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死に損なった男は、世界の欠片を見る

死んで終わったはずの人生が、異世界の最底辺で再び始まる。

そんなところから始まる、開拓と成り上がりの物語です。


埋もれた価値を見つける力を手にした少年が、辺境から少しずつ世界を変えていきます。

よければ気長にお付き合いください。

人は、死ぬ瞬間に人生を振り返るという。


少なくとも、俺にはそんな余裕はなかった。


深夜二時過ぎ。会社の倉庫は、昼間の熱気が冷え残ったまま、妙に湿った空気を抱え込んでいた。天井の蛍光灯は一本だけ明滅していて、積み上げられた段ボールの影が、長く伸びたり縮んだりしている。終電を逃してまで続けた棚卸しも、ようやく終わりが見えていた。


最後のパレットを動かせば帰れる。


そう思った瞬間、頭上で嫌な音がした。


みしっ、と。


それは本当に小さな音だった。疲れ切った脳でも、危険だと理解できる程度には。


見上げた時には遅かった。


高く積まれた荷が崩れ、鉄のフレームごとこちらへ傾いてくる。逃げようと足に力を入れたが、もつれた。何日も寝不足だった。踏ん張るだけの体力が、もうなかった。


あ、死ぬ。


不思議なくらい冷静にそう思った。


結局、俺の人生は何だったんだろうな、という考えが一瞬だけ浮かんで、次の瞬間には鈍い衝撃が全身を貫いた。


音も、痛みも、全部が遠のいていく。


最後に見えたのは、割れた蛍光灯の白い光だった。



――寒い。


最初にそう思った。


次に、固い。


そして、臭い。


湿った土と、煙と、古い木材のにおいが鼻を刺して、俺はゆっくりと目を開けた。


天井が低い。いや、天井というより、粗末な板を渡しただけの屋根だ。隙間だらけで、薄い朝の光が糸みたいに差し込んでいる。体の下には藁が敷かれていた。寝具と呼ぶにはあまりにも頼りなく、背中が痛い。


「……どこだ、ここ」


声が出た。


だが、その声は自分のものとは思えないほど細く、若かった。


慌てて起き上がろうとして、今度は頭がくらりと揺れる。視界の端に、泥で汚れた小さな手が映った。


小さい。


俺の手じゃない。


痩せて、節くれ立つ前の、子どもの手だ。


「は……?」


心臓が嫌な音を立てた。


近くにあった割れた金属板を引き寄せて、鏡代わりに覗き込む。そこに映ったのは、煤けた金髪に灰色の目をした、十歳前後の少年だった。頬はこけ、唇はひび割れ、着ている服はぼろ布同然。それでも、たしかに俺ではない顔がそこにある。


「転生、ってやつかよ……」


思わず漏れた言葉に、自分で笑いそうになった。


死んだと思ったら異世界。そんなの、ネット小説や漫画の中だけの話だろう。だが、現実に起きてしまえば、疑う余地はない。少なくとも日本の倉庫でないことだけは、この小屋を見れば分かる。


その時、頭の奥に針を刺されたような痛みが走った。


「っ、ぅ……!」


思わず額を押さえる。


視界の奥で、見知らぬ記憶が濁流みたいに流れ込んできた。


俺――いや、この体の持ち主の名前は、ノア。


辺境の村、ハルドの生まれ。父は猟師だったが、三年前に魔獣に殺された。母は病で去年死に、今は村外れの廃小屋で一人暮らし。村の大人たちから雑用を押しつけられ、その日のパン屑をもらって生き延びていた。


