第二話 ファンタジー
長く続いた森が開け、ようやく街のようなものが見えてきた。空はすっかり赤く染まっている。
「あそこが俺たちの住んでいるコンペイの町だ。」
モデスは自慢げに言った。
コンペイはいくつかの家が集まって出来た、城などもない小さな集落のようだ。
町に入ると、そこそこの賑わいがある小さな市場が目に入る。活気はあるが、若者は少なく、多くの人が高齢のようだ。そう眺めていると、素朴な一軒家にたどり着いた。
「ここが私の家だ。今晩は泊まっていきなさい。」
モデスはそう言い、軋む木製のドアを押し開き、ジェフトを招きいれた。
「そろそろ夕食の準備をする時間だ。悪いが近くの井戸で水を汲んできてくれ。玄関を出て右に進めば見つかるはずだ。」
ジェフトはバケツを持って家を出た。
(明日からはどうしようかな。ずっとモデスさんに世話になる訳にはいかないし……)
そう考えていると突如悲鳴が響き渡った。それは市場の方からだった。何故自分でもそうしたのかわからないが正義感からだろうか、ジェフトは走った。その先で見たものは……。
そこにいたのは、自らの身長を優に超える大きさの禍々しい見た目の狼だった。体毛は光を吸い込むような黒さで、そのせいかその狼は世界から切り取られたかのようにそこに在った。その目は黒ずんだオレンジが爛々と輝いており溶けたような瞳孔も相まって狂気を感じ、ぐしゃぐしゃと肉を咀嚼するその口は鮮血に紅く染まりその残虐性を思わせた。
その体に染みついている腐臭や死臭を振りまき、狼は我が物顔で通りを闊歩する。
(これが狼……?そんな馬鹿な……、もっと恐ろしい、こんなものが生物であっていいはずがない)
それを狼と認識できたのは、ジェフトにとって幸運だった。自らが知る生物の枠組みにそれを押し込めることができたのだから。
元気よく駆けつけたはいいものの見た事の無い化け物を前に、ジェフトはただ呆然とするしか無かった。
強烈な死の気配が体に纏わりつく。反射的に悲鳴を上げそうになるが、その喉から出る声は、嗚咽とも何かが裂けるような悲鳴とも取れない声にならない叫びだけだった。理性はその悲鳴にもならない何かを押しとどめようと努力するが、その意識に反して叫びは出続ける。何か声を上げ続けなければ意識を保っていられなかったのだ。恐怖が全身に浸透し、しかし目の前の異形から目がそらせず、脳がぐちゃぐちゃな感情を処理できない。一瞬が永遠のように感じた。
気づくと、周りから人は消えており、そこには自分一人と狼だけとなっていた。そしてその牙が自分に向くのに時間は必要なかった。
(あぁ、やってしまった。俺は、また死ぬのか……)
短い人生を回想する暇もなく、襲いかかってきた。
ボン!
聞こえたのは自分の体がかみ砕かれ、ぐちゃぐちゃにされる音ではなく、目の前の狼が炎に包まれる音であった。
(今何が起こった!?)
彼の前に立っているのは、自分より少し年上にみえる若い男だった。彼の指は煙を立てている。
「危なかったな、こういう時は逃げるもんだぜ」
毛皮がバチバチと音を立てて燻っている狼は、しかしそれを気にも留めず目の前の獲物を喰らおうと機会をうかがっている。男と狼、双方の間に緊張が走る。先に動いたのは狼だった。影が通りをジグザグと跳ね、瞬く間に男の眼前まで迫る。男は冷静に指先を飛び込んでくる狼の胴体へと向け、指先から赤い光を迸らした。その光は狼の体表を貫徹し、炸裂した。バン、という音を立て狼の前脚より後ろが消し飛び、血肉や骨が辺りに飛び散る。
「おっと!」
大抵の生物は胴体の大半を消失した場合絶命する。だがこの狼は違った。勢いのまま目の前の首筋へと牙を滑らしたのだ。
男は体を逸らして避けたが、髪の毛が数本空に舞ったのが見えた。
地に落ちた狼はなおも残った前脚をばたつかせ顎を打ち鳴らしていたが、少しすると絶命したようだった。
通りに充満する狼の血や肉の焼け焦げた臭いにむせ返りそうになりながら、頭の中を支配する質問を目の前の男に投げかけた。
「あなたは一体…」
「俺?俺はアンドレってんだ。いつもは魔法学校に居るんだが、たまたま立ち寄ったとこだ。ラッキーだったな!」
彼は気さくに話したが、分からないことが多すぎた。
「あの、魔法学校とは……?」
「え、知らないのか!?変わった奴だな。結構田舎の育ちなのか?…まあ今日は遅いし、また明日ゆっくり話そうぜ。俺はこれからこれの後始末をしなくちゃならないしな。そこの広場に集合な。」
そう言い近くの人達に声をかけ、片付けを始めた
(俺もそろそろ帰らなきゃ。……何か忘れているような)
呆然と家に帰ると食事が既に出来上がっていた。
「遅かったじゃないか。……あれ、水は?」
バケツは井戸に取り残されていた。
朝になると、待っていたと言わんばかりにジェフトは家を飛び出した。
既に広場にはアンドレがおり、昨日の話の続きをし始めた。話題は今ジェフトに起こっていることや、魔法についてだ。
「つまり、その『魔法』を使って昨日のような魔物と常に戦っているんですか……」
「まあ、そんな所だな。そういや、ジェフトはこれからの予定とかはあるのか?」
「いや、それが特になくてどうしようかと……」
「なら、俺たちの魔法学校に来てみたらどうだ!きっと良い経験になるし、そこでやりたいことを探すといい!」
(俺も魔法が使えれば誰かを救うことができるのかな……)
聞くと、今ちょうど新入生を募集しているそうだ。これは良い機会だ。承諾し、一緒について行くことにした。
「今準備してきます!」
そう言い家に戻ると、モデスは狩りの準備をしていた。
「モデスさん、俺、そろそろ次の場所に行きます。」
「そうか…そんな気はしていた。結局私は大したことはしてやれなかったな。君のこれからの人生に祝福があらんことを。幸運を祈っているよ。」
「そんなことありません!ご飯を頂き家にまで止まらせてもらったんです。短い間でしたがありがとうございました!」
そう言い、ジェフトはアンドレと共に町を後にした。