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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第三章:工業都市プラミィーシュレ
100/232

急転直下の逆転劇


 レオンチュークと呼ばれた従者は、主人の言葉に従い、リョウのベルトにある二本の短剣に手を掛けた。

「パーヴェル」

 男は、リョウを後ろ手に拘束したまま、主人の脇に影のように控えているもう一人の従者を呼んだ。

「どうした?」

 主の声に、

「こちらをご覧に入れたく」

 レオンチュークはパーヴェルに短剣を差し出した。

 短剣を手渡された従者は、鞘の中を改めた。

 小振りな方の短剣は直ぐに鞘から抜けた。そして、その刃の柄に近い根元部分に小さく刻まれた造り手の銘を見て、無言のまま目を瞠った。

 そして、すぐさまもう一本の短剣を手に取る。だが、そちらの方は男が鞘から抜こうとしても何故かびくともしなかった。

 パーヴェルと呼ばれた従者は、取り敢えず鞘から抜けた小さな方の短剣を主の前に差し出した。

 その途端、男の顔付きが変わった。

「ハッ、私も大分軽く見られたものだ」

 主人である男は、吐き捨てるように口にすると、ゆっくりと立ち上がった。

「何処まで人を愚弄すれば気が済むんだ? あ?」

 静かに近づいて来た男の瞳は、再び、怒りに縁取られていた。

「……なんの話ですか?」

 突然、変化を見せた男の空気に、リョウは半ば混乱しながら、こちら側に近づいて来る男を仰ぎ見た。

 いい加減、うんざりしてきていた。男の考えていることが全く理解できない。今の遣り取りで、どこに腹を立てる要素があったというのだろうか。

「惚けても無駄た。これはレントの造ったものだな」

 ――――――――ここに銘が入っている。

 鬼の首を取ったように言われても、リョウにしてみれば何が何だか分からなかった。

「それが……なにか?」

「なにか、だと? ふざけるのも大概にした方がいい。これは、あの、【レント】が造ったモノなんだぞ!」

 男が興奮したように大きな声を出して、リョウは途方に暮れた。

「なんでこんな小僧がレントの短剣を持っている? 何故だ! おい、お前、これを何処で手に入れた?」

 鬼気迫った表情の男に捲し立てられて、吃驚する。

 あの短剣はそれ程までに価値があるものなのだろうか。不意にそんな疑問がリョウの頭の中に浮かんでいた。


 それは、過日、見舞いに訪れた鍛冶屋の寄り合い(ギルド)の居住棟で、カマールの師匠であるレントから貰ったものだった。

 リョウが腰のベルトに差した短剣を見て、レントが懐かしそうに目を細めたのが、切っ掛けだった。

 普段、左側のベルトに下げている少し長め(懐剣位の長さだ)の短剣は、あの花畑で、旅立ちの直前にガルーシャから譲り受けたものだった。

 これは、その昔、ガルーシャが知り合いの鍛冶屋に頼んで拵えて貰ったものだと聞いた。大小二本を作ってもらい、ガルーシャは使い勝手が良かった大きな方を自分の手元に置き、そして小さな方を、これら二本を作った鍛冶職人の手元に残してきたのだと、遠い目をして過去に思いを馳せるように口にしたのだった。そして、あの時の二振りの短剣は、対になっているのだと言う。


「坊主。そいつを見せてくれねぇか?」

 レントからそう声を掛けられて、ベルトに下げていた短剣を鞘ごと渡せば、職人らしい手付きで抜き身の刃を改めると、生粋の鍛冶屋は小さく笑った。

「まぁ、あいつにしちゃぁ、よく手入れをした方か。及第点ってぇところだな」

 そう言って、どこか懐かしそうに目を細めたレントに、リョウはひょっとしてガルーシャの言っていた知り合いの鍛冶屋は、このレントなのではないだろうかと思った。

「これは、もしかしてレントさんの作ですか?」

 柄を自分の方に向けて刀身を水平にして、その場所から刃を見ていたレントは擽ったそうに喉の奥を鳴らした。

「ああ。随分昔。そうさなぁ、もうかれこれ二十年は経つか。アイツの我儘を聞いて、滅多に造らねぇ短剣をこさえたのさ。あの野郎、刃物のことはからっきしの癖に、一々、ああしろ、こうしろってぇ注文だけはいっちょまえでよぉ。こいつを造るにゃぁ、苦労したぜ」

