この状況は想定外です②
両手で顔を覆い、私は一体どうすればいいのかと心の中でひたすら嘆く。
そんな私に対し、聖様は言った。
「本当にいいのか?俺がこのままここに残るとなれば、姫につらい思いをさせることになるが……」
「え?つらい思い、ですか?」
私は顔を上げ、聖様の方を見る。
「聖様が残ってくだされば、それは予定通り私と結婚するということですよね?」
「あぁ、そうなるな」
「何もつらくないです。むしろ嬉しいですけど?」
「は?」
「え?」
聖様が何を言っているのか理解できず、私は首を傾げる。向こうは向こうで、私の言葉が信じられないみたいだった。
これは何かおかしい。意思疎通ができていない気がする。
じっと見つめれば、聖様は首の後ろに手を当て、目を逸らして気まずそうに言った。
「姫には姫の事情があるのだろうが、好きな男がいながら俺と結婚しなければいけないとは……」
「え?」
誰のこと!?
目を丸くする私。
「……凱と想い合っているのでは?」
「えええ!?」
そんなことあるわけがない。あり得ない!
聖様はどうしてそんな勘違いを!?
上がった声はほぼ悲鳴で、聖様はそれに驚いて私を見た。
「あははははははははは!!」
凱の笑い声が響く。
さすがに我慢できなかったらしい。
「どうしてそんな勘違いを?」
一琳も目に涙を浮かべて、肩を震わせている。
花琳は、憐みの目で聖様を見ていた。
聖様も天陽もなぜ皆がこんな反応なのかまるでわからないといった様子だった。
凱はひとしきり笑った後、聖様に説明する。
「私は今年で百二十になりました。こんな年寄りと姫様がどうにかなるわけないでしょう?」
「ひゃくに……?」
「私にとって姫様は孫のような存在ですし、そこにいる花琳は正真正銘、私の孫です」
「孫!?」
ですからご心配なく、と笑う凱。
聖様は唖然としていて、言葉が出ないみたいだった。
「ごめんなさい、最初に説明しておけばよかったですね」
「いや、こちらが勝手に勘違いしたんだ。すまない」
俯く私たちを置いて、一琳と花琳は「そろそろ仕事に」と言って立ち上がる。
そうだった、まだ後始末が色々と残っているはず。
「俺も行く」
聖様は立ち上がり、二人に続いた。
一琳がこれから捕らえた兵たちの様子を見に行くというので、それならなおさら……と聖様は言った。
「聖様、あの……」
まだお話が終わっていない。
ちょっと話が逸れたけれど、一番大事なことをまだ伝えていないのだ。
私たち滅亡寸前なんです、ということを。
「姫様」
ところが、凱に止められた。
振り向くと、いつの間にかそばに来ていた凱に衣の袖を引かれている。
「姫様は、ここに残ってください」
「え?でも」
いいの?
今話しておかなきゃいけないと思うのに。
凱はくすりと笑い、今度は聖様に向かって言った。
「姫様と今後のことでお話がしたいのです。婿様が嫉妬なさらなければの話ですが」
「!?」
からかわれた聖様は、少し嫌そうな顔をした。
凱をじとりとした目で睨むと、「構わない」と言って部屋を出て行く。
花琳は茶器などを手にすると、静々と退出していった。
「さて、ここからが本題です」
「どういうこと?」
聖様がここに残るかどうかという話よりも、大事なことがあるの?
本題といった凱に、私は疑問が浮かぶ。
「姫様、これからやってくる原因不明の病について、私が最初に『呪いや祟りの可能性もある』と申し上げたことを覚えていらっしゃいますか?」
「ええ、もちろん覚えているわ」
水でもなければ食べ物でもない、人と人の接触でもない。感染経路がまるでわからない病に、精霊族はなすすべく二度も滅んだ。
凱は部屋の奥に歩いていくと、そこに置いてあった書物を手にする。
「精霊族はほとんど病になど罹らぬはずです。栄養失調でもない限り、病に罹っても症状は軽く、命を落とすようなことにはならない」
「そうね」
「私は、謎の病の正体は龍の祟りではないかと」
「龍の祟り……?それって」
聖様の持つ黒龍神の加護が真っ先に思い浮かぶ。
「加護とは、精霊に愛された者に与えられる力。姫様が精霊神様に愛されているのと同様に、聖様もまた黒龍神に愛されている」
私が死んだ後、精霊神様は時を戻して精霊族を助けるための機会をくれた。
ならば、聖様は?
