絆されたくない婿様 ※聖視点
泰仁から心彩へ。
長旅を終わりに出会ったのは、まるで神話から抜け出てきたかのような美しい姫だった。
「ようこそお越しくださいました。ここより先が、心彩国にございます」
旅の途中で見た夕焼け色の赤い髪に、慈悲にあふれた碧の瞳。愛らしい声は少し緊張気味で、こちらの反応を窺っている。
ここに来るまでに出来上がっていた「後宮に男を集める傲慢な女帝」というイメージには一つも当てはまらない人だった。
「ご無事の到着、喜ばしいことです。初めまして、わたくしが心彩の姫・心如でございます」
(信じられない。これが心彩の姫?)
その見た目もそうだが、なぜ姫が直接迎えに来ているのか。歩きにくい草原で、嬉しそうな笑みを浮かべる姫に呆気に取られる。
天陽が気を利かせて返事をしてくれて助かった。
(いや、まだわからない。世の中はそんなに都合よくできていない)
人は、騙すか騙されるか。利用するか利用されるか。
弱者は容赦なく踏みにじられ、油断すると足をすくわれる。
特に、相手は謎の多い精霊族だ。見た目や印象にまどわされてはいけないと聖は思った。
「出迎え、感謝する。泰仁第五皇子、聖だ。姫君の伴侶候補として参った」
「……候補?」
(後宮にはたくさんの男たちがいる。俺一人いなくてもいいはずだ。姫がどんな人物であれ、俺の気持ちは変わらない)
「加護なしの身では、一国の姫にふさわしくない。俺にかまわず、先に後宮入りしているほかの者を寵愛してくれればいい」
聖がそう伝えると、明らかに心如の表情が曇った。
こう言えば興味を失ってくれるのでは……と思っていたのに、その表情に少しだけ心がざわつく。
しばらくの沈黙の後、聖は思い違いを知らされることになった。
とにかく場所を変えようと提案する心如は必死で、その狼狽え方は一国の姫には見えない。聖が見る限り、宰相の凱の采配により何もかもが進んでいるようだった。
宮廷に移動し、ほかに伴侶候補はいないという説明を受けても不信感は変わらない。
「────俺を得て、何を望む?」
わざわざ他国から、加護なし皇子を婿に迎える意味はなんだろうか。ずっと考えていたが、明確な答えは出なかった。
心如も、宰相も納得のいく答えはくれない。
「好きなことをなさればよろしいかと。人生長いんですし」
「は?」
「慣れるまでは、心彩の国を見て回って、民と仲良くなってくださるとうれしいです。聖様が皆に早くなじめるよう、私も一緒に行きますから!」
「……」
聖にとって、理解しがたい言葉だった。
天陽もまた、困惑を露わにしている。
姫は本心からそう思っているようで、聖はますます混乱する。
(わからない……。こんな人間は今までいなかった)
加護なし皇子に寄ってくる者は、第五皇子という立場をどうにか利用できないかと思う者、聖の見た目が気に入って男女の関係になりたいと思っている宮女……、それぞれに何らかの思惑があった。
(何も求めないだと? 何も求めない理由はなんだ!? 精霊族だからか? わからない)
『種族の違い』で何もかも納得できるほど、素直には育っていない。心如に対し、このときは苦手意識のようなものすら感じていた。
(今だけだ。今しばらくここにいれば、逃げることもできる)
天陽の妹さえ嫁げば、泰仁に未練はない。生まれて初めて自由が手に入るのだ。
それまで我慢すればいいと思い、聖は様子を見ることにした。
心彩での暮らしは想像以上に快適で、秘境の小国なのに何もかもが泰仁より満たされていた。
子どもたちは、皇族という身分に臆することなく親し気に集まってきて、心如のことも「姫様」と呼び、気安く話しかけている。
「こんな国が世界にあるとは」
「とても平穏な国ですね」
信じられない、そう漏らす聖とそれに同調する天陽は、心彩の自然を眺めながら移動する。
今日は男衆と狩りを行っていて、彼らは陽気な者たちばかり。泰仁にいた頃は、こんなにも笑顔を浮かべる男たちを見たことがない。
(あぁ……、そうか。この者たちは信頼しきっているのだな)