 しみじみと語ったレントにリョウはそっと微笑んだ。

 若かりし頃のガルーシャとレント、頑固者同士の二人の様子が情景として目に浮かんできそうだった。

「思い入れのあるものなのですね」

「ハハ。そんな大したもんじゃぁねぇが。まぁ、そうさなぁ」

 満更でもないようにつるりと頬を撫でた。

「坊主、この後ろの棚ん中にある短剣、これよか、ちいせぇ奴があるから、取ってくんねぇか?」

 不意に思い出したように告げられて、リョウは言われた場所を探した。

「こちら………ですか?」

「ああ。そうだ」

 身体を起こしている寝台の膝の上、レントはリョウから小振りの短剣を受け取ると二本を平行に並べた。

「いいか、見てろよ?」

 そっと小さな呪いのような言葉を呟いて、レントが手を短剣の上に翳した。

 するとそれに呼応するように二本の刀身が鈍い光を放った。

 この二本の短剣は対になっている。本来は肌身離さず二本を身に着けるものなのだが、これを注文した男は片方しか持って行かなかった。もう片方は、それを造った鍛冶屋に友好の印として預けられたのだ。

 これらの剣が再び揃うのは、恐らくどちらかがこの世を去った時。そんな戯言めいた約束をしたのだとレントは静かに語った。

 それを証拠に対になった剣は、こうして触れ合わせると微量の光を発した。

 それは、久々の邂逅を喜んでいるようにも見えた。


「こいつをおめぇにやろう」

 小さな刀身を鞘に納めると、レントは短剣をリョウの手に乗せた。

 リョウは、その申し出に吃驚してレントの顔を見た。

 これはレントにとってもガルーシャとの思い出が詰まった大切なものではないのだろうか。そんな大事なものを受け取ることなどできない。

 躊躇を見せたリョウにレントが静かに言葉を継いだ。

「おめぇが持ってろ。こいつは二本揃ってこそ意味がある。これまで世話になった礼だって思えばいい」

「……ですが」

 レントは二振りの短剣をリョウの手に握らせると、その上から自分の大きな手をゆっくりと被せた。

 所々タコのある節くれ立った大きな手だ。ごつごつとした無骨な職人の手。

「俺は……もう長くはねぇ。餞別だと思って取っておけ」

 そうしたまま、穏やかに首を振ったレントに、リョウは小さく頷いた。

 そうしてレントから譲り受けたのが、この小振りな短剣だった。




「それはレントさんから頂いたものです」

「冗談も休み休みにしろ!」

 真実を告げれば、男は信じられないという顔をして、手にした短剣を壁際に突き刺した。

 それは壁際に居たリョウのすぐ脇を掠めるように突き立てられていた。


 そんな時、扉の方からノックの音と共に女性の声がした。

 主の男は苦々しい顔をしたが、それを一瞬で引っ込めて、リョウを拘束していた従者(レオンチューク)に目で合図を送り、応対をするように促した。


 室内に言い知れぬ緊張が走っていた。

 リョウは壁際に追い詰められていて、そのすぐ脇には先程のレントから貰った短剣が刺さっていた。

 目の前には、短剣の柄を握りしめたまま、こちらを睨みつけるようにして見下ろす男の顔があった。少し離れた所に控えているもう一人の従者(パーヴェル)は、リョウが左腰に差していた短剣を鞘から抜こうとして色々と試しているようだった。

