宴の夜
美しい星空の下。
演舞台では、舞姫たちが赤い衣装を着て優雅に踊っている。
今宵の宴は、私と聖様の出会いを祝すもの。
ただし、楽しそうなのは精霊族のみ。聖様は、私の隣で黙って座っている。
私たちは揃いの衣装を着て、いかにもめでたい雰囲気に演出されているものの、肩と肩は微妙な距離が開いている。
淡い紫と青の絹糸で作られた衣装は、この日のために一琳たちが用意してくれたものだ。聖様の体格については、事前に泰仁から聞いていたのでこうして準備することができた。
端正な横顔は、濃い色の衣装がよく似合う。
こんなに素敵な皇子様と結婚できるというのに、なぜ問題が山積みなのだろう?
凱に騙されているのでは、と彼は私に言った。
泰仁での冷遇からすれば、その発想も仕方ないと思う。
いっそ、三年後に精霊族は……、泰仁も近隣諸国も消えてなくなってしまうのだと本当のことを話そうかと思った。
けれど、それもまた「嘘だ」と信じてもらえなかったら?
何より証拠がない。
今、私の言葉は彼には届かない。
たとえ全部話したとしても、信じてもらえないのだ。それに気づいたら、どうしていいかわからなくなった。
「聖様、どうぞ」
「……」
今私にできることは、せめてみんなを心配させないために聖様と仲良さげに振舞うこと。
大丈夫。さすがに二回も死んでるから、体が元気で一族みんなも生きているこの状況で、ちょっと婿様に信じてもらえないくらいで泣くほどではない。
まだいける。
だって、生きてるから!
うまく笑えているかわからないけれど、私は隣に座る彼に盃を渡す。
「これは?」
受け取った彼は、盃に注がれた白い飲み物を見て尋ねる。
「精霊樹の実から採れる酒です。酒といっても、泰仁のそれとは違って酔うことはないのですが」
「……」
さすがに毒殺は疑っていないようで、聖様は普通にそれを口にした。
私は彼の反応を窺う。
「うまい」
「よかった!」
気に入ってもらえたようで、心からの笑顔に変わる。
すると、聖様が周りには聞こえないくらいの声で言った。
「姫は、なぜ俺の顔色をいちいち気にするんだ」
「なぜと言われましても……?」
気にするというか、気になるのだから仕方がない。
「婿様となる方の反応を気にするのは、当たり前では?私は聖様が何を好んで何を嫌うのか、知りたいです」
彼は理解できない、という風な顔をした。
まるで、自分に興味がある人間がいるなんて想像もしていないようだ。
しかも、真意を探る目でじっと見つめてくるから、思わず目を逸らしてしまった。
「……あまり見られると困るのですが」
これでは今朝と逆である。
嫌なわけではないが、居心地が悪い。
「なぜ困る?」
「目を合わせると聖様が聖様なんだなって気がして」
「これまで何だと思っていたんだ」
呆れた口調でそう尋ねられ、私もよくわからなくなってしまう。
「いえ、あの、婿様だと思っていて、その」
こうしてそばにいて存在をしっかりと認識すると、『婿』という特定の誰かではない漠然としたイメージが、聖様という一人の人として輪郭ができていく。
たとえば、彼がもっと嫌味な人間だったなら……。
性格が悪い人だったらこんなに戸惑わなかっただろう。
彼はこの結婚に前向きでないはずなのに、私に人を簡単に信用するなと忠告した。
それって、心配してくれているってことでしょう?
警戒心が強いだけで、根は優しい人なんじゃないかって思ったのだ。
「婿様が聖様なんだなって思い始めたというか、ちょっとその、わりといい人なんだなって」
「は?いい人?」
聖様は呆気に取られた後、苦い顔で呟くように言った。
「人を見る目がなさすぎる……」
「あっ、それは聞き捨てなりませんよ!私はちゃんと人を見てます」
悪い人が、自分を疑えなんて教えてくれるわけがない。
「聖様こそ、警戒心なく酒を飲んだではありませんか」
「姫が何か混ぜるのを警戒しろと?」
「そうですよ。私がもし苦い酒を出したらどうするんですか?」
「そういう味なんだろうなと思う」
くっ……!私は口喧嘩が向いていない。いや、別に喧嘩したいわけじゃないけれど、聖様に俺が間違っていたと言わせたいのに、それらしい話に持っていけない!
「聖様はまだ知らないだけです。私だって悪いこともしますし、騙されるような純真無垢なお姫様じゃありません」
悔し紛れにそう言えば、聖様は目を丸くした。
あ、こういう顔もするんだ。
驚いて見つめるだけの私に、彼は少しだけ笑って言った。
「苦い酒を出す程度が、悪いことだと?」
「っ!」
言葉に詰まった私は、前を向いて再び演舞台に目を向ける。
かわいくない。
最初に「猫みたいでかわいい」って思ったのは間違いだった!
私と聖様は、育ってきた環境が違いすぎる。
意見が合わない。
これは夫婦としてやっていくのに死活問題だわ……!
ごくごくと盃の中身を全部飲み干し、どうにか冷静になろうとする。
鈴の音や太鼓の振動。笛や笙で奏でる音楽が私たちを包み込み、みんなが楽しげにする様子は私の心を落ち着けてくれた。
小さな精霊たちも楽しげに舞っていて、私のそばにときおり飛んできては、祝福するように踊っては去り踊っては去り……。
それを見ていると、次第に笑顔が戻ってくる。
ちらりと隣を見れば、聖様の袖にも精霊がちょこんと座っていた。彼は何の反応も見せず、ただ黙って舞を眺めている。
この子たちが見えないなんて、ちょっと残念。
天陽もそうだ。泰仁の平民は加護がなく、天陽もそうだという。
二人にも精霊が見えるようになればいいのに。
そう思いながら、宴の夜は更けていった。