相手に欺かれる心配もなく、誰かを蹴落とさなければ生きられない息苦しさもない。
手を取り合って暮らす、そんな者がいるとは想像すらしていなかった。
馬で隣を進んでいた天陽が苦笑いでいう。
「これは、近隣諸国との付き合いは難しいでしょうね。素晴らしい国でしょうが」
「そうだな……」
精霊族は、ここでしか生きられない。
近隣の小さな村々や町とは交流があるらしいが、聖から見れば精霊族は小動物くらいに弱弱しい存在に思えた。
(俺に心配されたくはないだろうが、危機意識が低い……)
よそ者である婿をこうも簡単に信用し、武器となる弓を持たせるとは。聖は手にしている弓を見て「気を許しすぎだろう」とため息をつく。
「思いがけず、いい縁談だったのではありませんか?」
「は?」
天陽にそう言われ、聖は眉根を寄せる。
「石壁に囲まれた泰仁より、ここは心が落ち着きます。姫様はかわいらしい方ですし、何より聖様を大切になさろうというお気持ちが伝わってきました」
「それは……」
聖は、宴の席で懸命に明るく振る舞う心如を思い出す。
純真で、悪いことの一つも思いつかない様子は心配になるほどだ。
何を企んでいるかわからない凱がいつもそばに控えているせいもあり、さらにその純真さが際立つような気がした。
──婿様となる方の反応を気にするのは、当たり前では?私は聖様が何を好んで何を嫌うのか、知りたいです。
「加護なし皇子と蔑まれないのも、俺の好みを知りたいと言われるのも初めてだ」
聖の言葉に、天陽は嬉しそうに目を細める。
最初に感じた苦手意識はすでにない。
それどころか、自分の言動に一喜一憂する様子や明るい笑顔を見ていると、自然と居心地がよく思えていることに驚いていた。
ただし、だからと言って心を明け渡せるかというと話は別である。
(人は裏切る。己の身を守るため、大切なものを守るためなら他人を犠牲にする)
聖の母親は、何を犠牲にしても息子を守ろうとした。そしてその結果、二十六歳という若さでこの世を去った。
信頼していた女官に毒を盛られ、母が倒れたときのことは一生忘れられないと聖は思う。
女官は、皇后に子どもを人質に取られ逆らえなかったのだと泣いて詫びた。そして、すぐに自ら命を絶った。彼女への憎しみと共に、言いようのない虚しさを感じた。
「あのように純真な姫には、俺のように荒んだ男は似合わないだろう。第一、同じ精霊族で、同じように長生きする男が婿になるのがいい」
馴れ合えば、別れがつらくなる。誰かに置いていかれるのも、置いていくのもごめんだと聖は思った。
精霊族の男たちを追いながら、軽快に馬を走らせる。
天陽は、残念そうな顔で聖を見ていた。
「私はお似合いだと思いますけれど……」
聖が振り向くことはなく、聞かなかったことにした。
「荒んでいる聖様と純真な姫様、二人合わせるとちょうどいいと思いませんか?」
「……」
「荒みきった心でもどうにかなると思うんです。精霊族は自然を愛する者たちみたいですが、自然ってけっこう汚いですし、きれいなものばかりよりは汚いものが混ざっている方が案外いいことも」
「おまえ、容赦なしか」
睨みながらそう言われ、天陽は「すみません」と笑顔で謝る。
遠慮のない物言いはいつものことで、聖は今さら傷つくこともないが、きっぱり「汚い」と言われるのも複雑な気分だった。
しかも、森から宮廷に戻ってきたとき、厩舎場で待ち構えていたのはにこにこ顔の凱だった。
わざわざここで待っているとは、と疑問を抱く聖。馬を下りた途端、「姫様と過ごす時間が少ないのではないですか?」と苦言を呈されれば、気まずいことこの上ない。
「姫様は、精霊樹の辺りにいらっしゃいます。すぐに向かってください」
「……わかった」
直接出て来られては、さすがに断ることはできなかった。
(何となく避けていたのを気づかれたのか?)
一緒にいればいるほど絆される気がして、あまり積極的にかかわろうとしてこなかったのがバレたらしい。
聖は着替えを済ませると、すぐに精霊樹の方へと向かった。