 沈黙の落ちた室内に、薄く開いた扉の隙間からレオンチュークと女の話声が聞こえた。

 すると、なにがしかのやり取りの後、するりと滑り込むように一人の女性が、中に入って来た。

「御機嫌よう」

 白いドレスの裾をゆったりと翻して現れた妖艶な美女に、主の男は、驚く程の変わり身の早さで実に貴族らしい紳士的な応対を始めた。

 リョウは驚いた。男の態度もそうだが、何よりも入って来た女性に見覚えがあった。

 忘れる訳はない。先日、往来でユルスナールを呼び止めた色街の女だった。妖艶な大人の色気を振り撒く豊満な肉体を持つ女性。名前は、確か、イリーナといったか。

 ここは、色街の娼館なのだろう。連れられてここの裏木戸を通った時に感じたことは強ち間違いではなかった。

「これはこれは、美しい天使の登場ですか」

「ご挨拶が遅れましたわ。私、ここの主を務めておりますイリーナと申します」

 優雅に差しだされた女の白い手を男は嬉々として取ると、その甲に小さな口付けを落とした。

「これはご丁寧に。こちらこそ、ご挨拶が遅れ申し訳ない」

 にこやかな人当たりの良い笑みを浮かべた男に、

「ふふふ。それは構いませんわ。アントーノフ様のご紹介ですもの」

 女の方も同じような柔らかい微笑みを浮かべて鷹揚に返した。

「で、どうかなさいましたかな?」

 突然とも言える女主の訪問を男が問えば、

「いいえ。何か御不自由な点、入用なものなどないかと思いまして」

 あからさまなことは一言も問わずに、ぐるりと室内を見渡しながら女が微笑む。

「お気遣いありがとうございます。ですが、ご心配には及びません。ここは申し分のない部屋ですから」

「それはようございました」

 その視点が、壁際の一点で止まった。

 イリーナの青色の光彩に硬直したリョウの姿が映り込んでいた。

 女は、そのすぐ脇に突き立てられた短剣を見逃さなかった。

 如何にも何かがあったという現場だ。だが、これしきのことで顔色を変えるようなイリーナではなかった。

「まぁ、可愛らしい方がいらっしゃるのね」

 男が止める間もなく、イリーナは、リョウの傍に近寄った。

「ああ。そちらにはお構いなく。何分、見習い途中の使用人なもので。美しい御婦人に無礼があっては申し訳ない」

 男が女の気を逸らそうとするが失敗に終わる。


 リョウはその隙を見逃さなかった。

 傍らに突き刺さっている短剣を勢いよく抜くと、近寄って来た女の首に手を回して引き寄せた。

 ―――――ウフドゥシェーニィェ(劣化)

 小さな呪いの言葉を唱える。

「おい!」

「きゃぁ!」

「動くな」

 イリーナの首元には、短剣の切先が添えられていた。

 リョウは一か八かの賭けに出た。

 兎に角、この部屋から解放される為には、部外者(と言ってもこの館の主だが)が入って来たこの瞬間を逃す訳にはいかなかった。この女性が男側に付いていたらどうしようもないが、それでもここから脱出するのに必死だった。

 途端に男の顔が忌々しげに歪んだ。

 ―――――スミマセン。少し協力してください。

 危害を与える積りはないのだ。駄目元で、リョウはイリーナの耳元に小さな囁きを吹き込んだ。

「おい、お前、何、莫迦なことをしている!」

「刃物をどけろ」

「血迷ったか!」

 男たちが口々に叱責や取り成しの言葉を発するが、リョウは意に介さなかった。

 こちらへ歩み寄ろうとする男たちを、手にした短剣に力を込めることで制した。

 極度の緊張に腕が震えていた。

 それでも唾を飲み込んで要求を突き付けた。

「ワタシをここから出して下さい」

「何の話だ?」

「あなた方にはもう用はない。ワタシがここに止め置かれる理由も無い。それ以上、近づかないで下さい。さもなくば、この女の命は保証できない」

 女を人質に取ったまま、そっと後ずさりを始めた。

「莫迦なことは止めるんだ。こんなことをしてどうなるか分かっているのか」

「ここは由緒ある娼館だ。こんな所で罪を犯せば、【ツェントル】の牢屋にぶち込まれるぞ」

「その女に傷を付けてみろ。お前は生きては帰れんだろう」


「うるさい!!!!!」

 気が付けば、ごちゃごちゃと訳の分からない事を発する男たちの声を、語気を荒げて一喝していた。

 ビリリと空気が震える。きっと人生で初めて出した大声だった。

「ワタシをここから出しなさい!」

 不意に落ちた沈黙に従者の男たちが目配せをする。

 頭の片隅でこんな子供の芝居染みた演技などやはり通用しないかもしれないと思った。もう駄目かと感じた時だった。

 ―――――――キャー!!!

