鈴の音
「坊や、今日は何を謝りに来たんだい?」
━━━山奥の社。神主はもう居ない。
そんな辺鄙な神様にほぼ毎日なにかを謝りに来る母子。母はいつもなにか大声で喚き散らしながら嫌がる小さな子供を時には引きずりながら謝りに来ていた。
もう何年も回収されていない賽銭箱に5円を投げ込み乱暴に鈴を鳴らす。短くニ礼ニ拍手一礼。そして母が高くひっくり返った声で喋り始める。
「私の息子は行儀悪くも食事中に席を立ち、用をたしました。自分の身体なのに管理もできず、食事中だけの我慢もせず、挙句制止する親に対して漏らしてもいいのかと反抗したのです。」
興奮している母が息子の罪状を述べたてる横で力無く頭を下げながら、また時には泣きじゃくり、両の手を地べたに押し付けながら何度も言葉を繰り返す。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい......」
罪状の宣言が終わると母親からの説教が始まる。
「どうしていけないことをしたの?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「じゃあどうしてこんなことしたらいけないんだと思う?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「どうしてって聞いてるの!誤魔化さないで!ふざけてるの?」
母親が金切り声をあげると息子は消え入りそうな声で返答する。
「……失礼だからです。」
「聞こえない。」
「作ってくれた人に失礼だからです。」
「わかる?行儀の悪いことをするっていうのはね、礼から外れたことをするってことなのよ。あなたは子供だからまだ何も知らないでしょ。知らないから悪いと分からずやってしまったの。でも私が止めたのに無理に行ったでしょ!内面が表れるのが礼なの。あなたが失礼だったのは私の作ったご飯に対してだけじゃないわ。子供としての礼を怠った。失礼だって言ったのはそうことなのよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
母親がある程度落ち着くとまた深く礼をして帰っていく。こんなことがほぼ毎日続いた。内容はほとんどなんでもいいようだった。夕食までに宿題が終わらなかったとか、皿を落としてしまったとか、感想文で賞を取れなかったとか、制服を汚してしまったとかほとんど些細なことばかりだった。社は三つ月に一度よその神主がお祈りに来てくてあとは近くの自治体、とりわけこの母親がきれいにしてくれていた。ただそれ以外には誰も管理してくれなかったのである嵐の日に本坪鈴が落ちてしまったあとはあの母親は手持ちの三番叟鈴を持ち込んで打ち鳴らしていた。
しかし、ついに社がもたずに街の神社に移してもらったあとはその母子は顔を見せなくなった。初めの方は時々来ていたが他の人間の視線があったりしてなんとなく居心地が悪そうだった。
そんなこんなで月日が経ち、街の人間からの祈りを聞いてるうちに私は少しずつ調子を取り戻していった。それまでお祈りから三ヶ月、おわりのひと月はほとんど動けず寝てばかりでいたがこの頃は神社の敷地からでて 2、3日出かけることだってできた。私はふとあの母子のことが気になってもともと社があった方まで戻ってみることにした。子供のほうは昔通りで気の弱そうなまま大人になっていていた。どうやら母親は死んでいるらしく、毎日息子が墓参りをしていた。あの手の女親は仏を振り切ってこっちの新入りになったり化けて出たりすることがあるのだが信心の割に神通力は持たなかったようだった。
二、三度その息子の様子を見に行って気づいたことが 2つあった。一つは鈴の音のこと。普段鈴の音を聞くことはほとんどないのでいいのだろうが、小さな子供や猫がつけた鈴の音を聞くと立ち止まって動けなくなり、耳を抑えながらかつてのようにごめんなさい、ごめんなさいと言葉を繰り返していた。二つ目はこのとき神通力ををまとっていることだ。境内でニ礼ニ拍手一礼して祈った時と同じように神に届く言葉を発していた。そして同時にその力に蝕まれてもいた。境内のような聖域以外では神以外もたくさんいて神通力を持つ人間のような面白そうなものを見かければよっていく。そしてあの息子にはすでにそんな異形が群がっていた。
━━━「坊や、聞こえるかい?坊やはもう赦されなきゃならん。しばらくもとの社の境内にいるから一度会いに来なさい」
3日続けて夢の中で会いに行き、語りかけた。何よりもまずあの息子から異形を祓わなければならないが、今の私には夢に会いにいくだけでもなかなか苦労した。だから異形祓いは取り壊されたあとに残った聖域の力を借りることにした。
あまり日を跨がずにあの息子が境内に足を運んだ。さっさと異形を祓った後、残りの土地の力を使って精一杯存在感を高める。
「おい、私の声は届いてるか?」
息子はこちらに振り向いて目を丸くして尻餅をついた。どうやら姿まで見えているようだった。
「坊やの神通力は凄いな、本物だよ。異形が寄ってくるのも納得だな」
「異形?まさか、何かしてくださったんですか?お手を煩わせてしまって申し訳ありません。ごめんなさい、ごめんなさい……」
「折角祓ったばかりなんだからごめんはよしてくれよ。境内じゃなきゃまた異形に目をつけられるぞ。坊やの言葉には神通力が込められおる。謝る相手のいない言葉が行き先を探して私たちや異形に届いてしまう。そもそも無闇に謝るものではない。」
「はい……ご、っありがとうございます。僕にそんな力があるだなんて知りませんでした。どうにか使いこなせたり、うまく活かせたりする方法はないのでしょうか?」
「ないわけではないが、坊やの力は生まれつきでなく、おそらく積み重なった謂れからきている。陰の要素が大きければなおさら扱えるものではないだろう。」
「そうなんですね、わかりました。何より今日はありがとうございました……」
「神通力など無い方が幸せな人間がほとんどなのだから気を落とすことはない。まずは鈴の音を克服するくらいはして、そしたらまた私に会いに来なさい。街の神社で坊やを待っているよ。」
街の神社に帰ると思った以上に疲れていてそのまま眠りについた。それからどれだけ経っただろうか本坪鈴の音が聞こえる。少し時間を置いて柏手が二回、そして懐かしい声が聞こえる母親に似ずに落ち着いて優しい声だ。だが、今度はかつてのように弱々しくない陰陽合わせた力強い声だった。