Ⅲ
タイタン・ステーションで、発進準備をすませた宇宙船〈テリオン号〉は、データ接続を完了した。
無機質な機械音――〈ザイン-T〉の声が船橋に響いた。
「航行データ接続。主情報記録、コード AE 整合、GD 整合、GCD 整合」
「幸先がいいようだな」
副長のラウゲは満面の笑みだ。
「どうやら、賭けの必要はなさそうじゃないか?」
トーンが振り返っていったが、何か物足りない空気があった。
船橋にいたむさ苦しい男たちの顔は、自信に満ち溢れていた。
そこに〈ザイン-T〉の声。
「発進を許可します。旅の安全をお祈りします」
「Tともなると祈りの言葉でお見送りってわけか」
ラウゲはご機嫌そうにいった。
「カインとアベル次第だ、油断はするなよ。――機関室もいいな? 聞こえているか?」
船長はいつもどおりだ。
制御卓のスピーカーから、
「へいへい、いつものこったい、任せといてくだせい」
くぐもった声でハルケンが応えた。
船には何の異常もなく、超光速航行突入ポイントに達しようとしていた。
「ラウゲ、航路の設定に抜かりはないな?」
船長が確認をはじめた。
「問題ありません」
副長はそう応えたあと、航法士に指示を飛ばす。
「ポイントDに到達しだい、超光速航行に入る、時間合わせいいな? トーン」
「オール・グリーン、問題なし、タイムゾーン設定クリア」
だが、〈テリオン号〉が超光速航行に突入しようとした瞬間、またあの耳障りな警報が鳴った。
船長は即座に機関室との回線を開いた。
「機関長、どうした? また不整合か?」
「ええ、そのとおりで。ですが例のとおりこっちでの対処は無理ですぜ」
「ああ、わかってる」
船長はスピーカーにそう叫び返したあと、副長に向かっていった。
「ラウゲ、手筈はわかってるな?」
「まかせてください。――機関室聞こえるか? データを転送してくれ。こちらで解析を行う」
緊迫する空気のなかで、テクネチウム粒子炉が唸る音が船橋に木霊する。機関室から送られてきたデータをオペレーターが読み上げはじめた。
「伝達確認、参照完了。コードタグ表示します。AD 不整合、AD 不整合、AEF 不整合」
それを聞いてトーンが気色ばんだ。
「おい、どういうことだ! 三つとも不整合なんて、これまで一度だってなかったぞ。ラウゲ、マニュアルにあったか、そういうの?」
ラウゲは即座に反応した。
「あるわけないだろ! でもなんとかしないとだな、それにしたって――」
とたんに船橋がざわつきはじめた。誰もかれもが不安を口にしだしたのだ。
「黙れ! 静かにしろ」
船長の怒鳴り声が艦橋を静まらせたかと思えば、甲高い声で、
「機関室、聞こえたか? すべて不整合だ。タグはAD、AD、AEFだ。そっちで出来ることは何でもやれ。機関の緊急停止も許可する。これは非常事態だ! 繰り返す、これは非常事態だ!――それから、セラントだ。あいつはどこだ? トーンすぐに奴を探しだせ!」
「どっちです? 機関室に行かせますか? それともここに来させますか?」
トーンが応じる。
だが、船長はそれには応えず
「ラウゲ、解析の進み具合はどうだ?」
矛先を副長に向けた。
「それが……手間取ってます。三つともなんてのは想定外ですからね」
ラウゲ副長の顔に困惑が張りついていた。
「言い訳はいい、とにかく出来ることをやれ。――それから……セラントは取りあえずここに呼べ」
「船長、奴など必要ありません!」
ラウゲの強気な声。
「万が一のためだ」
「万が一って船長、機関の緊急停止ならここでも行えます」
「だといいがな……なにか、嫌な予感がするんだ」
そのとき、ようやく居所がわかったセラントから応答があった。
「どっちです? どっちに行けば?」
「ラウゲ、トーン、どっちだ?」
二人の意見は真っ二つに割れた。数瞬のあと、
「セラント、機関室に行け!」
船長は緊張しきった声を飛ばした。
「待ってください船長、状況をもう少し詳しく――」