 唐突とも言える間合い(タイミング)で女の叫び声が部屋に響き渡った。

 と同時に固い沈黙を守っていた重厚な扉が突如として開き、外から帯剣した兵士のような男たちが、数人雪崩れ込むようにして入って来た。

 その中に、リョウは癖のある茶色の髪に無精ひげを伸ばした青灰色の瞳を持つ男の顔を見た。

 リョウの顔が内から湧き上がる『なにか』を堪えるように歪んだ。

 女を拘束するリョウの腕が緩む。その僅かな隙に、後ろに素早く回った兵士らしき男の一人がリョウに手刀を食らわせた。

 リョウはそこで気を失った。

 衝撃に崩れ落ちた細い身体は、逞しい男の腕に支えられていた。




 意識を失ったリョウの身体を抱きかかえるとブコバルはイリーナを振り返った。

「怪我はないか?」

「ええ。大丈夫よ」

 イリーナは何事も無かったように微笑んだ。

 相変わらず肝の据わった女である。伊達に修羅場を踏んでいないということなのだろう。

 何が何だか訳が分からなかったが、耳慣れない甲高い怒声に続いて上がった、どこか嘘臭い女の悲鳴に急いで中に飛び込めば、リョウがイリーナの首に短剣を当てて凄んでいる絵面に出くわした。


 室内はピリピリとした異様な緊張感に包まれていた。

 リョウは、全身の毛を逆立てて威嚇する【コーシュカ()】のようだった。紅潮した頬は怒りに染まり、高揚に震えていた。

 乱入したブコバルと目が合うと、その円らな黒い瞳が驚きに見開かれた後、その表情がくしゃりと歪んだ。そこには、驚愕、安堵、やるせなさ、怒りといった実に様々な感情が一緒くたにごちゃ混ぜになっているようにブコバルには思えた。

 意識が逸れた一瞬の隙に、加勢に呼んだ【ツェントル】の兵士が背後に回り、リョウの首元に手刀を落とした。そうして崩れ落ちた華奢な身体をブコバルが受け止めたのだった。


 ブコバルはリョウを抱えたまま人質になっていたと思われるイリーナの傍まで来ると、その首元を覗き込んだ。

 上手く加減をしたのだろうか。それとも偶々か。イリーナの白い肌には傷の類は見受けられなかった。 そのことにまず安堵した。

「よし。一名確保」

 ブコバルの号令に兵士たちが集う。

「イリーナ。事情を聞く。部屋を用意してくれ」

 そう簡潔に告げて、そのまま踵を返そうとした逞しい背中に、待ったを掛ける者がいた。

「…………ブコバル・ザパドニーク」

 低く絞り出された声に、ブコバルは漸く思い出したとばかりに振り返った。

「あ?」

「貴様、こんなところで何をしている!」

 そこには、鬼のような形相をして邪魔をした闖入者を睨みつける男の姿があった。

「おいおい。レオニード。随分な御挨拶だな。野暮なこたぁ聞くなよ。ここに何しに来るかなんて、決まってんだろうが。【なに】だよ」

 飄々と嘯いて、最後に下卑た微笑みを口元に刷いたブコバルに、レオニードと呼ばれた男の額に青筋が立った。

「相変わらず野蛮な男だ」

 だが、そんな男の憎まれ口をブコバルは気に留めなかった。

 そのまま、何事も無かったような顔をして歩き出したブコバルに、レオニードは再び、鋭い声を発した。

「おい。そいつを何処にやる気だ?」

 男からの誰何にブコバルは心底、面倒臭そうな顔をして見せた。

 元はと言えば、この男の所為なのだ。

「こいつは、イリーナ、基、この館の主に危害を加えようとした輩だ。揉め事が起きたんだ。【ツェントル】の管轄下に置かれる」

 ―――――――そんなことも分からないのか。

 至極真っ当な正論を前に、レオニードは一瞬、声を詰まらせたが、直ぐに表情を改め、饒舌に語り始めた。

「その必要はない。先程ここの主にも伝えたのだが、その者は、私が新しく雇った使用人だ。まだ見習い途中でな。ちょっとした行き違いから思わぬ事態になってしまったが、使用人の起こした不始末の責任は主である私にある。その者の処分はこちらにて行う。今後はこのような事が無いようにきつく言い聞かせる故、引き渡して貰いたい。ここの主には、改めてこちらから謝罪を入れよう」

