しみってとこだろ」

 対するイリヤも暗闇の中、その口元に笑みを刷いていた。

「にしても、お前んとこの大将も中々えげつねぇな」

 イリヤの上司である【ツェントル】の所長は、軍部の中でも隠れた冷酷非道の策士として、ある一部では、その名が通っていた。

「アンタんとこよかマシだろ」

「まぁ、第七んとこの双璧が来てりゃぁ、そうか」

 今、あの店の中では、滅多に見られない組み合わせが出来上がっている筈だった。それだけでも、今宵、この場所を訪れた人間は、度肝を抜くだろうことは間違いなかった。

 そして、その傍には、きっと最大の爆破時限装置が、さり気なく隠されている。それが起動されるか否かは、相手の出方次第といったところだろう。


 二人がじっと視線を凝らす建物の先、遠く、煌々と光が漏れてくる窓辺の薄いカーテン越しに着飾った男の影が映った。

「アシュケナージだ」

 この街の有力者とも言われている男の影を見て取って、イリヤが低く囁いた。

 その隣には、はち切れんばかりに開いた胸元を惜しげも無く晒す着飾った若い女の姿が映っていた。

「ありゃぁ、第三のところの情婦(おんな)だな。色仕掛けで来たか」

 それだけで第三の連中が内心、穏やかではないだろうことが見て取れた。

 手持ちの情報の少なさに、業を煮やしてとうとう直接的な接触を取り始めたということだろう。だが、そこで女を使うというところが実に第三らしいやり口だと言えた。


 アシュケナージと呼ばれた男は、艶々とした張りのある丸顔に埋もれた目元をだらしなく緩めている。 その理由も目を覆いたくなる程あからさまだった。エスコートに差し出した男の腕には、女のふくよかな胸の谷間がこれ見よがしに押し付けられていた。

 そして、その向こうには、食前酒用の小さなグラスを手にした背の高い男の姿が透かし見えた。

「で、あっちにはソルジェが控えてる……か」

 王都の中でも名門と謳われた貴族、アファナーシエフの息が掛かった男だった。

「さてさて、踊らされてるのはどっちか」

 隣からぽつりと漏れた小さな呟きに、イリヤも心の内で合槌を打った。


 そうして暫く、遠巻きに建物の様子を窺っていると、不意に隣から身じろいだ空気が伝わった。

「ああ、それから。さっき、ボストークニが入ったぞ」

 一段と潜められて告げられた声に、イリヤは暗闇の中、顔を顰めた。

 そこには、あからさまに面倒だとの言葉がでかでかと浮き出ていた。通常は見えない筈のその文字も、夜目が利く隣の男には筒抜けだったようだ。

 ボストークニは、この国の中でも古くから存在する名家の一つであったが、あの中にいると目される男は、現当主の次男の筈だった。何でも第七の隊長(ユルスナール)を昔から、目の敵にしており、なにかと突っかかっては悶着を起こすというのが、上司(ドーリン)から聞いた話だった。

 普通にしている分には、格式高い貴族の紳士然りとした男なのだが、あの第七の双璧が絡んだ時だけ、その澄ました仮面が剥がれるらしい。

 そして、何の因果かは知れないが、件のボストークニが絡んだとある拘束事件に、イリヤが助っ人として関わったのは、まだ記憶にも鮮明な昨日のことだった。しかも、その相手が、自分も面識がある第七に縁のある人物だったということで、内心、相当肝を冷やしたのだ。

 ボストークニの方は、あの人物の後ろにあの男が控えていることは把握していないようなのだが、第七の方は、きっと含みがあるに違いなかった。

「不味いだろ。もしかしなくとも鉢合わせすんのか。こりゃ」

 接触があった場合の余波を思って、恐々としたイリヤに対して、

「それはそれで面白いだろうな」

 隣の男は意味深に呟いた。

 その表情は闇の中で見えないが、声音から、男の口元が愉快気に弧を描いているだろうことは想像出来た。

 ここにも同じ感性の人間がいた。

 ここに来る前、相方が言い放ったのと同じ台詞に、イリヤは、げんなりと息を吐いた。

「攪乱にはもってこいだろ」

 飄々とした相手の口振りに、

「それは、転び方次第だろ」

 イリヤは顔を顰めていた。

 あいつなら嬉々として引っ掻き回しそうだが。

 あの中に控えている筈の相方の顔を思い出して、イリヤは大きな溜息を吐きたいのをぐっと堪えた。

 そして、面倒な後処理が回ってこないことを、さり気なく祈るのだった。




 大木の影でイリヤがそっと溜息を吐いた時と同じ頃。

 相方と別れて建物の中に入ったウテナは、店の支配人とにこやかな挨拶を交わしていた。

「これは、これは、ザポロージェ様ではございませんか。いつもありがとうございます。御父上様はお変わりありませんか」

「お久し振りです、支配人。父は相も変わらず健啖家でぴんぴんしておりますよ。そちらも、お元気そうでなにより」

 恭しく下げらた後退した頭部に、対するウテナは鷹揚に返していた。

 そして、店内をゆっくり見渡すと、

「いやはや、ここはいつ来ても賑やかですね」

 そういって人好きのする笑みを浮かべた。

「お陰さまで。御贔屓にして下さるお客様のお陰で、こうして恙無く、好きな事をさせていただいております」

 支配人は、その目尻に数え切れないほどの深い皺を刻みながら目を細めた。

 その慇懃な物腰から醸し出される柔和な空気に、ウテナも同じように頷いてから、徐に切り出した。

「中に人を待たせているんだ。もうナユーグのところは来ているだろうか?」

 その問いかけに支配人はひっそりとした笑みを浮かべた。

「はい。既に御到着しております。お連れ様と一緒に控室の方にお通ししております」

「そうか」

「あの、ザポロージェ様」

 そうしてそのまま、廊下を進もうとしたウテナの袖を、支配人が遠慮がちに引き留めた。

「なんだい?」

 振り返ったウテナの耳元で、

「つかぬことをお聞き致しますが、今宵は何か特別な会合でも予定されているのですか?」

 最大限に声を低くして、支配人がそんなことを聞いた。

「いや? そういった話は、ボクは生憎、聞いてはいないけど?」

 感情の読めない笑みを浮かべたまま、ウテナは飄々と嘯いていた。

「さようでございますか」

「なんだい? 今日はそんなに凄い顔触れが揃っているのかい?」

 逆に問い返されて、支配人は少し考えるような素振りを見せてから、素早く周囲に視線を走らせると、ここだけの話だというように声を潜めて言った。

「中に入って頂ければお分かりになりますが、今宵は王都からのお客様が多くいらしてまして。それにお歴々の御子息が」

「それは、………実に、面白そうだね」

 ウテナの目が何かを熟考するように細められた。

「それじゃぁ、ボクなんかは大人しくしていた方が良さそうだ」

 ――――――では、失礼するよ。

 そう言って、支配人の肩を軽く叩くと、その言葉通り、中々に珍しい顔触れが揃っているであろう広間の方へ、ゆったりとした足取りで向かったのだった。


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