第2章- 脳腫瘍手術の後
脳腫瘍の手術が終わった。陳明軍は手袋を外し、冷たいステンレスのトレイにメスを置いた。手術室を出て着替え、顔を洗い、宿舎に戻ろうとしていた。
その時、隣の部屋から程嘉意医師が出てきて、小さなプラスチック容器を手にしていた。彼は数枚の薬を渡し、言葉を添える。
「この処方通りに服用してください。白い錠剤二つは消炎剤、淡い青の錠剤は神経を安定させ、黄色い錠剤は血行を助けます。きちんと服用すれば体はすぐ回復します……特にタクラマカン砂漠での戦いの後には。」
陳明軍は薬を受け取り、程嘉意はしばらく黙したのち、中へ戻った。
廊下の先で柔らかな声が響く。
「陳先生、診察室へお越しください。」
立っていたのは産科医の葉美玲だった。彼女は同じ病院の同僚で、手には検査ファイルを抱えていた。
真っ白な診察室で、美玲はファイルを開き、ゆっくりしかし確かに言った。
「これはあなたの奥様、趙可欣さんの臨床検査結果です。卵巣に問題があり、自然妊娠の可能性は……極めて低いです。」
陳明軍は長い沈黙の後、低く囁くように問う。
「葉先生……まだ方法はありますか?」
彼女は静かにファイルを閉じ、真っ直ぐに見据えた。
「はい。排卵誘発剤と体外受精を併用すれば。ただし成功率は六十パーセント程度にすぎません。」
陳明軍は頷き、唇の端をかすかに上げかけたが、結局は深い溜息だけを漏らした。その音は白い廊下に消え、救急車のサイレンと医師たちの足音が遠くに響いていた。
病院の廊下を出ると、すぐ隣は産科棟。退院したばかりの母親たちが赤ん坊を抱き、産声が響き渡っていた。陳明軍の一歩一歩は重く、胸は締め付けられるようだった。
その時、電話が鳴る。画面には見慣れた名前――趙可欣。
『明軍、明日トルファンに行って荷物を片付けてくれる? 一緒にそっちで暮らしたいの。』
彼はわずかに身を止め、平静を装って答えた。
「分かった。ついでに市場で何か買って帰ろう。」
『検査の結果はどうだったの?』
短い沈黙。若い母親が子を抱く姿を見つめ、目を逸らしながら言った。
「大したことはない。帰ってから話そう。」
通話を切った手は、まだ固く電話を握っていた。それはまだ口にできぬ秘密を握り締めているかのようだった。
❖ ❖ ❖
翌朝、新疆ウルムチ・地窩堡国際空港近くにある建設会社「黒剣建設」(Kuroken Construction)の本社は、静かな朝を迎えていた。建材と物流を看板に掲げるその会社は、実際には黒狼流の後方拠点であり、出資者は神崎宏樹の父・神崎真玄であった。
三階の執務室では、神崎宏樹が紺色のスーツに黒いネクタイを締め、デスクに座っていた。名札には「神崎宏樹 ― 代表取締役」と刻まれている。
扉が開き、先日現れた配下が入ってきた。白いシャツにネクタイ姿、胸の名札には「悟 ― 資材部長」とある。彼は深く一礼し、低く告げた。
「主よ、陳明軍殿のために武器を用意しました。すべて輸入資材の名目で倉庫に運び込んでおります。」
宏樹は微笑み、軽く頷く。
「よろしい。彼が承諾すれば、黒狼流は最大限のもてなしをせねばならん。」
悟はさらに書類を差し出した。
「主よ、曹天俊様への荷もございます。送り先はチベットの火雲山、曹家客店です。」
宏樹の目が眼鏡の奥で光る。
「慎重にな。これは何よりも重要だ。」
半月後、趙可欣は陳明軍と共に都へ移った。
ある夕暮れ、陳明軍は廃工場跡の倉庫に呼び出された。鉄扉が軋みを立てて開くと、悟と黒衣の女配下タマニが待っていた。
悟は一礼し、簡潔に告げる。
「陳殿、主の命により武器をお持ちしました。準備に残り半月あります。」
タマニが木箱を押し開ける。中には様々な武器が整然と並び、冷たい光を放っていた。
日本刀、一対の二刀、中国の長剣、風魔小太刀、双差、超長大太刀、投擲用の苦無二本、鉄棍、長槍、大刀――。
沈黙の後、陳明軍は破顔して大声で笑った。
「神崎宏樹、お前は私に銀行強盗でもさせる気か?」
悟は頭を垂れたまま言う。
「どうぞお選びください。主はただ、公平で正しい一戦を望んでおられます。」
タマニは安堵の表情を浮かべ、箱を閉じながら小声で呟いた。
「主はいつも……行き過ぎなくらい気配りをする。まだ試合もしてないのに、バインゴリンの月見屋でサーモンやキャビアまで手配してるんだから。」
悟はかすかに笑い、肩をすくめた。
「それが主の流儀だ。剣は血を見ねばならんが、その後は必ず酒と美食で締める。」
タマニは小声で返す。
「試合後にたこ焼きかうどんでも十分なのに……。」
悟は咳払いして真顔に戻るが、口元は震えていた。その空気に陳明軍も笑い、重苦しい倉庫が一瞬、日常の喜劇に変わった。