表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/2

「最弱から始まる、金の逆襲」

金がなかった。

何かを諦めるとき、いつも理由はそれだった。


小学生の宮崎嵩之は、昼休みの教室で机に伏せていた。

隣の席の連中が騒いでいる。


「えっ、ゲーム持ってないの!? マジで? うっそー!」

「お年玉もらってないのかよ、貧乏かよ~!」


笑い声が教室に響く。

反論すれば、もっとからかわれる。黙ってうつむくしかなかった。


母親は毎晩パートで遅くまで働いていた。

父親は早くに蒸発し、残された二人暮らし。

給食費の支払いが遅れた月は、担任に廊下で呼び出された。


「お母さんにね、もうちょっと早く払ってもらえると助かるんだけど」


そのときの“申し訳なさそうな優しさ”が、逆に屈辱だった。


だから、金に執着した。

努力した。勉強した。

奨学金で大学へ行き、都市銀行に就職した。


「金さえあれば、人生は変えられる」


そう信じていた。


誰より早く出社し、誰より遅くまで残業した。

だが、同期は口先だけで上司に取り入り、評価され、出世していった。


「お前ってさ、真面目なんだけど地味なんだよな~。営業向いてないかも?」


真面目は悪だと知った。

ゴマをすれない奴は、不器用と切り捨てられた。


気づけば38歳。平社員。年収410万。独身。

貯金200万。奨学金はまだ残っている。


たった一度だけ交際した女性からは、こう言われた。


「あなたって、お金の話ばっかりだよね……。安心はできるけど、夢がないというか……うん、つまらない」


黙っていた。

彼女が去ったあとも、食器は片付けず、テーブルの上に2日間放置したままだった。


その夜も、誰より遅くまで残業していた。

都市銀行・第五営業部のフロア。午後10時47分。誰もいないオフィス。


「……やっと終わった……」


古びた椅子に体を沈める。

その瞬間、胸に激痛が走った。


ズキリ、と心臓が引きちぎられるような痛み。

呼吸が詰まり、視界が歪む。手も足も言うことをきかない。


「……あ、れ……?」


倒れ込む身体。デスクの端に肩がぶつかり、書類がぱらぱらと床に落ちる。

助けを呼ぼうにも、声が出ない。

呼吸ができない。涙が出る。


──誰もいなかった。


バタリという鈍い音がフロアに響き、静かになった。


最後に意識の奥底で呟いた言葉が、彼の魂を引き裂いた。


「……生まれ変わったら……全員……金で見返してやる」


意識が、暗転した。


どこまでも白い空間だった。

地面も空も存在しない。前後も上下も不明。

ただ、そこに“誰か”がいた。


「転生対象:宮崎嵩之さん。男性、38歳。過労死、確認済み。魂搬送処理、開始します」


冷たい声が響く。

スーツ姿の女だった。


銀色の髪を一つに結び、無機質なグレーのスーツに身を包み、無表情で立っていた。

その手に持つのは、タブレットのような光の端末。

まるで役所の窓口担当。


「……あんたが、女神……?」


「違います。私は“魂管理局・再配属課”の転送担当です。アイン=ナンバー8。あなたの処理担当者です」


「ずいぶん事務的な……いや、むしろ助かるけど」


「時間が限られておりますので、進行します。

 異世界転送先、魔導文明型中世経済圏“リヴァルグ地方”に確定。スキル適性、診断開始──……はい、完了」


彼女は端末の画面を見ながら、機械的に読み上げた。


「スキル:【利息計算(Interest Master)】

 職業:金貸し(ローンマスター)

