先行きが不安すぎる ※聖視点
精霊樹の下に、姫はいた。
枝葉の間から差し込む光に照らされる姿がひと際美しい。
一族の若い男と何やら話をしていたので、今すぐ話しかけるのは躊躇った。
少し離れたところから、姫と青年の様子を眺める。
(どうして、姫は他国から婿を迎え入れなければならなかったのだろう?)
精霊族にも当然若い男はいる。
彼らは皆、加護を持ち、出自にも何の問題もなさそうだった。
今、姫と話している男もそうだ。体格もよく健康そうで、年も近いはず。
(なぜ彼らではなく俺が選ばれた?)
どうせここを去る身だが、理由は知りたかった。
ふと思い出したのは、心彩に来た翌日に聞いた言葉。
『持参金目当てなんです……。ごめんなさい』
『どうしてもお金が必要になって……。それで持参金目当てで縁談を受けました』
あのとき、聖はすぐに「嘘だ」と思った。
庶民にとっては大金でも、一国の姫が王配の座を渡してまで欲しがる額ではないと思ったからだ。
でも、実際にここで暮らしてみると確かにここには外貨がほとんどない。もちろん心彩独自の通貨は存在し、外貨がなくても民の暮らしが成り立っている。
(これから国を富ませたいということか?姫にも、あの宰相にもそんな思惑は感じられないが……?)
相変わらず、自分が求められた理由はわからずじまいで、かといって彼らの言葉を信じられない状況では何が真実かはわかり得ない。
味方は今も昔も天陽だけで、聖はこの状況をはがゆく感じた。
そのとき、姫と青年の様子に異変が起こる。
両手で籠を抱えていた姫に青年が必死の顔つきで詰め寄り、彼は姫の手ごと籠を抱えるようにして訴えかけた。
「凱様も無理強いはしないでしょう。なのになぜ、姫様は聖様との結婚を」
「あの、違うの。落ち着いて?仙氷」
二人の体格差は明らかで、姫が怪我をさせられるのではないかと思った。
聖は咄嗟に駆け寄り、二人の間に入る。
「何をしている!?」
「聖様!?」
急な出来事で、手加減を忘れていた。
聖は仙氷の手首を掴み、仙氷を姫から引きはがす。
周囲の空気が張り詰め、黄色い精霊樹の実がころころと地面に転がっていった。
手首を掴まれた仙氷は、突如現れた聖に驚き目を瞠る。
姫は聖の剣幕に慌てた様子で、何かされたわけではないと言う。
しかし、聖の目には到底そんな風には見えなかった。
「心彩でもこのような危険があるとは思わなかった」
そう言って睨む聖に対し、仙氷が反論することはなかった。
すぐに自分の失態に気づき、一歩下がって謝罪する。
「申し訳ございません……!つい……」
「大丈夫よ。あなたに悪気がなかったのはわかってる。それにほら、別に痛くもなければけがもしてない」
仙氷の青褪めた顔を見れば、悪気はなかったのだと伝わってくる。
この男は感情的になりやすいだけなのだ、と聖にもわかった。
(これ以上、俺は介入すべきではない。姫がいいと言っているのだから、王配になる気もない俺にできるのはここまでだ)
しかし、無性に腹立たしくて気が収まらない。
(俺にはこの男を叱責する権利はない)
なぜこれほど腹が立つのか?
