招かれざる客
それは突然の報告だった。
「海福の街に泰仁兵らしき者たちが留まっています」
「泰仁の?」
再び泰仁の偵察に出ていた強が、明け方に戻ってくるなり緊迫した表情で言った。
報告を聞いた凱と私は、机の上に地図を広げて話し合う。
「海福からどこへ行くつもり?まさか心彩へ……?」
これまで、こんなことは一度もなかった。泰仁どころか、どこかの軍勢が心彩を目指してきたことは一度もない。
怪しげな精霊族に手を出そうなんて国はなかったし、近隣国で戦はあっても秘境とされる心彩は蚊帳の外だった。
「目立った武装はありません。兵の数も二百ほどで、それに旗に国章がありませんでしたから泰仁宮廷が絡んでいるわけではないのかも……」
「皇帝陛下……、聖様の兄君の指示ではないかもしれないということね?」
装束や顔立ち、言葉遣いから、強は「彼らが泰仁から来たことは間違いない」そうだ。ただし、戦を仕掛けるつもりなら兵の数が少なすぎる。
泰仁から来てはいるが、どこかの私兵である可能性が高いらしい。
凱は、すぐに検問を設けるよう指示をする。
「聖様の婿入りを控えた今の時期からして、彼らがここへ向かっている可能性は高いでしょう。はたして何をしに来たのやら?」
普段と変わらない風に見えるが、凱が「知らせもなく無礼だ」と怒っているのは伝わってくる。
心彩に来るなら来るで、もう少し手前の街から伝令を出すのが当然だろう。
「あなたがやりとりしていた永家の人たちからは何も聞いていないの?」
永家は聖様の母君の生家で、今回の縁談の発起人でもある。諸外国との取引のある大商会だから、私兵を持っていても不思議ではない。
「いえ、聖様の到着を報告して以来、あちらから連絡はありません。取引の話は当然続いていますが、あちらから心彩に知らせを寄こすにはかなりの時間を要します。こちらと違い、加護のある者が伝令を務めることはありませんから」
「もしも兵を出したのが聖様のご親族なら、対応を考えなければいけないわね」
う~ん、と頭を悩ませる私に、凱はさらりと言う。
「無礼には無礼で返すのがよろしいかと。なし崩しに心彩への入国を認めれば、武力に屈したようにも見えかねませんので。そうなれば、近隣国が同じように兵を寄こしてくる可能性もあります」
「それは……!」
この国が、他国の人間に踏み荒らされるのは絶対にダメだ。
精霊たちが悲しめば、土地も自然も枯れてしまう。
「……戦える者を集めてください。威嚇だけでも十分ではあるけれど、子どもたちは一時的に森の奥の洞窟に避難を」
「かしこまりました」
強は武官らに指示を伝え、すぐにまた偵察へと戻っていった。
まったく、病の原因究明やお金儲け、薬づくりに力を入れなきゃいけないときに、こんな面倒なことが起こるなんて……!
「まぁ、これが他国とかかわるということですよ。国を開けば、必ず面倒事は増えます」
凱は落ち着いた声音でそう言った。
もしかすると、ある程度は予想していたのかもしれない。
「彼らが来たとして、姫様が顔を見せてやる必要はございませぬ。こういうことは臣下の務めですから」
「でも」
私は次期女王なのだ。
何もかも凱に任せ、のんびりと静観しているわけにはいかないと思う。
「いざとなれば聖様に出てもらいますので」
「え?」
私じゃなくて、聖様に?
凱は笑みを浮かべると、私の肩にそっと手を置いて安心させるように言った。
「私にとっては、姫様の御身よりも大事なものはございません。どうかお聞き届けください」
「凱……」
私は自分の力不足を感じながらも、仕方なく頷いた。
精霊姫の役目は、祈りの力で心彩の国を守ること。それが疎かになってはいけないとわかりつつも、こんなとき役に立たない自分が悲しい。
私の気持ちを察した凱は、困ったような顔で笑う。
まるで、わがままを言う子どもを宥める親である。
そのとき、廊下の方からガシャッと大きな音がした。
振り向くと、そこには聖様と天陽がいる。
「…………すまない、見るつもりはなかったのだが」
「え?」
気まずそうな聖様に、茶器を乗せた盆を慌てて抱え直す天陽。どうやらさきほどの音は、天陽が持っていた茶器が傾いて鳴った音らしい。
「いえ、見られてはいけない物はありませんので構いませんよ?」
「…………」
何だろう、この空気。
私はじっと聖様を見つめる。
けれど返事はなく、目を合わせてくれることもなかった。
凱を見上げると、私と同じように不思議そうな顔をしていた。
しばしの沈黙の後、口を開いたのは天陽だった。
「子どもらと乾燥させた茶葉ができましたので、姫様と聖様でお茶でも……と思ってこうして持ってきたのですが、それどころではないみたいですね」
その言葉に、私ははっと我に返る。
「そうです、近くの街に兵が来ていると報告が……」
目的はわかりませんが、とも付け加える。
すると聖様は、今度は私の顔を見て言った。
「すまない。俺のせいだろう」
「どういうことですか?」
その表情は申し訳ないと謝る言葉通りでもあり、怒りも感じられた。
「俺の祖父の永烈は、強欲な商人だ。兵を差し向け、自分たちに有利なように取引を行うつもりなのだろう。相手の不意を打ち、武力をちらつかせるのは常套手段だ」
「でも、仮にも孫を婿に出したところへそのようなことを……?」
信じられない。
思わず顔を顰める私に、聖様は顔色一つ変えずに言った。
「あいつは俺を孫だなんて思っていない。出来損ないの売り物だと思っている」
「売り物!?」
実の孫にここまで言わせるなんて、今までどれほどの行いをしてきたのか?
天陽も否定することはなく、悲しげな目はしていたがどうやら本当のことらしい。
「俺の存在が人質にならず申し訳ないが、その分……戦うなら俺も加えてほしい」
「聖様!?」
私は驚いて息を呑む。
「む、無理です……」
「なぜ?」
「だって、聖様には加護が……」
精霊族とは、体の丈夫さが違う。
怪我を負ったらなかなか治らないだろうし、何があるかわからない。
「相手の兵も普通の人間だ。加護持ちがいるとは思えない」
だとしても、「お願いします」とは言えなかった。
聖様は私を説得するつもりはないらしく、凱にその目を向ける。
「俺がここに来なければ、このようなことにはならなかったのだろう?」
「そうですね」
「責任を取らせてくれ」
聖様のせいじゃない。私が、お金目当てに縁談を受け入れたからこうなったのだ。
これは聖様が近い将来に処刑されないためでもあったけれど、私が精霊族を助けたいと思った方が強い。
未来を変えたいと願った結果が、今なのだ。
だから、聖様のせいではない。
責任があるというのなら、それは私にある。
「……聖様」
何をどう伝えればいいのだろう?
言葉に詰まっているうちに、凱が聖様の方へ歩いていった。
そして、すれ違いざまに足を止めて静かに告げる。
「ここで生きていく覚悟のない者を、連れていけるわけないでしょう?」
「──っ!」
「婿入り前のあなたにできることはありません。あぁ、お逃げになっても構いませんので」
「なっ……!」
そう言うと、凱は部屋を出て行ってしまった。
一体どういうことなんだろう?
凱は私に「いざとなれば聖様に出てもらう」と言いながら、本人には逃げてもいいと言う。
残された聖様は、その場に立ったまま黙り込んでいた。
気遣うような目を向ける天陽も、私も、かける言葉は見つからなかった。