そして昨夜。


村の男たちに「役立たず」と罵られ、冬前の薪運びを押しつけられたノアは、冷たい雨の中で倒れ、高熱を出した。そのまま、この藁の上で息を引き取った。


だから空いた器に、俺が入った。


そう理解した瞬間、胸の奥に重たいものが沈んだ。


ノアの人生はあまりにも短く、あまりにも救いがない。


俺自身も大した人生ではなかったが、それでもここまで理不尽じゃない。


「……最低だな」


誰に向けた言葉か分からないまま、呟く。


この世界に神がいるなら、趣味が悪すぎる。


と、その時だった。


視界の右端に、青白い光の文字が浮かんだ。


【個体名:ノア・レイヴン】

【年齢:10】

【状態:栄養失調/軽度脱水/熱症状回復中】

【適性:未開示】

【権能:断章観測 Lv.1】


「……は?」


思わず二度見したが、文字は消えない。


ゲームのステータス画面みたいなものが、空中に浮いている。


しかも最後の項目――断章観測。


意味は分からないが、俺の意識を向けると、今度は視界が一瞬だけ明滅した。


足元の藁。


【乾いた藁束】

【質:低】

【用途:寝床、焚き付け】

【断章:昨夜、この上で一人の子どもが熱にうなされた】


壁際の木椀。


【木椀】

【ひび割れ】

【断章:三日前、薄い豆の煮汁が注がれた】


思わず息をのむ。


「物の……記憶?」


そうとしか言いようがなかった。


物や場所に残った断片的な情報を読む能力。鑑定に近いが、それだけじゃない。状態や用途だけでなく、“過去の欠片”まで見える。


地味だ。


派手な攻撃魔法でも、無双できる剣術でもない。


だが、俺はなぜか確信していた。


この能力は、使いようによっては恐ろしく強い。


何があったのかを知れる。何に使えるか分かる。価値を見抜ける。嘘も、ごまかしも、隠された痕跡も拾えるかもしれない。


少なくとも、何も持たない子どもが生き延びるには十分すぎるほどに。


「ノア! 起きてるなら出てきな!」


小屋の外から、しわがれた女の声が飛んできた。


記憶の中にある声だ。


村の雑貨屋を仕切る老婆、マルダ。パン屑と引き換えに雑用を押しつけてくる、ノアにとっては天敵みたいな相手である。


「また寝てんのかい! 森の手前に落ちてる薪、さっさと拾ってきな! 今日は使い走りもあるんだよ!」


起き抜けの体にはきついが、行かないという選択肢はない。この村でノアは、断れば食い扶持を失う立場だった。


俺は立ち上がり、足元のふらつきをこらえて外へ出た。


朝の空気は刺すように冷たい。小屋の周囲には背の低い草がまばらに生え、少し先に木柵で囲われた小さな村が見える。石造りの家が十数軒。畑は痩せ、煙突から立つ煙も弱々しい。村の向こうには黒々とした森が広がり、そのさらに奥には山脈が壁のようにそびえていた。


空は二つの月を抱いていた。


薄く残る白い月と、青みがかった小さな月。


そこでようやく、俺は本当に異世界に来たのだと実感した。


「何ぼさっとしてんだい!」


村の入口に立つマルダが、腕を組んでこちらを睨んでいる。太った体に分厚いエプロン、目つきは鋭く、いかにも容赦がない。


「す、すぐ行く」


口にした瞬間、彼女の足元の木箱に意識が吸い寄せられた。


【荷箱】

【内容:乾燥豆、塩、粗麦】

【断章:昨夜、銀貨三枚分をごまかして帳簿を書き換えた】


俺は思わず目を見開いた。


今のが本当なら、この婆さんは帳簿をいじっている。


つまり、村人相手にちょろまかしているのか。


「なんだい、その顔は」


「……いや、別に」


危うく口を滑らせるところだった。ここで指摘しても、殴られるだけだろう。証拠もない。だが、覚えておく価値はある。


俺は黙って頷き、森の手前へ向かった。


道すがら、村のあちこちに視線を走らせる。井戸。柵。荷車。石壁。どれもこれも、少し意識を向けるだけで情報が浮かび上がった。壊れかけた柵。底が浅くなった井戸。片輪の歪んだ荷車。中には、使い道のある廃材や、放置されている金具もある。


見える。


この村の“足りなさ”が、手に取るように見えた。


そして同時に、使えるものも見えた。


森の手前で薪を拾い集めながら、俺は考える。


この村で、ノアは搾取されるだけの子どもだった。


だが、中身が俺になった今、同じように生きるつもりはない。


会社でこき使われ、文句も言えず、気づけば死んでいた前世。それをもう一度やるために転生したわけじゃない。


俺は生きる。


ちゃんと腹を満たして、暖かい寝床で寝て、必要なら奪い返す。


誰かに使い潰される人生は、ここで終わりだ。


その時、薪の下に半分埋もれた黒い石が目についた。


何気なく拾い上げ、能力を使う。


【魔鉱石の欠片】

【質:低だが純度あり】

【用途:簡易魔道具の触媒、買い取り可】

【断章:百年以上前、この地を通った採掘隊の荷車から落ちた】


「……売れるのか、これ」


鼓動が速くなった。


たかが石ころに見える。だが、価値を知っている者に持ち込めば、金になるかもしれない。


さらに周囲を探ると、土の下や草むらに、同じような欠片がいくつか眠っている反応があった。


偶然じゃない。


この辺りには、昔の街道か、鉱脈に関わる何かがあったのかもしれない。


もしそうなら、この村の近くにはまだ“埋もれた価値”が残っている。


誰にも見つけられず、忘れられたままの財産が。


俺は泥だらけの手で、黒い欠片を握りしめた。


腹は減っている。服は薄い。立場は最底辺。


でも、何もないわけじゃない。


俺には、この世界の欠片を拾い上げる目がある。


「……やってやるよ」


小さく呟く。


風が森を揺らし、木々のざわめきが返事のように響いた。


まずは今日を生き延びること。


次に、金を作ること。


そしていつか、この辺境の村どころじゃない、もっと広い世界へ出ること。


そのために必要なら、過去の痕跡だろうが、埋もれた遺物だろうが、貴族の嘘だろうが、全部暴いて利用してやる。


灰みたいな人生の底からでも、這い上がれると証明するために。


俺――ノア・レイヴンの二度目の人生は、ここから始まる。


そしてそのとき、視界の端に、もう一つ新しい文字が浮かんだ。


【条件達成】

【最初の価値発見に成功しました】

【権能《断章観測》に派生機能が解放されます】


青白い文字の先を読もうとした瞬間、森の奥から獣の咆哮が響いた。


村人たちの顔から、さっと血の気が引くのが見える。


記憶が警鐘を鳴らす。


この声は、ただの獣じゃない。


冬を前に山から下りてくる、人喰いの魔獣――灰牙狼だ。


俺は薪を抱えたまま、ゆっくりと森の暗がりを見つめた。


連載の一話としては、悪くない幕開けだ。


死んで始まった人生の最初の試練が、向こうから来てくれるのだから。

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