カリン前女官長の憂鬱
『【コミカライズ】大好きです、旦那様。野良王女は離縁を受け入れて出て行きます』パルシィさまにて配信開始記念☆
それでなんで前女官長のお話やねんって自分でも思った(笑)
本編を読まなくても分かるような分からないような。。
読んでからの方が分かり易いと思います。
よろしくお願いしますー!
■
仕事のことならどんなことでも効率よく段取りが取れるというのに。
母を亡くし心を壊してしまった幼い王女のことだけは、どう関わればいいのかまるで解らなかった。
(いいえ、ちがうわね。子供と触れ合う機会すら得ようとしなかった私には、子供にどう話し掛ければいいのかなんてまるで解らない)
***
貧乏な男爵家の長女だった。
私と2歳下のふたり姉妹しかおらず、私は嫡女として王都の学園に入学した。
卒業後は領地へ帰り、貧乏すぎるので貴族からではなく裕福な商家から婿をとり、家を継ぐことなっていた。
学園への進学資金も、婚約者の家からの融資だ。しっかり勉強して、返さなくてはいけないと心に誓う。
家にいた頃は祖父母から勉強とマナーを教わっていた。家庭教師など付けて貰うことも無かったから、学園では休み時間に教師に質問攻めにして、図書室に通いつめることで、なんとかそれなりの成績を修めていた。
平民とはいえ領地に婚約者を待たせている身である。恋にうつつを抜かすこともなく、そもそもそんな小遣いすら持たされていなかったこともあり、王都内へ遊びに出かけることもない。ひたすら領地の役に立つ領主となるために捧げた学園生活も三年目。最終学年を迎えた春のことだった。
ひさしぶりに実家から届いた手紙を読んで愕然とした。
「……弟?」
そこには、16歳違いの弟が生まれたので、家を継ぐのではなく王都で仕事を探し、学園に通った学費分を埋め合わせる仕送りをして欲しいと書いてあった。
「婚約は……領主となる私に婿入りすることで、婚約者の家から融資を受けているのでは……え?」
がさりと手紙が床へ落ちた。
ごわごわの安い紙は重くて、風に舞うことすらしない。
『妹のユーミアが、お前の代わりとしてお前の婚約者であった男のところへ嫁入りしました。王都での勉学を修めたお前の代わりに平民となることを受け入れてくれた妹へ、感謝を込めて結婚祝いの品を贈っておくように』
一番安い郵便で送ったのだろう。領地は遠く、この手紙の日付は半年近くも前のものだった。
ふらふらと、寮から学園へと戻ったカリンは、職員室に残っていた教師へと領主科からの就職について相談した。
***
そのまま。実家にも帰らず、せがまれるままにお金を送り続ける日々だった。
『屋敷が雨漏りして。なんとかならないか』
『お姉ちゃん、私、子供が産まれたの』
『弟に家庭教師をつけてやりたいんだ』
『庭を整備して、剣の指導を受けられるように』
『そろそろ弟にも婚約者を見繕ってやらねばいけない時期で』
手紙が届く度に、なけなしの給金を差し出した。
それでも足りなくて、休日返上で雑用や手紙の代筆などを請け負う日々を過ごす。
実家のある領地へは一度も帰らなかった。
だからずっと、弟の顔も知らなかった。
だが、名前しか知らなかった弟が、王都の学園に入学した時に、一度だけ顔を合わせた。
『うわっ。婆あじゃん』
『こら。お前のために働いてくれている姉に対して、何て口を利くんだ』
父はそう言って窘めてはくれたが、叱ってはくれなかった。
──弟のために働いている訳ではない。
ただそれきり、カリンはどれだけ手紙を送られても、家族との面会に応じることはなかった。実家へ帰ることもしなかった。
王城へ、弟が文句を言いにやってきたことがあるが、勿論会っていない。
門番へ失礼な態度をとったので抓みだされてしまったそうだ。カリンの所へも苦情が届いた。