明確な答えはないが、聖は仙氷に冷たい目を向けるのをやめられなかった。
姫に促され、やや強引に薬草園へと連れ出される。
しばらく歩いていると気分も落ち着いてきて、ようやく姫の持っている籠が重そうなことに気が付いた。
彼女は聖を気が利かない男だと責めることもなく、代わりに籠を持つだけでありがたがって礼を言った。
薬草園に着くと、真新しい柵や杭に目が留まる。
この入り口付近にあるのは、咳止めになる薬草だと姫は話した。
「心彩ではほとんど病気にかかる者はいないと聞いたが、なぜこれほどたくさん薬草が必要なのだ?」
「それは……、万一に備えてです」
不思議に思い尋ねると、歯切れの悪い返事だった。
何か話せないことでもあるのだろう、そんな気がする。
「何もなければ近隣の国で売ればよいのですから、無駄になることはありません」
「まぁ、そうだな」
ひっかかりを覚えたものの、「俺が追及してどうなる?」と思い、それ以上は聞かなかった。
歩きながら、さきほどの男の処遇を尋ねる。
「仙氷といったあの男はそのままでいいのか?」
姫は苦笑いを浮かべ、さきほどの一件については凱に任せると言う。「まっすぐすぎる」と仙氷の性格について説明し、それは昔からなのだとやや諦め交じりに言った。
「昔からそうなんです。小さい頃は私が飴を口にするだけで『喉に詰めるのでは』ってずっと離れなかったり、ちょっと崖から落ちたくらいで急いで凱を呼んできたり」
「飴と崖を同等に語るな」
姫は、過剰に心配されるのは心外だという雰囲気だった。でも、聖は彼らの気持ちも少しわかってしまった。どこか放っておけない、守ってやらねばいけないような雰囲気がこの姫にはある。
だが、姫は本当に大丈夫なのだと念を押す。
「あの、私は崖から落ちても大丈夫なのですよ?」
「そんな人間がいるか!!」
いくら精霊族でも、怪我もすれば死にもするだろう。
不老不死というわけではない。
(すぐにでも骨が折れそうな華奢な体で、崖から落ちても平気とは?冗談にしても無理がある)
姫は本気でそう言っているようで、聖は困惑した。
(何から何まで心配だ)
小屋の扉の前までやってきたとき、立ち止まった聖は改めて警告する。
「たとえ姫の言っていることがすべて本当だとしても、外の人間には話さない方がいい。どう利用されるかわからないからだ」
「利用?」
怪我をしない人間がいたら、それはどんな扱いをしても平気ということになる。過酷な労働をさせられる可能性だってある。
(人は、異質な者を恐れる。排除するか、飼い慣らそうとするか……、どちらにしろいい結果にはならない)
「いいな?絶対に外の人間は信用するな」
「は、はい」
真剣にそう忠告すると、姫は勢いに負けて頷いた。
(ここまで言えば、少しは警戒するだろう)
そう思ったが、姫はいいことを閃いたという風に明るい顔になる。
「聖様」
「なんだ?」
「私、気づきました。聖様がずっといてくだされば、私がおかしな人に騙されることはありません。これってものすごく頼もしいのでは?」
「は?」
呆気に取られる聖の前で、姫は声を弾ませる。
「ちょっと先行き不安だったんですが、安心できました!」
(まったく安心できない!)
姫の明るさとは対照的に、聖は苦い顔をする。
危険性を理解できているのか理解できていないのか、どうしてこうも前向きに考えられるのだと心の中で嘆いた。
ため息をつきながら、小屋の扉を開ける。
(俺は自分がどう生きていくかを考えなくてはいけないのに、この姫がどうなるか心配だ……!この先、いつか大変な目に遭う気がする……!)
「どうしました?」
きょとんとする姫を見て、聖は思ったままを答えた。
「自分にまだ良心が残っていたことに絶望してる」
(こんなはずじゃなかった。後宮で男を囲う姫に情など持たず、時期が来れば姿を消すつもりだった。それが、まだ知り合って間もない姫の純真さを心配するようになるなんて)
どうかしている。自分で自分に呆れた。
「良心?聖様は優しいですよ?」
まっすぐな目で、姫はそう言った。
聖はますます表情を曇らせる。
(俺は姫を騙しているのに)
いっそ気づいてくればいいのに。
目の前にいる男は薄汚れた人間なのだと気づいてくれ、とも思った。
「これでは置いていけない……」
すでに自分は絆されはじめているらしい。
知りたくなかった気持ちに気づき、聖は大きな息をついた。