 付随スキル:複利の悪魔/債務の呪い

 戦闘能力:非武装、非魔導、非回復。生存指数:Eランク。生産指数:Dランク」


「……は? 利息計算? 最弱ってことか?」


「はい。戦闘能力においては、異世界転生者中、下位2%に該当します」


「なんだよ……なんでこんなスキルになったんだよ……」


「適性値により自動判定されます。あなたの魂は“金銭的概念”への強い執着を示しました。

 生前、最も多く費やした時間は“利息計算、回収業務、リスク管理”であり、そこに最大適性が確認されました」


「……でもよ、金貸しなんて、現実でもバカにされてたんだぜ……? “地味で夢がない”とか、“つまらない男”とか……」


「社会的評価と実質的影響力は一致しません。

 異世界は現代ほど制度が整っておらず、信用経済は未発達です。

 あなたの知識は、相対的に希少価値が高いと判断されます」


「つまり……金貸しの力で、逆転できるってことか?」


「“できる可能性はあります”が、約束はできません。

 この局では成功率を保証しませんので、自己責任での生存・拡張をお願いいたします」


「信用を積み上げて、債務者を増やしていけってことだな……」


「その理解で問題ありません。

 異世界の住民は“契約”の概念が曖昧ですので、文字による拘束力を持たせる必要があります。書式は手書きになります」


「……あのさ、あんた、この仕事、楽しいのか?」


「楽しい・つまらないは、評価対象に含まれていません」


「そりゃそうか……ああ、もういいや。準備できてる。行かせてくれ」


「では、転送処理を開始します」


彼女は指を鳴らした。

その瞬間、白い世界が強烈な光に包まれ、重力を思い出したように体が落ちていく。


「──なお、クレームは受け付けておりませんのでご了承ください」


光の向こうで、彼女が最後にそう言った。


世界が、開いた。


そして、宮崎嵩之は──異世界へと、落ちていった。



着地から一日が経った。

まだこの世界に“冒険”らしきものはなかった。

あるのは空腹と土と、混沌。


宿すらないまま街を歩き回っていた嵩之は、とうとう一人の少年を見つけた。

路地裏、ゴミのように蹲っていた少年。顔に泥、服はボロ切れ。


「……ああ? なんだよ」


「食ってるか?」


「見りゃ分かんだろ。食ってねぇよ。

 つか……なに? あんた、俺を“かわいそうな子”認定して施しでもしにきた?」


「違う。投資だ」


「……はぁ?」


嵩之は腰から金貨を1枚取り出して見せた。

淡い金色が、曇天の光を反射してチラリと光る。


「これを貸す。利息込みで返せ。返済できなければ──報酬の三割を今後五年間、譲渡契約」


「お、おいおい……はは、なんだそりゃ。いや、え? 冗談……だよな?」


「本気だ」


少年が、吹き出した。


「うっわ! なんだこいつ! マジの金貸し!? バッカじゃねぇの!? こんなとこで!? 俺相手に!?」


「……名前は?」


「リュー。で? あんたの名前は、“バカな金貸し”って感じか?」


「宮崎。金貸しだ」


「本当にバカだな……! 何? 俺みたいなゴミに“貸してやった”とか言って、恩着せがましく生きる気?」


「君に貸す金は、君の将来にとって必要な“燃料”だ。火を起こせるかは、君次第」


「かっけぇこと言ってるけどさ。

 あんたみたいなの、一番嫌いなんだよね。

 金で何でも解決できると思ってる奴。

 人の感情とか、努力とか、誇りとか、そういうもんを踏みにじって、金で動かそうとする奴」


リューは立ち上がり、顔を近づけてきた。

瞳の奥には、強い反発と拒絶。

まるで、かつての自分を見ているようだった。


「この街じゃ、“金”は卑しいって言われてんだ。

 力で守ったもんが正義。剣があれば飯が食える。

 でも金? 誰かからむしり取って、帳簿に数字書いて、あとは利息とか? バカバカしい」


「剣で得たものは、剣で失われる。金で得たものは、契約が守る」


「クソ喰らえだよ。

 俺はな、金で親父に捨てられた。

 母ちゃんの薬代が払えなくて、兄貴は盗みに走って吊られた。

 金が正義だって? ふざけんなよ……! 金が、俺から何を守ってくれた!」


リューの拳が震えていた。

顔は怒りに赤く染まり、目には涙すら滲んでいた。


嵩之は、静かに契約書を差し出した。


「だからこそ、俺は“貸す”。

 この世界に、金で救われる人生があることを、証明したい」


「……お前、変人かよ……本物の変人だ……。

 いや、ただの“金に取り憑かれたやべー奴”か……!」


「そう思うなら、この契約は破ってくれていい。