『田舎の男爵家の長男ごときが。舐めた態度だったので抓みだした』
『失礼致しました。こちらに問い合わせるまでもありません。次からは取次などせずに、帰してください』
そう言って、頭を下げた。
父と母から苦情と金の無心の手紙が届いたが、お金だけ送れば、それ以上の苦情の手紙は来なかった。
弟からの、就職先を求める手紙も推薦状を求める手紙も、返事も碌にせずお金だけ送った。
妹の子供が増えたからという祝いの催促も、お金を送って終わらせた。
弟の結婚も。
そうこうしている内に、祝い事を知らせてくる手紙には金額が指定されるようにだけになって、読みながら嗤った。カリン自身が妥当だと思う金額のみを送ってそれ以外は一切無視した。
自分で決めたルールではあっても、お金のやり取りしかしない家族との絆は、あまりにも冷たいものだった。
そこからは、いいやその前からずっと、カリンには仕事しかなかった。
そうして気が付けば、女官長という王城内で働く女性で最も偉い役職まで、登り詰めていた。
***
部屋の引っ越しを済ませたばかりの王女は、話し掛けても一言も口をきいてくれそうにない。
侍女のスカートの後ろに隠れるようにして立ったままだ。
「ローラ王女。なにか足りないことはございませんか?」
「……」
会話を拒否するように、ただ首を横に振るばかりの王女へ、それ以上どんな声を掛けていいのか。
カリンは途方に暮れた。そうして、すぐに諦めた。
実の甥姪が何人いるのかも把握していない冷たい伯母。それどころか実の弟の顔さえ覚えていない。冷たい自分の中には、王女の凍えた心を溶かせる魔法の言葉など、持ち合わせていなかった。
だから、月に一度、顔を見に行く以外すべて、王女が全幅の信頼を寄せている侍女へ任せることにした。
幼い王女に身の危険が迫っているということならば、側妃様の部屋から移すことは必要なのだろう。そもそも王の御判断にカリンが口を出すことはできない。
だが、これほど狭くて暗い部屋がいいという理由が、カリンにはまるで分からなかった。
古着にしか見えないドレスを、わざわざ誂えさせる理由も。
高価なアンティークな素材を集めさせ、それを汚したり傷つけて仕立ててあるのだと聞いた時には眩暈がした。
だからと言って何故そのようなことをするのかなどと、心を壊している幼い王女に向かって問い詰める気にもならない。
「では、ひと月後にまたお邪魔致します」
どこかつっけんどんな言葉になってしまった。
王族に対して不敬だとすらいえるだろう。けれど、俯いた頬の円みが、侍女のスカートの陰に隠れて顔を背ける仕草が、一度しか顔を合わせたことの無い弟に、重なった。
(まるで似たところなど、ないのに)
今も胸の奥に痞えている苦い記憶を振り切るように、カリンは頭を下げて王女の部屋から退出した。
「子供の相手なんて。私にはどうすればいいのか、わからないわ」
ハッとした。まだドアは閉まりっていなかった。
漏れ出してしまった本音が、王女の耳に届いていないことを祈りつつ、廊下を急いで仕事へと向かった。
***
あれから、何度様子伺いに行っても王女は声一つ聞かせてはくれなかった。
いつしか侍女のスカートの後ろに隠れることはなくなったが、それでもカリンの問い掛けに、ただ黙って首を振るのみ。
無造作に一つに纏められているだけのぼさぼさの髪も、整えられていない眉も、すべてが女官長としてのカリンの気に障る。
愛らしかった側妃の面影を残す、不憫な王女のお世話をさせて欲しいと懇願したくなる。
しかしすべてを飲み込んで、黙る。ローラ王女の意向はすべて受け入れるという王の命令は絶対だ。
ただし、あまりにも着ている服がサイズが合わなくなっている時だけは、専属侍女にせめてサイズに合わせた新しい服を作るように進言しておくよう告げている。だが、それだけだ。
