死に損なった男は、世界の欠片を見る
死んで終わったはずの人生が、異世界の最底辺で再び始まる。
そんなところから始まる、開拓と成り上がりの物語です。
埋もれた価値を見つける力を手にした少年が、辺境から少しずつ世界を変えていきます。
よければ気長にお付き合いください。
人は、死ぬ瞬間に人生を振り返るという。
少なくとも、俺にはそんな余裕はなかった。
深夜二時過ぎ。会社の倉庫は、昼間の熱気が冷え残ったまま、妙に湿った空気を抱え込んでいた。天井の蛍光灯は一本だけ明滅していて、積み上げられた段ボールの影が、長く伸びたり縮んだりしている。終電を逃してまで続けた棚卸しも、ようやく終わりが見えていた。
最後のパレットを動かせば帰れる。
そう思った瞬間、頭上で嫌な音がした。
みしっ、と。
それは本当に小さな音だった。疲れ切った脳でも、危険だと理解できる程度には。
見上げた時には遅かった。
高く積まれた荷が崩れ、鉄のフレームごとこちらへ傾いてくる。逃げようと足に力を入れたが、もつれた。何日も寝不足だった。踏ん張るだけの体力が、もうなかった。
あ、死ぬ。
不思議なくらい冷静にそう思った。
結局、俺の人生は何だったんだろうな、という考えが一瞬だけ浮かんで、次の瞬間には鈍い衝撃が全身を貫いた。
音も、痛みも、全部が遠のいていく。
最後に見えたのは、割れた蛍光灯の白い光だった。
◇
――寒い。
最初にそう思った。
次に、固い。
そして、臭い。
湿った土と、煙と、古い木材のにおいが鼻を刺して、俺はゆっくりと目を開けた。
天井が低い。いや、天井というより、粗末な板を渡しただけの屋根だ。隙間だらけで、薄い朝の光が糸みたいに差し込んでいる。体の下には藁が敷かれていた。寝具と呼ぶにはあまりにも頼りなく、背中が痛い。
「……どこだ、ここ」
声が出た。
だが、その声は自分のものとは思えないほど細く、若かった。
慌てて起き上がろうとして、今度は頭がくらりと揺れる。視界の端に、泥で汚れた小さな手が映った。
小さい。
俺の手じゃない。
痩せて、節くれ立つ前の、子どもの手だ。
「は……?」
心臓が嫌な音を立てた。
近くにあった割れた金属板を引き寄せて、鏡代わりに覗き込む。そこに映ったのは、煤けた金髪に灰色の目をした、十歳前後の少年だった。頬はこけ、唇はひび割れ、着ている服はぼろ布同然。それでも、たしかに俺ではない顔がそこにある。
「転生、ってやつかよ……」
思わず漏れた言葉に、自分で笑いそうになった。
死んだと思ったら異世界。そんなの、ネット小説や漫画の中だけの話だろう。だが、現実に起きてしまえば、疑う余地はない。少なくとも日本の倉庫でないことだけは、この小屋を見れば分かる。
その時、頭の奥に針を刺されたような痛みが走った。
「っ、ぅ……!」
思わず額を押さえる。
視界の奥で、見知らぬ記憶が濁流みたいに流れ込んできた。
俺――いや、この体の持ち主の名前は、ノア。
辺境の村、ハルドの生まれ。父は猟師だったが、三年前に魔獣に殺された。母は病で去年死に、今は村外れの廃小屋で一人暮らし。村の大人たちから雑用を押しつけられ、その日のパン屑をもらって生き延びていた。
そして昨夜。
村の男たちに「役立たず」と罵られ、冬前の薪運びを押しつけられたノアは、冷たい雨の中で倒れ、高熱を出した。そのまま、この藁の上で息を引き取った。
だから空いた器に、俺が入った。
そう理解した瞬間、胸の奥に重たいものが沈んだ。
ノアの人生はあまりにも短く、あまりにも救いがない。
俺自身も大した人生ではなかったが、それでもここまで理不尽じゃない。
「……最低だな」
誰に向けた言葉か分からないまま、呟く。
この世界に神がいるなら、趣味が悪すぎる。
と、その時だった。
視界の右端に、青白い光の文字が浮かんだ。
【個体名:ノア・レイヴン】
【年齢:10】
【状態:栄養失調/軽度脱水/熱症状回復中】
【適性:未開示】
【権能:断章観測 Lv.1】
「……は?」
思わず二度見したが、文字は消えない。
ゲームのステータス画面みたいなものが、空中に浮いている。
しかも最後の項目――断章観測。
意味は分からないが、俺の意識を向けると、今度は視界が一瞬だけ明滅した。
足元の藁。
【乾いた藁束】
【質:低】
【用途:寝床、焚き付け】
【断章:昨夜、この上で一人の子どもが熱にうなされた】
壁際の木椀。
【木椀】
【ひび割れ】
【断章:三日前、薄い豆の煮汁が注がれた】
思わず息をのむ。
「物の……記憶?」
そうとしか言いようがなかった。
物や場所に残った断片的な情報を読む能力。鑑定に近いが、それだけじゃない。状態や用途だけでなく、“過去の欠片”まで見える。
地味だ。
派手な攻撃魔法でも、無双できる剣術でもない。
だが、俺はなぜか確信していた。
この能力は、使いようによっては恐ろしく強い。