 だが、契約を守れば──君は何かを変えられる」


リューはしばらく黙り込んだあと、地面を睨みつけたまま言った。


「……チクショウ。こんなのにすがる俺も、相当だよな……」


そして、噛んだ親指の血を、紙に押しつけた。


「三日後。俺の稼ぎで、全部返す。

 あんたみたいな奴に、“金がすべてじゃねぇ”ってことを見せてやるよ」


「期待している」


その様子を、数人の通行人が見ていた。


「なんだ? また“契約詐欺師”か?」


「うわ、金貸しだよ金貸し。あれ、最弱スキルじゃん。マジでやってるの?」


「ガキに金貸すとか、マジで最低だな……。金は卑しい。

 もっとこう、“清く正しく剣で勝てよ”ってのがこの国の流儀だろ」


「下種な商売だよな。ああいうのが後で泣くんだって……あのガキが」


──でも、泣くのは誰だろうな。

嵩之は、静かに契約書を巻いて袋にしまった。


金は卑しい──そう思っていた。

だが、それでも現実は、金がない者から先に潰れていく。

金の価値を否定する者の手元から、命は離れていく。


それを、何度も見てきた。


「ならば俺は──卑しさの象徴になろう。

 全ての“正しさ”を、金で買い叩く存在になってやる」


--------------------------------------------



街の朝は、喧騒と共に始まる。

だが今日は、どこか様子が違っていた。


「なあ、あのガキ……戻ってくると思うか?」


「いや、逃げたに決まってんだろ。

 そもそも“金貸し”なんて、信じる方がバカだ。

 昨日だって俺の知り合いが言ってた。“金は卑しい者が使う呪い”だってよ」


人々は口々に言う。

そしてその中心に、例の“黒服の変人”──宮崎嵩之が立っていた。


何も語らず、ただ一人、契約書と懐の小袋を整えて。


「もう三日だぞ。戻ってくるわけ──」


その瞬間、駆け足の音が響いた。


「ぜぇっ……はぁっ……お、おい……!」


ボロボロの服。肩で息をしながら、少年が現れた。


「リュー……」


誰かがつぶやいた。


「はぁっ……金貨……1枚……それと銅貨3枚。

 ギルドの配送任務で稼いだ。

 3日で“返す”って言ったろ……!」


リューは泥と汗にまみれた手で、小さな布袋を差し出した。

嵩之は静かに受け取る。


「約束は果たされた。利息分も正確だ。契約、完了」


「──っは……よかった……」


その場にいた者たちが、言葉を失った。


「まさか……本当に……返した……?」


「ガキが、金を……?」


「いや、待て。三日で? あんな貧相な身体で? 嘘だろ……?」


空気が変わった。

かつての嘲笑は、沈黙へと変わり──やがてざわめきへ。


「すげえな……あいつ……“金で何かを得た”ぞ……」


「契約って……成立するのか? こんな街で?」


リューは息を整えながら、立ち上がった。


「俺は、金で“仕事”を買ったんだ。

 剣もねえ、力もねえ、仲間もいねぇ俺が──

 “信用”だけで仕事にありついた。

 ……だから……俺はあんたに……ちょっとだけ感謝してる」


「“ちょっとだけ”か」


「調子に乗るなよ。金貸しってのはやっぱり、ちょっと胡散臭ぇ。

 でも──俺は今、生きてる。

 それが全部、自分の足で稼いだ“返済金”のおかげってんなら……まあ、ちょっとは認めてやる」


そのとき。

人ごみの後ろから、昨日笑っていた男が近づいてきた。


「あの……俺も……少し話が……。その、うちの店が今月の仕入れに困ってて……」


「内容は?」


「え、えっと……薬草の卸が遅れてて、でも別ルートだと単価が高くて……その、金貨で前払いできれば……」


「利率7%、期限30日。遅延時は12%。担保は店の什器一式。

 リスク次第で日割り再計算も可能。……契約するか?」


「はいっ!」


跪くようにして男が契約書にサインを入れる。


「──嘘だろ……あの商人、あんな腰低く……」


「“金貸し”に……頭を下げてる……?」


「つい昨日まで、あんな奴、最弱スキルだって馬鹿にしてたくせに……!」


人々は確かに見ていた。

“剣”でも“魔法”でもない力。

目に見えない信用が、現実を変えた瞬間を。


嵩之は、静かに立ち去る。


「契約とは、“言葉を紙に変え、責任を力に変える魔法”だ。

 そしてその魔法を動かす燃料が──金だ」


後ろでリューがつぶやいた。


「──やっぱあんた……やべぇ奴だよ……。でも……」


彼の声が遠ざかる中、嵩之の耳にははっきりと届いていた。


「ちょっとだけ──かっけぇよ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