誤解
聖様がここに来て数日。
私は、朝の祈りが終わると彼と共に朝餉をいただき、その後は心彩の案内に励んでいた。
馬に乗り、私、聖様、天陽の三人で街や草原、霊山の近くにも行ってみた。
泰仁に比べると小さな国なので、二人はすぐに方角も道も覚えてしまい、私の出番があまりないくらい。
聖様は相変わらずで、笑顔らしい笑顔はない。
でも子どもたちには優しいし、男衆が狩りに誘うと断ることはなかった。天陽の方が社交的なので精霊族に早くもなじんでいる気がするが、聖様もみんなからの評判は悪くない。
「そのうち慣れるでしょう」
「加護がないと思えぬくらいに身のこなしも軽いし、よき御方を婿にもらいましたなぁ」
「口数は少ないですが、姫様にはあれくらい落ち着きのある方が似合うかと」
武官らはあははと笑いそう言った。
彼らはすでに聖様を受け入れていて、むしろ外から新しい人が入ってくるのを楽しんでいるような反応だった。
ただ一人、この結婚に難色を示している者もいるにはいるが……。
「聖様は、姫様の婿だという自覚はあるのですか?姫様に話しかけるそぶりも意志も感じられませんが」
「仙氷」
心彩宮廷の奥にある精霊樹の下で、黄色い実を収穫していた私の元へ仙氷は眉間に深いしわを寄せながらやってきた。
短く切りそろえた茶色の髪に、黒い装束を纏った仙氷は、服装から思うに「外」から戻ってきたばかりのようだ。
火の加護を持つ彼は、戦闘能力が高い。だから周辺国に単身で行くことができ、凱に命じられて物見や間諜として隣国に出張していたはずだった。
まじめな彼は、聖様がいまいち私と打ち解ける様子がないことに怒っているらしい。
二十二歳で年も私と近いし、兄のような気持ちでいてくれるのだろう。
こういう苦言も、私のことを思ってこそなんだとわかる。
「仕方ないわ。会っていきなり婿らしさを求めるのも……」
「婿ですよね?」
「まぁそうなんだけれど、今はみんなと仲良くなって心彩になじんでくれたらそれでいいじゃない?」
諦めに近い感情でそういうと、仙氷はさらに顔を顰めた。
「……それは」
彼の視線が私の手元に落ちる。
籠の中にある、檸檬に似た精霊樹の実はすでにいっぱいだった。
「それは姫様が召し上がる分ではありませんよね?」
「そうね」
「聖様のためですか?」
宴の夜、精霊樹の実からできるお酒を聖様はうまいと言った。
私は特別これが好きなわけじゃないけれど、聖様に少しでもこの国を気に入ってほしくて、酒や菓子を作ろうと思ったのだ。
皮は薬になるから、それもある。
その残りである実をどうするかは、いつもその日の気分で決めていた。
「聖様は、生まれ育った地を離れて来てくださったのよ。少しでも、心彩に来てよかったって思ってもらいたいじゃない?」
笑いながらそう告げるも、仙氷は笑ってくれない。
「平気そうに見えるけれど、淋しさや辛さはあると思う。私が彼を選んだんだから、大事にしてあげたい」
そう、まだ親しく会話できるような関係じゃないから、せめて大事にしたいという気持ちは届けたい。
気が合うかは別として、私にはその責任がある。
「あぁ、でも彼は一人じゃないものね。それはよかったわ」
聖様には、心から仕えてくれる天陽がいる。いつもそばで見守っているその目は、忠実な臣下で家族みたいな情があるのだと伝わってきた。
私は、二度も死を経験したことで孤独を知った。
次々に精霊族が死んでいって、最後には私だけになる。
生まれ育った国は様変わりして、精霊たちもいつしかここを離れて消えてしまった。
心が押しつぶされるような淋しさは、もう経験したくない。
誰にもあんな思いはさせたくない。
祖国を離れた聖様が、孤独を感じていないのは心の底からほっとした。
「姫様は、なぜそのような……」
「え?」
両手で籠を抱える私に、仙氷が詰めよる。
籠を落としそうになり、彼は私の手ごと抱えるように掴んで訴えかけた。
「結婚が決まってから姫様はどこか変わられた。ときおり、そのようにつらそうな目をなさる」
「え?」
それは、結婚が決まったからではなく、三度目の死に戻りをしたから……。
事情を知らない仙氷は、私が無理して結婚しようとしていると思ったらしい。
「凱様も無理強いはしないでしょう。なのになぜ、姫様は聖様との結婚を」
「あの、違うの。落ち着いて?仙氷」
私は納得して結婚を受け入れている。
そう言おうとしたとき、私たちの間に突然人が割って入ってきた。
「何をしている!?」
「聖様!?」
少し焦りのにじむ声。
聖様が仙氷の手首を掴み、私たちを強引に引きはがす。
はずみで、精霊樹の実がころころと地面に落ちて転がった。
「大丈夫か?」
「はい……。いえ、あの何かされたわけでは」
「手を押さえつけられていたように見えたが?」
私が答える前に、聖様は仙氷を睨みつける。
「心彩でもこのような危険があるとは思わなかった」
「っ!」
一瞬息を呑んだ仙氷は、聖様の肩越しに私を見て謝罪する。
「申し訳ございません……!つい……」
「大丈夫よ。あなたに悪気がなかったのはわかってる。それにほら、別に痛くもなければけがもしてない」
仙氷は少し青ざめていた。
聖様が言った「危険」という言葉が、よほど堪えたのだろう。
「宰相にここへ行けと言われてきてみれば、まさかかようなことになっているとは」
聖様は険しい顔でそう嘆く。
「凱が?それはなにゆえですか?」
何か用事でもあったのか、と疑問を浮かべれば、聖様は気まずそうにぽつりと言った。
「……姫と俺の過ごす時間が少ない、と」
「あぁ」
凱も仙氷と同じことを思っていたのか。
私も積極的に話しかけにいったり、時間を取ろうとしたりしなかったから……。
気まずい空気が流れる。
ここからどうする?いや、まずは仙氷のことを何とかしなきゃ。
私は息をついて気持ちを整え、仙氷の方を見る。
「仙氷、心配は無用です。私はこれから聖様と薬草園に向かいます。あなたは凱のところへ行ってください」
「わかりました」
聖様は今もまだ厳しい目を仙氷に向けていたけれど、私は彼の袖を引いて歩き出した。