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尾崎さんと市原さんがハッピーマートに来る前、惣菜コーナーを担当していたのは普通の従業員だった。その人たちは料理の経験がほとんどなかったけど、業者から仕入れたものを温めたり、盛り付けるだけだったから何とかやれていた。
ところが、それは何とかやれている『気がしていた』だけだった。
ある日のこと。休憩室のドアが蹴破られるなり、怒号が響いた。
「おい、誰だァ! 今日の『ハッピー弁当』担当した奴はァ!」
今宮さんの声に、その場にいた従業員全員が縮こまった。
『誰だ』などと威勢よく尋ねているが、作った人間など決まっている。全員が当該する二人に視線を送ろうとしつつも、顔を背けた。
「不味い! すんげぇ、すんげぇ不味い!」
今宮さんがそう訴えながら、当該職員の前に、食べかけの『ハッピー弁当』を差し出した。『食ってみろ』ということだ。その従業員二人は慄きながら、煮物の欠片を少しだけ口に放り込んだ。
従業員二人の口が真一文字となった。
「な、不味いだろ?」
「はい……」
「何でこんなことになった」
「その、今日は、……仕入れ先とのやり取りにミスがあって、俺たちが惣菜を一から」
「なら何で俺に一言相談しねぇんだ! ってか、米もなんだ? べっちょべちょで食えたモンじゃねぇ」
「今日は、水の量を間違えてしまって。少し釜の蓋を開けていたら、大丈夫かなって、思ったんですが」
「そんなモン使うんじゃねぇよ! こんなモンに誰が金払うんだ? あァ?」
「はい……」
「あのな、惣菜、弁当は毎日が正念場なんだ。きゅうりやトマトが不味くても、季節や仕入れ先、個体差、色んな理由が考えられるから、『二度とここで買うもんか』ってことにはなりにくい。でも惣菜や弁当は別だ。飲食店と同じようにな、不味かったらもう二度と買ってもらえねぇ」
『今日はたまたま』は通用しねぇんだよ。力説する今宮さんに、二人の視線が白いテーブルを這った。
「なら今宮さん、専門の人を雇うことはできないですか?」
「あ?」
今宮さんの鋭い眼光が、声の主を捉えた。だけど声の主、一番の古株だったその従業員は視線を外さなかった。
「実は、こんな時に何なんですけど、私、来月いっぱいで辞めようと思っているんです」
え、と、辺りの従業員が目を見合わせた。
古株の従業員はその場では理由を語らず、彼らを自身の後任にして、惣菜コーナーにプロの料理人を入れてはどうかと提案した。
「分かった」
今宮さんは一言。弁当を持って休憩室を出ていった。
それから数日後、今宮さんは勤務先のホテルが潰れて職を失っていた尾崎さんと市原さんを連れてきた。――ということらしい。
今宮さんは出社すれば必ず昼食にハッピーマートの弁当を食べるから、当時の古株さんの声にはすぐ納得できたんだろう。そういうことがあって、今は元料理人の尾崎さんと市原さんが全ての惣菜を一から調理しているからとても美味しい。……当時の弁当ってどんなものだったんだろう。
でも、尾崎さんと市原さんが入ってからも、すぐには順風満帆とならなかったらしい。
当時、二人は根っからの職人気質で調理場に入った。少なくとも、この話をしてくれた古株の先輩にはそう見えたらしい。因みに、パートさんが補助に入るようになったのもその時からだそうだ。
二人がかつての後輩料理人を扱うように厳しく接したものだから、補助のパートさんは長続きしなかったらしい。入っては辞めていく様子を今宮さんと店長が咎めたことで、二人は徐々に接し方を改めていったそうだ。今はスーパーの従業員という意識を持って働いているようだが、それでも『名残』を見せているのだから、当時は余程だったんだろうと思う。
そう。その名残が、今の尾崎さんの姿だ。彼が調理場を『俺の城』と呼ぶのは、料理人魂から来るものなのだろう。
「まあでも、手分けして料理するんじゃないんでしょう?」
「そうだけどな。冷蔵庫の中を勝手に使われたらなぁ」
「え、勝手に使いそうなんですか?」
「いや、『勝手』、というかな。今宮さんには『冷蔵庫の中は好きに使わせてやってくれ』って言われたんだ」
それは結果として、『勝手に使われる』と同じ意味にならないだろうか。
「それは、困りますね」
「ああ」
尾崎さんと市原さんは、前日に仕込みをして帰ることもある。もしその仕込んだ材料を使われでもたら、次の日の尾崎さんと市原さんの段取りが狂ってしまう。尾崎さんの素振りから想像するに、そんな細かい話もしていなさそうだけど。
一体、今宮さんは何を考えているのだろう。ワンマンだけど、今まで従業員をないがしろにするようなことはしなかったのに。俺は明日からの惣菜コーナーが心配でならなかった。