そもそも遠い国からやってきた側妃様は、平均身長が高く骨太で屈強な体つきをしたこの国の人間とはすべてがまるで違っていて、まるで妖精のように愛らしい方だった。
その側妃によく似た王女は細く見えるがそれが普通の体型であるのかどうかすら、カリンには分からない。
細すぎる手足も、ちいさすぎる顔も。成長が遅いのではないかと思うこともあったが、大きくなれない国の人間にそれを指摘するのも繊細な王女の心を傷つけてしまう気がして、結局は何も言ったことがなかった。
そうして、気が付けばカリンはとうとう定年の歳を迎えてしまった。
田舎の両親は、たぶんきっとカリンが退職金を持って帰ってくることを願っていることだろう。だが、カリンにはそのつもりはまったく無かった。
かと言って知らない街でひとり暮らし始めるのも難しい。なにしろカリンには王城内で働いた経験しかないのだから。
実家に帰りたくなかったカリンは、退職金の満額支給をその場で受けるのではなく、王城内で使用していた部屋をこれからも借り続け、その家賃分を引いて月々の支給を受け取る恩賞制度を選んだ。
長く勤務していた一定以上の役職に就いていた者しか許されない優遇措置だ。
「王城内で、信頼されている証」
むやみやたらと友人知人を部屋に呼ぶことは許されていないし、品性を保った生活をせねば追い出される。場合によっては雑事などの手伝いに呼ばれることもある。
もう働きたくないと考える人には分からないかもしれないが、カリンにとっては、それこそが、長年勤め上げてきたことへのご褒美だった。
王城内に暮らし続けることを許されてたカリンは、だからこれからも会おうとすれば、王女に会うこともできる。
会わないと決まっているならば、最後のお別れの挨拶も口に出し易かったかもしれない。
しかし、王城内ですれ違うことがあるかもしれないと思うと、それも気まずい。
結局カリンは、最後の訪問も、いつも通りの言葉を王女に掛けることにした。
「ローラ王女。なにか足りないことはございませんか?」
黙って首を振るばかりの王女に、心の中で苦笑する。
たぶんきっと、これが最後の会話だ。
誰も彼もが気に掛けているが、声を掛けられることを拒否している王女と、誰も彼もが仕事を言い付けにくるが、気に掛けてもらうことのないカリン。
何も持っていないようですべてを手にしている王女と、女官長という地位に就き、すべてを手にしているようで何も持っていないカリンは、何もかもがまるで反対だ。
どんな言葉を掛ければいいのかすらわからなくて当然なのに、何故カリンは自分が毎月王女の下に通っていたのか。それすらよく分かっていない。
この世の不幸を一身に纏ったような王女が首を振る。
その姿を目にする度に、胸の奥がぎゅっと詰まるような気持ちがする理由も。
(でも、それももう終わり)
万感の思いを込めて、別れの言葉を告げた。
「そうですか。では、何かございました時には、侍女たちへなんなりとお申し付けください」
これまでも話し掛けられたことはなかった。そうしてきっとこれから先もないだろう。
ただひとり、側妃様が御存命のころから専属であった侍女のみにしか声を聴かせてくれない王女。けれどひとりでも、心を開ける相手がいて良かったとも思う。
何も力になれなかった。そうは思っているけれど、苦手な王女への訪問を最後までやり遂げたことに、カリンは十分満足していた。
***
年を取り痛む場所ばかりになった身体を労わりながら王宮図書館で本を借りて読んだり、教会に寄付するハンカチへ拙い刺繍を入れてみたりして過ごす。
部屋に訪ねてくる者も減った。
引退してすぐの頃は、それでも元部下が様子を見に寄ってくれることもあった。
しかしその部下達も王城を去って行った。
