Ⅰ
すべての楽器エンジニアと調律師に捧げる。
ルナ・ステーションに、宇宙船〈テリオン号〉が降着し、データ接続が完了した。
無機質な機械音――〈ザイン-L〉の声が船橋に響いた。
「航行データ接続。主情報記録、コード AE 整合、GC 不整合、EAB 整合」
「またかよ!」
宇宙焼けの顔でラウゲ副長がぼやく。
「お馴染みのことだ。気にするな、ラウゲ」
トーン航法士は椅子を軋ませ振り返るといい放った。
「いつものように、〈ワンダラー〉で酒を浴びながら、辻褄を合わせりゃいい」
だが、それを聞いても船橋にいる男たちの渋い表情に、変わりはなかった。
「不整合の手柄が、いつもあの音響屋だってのが、ラウゲは気に入らないのさ」
通信課クルーの誰かがそういった。
船長が、堪えかねたように口を開いた。
「確かに、外宇宙航行に音響士なんてものが必要だと、私も思ってはいないが、規則は規則だ。それに、あいつが毎回、不整合を解くのも事実だ」
実際その晩〈ワンダラー〉では、いつにも増して荒んだやりとりが行われたが、解決の糸口は音響屋と揶揄されたセラントによって、もたらされたのである。
人類が外宇宙へ進出する原因となったのは、テクネチウム粒子の発見による。
古典SFの世界ではタキオン粒子が鍵になったが、現実はそう甘くなかった。というのは、テクネチウムは放射性粒子であったからだ。もしも、機関を制御するAIコンピューターが判断を誤り、放射性の大事故を起こしたなら、宇宙探査はそこで断絶する危険があった。
さらにこの問題を複雑にしたのが、船に搭載されたAIと中央航法管理局のマザーAI〈ザイン〉との同期作業だった。
――いうなれば、地味で目立たないセラント音響士のような存在があってこそ、外宇宙航行は成り立っていたのだ。
無事に不整合問題を解決した〈テリオン号〉は、ルナ・ステーションから木星圏のタイタン・ステーションを目指して、超光速航行に突入しようとしていた。
そのとき、なんの予兆もなく船内に警報が鳴り響いた。
「機関長、どうした? なにが起こった?」
船長の声はいつもどおり落ち着いている。
制御卓にある薄汚れたスピーカーから応答があった。
「現在、原因究明中。とりあえず超光速航行への突入を中止してください」
ハルケン機関長の口調からは手慣れた年季が滲みでていた。
「どうせまた、不整合が原因だろう」
ラウゲは結論を急ぐように言ってから、
「ザインとの同期がうまくいっても、この船のおっかさんのカインとアベルの喧嘩には、いつもながら情けなくなる。そのうち、アベルがカインに殺されるんじゃないかって心配になる」
と軽口を叩いた。
トーンは、ラウゲの悪態に笑いを押し殺しながら、
「そうなると、音響屋の出番ということだな。――おい誰か、セラントを探しだしておけ」
と通信課のクルーに指示をだした。
その頃、船橋の喧騒をよそにセラントは、自慢のオーバードライブ・リラを腹に乗せたまま、自室のベッドで微睡みのなかにいた。
突然鳴りだした非常呼び出し音に虚をつかれながらも、むっくりと上体を起こしたセラントは、
「おっかさんは人使いが荒いこって」
と呟き、乱れた服装もそのまま、急いで機関室へ向かおうとした。
だが、ドアの前まできて、
「おっと、あいつを忘れちゃあ仕事にならない」
と取って返すと、リラを抱え、船内のムービング・アームを掴んで通路を滑空するように進んだ。
一方、船橋での喧騒はいまだ続いていた。
船長は機関室への回線を開いて焦れったそうに、
「ハルケン、まだ原因はわからんのか?」
と小言を投げつけるように訊いた。
「いつものやつです。タグの問題ですな。不整合を起こしてるのがEAなのは分かりました。セラントはこっちに向かってますか?」