聖様が処刑されたことで、黒龍神の怒りが人々に向かえばどうなるか?
身震いするほどぞっとし、私は自分で自分を抱き締めるようにして首を竦める。
「慈愛に満ちている精霊神様と、力を司る黒龍神とでは何もかもが異なります。聖様が非業の死を遂げれば、祟りを振りまくこともあり得ましょう」
過去二回のやり直し人生は、精霊族のことだけに目が向いていて、他国の国内情勢には構っている余裕がなかった。聖様は第一皇子に謀反の疑いをかけられ処刑され、それからしばらくして病が広がって泰仁は全滅した。
「つまり……」
聖様の死を、私たちは何としても阻止しなければならない。
お金目当ての政略結婚だったけれど、ここにきてそれは予想外に功を奏したのだと理解した。
「姫様」
「は、はい」
「聖様を絶対にここで囲いましょう」
「言い方!」
囲うだなんて、まるで閉じ込めるみたいな言い方だからやめてほしい。
あぁ、でも凱はきっと「聖様を目の届くところに」という意味で言っているのだ。
「聖様が復讐を望んでいないとしても、彼が殺されれば黒龍神の祟りが始まります。聖様が幸せになってくださらないと、世界が滅びます」
「それって責任が大きすぎない!?」
「はい。ですから、聖様に直接お伝えするのが憚られたのです」
凱が気を遣うとは、よほどのことだ。
私はしばらく言葉が出なかった。
「………………」
ここからどうすれば!?
私は、聖様にすべて話すつもりだった。
これから謎の病が広まって、たくさんの人が死ぬのだと。それを回避したくてお金が必要だった、だから泰仁からの申し出を持参金目当てで受けたのだと話すつもりだった。
「言えない……!」
黒龍神の加護があるのは、生まれつきだから聖様のせいじゃない。
でも、自分次第で世界に災いが降りかかるのだとしたら、それを聞かされていい気分にはならないだろう。
お金のために、っていうのはもう一度伝えてしまっているので今さら誤魔化さないとして、ではなぜお金が必要だったのか……というのはどんな風に説明すればいいの?
深刻な表情で悩む私を見て、凱がため息交じりで言った。
「どんなに遠回しに伝えても、おまえのせいで世界が滅ぶからなと言われるのは嫌ですよね」
「お願いだから、もっと言葉を選んで」
絶対に聖様には気づかれたくない。
知られて、傷つけたくない!
どうしたらいいかわからず、よろめきながら椅子に座る。
「姫様。がんばってくださいね」
「……何を?」
「聖様のお心を掴むのです。聖様が姫様を愛し、『絶対に離れたくない!』と思うようになれば世界は安泰です」
そんな無茶な。
「聖様が傷つくか死ぬかすれば、うちが祟りの発生源になります」
「うちが発生源」
とんでもないことを言われた気がする。
でも、凱の予測はほとんど当たっているのだろう。そうとしか考えられなかった。
「謎の病に立ち向かうよりは、夫婦になる者同士が想い合う方が幾分か気が楽だと思うんですが?」
「いっきに他人事になったわね!?」
私が聖様に愛される?
やっと信頼してもらえて(それもなし崩しだった気がするけれど)、ようやく出発地点に立てたみたいな感じなんですけれど!?
目標が、「病の原因解明」から「婿様に愛されること」っていきなり変わりすぎで、頭も心もついていかない。
「聖様が生きている限り、時間はたくさんあります」
時間でどうにかなるものなんだろうか?
凱の励ましに、素直に頷けない。
「愛されるってどうすればいいの……!?」
そんなの知らない。今まで考えたこともなかった。
予想外の方向転換に、私は頭を抱えるのだった。




