この状況は想定外です①
曇り空の隙間から明るい光が差し込み始め、精霊たちが舞うように踊っているのが窓から見える。すっかりいつも通りの光景で、今夜は美しい星空が眺められそう。
草原側の兵たちは聖様の加護でいなくなり、崖側に来ていた兵たちは土の加護を持つ者たちがその足元を固めて身動きが取れないようにして捕縛している。今、武官らはほかに残党がいないか確認に出かけている。
私たちが戻ってくると、花琳は心から安堵した様子で笑顔を見せた。その笑顔を見ると、私もホッとした。
傍らには一琳もいて、「あらお早いお帰りで」と少し驚いていた。私たちは皆で宮廷の一室に入り、今は全員でテーブルを囲んでいる。
聖様と天陽は変わらず緊張気味だった。
花琳が淹れたお茶を飲むこともない。
私が聖様のことを一琳と花琳にも話していいかと尋ねれば、彼は「構わない」と承諾してくれた。
「聖様には……、黒龍神の加護があるの」
そう告げると、事情を知らない二人は揃って息を呑む。
凱は、いつものように飄々とした様子で茶を口にしていた。
「龍の加護は、泰仁の第一皇子が持っているって噂では?」
一琳が難しい顔でそう言った。
花琳も彼女を見て頷く。
「あれは偽りでしょう」
凱がそう言うと、聖様は静かに話し始めた。
「黒龍神の加護は、二人同時には与えられない。兄は自らの立太子を確実なものとするために、加護を偽ったんだと思う」
国を支配するために、強い加護があるように見せかけている。
私が疑問だった、二度の過去で「なぜ第一皇子が疑心暗鬼になって弟たちを処刑していったのか」はそこに理由があったのだ。
全員を処刑すれば、自分が加護を受けられると思った……?
途中で加護に目覚めるなんてことはないけれど、彼はその可能性に縋りたいくらい加護が欲しかったの?
「黒龍神の加護は、精霊神のそれとは本質が違う。圧倒的な力で相手を押さえつけ、支配し、己が国を創り上げることができる。何も生まない。何も与えない。ただ奪うだけの恐ろしい力だ」
聖様は自分自身の手を見つめながらそう言った。
私は敵が黒炎に包まれる様を思い出す。ただ奪うだけの恐ろしい力、と聖様が表現したのも理解できた。
それから聖様は、私に話してくれたように母君のことを皆に説明してくれた。加護なし皇子と蔑まれても、殺されないためにそうやって生きるしかなかったことを。
そして、私と本当に結婚するつもりはなく、時が来ればここからいなくなるつもりだったことも──。
凱は、黙って聖様の話を聞いていた。
その顔は何か思案しているようだったけれど、私には凱が考えていることがわからなかった。
「騙すようなことをして申し訳なかった。それに、永のことも」
「聖様……」
もう何も隠し事がなくなったからか、聖様の表情は少しすっきりした様子だった。
でも、私の心はずきりと痛む。
騙すようなことをして申し訳なかった、というのならこちらもまだ言っていないことがある。
ええ、ものすごく重要なことを私は聖様に黙っている。
『このままだと精霊族は、世界の人々は滅びます』ということを。
今すぐに話す?私はとても迷っていた。
しかしここで、凱が口を開く。
「事情はわかりました。なれど、聖様を王配にと望んだのは私の提案であり、姫様のご意志。兵の侵攻があったことも、あなたには責任などございません。何より、精霊族は誰かを恨んだり憎んだりするのは向いていないのですよ」
「……」
「私以外は」
「は?」
凱はにこりと笑顔になる。
なぜ今ここでそんなにも普通に笑えるのか……?
凱以外の五人は、一体何を言っているのだろうかと理解できないといった風に彼を見つめた。
「宰相としては、此度の一件を非常に重く受け止めています」
「……俺は無理にここに置いてくれとは言わない。精霊族が持参金目当てで俺を求めたのだとしたら、金だけ受け取り、縁談はなかったことにしてくれ。俺がいるとこの先も迷惑をかけるだろうし、おとなしく出ていく覚悟はできている」
「聖様!?」
ここで焦ったのは私だった。
聖様は何も悪いことはしていないのに、むしろ私たちを助けてくれたのにどうしてそんな追放されるような扱いを受けなければならないのか?
「そんなの嫌です……!聖様は、私の婿様です。私は聖様にずっといて欲しいです」
「しかし」
「皆だってそう言うと思います!聖様が心彩を守ろうとしてくれたように、私たちも聖様を守りたいから……!」
ここには誰も聖様を責める人はいないし、それどころかその生い立ちを知れば「大変な苦労をなさってきたんだな」と同情もするだろう。
出て行けなんて誰も言わない。
「俺は、精霊族にはなじめないと思う。見ただろう?黒龍神の力を……」
聖様は、自分の力が異質な物だと思っているようだった。
人々にとって脅威となる力を持っているから、のんびり暮らしている精霊族と自分は絶対的に異なると。
「それが何ですか?」
確かに、あれは恐ろしい力だ。
でも、それを言うなら私だって十分に異質な存在だ。
「黒龍神の力がどんなに恐ろしいものでも、聖様にそれがある限り何も恐れることなんてありません。あなたはとても優しい人だから……!もしもこの先、誰かに批難されても、私は聖様の味方です!」
想いが伝わるよう、必死で訴えかける。
一琳も花琳も、私の気持ちをわかってくれているようだった。
「姫がそんなことでどうするんだ?また騙されるぞ」
聖様は、呆れ交じりにそう言った。
でもその声は優しくて、私のことを案じて言っているのだと伝わってくる。
私は自然に笑顔になる。
「そうかもしれません。でも、騙されるなら聖様がいいです。だって、そのたびに申し訳なさそうな顔をしてくださるのでしょう?」
だから大丈夫です、と付け加える。
聖様は少し驚いた顔をして、でもすぐに困ったように笑った。
しばらくの沈黙の後、聖様は凱に向かって真剣な目で言った。
「どうかここでやり直させてほしい。ここで、新しく生き直したい」
天陽も、聖様の隣で頭を下げる。
彼もまた、心彩にいたいと思ってくれているのだと思ったら嬉しかった。
凱は聖様の言葉を受け、「わかりました」と返事をする。
ただし、条件は付けるようで……。
「宰相としてはそのお言葉をありがたく受け入れましょう。黒龍神の力は暴走さえしなければ便利ですし」
もっとほかに言い方があるでしょう!?
私たち女性陣は、凱に冷ややかな目線を送る。
「責があるというならば、あなたが姫様に向き合わなかったことです。我らの姫様は、聖様に幸せになってもらいたいと本気で思っていたのですから」
言葉にされると、恥ずかしくなってきた。
結婚する気もなかった人に、自分だけが必死でがんばっていたなんて……。
ちょっと失恋した気分だった。
私は目を伏せ、私の話はやめてくれと無言で伝える。
「これから己の生涯をかけて姫様を大切にしていただけますか?我ら一族が求めるのはこれだけです」
凱は過保護だった。
そして、一琳も花琳もまた深く頷いていて、私はますます居心地が悪くなる。
何だか、できない子を皆で守ってくれているみたいな……。
もうやめて。本当にそんなこといいから!口を挟もうとした瞬間、聖様は大まじめに返事をした。
「わかった。今後、姫とよき関係を築けるよう努めると誓う」
「なっ……、聖様!?」
凱は嬉しそうな顔で納得した様子だけれど、私にとっては気が遠くなりそうな宣言だった。
仲良くなることを強制してない……?
ここで一緒にがんばってくれるなら嬉しいけれど、これはこれで何か違う気がする。