王城内で働く者たちの代替わりの時期が来たということだろう。
誰とも会話をしない日々が、堪えるようになってきた。
時間の進みは遅く、酷く人恋しく、寂しい。
いっそ、王城に貰ったこの部屋を今からでも返上し、王都の下町にある教会の傍にでも引っ越そうかと考えることも増えた。
王城内の部屋を返上すれば、月々王宮から支給される金額も増える。
王都から出て、どこかカリンのことを知る者がいない土地で部屋を借りて暮られば、教会へ寄進できるものも増やせるだろう。
そこまで考えて、いまだに実家へ戻る気はない自分に呆れのような気持ちもある。
「ふう。自分がこれほど女々しい人間だとは思いませんでしたよ」
疲れてきたのか霞んでくる目の間を指で揉み、まだ途中の刺繍を机に置いた。
窓の外でも見れば、少しは気が収まるかもしれない。
立ち上がって、窓辺へと近づこうとした時だった。
「トントントン」
何日ぶりか、扉をノックされて、慌てた。
服の皺を伸ばし、ついてもいないスカートの裾の埃を払う。
「はい。どなたかしら」
少し気取って扉を開けた先に立っていたのは、背が伸びたとは言い難い、あの不憫な王女だった。
相変わらず頭はぼさぼさだし、ドレスのサイズは合っていなかった。擦り切れを刺繍で誤魔化したような不思議な意匠のドレスを着ている。
思わずまじまじと顔を見つめてしまった。
王女もカリンを見つめるばかりで、部屋までやってきたというのに、何も口にしようとしない。
仕方がないので、カリンからお祝いを告げることにした。
「お久しぶりですね。ご婚約おめでとうございます。このような場所においでになっている時間などないのではありませんか? きっと自室へ採寸係が向かっているでしょうに」
(最悪の、言葉選びをしてしまった)
自分でも、感じの悪い言葉を選んでしまったものだと瞬時に後悔した。だが、ひさしぶりに誰かと話せるということ、それがあのひと言も口を利いてくれなかった王女だということに動揺しているのか、考えが上手く纏まらない。
頭を抱えたくなったが、その王女から告げられた言葉によって、カリンは更に混乱し、とにかく王女を部屋へと追い返して、元王女専属侍女であった新女官長の姿を探して、ひとり廊下を急いだ。
***
「カリン女官長? 気が付きましたか! カリン女官長、私が分かりますか?」
ベッドの上で目覚めると、最悪の気分だった。
咽喉が乾いて仕方がないのに、耳元でうるさくカリンの名前を連呼する声がうるさくて堪らない。
「……わたしはもう、女官長では、ありません」
そういえば、あの王女にそう言って否定しただろうかとぼんやり思う。
新女官長となった女を問い詰めに行かねばならないと焦るあまりに、何の説明もしなかったような気がする。
「う……、ローラ、王女は」
「カリン女官長。私なら、ここです。ここにいます」
うるさく連呼する声に名乗られて、ようやくその女性に目を向けた。
流れるような美しい金色の髪。緑柱石のような透き通った大きな瞳。
遠い昔に身罷られた側妃さまが、そこにいた。
「側妃、さま? いえ、あの御方が、私をお迎えにいらして下さる訳がない。ローラ王女のお力になれなかった薄情な私を」
「母上ではありません。ローラです、カリン女官長。私はあなたを薄情だなんて思ったことはありません」
そうか、夢か、と納得した。
カリンの最後の記憶は、あの新女官長を問い詰めようとしたところで、胸が苦しくなった、というところまでだ。
たぶんきっと、あのまま倒れて死後の世界にいく前に、夢を見ているのだろう。
それにしても、随分と自分に都合のいい夢だとカリンは苦笑した。
カリンの手で新女官長の罪を明らかにすることはできなかったけれど、あの方の夫が新騎士団長であるならば、罪はそう遠くない内に、白日の下で詳らかにされることだろう。
