皇子様は警戒中①
宮廷に戻ってきた私は、彼らが客室で旅装束から着替えている間、客間で凱と一緒に待っていた。
聖様は、私との結婚を望んでいない。
彼の言葉と態度からは、全力で「結婚は遠慮します」というのが伝わってきた。
「まさか、私が後宮で彼を囲うつもりだと思われていたなんて……!」
そういえば、何代か前までは精霊姫には複数人の伴侶がいた。
でもそんなのはもう過去の話だ。
私は、夫を複数持とうなんて気はまったくない。そもそもそんな予算はない。
情けなく机に突っ伏す私をよそに、凱は状況を整理した。
「まず、誤解があるようなのでそれをきちんと説明しましょう。姫様の伴侶は聖殿下お一人であり、これは正式な婚姻なのだと」
「そうね」
確か聖様は、寵妃の子。
けれど、お母上は庶民の出だから正式な婚姻とはいえない愛妾扱いらしい。
その出自を思い出したら、勘違いとはいえ後宮に嫌悪感を抱くのは理解できる。
「なれど、姫様が彼の機嫌を窺うようなことがあってはいけません。一国の主として、堂々となさってください」
「えええ、でも」
せっかくここまで来てくれたんだから、と言おうとしてさえぎられた。
「いいですね?これは姫様の結婚ではありますが、国家間の交渉なのです。相手にへりくだるような態度はいけません」
強くそう言われ、私は思わず勢いに負けて頷く。
「かといって、あまり高圧的でも揉め事に発展するでしょうから加減が大事です」
「難しいわっ!」
するとそのとき、廊下側から宮女の梅が声をかけてきた。
「失礼いたします。泰仁の皇子殿下がお見えです。お通しいたしますか?」
ついに、きた。
話し合いの時間である。
私は姿勢を正し、深呼吸してから返事をする。
「いいわ。お通しして」
梅に案内されて応接間に入ってきた聖様は、黒地に紫の刺繍入りの盛装に着替えていた。
彼の後ろには、黒髪をゆるく三つ編みにした天陽が付き従っている。
「失礼する」
二人は部屋に入ってくると、私が座っている正面まで歩いてきて、でも少し離れた位置で立ち止まった。
「「………」」
改めて見ると、なんてきれいな人なんだろう。
青い瞳がきれいで、どこか懐かしい色だ。
でも、彼は警戒心を抱いているとわかる。初対面だから仕方がないけれど、こうあからさまに警戒されていると戸惑ってしまった。
「どうぞ、こちらへお掛けください」
凱がそう言って、二人に着席を促す。
聖様はそれを受け入れ、円卓の席についた。
「あなたも座って?」
「私もですか……?」
天陽に声をかけると、彼は目を丸くした。この部屋には四人しかいないのだから、彼にも座ってもらえばいいと思ったのだけれど……?
「いえ、私はこちらで控えておりますので」
普通に遠慮されてしまった。
お茶も四つあるのに……。おいしいのに、このお茶。
私、凱、聖様の三人で向かい合ったところで、改めて凱が話し始める。
「ご無事の到着、何よりです。改めまして、私は宰相を務めている凱。こちらが我が国の姫であり、次期女王の心如様です」
改めて紹介され、私はどうにか笑みを浮かべる。
聖様はにこりともしない。
うん、こういう人なのかしらね……?
処刑台の上とか関係なく、これが彼の普通なのかもしれない。
「泰仁より参った第五皇子の聖だ」
探るような目は、警戒心の現れなのだろう。挨拶を交わしながらも、こちらの真意を確かめようとする雰囲気を感じ取る。
そんなに警戒しなくてもいいのにな……。
毛を逆立てる猫みたいに思えてきて、ちょっとだけかわいいかも。
いや、そんなことを考えている場合じゃない。
私は彼とちゃんと夫婦になりたいのだ。
お金目当ての結婚であっても。
「心如です。私との婚姻のために、遠いところをお越しくださりありがとうございます」
「っ!」
聖様は、少し驚いたようだった。
「姫様……」
凱は困り顔になっている。
「へりくだるな」と助言されたばかりだから、きっとこれはいけなかったのだろう。だとしても、遠路はるばる来てくれたのだからお礼くらいは言いたい。
「さきほども申しましたが、私は未婚です。伴侶として選んだのはあなただけ。ここには後宮などございませんし、この先も夫が増えることはありません」
きちんとそう宣言すると、聖様は躊躇いがちに問いかけてきた。
「じゃあ、あれは何だ?」
窓の外を指さす聖様。
私は即答する。
「後宮です」
「あるじゃないか」
「いえ!後宮は住まいの、建物の名前です」
泰仁の後宮と、うちの後宮では意味が違う。
ただの住まいの名称として後宮と呼んでいるだけだ。
伴侶候補を集める館ではない。
ちなみに、私や凱も後宮に住んでいる。
あぁ、そうか。案内の者が『こちらが後宮です』と言ったのか。
それはさぞ驚いただろうな、と苦笑いになる。
「そういうわけですので、誤解だったと納得いただけましたでしょうか?」
「………あぁ、理解した」
まだ警戒心は解けていなさそうだけれど、とりあえず後宮のことはわかってもらえたようでほっとした。