なぜか説得されています
「昨夜はよく眠れましたか?」
敷物に座った私は、少し離れた位置とはいえ隣に座ってくれた聖様に尋ねる。
彼は少し緊張気味に返事をした。
「あぁ。……ちゃんと眠れた」
「よかったです」
聖様の反応を見るに、「眠れたのが意外だった」という風に感じられる。
長旅で、ぐっすり眠れぬ日々が続いていたのかもしれない。
「初めて訪れる宿や野営では、ゆっくり休めなかったでしょう」
「それもあるが……いや、何でもない」
「??」
何か言おうとしてやめた彼は、視線を落とした。
「あ、どうぞ。たくさん食べてください。お口に合うかわかりませんが……」
子どもたちはすでに朝餉を済ませてきたらしく、川で元気いっぱいに遊んでいる。
天陽は今日も立っていると一度は断られたが、私が無理を言って座ってもらった。
せっかく女官たちが持ってきてくれたから、一緒に食べてもらいたかった。
彼は遠慮がちに距離を取り、敷物の端に座っている。
聖様は粥を口へ運び、もぐもぐと咀嚼する。
お口に合うだろうか?何が好きなのかしら?
少しでも知りたくて、じっと彼を観察してしまった。
「……あまり見られると食べにくいのだが」
「これは失礼を」
私はあわてて視線を下げ、自分も椀を手に食べ始める。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
もくもくと食べていると、見かねた天陽が控えめな笑みを浮かべながら声をかけてきた。
「あの、姫様。聖様のみならず、私にまで過分なお心遣いをいただき感謝しております」
「え?過分とは?」
「部屋や支度品のことにございます」
生活用具一式をそろえたことが、そんなに感謝されることなのだろうか?
きょとんとしていると、天陽は丁寧に説明してくれた。
「付き添いの私は、こちらの国では正式なお役目も頂戴しておりませんし、あくまで聖様の持ち物としてここへきました」
「持ち物?」
「はい、泰仁では使用人はそうなります。ですので、衣食住のすべてを整えていただけるとは考えておりませんでした」
「そ、それはまた……。価値観が違うというか予想外だわ」
驚く私を見て、天陽はくすりと笑う。
二十歳だと聞いているけれど、随分とおとなびた印象だった。
「泰仁とは何もかもが違う、ということですよね?私も外の世界のことは多少知ってはいるんですが、もしや昨夜は不自由なさいました?」
恐る恐る二人の反応を見る。
天陽はちらりと聖様を見て、返事を促した。
聖様は、ごくりと茶を飲んでからぽつりぽつりと話し出す。
「不自由は、ない。むしろ驚くことばかりで」
部屋の明かりが勝手に灯くこと、窓を閉めていても空気が澄んでいること、どれも泰仁とは違うと聖様は話してくれた。
「それに、水が不思議で」
「水ですか?」
「まさか飲める水で体を洗うとは」
「あぁ、ほかではできないんですよね」
二度目の人生で、私も外の世界に出るまで知らなかった。
心彩以外では、飲み水とそうでない水が分かれていることに……。
うっかり間違えて飲んだら体調を壊すなんて思いもしなかった。
「心彩には、精霊石がございます。あれは加護を宿す石で、瓶に入れると水が湧き、飾れば空気をきれいにしてくれます」
「それでか。湯を浴びただけで体がきれいになるのは理解できなかった」
「ふふっ、外の世界では粉や糊のようなもので体を擦って流すのですよね?初めて見たときは、なぜ擦る必要があるのだろうと驚きました」
外の世界は、暮らすという点においては心彩より不便だった。まるで違う世界のようだ。
聖様に不自由がなくてよかった、そう思ってほっとしたとき、聖様が呟く。
「あいつがこの国に目をつけるわけだ」
「え?」
何か問題でも?と首を傾げると、聖様はふいっと目をそらす。
「………精霊石というのは、誰でも使えるのか?」
「誰でも使えますが、制限はあります。心彩を出れば、加護の力が次第に薄れますから」
「では、外には持ち出せないのだな」
「基本的にはそうです。なれど、水や光の加護を持つ者が持ち歩けば、自分の手で加護を補充してずっと使えますよ?」
聖様に心彩を知ってほしくて、私はできるだけ彼が理解しやすいように説明しようと考えながら言葉を選ぶ。
けれど、しばらく考え込んだ彼は少し眉根を寄せて低い声で言った。
「尋ねたのはこちらだが、姫は警戒心が足りない。よそ者に、あまりそういった話をしない方がいい」
「よそ者」
婿様からのまさかの「俺はよそ者」発言。私は困ってしまい、苦笑いになる。
「聖様は私の婿様です。精霊族でなくとも、信頼しております」
「信頼?昨日会ったばかりの俺を?」
怒るでもなく、馬鹿にするでもなく、どこか悲しげな目。
私のことを哀れんでいるのだろうか……?
「姫はあの宰相に騙されていないか?」
「え?凱にですか?」
「俺みたいな婿を迎えるのはどう考えてもおかしい。姫のためにならない」
「そのようなことは」
お金目当てですからね!
利はあるんですよ!?
あぁ、でも正直に言えない……。
気まずい。
「泰仁の者と宰相が通じている可能性は?」
「はぃ?」
「あの宰相なら、姫を傀儡にして国を操ることも可能だろう。君に悪意がないことはわかったが、俺の祖父に織物を送ったのが凱という男なら、二人が共謀している可能性はある」
「いえ、あの、凱は……」
なんだか壮大な陰謀ができあがっている!
聖様は、人に悪意に慣れすぎていて発想が荒んでいる?
これって、人間不信?
「あの……」
こうなったらもう本当のことを話すしかない。
衣の裾をぎゅっと握り、私は覚悟を決めて言った。
「……なんです」
「え?」
「持参金目当てなんです……。ごめんなさい」
聖様も、天陽もじっと私を見つめている。
「心彩はこのようにのんびりした国です。でも、どうしてもお金が必要になって……。それで持参金目当てで縁談を受けました」
言ってしまった。
けれど、聖様は大きな息をついて言った。
「なぜそんな嘘を?」
まったく信じてない!!
「すまないが、到底信じることはできない。あんなはした金で動く国がどこにある?」
「はした金!?」
「やはりこの結婚は見直した方がいい。姫が考えているよりずっと、世の中は汚いんだ」
「えええ……」
この人をどうやって説得すればいいの?
これまでの環境のせいなんだろうけれど、正直に話しても信じてくれない!
しかもここで、疑惑の人物が笑顔でやってきた。
「おはようございます。さっそく親睦を深めておられるようで、安心いたしました」
「凱……」
いい笑顔だわ。
でもそれがまた、疑惑を膨らませるのよね……。
聖様と夫婦になる道のりは険しい。
私は改めてそれを認識するのだった。