子供のことなどわからないと知ろうともせず、王女の置かれた境遇に気が付きもしなかった、カリンの罪もすべて。
「ローラ王女の幸せを、祈っております」
ずっと言葉にする勇気が出なかった。想いを口にする。
「ありがとう。でも、二度と会えないようなことを言われたら寂しいわ。また会いに来ても、いいでしょう?」
冷たいカリンの手が、やわらかく温かなた手に包まれる。その感触に、ぼやける目を凝らした。
「……、……ローラ王女?」
「あぁ、やっと目を覚ましてくれたのね。嬉しいわ。あぁ、良かった。神さま!」
「カリン女官長。無理に起き上がらないように。あなたはひと月以上も倒れていらしたのです」
ローラの横に控えていた医師助手が、侍女に王宮医師を呼んでくるように指示を出しながら、端的にカリンへ状況を説明してくれる。
「では、わたしは生きて?」
「そうよ。生きて、私の結婚式にも出席して貰わなくちゃいけないわ」
「ひと月以上も寝ていたというのなら、すでに式は挙げられたのではありませんか?」
「あの、私の専属? だって言い張っていたあの人が、私のための予算を不正に奪っていたことが分かって。国王陛下……ううん、おとうさまが、ものすごく怒って。婚礼用のドレスも式の手配も、すべて計画からやり直しになったの。王妃様が取り仕切って下さるんですって」
「……では、では、罪はすべて詳らかになったということですね」
──あぁ、神よ。ありがとうございます。
カリンは天へと感謝を捧げた。涙が零れ落ちる。あとはカリン自身の罪も裁いて貰えば、すべてを終わらせることができる。
女官長という王城内で働くすべての女性使用人を纏め上げる栄誉ある職にありながら、長年その不正に気付けなかったことも。
毎月顔を合わせておきながら、王女の不遇に気付きもしなかったことも。
すべて、カリンの怠慢から生まれた罪だ。
「えぇ、ありがとう、カリン女官長。それでね、あの、ずっとあなたのことを誤解していた私を、許してくれる?」
それなのに。当の王女から謝罪を受けて当惑した。
「私はもう女官長ではありません。それと、許すも何も、むしろ許して戴かなくてはいかないのは、私の方で」
なによりまずは自分の現在の身分をいまだに勘違いしているらしい王女に訂正を入れてから、罪の告白をしようとしたが、王女によって遮られる。
「ううん、私が謝りたいの。カリン女官長は、カリン女官長だけが、私のところへ毎月やってきてくれて、名前を呼んでくれていたのに。私は、『ただでさえ嫌われているんですから。お言葉通りに我がままを言ったりしたら、もっと嫌われますよ』というあの人たちの嘘を信じて。ずっと何も返事をしなくて、ごめんなさい。無視していた訳じゃないの。いいえ、無視していたのは間違いないのだけれど。でも」
「王女さま」
皺だらけのカリンの手を取り、ギュッと握りしめてくれる綺麗な手は、きちんと手入れのされた貴人のものとなっていた。
もう髪の毛もぼさぼさではない。綺麗に梳られて香油で手入れがされているのであろう。豊かで深みのある金の色を誇っている。
頬の血色もよくなって、唇も張りが合って艶やかだ。
そのなめらかな頬を涙が滑り落ちて、カリンの皺だらけの手に、落ちた。
「……あ、あなたが私の部屋へ、来てくれなくなって。ついに、顔を見たくないほど嫌われてしまったんだって。悲しかった。それほど嫌われてしまう前に、返事をしてみればよかったって、後悔したわ」
突然のローラ王女の告白に、カリンの頭の中はまっしろになった。
「王女さま……」
「あなたしか、私の名前を呼んでくれる人は、いなくなっていたのに」
「ローラ、王女さま。私は、あなた様の不遇に気が付かねばならない立場にありながら、それができずにいたのですよ?」