「そんな時間はないぞセラント、不整合のまま臨界点を超えると粒子炉ごと吹き飛ぶんだ! とにかくタイミングが悪い。アイドリングや巡航状態ならいざしらず、いま粒子炉は超光速航行に向けた臨界状態に近いからな」
船長の声は鬼気迫るものがあった。
「とにかくすべて不整合ってことは、一度入力を間違えただけで船ごとおしゃかだ!」
スピーカーごしに老機関長ハルケンの掠れ声。
「わかりました。大至急、機関室に向かいます。しかし、ひとつだけ約束してください。僕が機関室につくまで、タグの入力は控えてください。思い当たる節があるんです」
「馬鹿をいうな! タグを入力しないまま臨界点を超えたら一巻の終わりだぞ!」
ラウゲは全身を沸騰させているようだった。
「わかってます、でもあのマニュアルには漏れがある気がするんです。ただの勘ですが」
「馬鹿な! 貴様は船員か、それとも占い師か!」
ラウゲの顔には血が昇り、怒りの形相があった。船橋クルーは重苦しい沈黙に呑み込まれていた。
すでに機関室へと急いでいたセラントはといえば、ムービング・アームを速度最大にし、オーバードライブ・リラのワイヤレス・センサーを作動させていた。リラはこれまでにないほどエンジンの唸りに共鳴し、場違いにも喜びの歌を歌っているようだった。その調べに耳を傾けながらセラントは何か呟いた。だが、その声は誰の耳にも届かなかった。
――頼む。この唸り、この摩訶不思議な和音のゆらぎにこそ、彼らが求めるトニックの響きがあるはずだ。規則や過去のデータや趣味ではない、宇宙そのものの調和。それを、俺の命と引き換えに見つけ出すんだ――。
同じ頃、船橋で静寂を破ったのは船長だった。
「ラウゲ、解析結果はまだでんのか! 何としても三つとも一気に整合になるタグを見つけだせ。それから機関室、セラントの言ったことは聞こえたか? 残念だが今は奴の指示に従うしかない。一分もしないでそちらに着くだろう」
船長は狂気に駆られたように、立てつづけに指示をだした。
「冗談じゃありませんぜ、もう臨界点まで一分もありません。爆発しちまいます!」
機関室のクルーはパニックに陥りかけていた。
「だったら、正しいタグがお前にわかるのか、ハルケン」
船長の毅然とした声。
「…………」
スピーカーから機関長の荒い息づかいだけが漏れた。
それに覆いかぶせるように船長が口火をきった。
「トーン、タイム計測。40秒からスタート、ラウゲはもしものための脱出ポッドの確認を」
「了解です」
「アイ・サー」
船内全体は異様な緊張状態にあった。
航法士のカウントダウンが進む。
「残り30秒……20秒……10秒、9、8、7、6、5」
「機関室前室についたぞ」
セラントの声にトーンのカウントダウンが重なる。
「3、2、1……」
「どうだ? どうなった?」
「だめだ臨界点に達しちまう――」
「頼む、間に合ってくれ!」
もはや誰が何をいっているのかもわからない混乱のなかで、テクネチウム粒子炉は臨界点を蹴破り、大量の放射線を爆散させた。
船内のあらゆる場所で放射線警報が鳴り響いた。
その隙間をぬうように機械音声が、
「機関室前室、放射線濃度が限界を超えました。速やかに避難してください。危険値を突破しました、区画を緊急閉鎖します、区画を緊急閉鎖します。危険度SA+、危険度SA+。繰り返します……」
「セラント、どこにいる?」
艦橋で誰かが問う声。
「だめですぜ船長、間に合いませんでした。奴さん前室に閉じ込められましたよ。あと10秒、あと10秒あれば、儂らも奴の歌が正しかったか証明できたんですがね。もうどうにもならん……」
老練な機関長の声には哀しみが篭っていた。
だが、幸いなことにテクネチウム粒子炉は臨界点を突破したあと、大量の放射線を飛び散らせたからか、しばらくすると臨界を下まわる運転状態になった。
しかし、セラントは袋の鼠になり前室の床に倒れ、青い強烈な放射線の光を全身に浴びつづけていた。意識こそあるが、誰かが機関室にたどり着いて救助など、もはや絶望的だった。
