第10章 - 九銀鈴刀の誓い
かつての記憶は、亡霊のように離れることなくまとわりついていた。
あの夜、竹影幇は炎と悲鳴に包まれ、反逆者たちが蜂起した。赤い炎が血を染め、剣戟の音が断末魔の叫びと交わり、天地を震わせた。
その時こそ、厳格だが義に厚い叔父――**陳叡凱**が身を挺して、明軍と祖父を地下道へと逃がした。蓋が閉じられる直前、彼は振り返り、最後の命令のように低く叫んだ。
「軍! 生きよ…… お前こそが竹影幇の支柱なのだ!」
重い扉がゆっくりと閉ざされる。狭い隙間から、明軍は叡凱が数十の刃に囲まれながらも突進する姿を見た。血が飛び散り、その身は炎と煙に呑まれていくが、彼の眼差しは最後まで燃えるように不屈だった。
その瞬間から、明軍の心に刻まれた傷は消えることなく、今日振るう一太刀ごとに血を注ぐ思いであった。
九銀鈴刀はただの武器ではない。
それは血の仇、そして悲劇を正義へと変える決意そのものだった。
──宿に戻ると、灯りが古びた壁を照らし出す。
陳明軍 は九銀鈴刀を卓に置き、鋼の澄んだ響きが狭い部屋に広がった。
茶を淹れていた 趙可欣 が振り向き、目を見開いた。
「あなた……もう受け取ったのね?」
陳明軍 はうなずき、川辺での出会いと老家主の言葉、そして伝授された技を語った。
趙可欣 は黙って聞き、珍しく唇に笑みを浮かべた。
「よかったわ。わたしも、あなたは兵器の修練に専心すべきだと思っていた。
鉄砂十三掌は確かに無双の威力だけれど、その分内力の消耗は甚だしい。」
彼女は茶を啜りながら、理を説くように続けた。
「考えてみて。ゲームのマナと同じよ。強大な一撃ほど消耗も早い。
龍気は無限の泉じゃない。だから兵器を通す方が理に適うの。
九銀鈴刀の九環は、あなたの気を波へと変換し、丹田の負担を軽減してくれるはず。」
陳明軍 は刀身を見つめて呟いた。
「そうか……武器とは、ただの鋼ではなく、戦場で呼吸を繋ぐ術でもあるのだな。」
趙可欣 は厳しい目でうなずく。
「その通り。あなたはもう、裸の剣で天下に挑む者ではない。
刀を持ち、家族を背負い、責任を抱いた武人なの。道は、もはや後戻りできない。」
彼が刀の柄をひねると、「カチリ」と音がして九環が滑り込み、長刀は一瞬で短剣へと姿を変えた。
趙可欣 は思わず声を上げた。
「なにこれ……すごく小さい!」
だが手に取ると驚くほどの重量が手首にのしかかる。
「小さいけど……この重さは尋常じゃないわ。下手に投げたら頭蓋骨まで砕けそう。」
彼女は半ば冗談めかして笑った。
陳明軍 は静かに彼女を抱き寄せた。
その胸の中で、趙可欣 は安堵した――伴侶は、ついに嵐に抗うだけの武器を手にしたのだ。
⸻
翌朝、ウルムチの新設地質研究所。
白い照明が地震計と赤黒い岩石標本を照らす。
趙可欣 は実験室に入り、黒い玄武岩を指先で撫でた。
冷たい石肌の奥から、まだ微かな熱が脈打っている。
モニターには地下の亀裂が血管のように映し出されていた。
彼女は心の中で呟く。
「西域の龍脈は静まったはず……でも、この地にはまだ眠らぬものがある。」
二人の生活は研究所と小さな宿舎を中心に安定し始めた。
陳明軍 は毎朝欠かさず鍛錬していたが、その呼吸は以前よりわずかに重く、気の巡りに時間がかかっているように見えた。
ある夜、研究所の同僚 李啓栄 からの緊急電話が鳴った。
「可欣、地震計が異常を示している。崑崙山脈の龍脈に異変がある。すぐ調査が必要だ。」
受話器を取ろうとする彼女を制し、陳明軍 は静かに言った。
「俺が行く。君は研究所を守ってくれ。」
不安げな 趙可欣 に、彼は虎爪カランビットを携えて笑った。
さらに彼女は、かつて奪い取った契丹の鋼弩を手渡した。
「これも持って行って。崑崙は危険よ。遠距離の一矢が命を救う時もある。」
その弦が夜風に震え、まるで彼女の言葉を肯定するかのようだった。
翌朝、陳明軍 は二人の兵士と共に崑崙へと向かった。
⸻
九月の崑崙。氷雪の風が肌を裂くように吹き荒れる。
戦闘ヘリは震えながら岩だらけの台地に降り立った。
待っていた 李啓栄 が駆け寄り、地図を広げて告げた。
「三日間、地震波が続いている。このままではトルファン全域に影響が出る。
君と私は内部に入る。兵士たちは後方支援だ。」
正午、雪嶺に日が差す頃、小隊は出発した。
陳明軍 は虎爪カランビットと契丹鋼弩を腰に差し、嶮しい峡谷へと踏み込んだ。
風が壁岩に反響し、まるで獣の咆哮のように轟いた。
その時――遠い尾根で一瞬、光が閃いた。
誰かが彼らを監視しているのだった。