 ぺらぺらと実に淀みなく流れた男の口説にブコバルは思い切り顔を顰めて見せた。

 ブコバルは沸き上がって来る怒りを鎮めるように大きく息を吐いた。


「レオニード・ボストークニ」

 それまでとは空気を一変、真面目な顔をしたブコバルから発せられる静かな怒気に、室内に沈黙が落ちた。迸る殺気を隠そうともしない。冷え冷えとした冷気が周囲を満たしていった。

「お前の妄想に付き合ってる暇はねぇ。莫迦も大概にしろ。こいつは俺が預かる。異議があれば【ツェントル】に来い。いつでも相手になってやる」

 ――――――――まぁ、お前にその根拠と権利があればの話だがな。

 そう付け足して凄みのある笑みを浮かべた。

 レオニードの肩が小さく跳ねた。

 こちら側が知っているとは思わなかったのか、呆気に取られたレオニードの顔に、ブコバルは少しだけ溜飲が下がった気がした。

 こうして、有無を言わせない空気で、ブコバルはいけ好かない男とその二人の従者の存在を重厚な扉の向こうに遮断したのだった。


 廊下を無言のまま歩くブコバルに【ツェントル】から派遣された二人の兵士が続いた。

 彼らはちょうど見回りに外に出ていた所をルークの伝令である大鷲(アリョール)のヴィーに出くわして、この場にやって来たのだ。

 浅黒い肌に短い金髪を跳ね上げさせた浅黄色の瞳を持つ男、お馴染みのイリヤともう一人は、以前、リョウがこの街に入った時にイリヤと共に門番の任に当たっていた兵士で、要するに程度の差こそあれ、リョウの顔を知る男たちだった。

 イリヤはブコバルの腕の中で気を失っているリョウの顔を心配そうに覗きこんだ。

「ちょっときつく入ったかも知れません。手加減はした積りですけど」

 ブコバルはそっとリョウの顔を見下ろすと額に掛かる髪を梳いた。

「大丈夫だろう」

 問題はこれからだ。詳しい話はリョウが目を覚ましてからになるが、その前にイリーナに事情を聴く必要があった。一体全体どうしてあんなことになったのか。蓋を開けてみれば、リョウを連れだす上手い口実にはなったが、ブコバルの肝が冷えたことには変わりがなかった。


「こちらへどうぞ」

 イリーナに案内されて、表の応接室のような部屋に三人の男たちは入った。

 先程までの場所が店の裏側であるならば、こちらは表側。客が好みの相手を見繕う受付のような場所、謂わば公の場だった。

 この店の開店は夕方からで、その室内も、今はひっそりと静まり返っていた。

 ブコバルは長椅子にリョウの身体を静かに横たえるとクッションを頭の下に置いた。そして、その傍らに跪くと、リョウの右手へそっと手を伸ばし、両手で拳を包み込んだ。

 そこには固く短剣が握られたままだった。

 余程、切羽詰まっていたのだろう。気を失っても短剣を離すことはなかった。仕方が無いので取り敢えず鞘を填めてこのまま運んだのだ。

「リョウ。もう大丈夫だ。剣を離せ」

 意識の無いリョウにブコバルが優しく囁く。

 ブコバルの手が固まった指を解すように撫でさすれば、リョウの手が微かに緩んだ。それから一本、一本細い指を剥がして行って、漸く握り込んでいた短剣を取り去った。

「ブコバル殿。こちらを」

 大柄な兵士が差し出したのは、リョウから奪われた長い方の短剣だった。

「恐らくリョウのものだ」

 訝しげな顔をしたブコバルにイリヤが告げた。

 ブコバルがリョウの外套を捲りベルトの辺りを改めれば、成程、左側の腰の所と、右の太ももの所にある留め金が空になっていた。

 ブコバルはリョウの短剣を受け取ると一先ずそれをテーブルの上に置いた。

「イリーナ」

 ――――――それでは本題に入るか。

 真剣な顔をして振り返ったブコバルに、

「余り役には立たないかもしれないわよ?」

 そう前置きをしてから、イリーナは、白いドレスの裾をゆったりと翻して、対面の長椅子に腰を下ろした。


記念すべき(?)第100話目は、ちょっとした活劇的な展開になりました。

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