何があったのかを知れる。何に使えるか分かる。価値を見抜ける。嘘も、ごまかしも、隠された痕跡も拾えるかもしれない。
少なくとも、何も持たない子どもが生き延びるには十分すぎるほどに。
「ノア! 起きてるなら出てきな!」
小屋の外から、しわがれた女の声が飛んできた。
記憶の中にある声だ。
村の雑貨屋を仕切る老婆、マルダ。パン屑と引き換えに雑用を押しつけてくる、ノアにとっては天敵みたいな相手である。
「また寝てんのかい! 森の手前に落ちてる薪、さっさと拾ってきな! 今日は使い走りもあるんだよ!」
起き抜けの体にはきついが、行かないという選択肢はない。この村でノアは、断れば食い扶持を失う立場だった。
俺は立ち上がり、足元のふらつきをこらえて外へ出た。
朝の空気は刺すように冷たい。小屋の周囲には背の低い草がまばらに生え、少し先に木柵で囲われた小さな村が見える。石造りの家が十数軒。畑は痩せ、煙突から立つ煙も弱々しい。村の向こうには黒々とした森が広がり、そのさらに奥には山脈が壁のようにそびえていた。
空は二つの月を抱いていた。
薄く残る白い月と、青みがかった小さな月。
そこでようやく、俺は本当に異世界に来たのだと実感した。
「何ぼさっとしてんだい!」
村の入口に立つマルダが、腕を組んでこちらを睨んでいる。太った体に分厚いエプロン、目つきは鋭く、いかにも容赦がない。
「す、すぐ行く」
口にした瞬間、彼女の足元の木箱に意識が吸い寄せられた。
【荷箱】
【内容:乾燥豆、塩、粗麦】
【断章:昨夜、銀貨三枚分をごまかして帳簿を書き換えた】
俺は思わず目を見開いた。
今のが本当なら、この婆さんは帳簿をいじっている。
つまり、村人相手にちょろまかしているのか。
「なんだい、その顔は」
「……いや、別に」
危うく口を滑らせるところだった。ここで指摘しても、殴られるだけだろう。証拠もない。だが、覚えておく価値はある。
俺は黙って頷き、森の手前へ向かった。
道すがら、村のあちこちに視線を走らせる。井戸。柵。荷車。石壁。どれもこれも、少し意識を向けるだけで情報が浮かび上がった。壊れかけた柵。底が浅くなった井戸。片輪の歪んだ荷車。中には、使い道のある廃材や、放置されている金具もある。
見える。
この村の“足りなさ”が、手に取るように見えた。
そして同時に、使えるものも見えた。
森の手前で薪を拾い集めながら、俺は考える。
この村で、ノアは搾取されるだけの子どもだった。
だが、中身が俺になった今、同じように生きるつもりはない。
会社でこき使われ、文句も言えず、気づけば死んでいた前世。それをもう一度やるために転生したわけじゃない。
俺は生きる。
ちゃんと腹を満たして、暖かい寝床で寝て、必要なら奪い返す。
誰かに使い潰される人生は、ここで終わりだ。
その時、薪の下に半分埋もれた黒い石が目についた。
何気なく拾い上げ、能力を使う。
【魔鉱石の欠片】
【質:低だが純度あり】
【用途:簡易魔道具の触媒、買い取り可】
【断章:百年以上前、この地を通った採掘隊の荷車から落ちた】
「……売れるのか、これ」
鼓動が速くなった。
たかが石ころに見える。だが、価値を知っている者に持ち込めば、金になるかもしれない。
さらに周囲を探ると、土の下や草むらに、同じような欠片がいくつか眠っている反応があった。
偶然じゃない。
この辺りには、昔の街道か、鉱脈に関わる何かがあったのかもしれない。
もしそうなら、この村の近くにはまだ“埋もれた価値”が残っている。
誰にも見つけられず、忘れられたままの財産が。
俺は泥だらけの手で、黒い欠片を握りしめた。
腹は減っている。服は薄い。立場は最底辺。
でも、何もないわけじゃない。
俺には、この世界の欠片を拾い上げる目がある。
「……やってやるよ」
小さく呟く。
風が森を揺らし、木々のざわめきが返事のように響いた。
まずは今日を生き延びること。
次に、金を作ること。
そしていつか、この辺境の村どころじゃない、もっと広い世界へ出ること。
そのために必要なら、過去の痕跡だろうが、埋もれた遺物だろうが、貴族の嘘だろうが、全部暴いて利用してやる。
灰みたいな人生の底からでも、這い上がれると証明するために。
俺――ノア・レイヴンの二度目の人生は、ここから始まる。
そしてそのとき、視界の端に、もう一つ新しい文字が浮かんだ。
【条件達成】
【最初の価値発見に成功しました】
【権能《断章観測》に派生機能が解放されます】
青白い文字の先を読もうとした瞬間、森の奥から獣の咆哮が響いた。
村人たちの顔から、さっと血の気が引くのが見える。
記憶が警鐘を鳴らす。
この声は、ただの獣じゃない。
冬を前に山から下りてくる、人喰いの魔獣――灰牙狼だ。
俺は薪を抱えたまま、ゆっくりと森の暗がりを見つめた。
連載の一話としては、悪くない幕開けだ。
死んで始まった人生の最初の試練が、向こうから来てくれるのだから。




