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俺の暮らす知鹿市に、清川という町がある。『清川』などという名前がついているけれど、清川という名前の川はない。川といえば細い用水路の様なものが数ヶ所にあるだけで、それはお世辞にも清いとは言い難く、川と判断するのも難しい。
清川には歩くだけでも一苦労だというほどの人通りはなく、至る希望に添えるほど種に富んだ店舗もない。つまり、都会ではない。
なら田舎なのかと問われたら、そうでもない。界隈の主要駅ではないけれど、電車の最寄り駅があるくらいには開けていて、人も多く住んでいる。色んな地方を回った経験はないけれど、多分、どこにでもある住宅地なんじゃないかと思う。
少し寂れた市場があったり、この店本当にやっているのかなって気になるぐらいの古い店があったり。勿論、古い家やアパートもあって。つまり、新興住宅地ではなく、昔ながらの住宅地だ。
そんな町に、俺の働く『Mハッピーマート』はあった。
Mハッピーマート、――『M』まで言うのがメンドクサイから、大抵の人は『ハッピーマート』って呼ぶ。――は、全国で清川に唯一の店舗を構えるスーパーだ。一時は全国展開の大手スーパーが近くにできたりして、ヒヤリとしたこともあったらしいけど、今も何とか営業できている。
俺は大学を出てすぐ、ハッピーマートに就職した。俺の出身大学ならそれなりの一流企業に就職できるはずだったんだけど、当時、世間は氷河期真っ只中。俺は全身に『不採用』のパンチを食らった。
ヘロヘロになった俺を拾ってくれたのは、ハッピーマートだけだった。バブルを知る親にはそれなりの四大出てスーパーの店員なんて、と落胆されたけど、俺だって落胆したよ。でもやってみたら案外性に合った仕事だったみたいで、俺は毎日、結構楽しく働いている。
「室田さん」
甘エビのパックを並べていると、あるご婦人が声をかけてきた。お得意様の青森さんだ。
「この前お薦めしてくれたアジ、美味しかったわぁ」
「ありがとうございます」
ペコリとお礼。
「それでね、ちょっとお願いがあるんだけど」
「はい、何ですか?」
「十三日にね、孫たちが遊びに来るんだけど、マグロを一キロ、……一・五キロぐらい用意してもらえないかしら?」
「一・五キロもですか?」
思わず俺の目が出目金の様になる。
「そうなの。あの子たち食べ盛りなうえ、マグロ大好きなものだから」
「はあ」
「思いっきりマグロ丼を食べてもらいたいのよ」
間に合うかしら? 小首を傾げる可愛らしい仕草に、驚きながらも俺の気分が少し明るくなる。
「分かりました。多分ご用意できると思いますが、ご予算は」
「お金に糸目はつけないわ。パァッと仕入れてちょうだい」
「承知しました」
上限額なし! 俺の気分がすっかり和らいでしまった。いや、これは大きな仕事だ。気を引き締めてかからないと。
「じゃ、よろしくね。お仕事中、お時間取らせてしまってごめんなさいね」
「いえ、とんでもない。また前日にご連絡いたします」
よろしくね、と、また一言。青森さんは笑顔を振りまいて去っていった。俺はその笑顔に一礼で答え、商品の陳列作業に戻った。
大手スーパーが近場にあってもハッピーマートが潰れない理由。それは、青森さんの様な昔からの根強いお客様がいることだ。大手スーパーほど規模が大きくないため、買い物がしやすいらしい。
そして、個別注文を承るところがハッピーマートの強みでもある。野球チームの監督から焼き肉用の牛肉を、それこそキロ単位で頼まれたり、小学校からかき氷のシロップをケース単位で頼まれたり。そういったことを大手もやっているんだろうけど、ハッピーマートのお客様には気心の知れた店員との会話を楽しみたいという人も多いから、うちを贔屓にしてくれているんだと思う。昔ながらの住人が多い町だからこそのハッピーマートなのだ。
青森さんは、そんなお客様の一人。明るくハキハキとしたおばあちゃんだ。七十という年齢をものともせず、今でもママさんバレーの星、らしい。(『もうババさんバレーでは』という失礼な声は封じ込めておこう。)
初めて青森さんに声をかけられた時、入社して間もない俺は『やばいな』と思った。いかにもお喋り好きな感じのおばあちゃん。『そういえば前にこんなことがあってね――』なんていう会話を延々続けられたらどうしようか。そうなったら俺の仕事はどうなってしまうんだ。心配と溜まるであろう仕事に焦燥感が芽生えたけど、青森さんはとてもマナーを心得たおばあちゃんだった。
『あら、ごめんなさいね。話し込んじゃって。じゃ、頑張ってね』
青森さんは三分もしないうちに、サッと話を切り上げて去っていったのだ。その切りの良さに、俺は心底ほっとしたのだった。
話し上手で、さっきみたいに美味しい依頼を持ってきてくださる上客だけど、目は確かだ。中途半端なものをお薦めしても絶対に買わない。
『こちらは頂けないわ』
柔和でありながらも、毅然とした態度で断るのだ。優しくて厳しい青森さんに、俺は鍛えられたと思う。