「ああ、そのはずだ」
船長はそういいながらトーン航法士の顔を見つめた。
「今向かってます。そう長くはかからんでしょう」
とトーンがいった。
機関室では、異常事態への対処が進んでいるからか、ハルケンはのんびり風に吹かれるようにしてセラントを待っていた。
「遅くなりました。それでタグは?」
到着するなり、セラントは本題に切り込んだ。
「EAだ」
機関長からそれだけ聞くと、セラントはリラにあるワイアレス・センサーを作動させ、機関の中央制御システムにアクセスした。
ハルケンは腕組みして不満げにそれを見つめながら、
「儂が思うにだな、タグはEGかECじゃあないか?」
「いいや違うと思う、恐らく――もう少し待ってくれ」
セラントはリラをかき鳴らしながら、囁くような声で歌いはじめた。
機関長は、ほとほと呆れ顔で首を傾げている。
「うん、間違いない。タグはEBだ。やってみてくれ」
「さようでございますか」
と、ハルケンは手際よく、いわれたタグを制御機器に入力した。すると、それまでやかましく鳴り響いていた警報が止んだ。
機関長はセラントの顔をまじまじ覗き込んで、
「どうしてそれが正しいってわかったんだ? だいたいお前は機関のことも制御機器のことも何も知らんじゃないか?」
「それはそうだ。でも機関長、このエンジンの唸る音、そいつをこのリラに流し込むと、なぜだか知らないがわかるんだ」
「それで、正しいタグを入力したあとに聞こえる旋律をもとにして歌作りか、楽な稼業だな」
ハルケンにそう言われたセラントは、苦虫を噛み殺すように、はっきりと反抗の態度を見せた。
「だったら、あんたが歌え! カインとアベルが気にいるように歌ってやれよ! そうすれば彼らはきちんと機能するんだからな。理由なんか知るもんか!」
「わかったわかった、そんなに怒るな。だがな、いつまでもそんな子供だましが通じると思うなよ。いつか破綻する。儂はそれが恐いんだ。いいか、つぎは艦橋でその歌を歌うんだな。タグの入力ならあそこでもできる。あんたのソロ・リサイタルには飽き飽きなんじゃ」
セラントは何もいい返さなかった。
「儂にだって音楽の趣味はあるんじゃ。どうもね、お前の歌は癪にさわるんだ」
ハルケンが、自分の部署に戻っていくのを目で追っていたセラントの手は、固く握られ小刻みに震えていた。
――理解できまい。彼らにとって、これは規則と技術、それに趣味の問題に過ぎない。だが、僕が聞いているのはザインが、カインとアベルが、この宇宙船そのものが切望する調律の源だ。僕がそれに答えなければ、この旅はいつか破綻するんだ。いやそれどころか――。
しばらくして、自室に戻ったセラントはベッドに腰掛けて、窓外を流れる星々を見つめていた。
――この船で一番の嫌われ者か。僕だって好きでやってるわけじゃない。みんなの命がかかってる。そう思えばこそ我慢もしているんだ。でも、限界かもしれない……いや……。
セラントは、頬を涙で濡らしながら、静かに歌いはじめた。さっき耳にしたエンジンの唸りを思い出しながら。
われは昇りゆく龍
険しき道をゆく龍
されど空には雲ありき
されど天には星ありき
波うち蠢くその身体は
つねに揺れうごきて止むを知らず
つねに諮らいて調和を知らしめず
不思議な咆哮を聞くは我ひとりか
ADE、ADE、CFG、CFG
カインとアベルを親しく導き
カインとアベルを母へと導き
祝詞のような呪詛のような
われは歌ううねりのなかで
われはひとり聞く海の底で
リラの旋律にのった歌声が途切れたころ、〈テリオン号〉は超光速航行に突入した。
舷窓の外では、捻くれた異様な虹が蛇のようにのたうち回っていた。