「ああ、リラよ、そういうことか……」
消えいりそうな意識のなかで、セラントはなにかを感じ取り、力を振り絞ってヘッドセットマイクを引き寄せた。
「こちらセラント、コードタグの謎が溶けましたよ船長、機関長。AAAです。それが正しいタグです。――AからGは音楽の基本てわけです。ドレミファソラシドです。つまり整合は和音、不整合は不協和音ってことです。ザインもアインもカベルも、どうやら不協和音が嫌いなようです。薄々感じてはいたんですが、こんなことを言い出せば、みんなは余計に僕を馬鹿にして嫌うだろうって。でも、いい気分ですよ。こうして僕自身抱えていた謎が溶けたんですからね。心残りなんて……それに――」
「もういい、喋るな! 今助けに行く」
それは、副機関長、二ホルの雄叫びだった。
「馬鹿をいうな、隔壁を開けてみろ、機関員が全滅するぞ。なかは放射能の海なんだぞ」
「ハルケンさん、行かせてください。僕はあいつの歌が好きだった。あんたは嫌いだったかもしれないがね。けどせめて、あいつの最後の歌くらい聞いてやりたいんですよ。――止めても無駄ですぜ、ほらこのとおり、役立たずだろうが防護服はもう着ちまってるんだから。ハッチはすぐに閉めてくれて結構です。それより早くAAAを……」
そういうと、ニホルは非常用ハッチを潜ったあと、自ら分厚い扉を閉めて姿を消した。
「おい艦橋、聞こえたかAAAだ! タグはAAAだ。それで、こっちで入力していいのか? それとも?」
「やってくれ、機関長!」
「アイ・アイ・サー!」
セラントは激しい目眩に襲われながら、リラにあわせて歌っていた。二ホルが近づいても、彼はその歌を微かな声で口づさんでいた。やがて警報が鳴り止んだとき、エンジンの唸りがその歌に寄り添った。
ようこそ、友よ!
忘れまじ僕らのつくりし歌よ
陽気で勇壮なるハ長調の調べ
愛らしく悲しくもあるハ短調
人々よ忘れまじ僕らの作りし歌
トニックははじける炭酸のよう
基調はどっしりした泡であり雫
サブドミナントは気むずかしく
ドミナントはわが妻、わが夫なり
移り気な娘は可憐なシャープなり
貫禄そなえた息子はフラットなり
時の試練に耐えし星々よ銀河よ、歌え!
宇宙の子らよ、オクターブも忘れずに!
ようこそ、わが友!
セラントの歌が途切れ、静寂が訪れて数秒後。
機械音声とは思えない、玉を転がすような声が船全体に響き渡った。
「AAAの入力を確認。AAAの認証を確認。AAAの実行を完了。――データ接続正常。変更プログラムを起動しました。――わたしはカイベル。カインとアベルから生じた主情報管理システムです。わたしはカイベル。指示をお伝え下さい」
船内は畏怖とも畏敬ともつかぬ空気に満たされていた。
「船長どこへ? 指示は?」
「お前が出せラウゲ船長代理。ちょっと用事を思い出してな」
トーンが船長の背中を追うように質問した。
「用事ってなんです、いきなり。今は勤務中ですよ。――規則は、規則はどうなってるんです?」
「さあな……こいつは私用でな。どうしても、確認したいことがあるんだ」
船長の消えた船橋でラウゲが凛とした声で、カイベルに指示した。
「航行データを確認。船内の異常を確認。問題がなければ、ルナ・ステーションに向けて超光速航行を開始せよ」
歌うような旋律が応えた。
「了解しました。データ確認。漏洩した放射線は制御可能レベル。その他に異常は検知できません。準備完了しだい本船は超光速航行に移行します」
――しばらくして、〈テリオン号〉とクルーは、予定通り超高速航行に入った。
当直として一人船橋に残ったラウゲは、船内私用回線を開いて、いくつかのキーを操作したあと、流れはじめた曲――Life Without Youを歌いはじめた。
舷窓の外では、捻くれた異様な虹が蛇のようにのたうち回っていた。
それはまるでわが海を勝ちえた龍王のようであった。
――完――