「うれしい。また、名前を呼んでくれるのね」
カリンの罪の告白が聞こえていない様子のローラ王女に、カリンは狼狽した。
「……勿体ないお言葉です」
それでもカリンは長年尽くしてきた王家の家臣として、礼を崩すことはない。
礼を告げて、もう一度罪の告白をやり直そうとしたカリンを、ローラ王女の後ろに控えていた男性が、首を振って抑える。
「カリン前女官長どの。ローラは、あなたに感謝している。その心を受け取ってはくれないだろうか」
「……ボッカルディ騎士団長」
ローラ王女の夫となる御方だ。
その手は優しく労わるようにローラ王女の背中を擦っている。
「そうして叶うなら、王都に構える俺たちの家で、家政を取り仕切ってくれないだろうか。ローラの傍にいて、いろいろと教えてくれるだけでもいい」
「リオン。まずはカリン女官長の体調が優先でしょう」
「あぁ、すまない。だがこれだけは伝えておかなくてはと思って。つい」
諫めるローラ王女の声が優しかった。謝罪するボッカルディ騎士団長の声も。ふたりが見つめ合う視線が、優しかった。
お互いが尊重しあう素晴らしい関係を築いているのだとカリンは我がことのように喜ばしく思う。
「光栄なことです。しかし、私は……」
カリンが再び自分の罪について口にしようとした時だった。
「『子供の相手なんて。私にはどうすればいいのか、わからないわ』」
それは、初めてあの暗い部屋へローラ王女を連れて行った時の、カリンが口にしてしまった言葉だった。
もしかしたら聞こえてしまったかもしれないと、何度も後悔した、言葉の選び方を間違えた複雑な気持ち。
「聞こえて、いたんですね」
後悔が胸に押し寄せた。
カリンには、幼い王女に聞かせるつもりはなかった。けれど、カリンが不用意に発した言葉は、どれだけ王女の心を傷つけてしまっただろう。
今も覚えていたということは、それだけローラ王女の心を傷つけたという証拠だ。
どれだけ後悔しようとも、口に出してしまった言葉を取り消すことはできない。
より強く、カリンはローラ王女の誘いを断らなくてはと思う。
「子供の扱い方など分からない──そう言いながらも、あなたは毎月きちんと私に会いにきてくれました。母亡き後は、あなただけが、私の名前を呼んでくれた。あなたに感謝こそすれ、恨む気持なんか私にはないわ」
「しかし!」
その時、王宮医師が部屋へと着いた。
「患者を興奮させるのはよくありませんな。診察を始めます。どうぞご退席を」
医師は診察のためだとローラ王女たちへ退室を求めた。
それを受けて、ローラ王女はカリンに声を掛けた。
「すぐに返事をしなくてもいいわ。まずは身体を治すことを優先して。それからゆっくり考えてみて欲しいの」
そう言いつつも、「でも、できれば断らないで欲しいわ」と最後に笑顔でそう付け足して、ローラ王女は席を立つ。
その後姿に、幼い頃のローラ王女が重なった。
カリンは、ここで勇気を出さねばいつ出すのだと、自分を叱咤した。
誰とも会話をしない毎日の辛さや寂しさ。今のカリンはそれを誰より分かっている。
幼い頃の王女の辛さを理解し分かち合えるのは、自分しかいないのだと。
「わ、わたくしの指導は、厳しいですよ」
思った以上にその声は擦れて震えていた。
しかし、そんなことはどうでも良かった。
「カリン女官長!」
振り返って自分の名前を呼んでくれたローラ王女の笑顔が眩しい。
「カリンとお呼びください、ローラ王女……いいえ、これからは“奥様”とお呼びさせて頂きます」
きゃーっと喜びのままにカリンへ抱き着いたローラは、王宮医師から「患者を興奮させないように」と散々叱られた。
しかしその顔は始終笑顔のままで、それを見ていたすべての者も、叱っている医師本人までもが、同じくらい笑顔だった。
お付き合いありがとうございました!
 




