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ピンポンと音が鳴った。そろそろレジが混んでくる時間だ。応援要請だと思い、俺はレジに向かった。俺は鮮魚担当だけど、レジが混んできたらレジ打ちもする。それは精肉コーナー担当でも、青果コーナー担当でも同様だ。レジが混んできたら皆が一丸となってお客様の対応に当たる。それがハッピーマートのシステムなのだ。
ところがレジに着けば、様子が少し違った。
「だからぁ。アイス、アイスな! こんなんなんだよ!」
怒鳴り散らすおじさんがいた。その前には今年入ったばかりの女性店員。
「どうだ? おまえこんなもん食えるか?」
ガサ、ガサ、とアイスの入った箱を振ってみせる。新人店員は委縮するばかりで声も出ない。
彼らに一番近いレジを担当していた木村さんと目が合った。木村さんの手が腰の辺りである形を作る。OKサインの、掌が上に向いた合図だ。お金を表す時の『マネーポーズ』とでも言おうか。
『あの人を呼んできて』
――ということだ。俺は頷き、バックヤードに足先を向けた。
バックヤードに向かう必要はなかった。俺が行わなければならない任務のターゲットが姿を現したからだ。
男が、売り場を闊歩していた。その足取りは非常に緩やかだが、優雅とは言えない。両手をスラックスのポケットに突っ込み、ゆるりゆるり。すれ違う人が、さほど混んだ通路でもないのに、道を開けた。
「だからぁ、店長呼べよ! おまえじゃ話になんねーんだよ!」
若い店員を散々言葉でいたぶり続けておきながら、今更店長だなんて。今からでも庇った方がいいかなと思ったけど、俺が駆け付ける前にその人がおじさんの前に着いたので、俺は中途半端な距離から様子を覗うこととなった。
「どうも」
その人が怒鳴っていたおじさんに声をかけた。バリトンボイスの、緩い声だ。
「ああ、何だ? あんた」
おじさんが一瞬たじろいだ。
「オーナーっす」
「は? あんたが、オーナーか」
「はい。どうされました?」
「ああ、あの、あのだな」
駄目だ、完全に呑まれている。無理もない。薄い色のサングラスに、無精ひげ、着崩したスーツの中に柄シャツ。オーナー、今宮さんの出で立ちは、どこから見てもチンピラなのだから。
「アイス! アイスがだな、箱開けたら全部粉々に割れてたんだよ! 中の袋も破れててな」
おじさんが何とか声を荒げるが、先程の威勢の良さはない。
今宮さんがおじさんの持つアイスの箱を覗き込んだ。
「お客さん」
次に、じろりとおじさんの顔を見上げる。
「さっき、防犯カメラで観てたんですがね。あなたアイスの箱、外のゴミ箱に捨てて帰ったでしょ」
スーパーの出入口横には、ゴミ箱が設置されている。そのゴミ箱は出入口の防犯カメラに映る場所にあるのだが――。
ぐぐ、とおじさんが唸った。お客様の中には時々いる。嵩を減らすためや家で出るゴミを減らすために、購入後、箱アイスの中身だけ抜いて空箱をスーパーのゴミ箱に捨てて行く人が。
「で、数分後、あなたまた戻ってきて、ゴミ箱からアイスの箱取り出したでしょ」
ますますおじさんの顔が歪んだ。
これは俺の想像に過ぎないけど、おじさんはアイスを箱から出した後、どこかでアイスを駄目にしてしまったのだろう。食べられなくなってしまったアイス。おじさんは金が惜しくなり、わざわざゴミ箱からさっき捨てたアイスの箱を取り出して詰め直したのではないだろうか。……それであんな剣幕で怒るって、どういう神経しているんだろう。
「で、返品ですか?」
今宮さんが尋ねると、おじさんは「クソッ!」と一つ吠え、白い眼が並ぶ中、脱兎の如く去っていった。
「ありがとうございました」
硬直が解けた女性店員が頭を下げると、今宮さんは「いや」と短い返事をした。
「いいか。ああいう奴は時々来るから、そういうときはすぐ俺に言え。相手する必要ねぇから」
「はい」
そうして今宮さんは、またバックヤードへと戻っていった。その後姿を見送り、俺も含めて、その場にいた全員が安堵の吐息を漏らした。