出迎え
私たち出迎えの集団は、他国の境界線である草原にやってきた。
武官らから、聖様がそろそろ到着するという知らせは入っている。
「霧が出てるわね」
まだ早朝ということもあり、辺りには白い霧が広がっている。
「昨夜の雨のせいですね。私たちにあまり影響がありませんが、泰仁からやってくる一行はつらいでしょう」
肌寒いくらいの気温だと、草のにおいがよくわかる。
私は心地いい風に目を閉じ、これからやってくる聖様を待つ。
「姫様」
凱の声がして、私はぱっと目を開けた。
彼の視線の先には、霧の向こうからやってくる馬と人影がある。
「あれが聖様……?え、たった二人で来たの?」
まだ霧の向こうにいる影は、速度を落としゆっくりとこちらに近づいてくる。
その数はどう見ても2人と2頭のままで、本来いるはずのお付きの者たちの軍勢がない。
途中の国までは、護衛もかなりの数がいたと聞いていた。
それなのに、今はたった2人だ。
「いくらなんでも酷すぎない……?」
これではあまりに寂しい。商隊や旅一座よりも少ないではないか。
凱も同じ思いらしく、露骨に眉根を寄せた。
「あからさまな冷遇ですね。まだお若いのに可哀そうに」
こちらの出迎えは、数十名の官吏と武官。全員が礼装を纏っている。
小国ならではの少数ではあるものの、これでも歓迎しているのは伝わるはずだ。
「泰仁からここまで、馬でだいたい50日よね。途中の街からも10日はかかるわ。
それをたった2人で来るなんて。……加護がないって、本当に大事にしてもらえないのね」
他国の文化や価値観は詳しくないが、いくらなんでも皇子様に対してこの扱いは酷い。
「まぁ、やっかい払いもいいところですからね。彼もそれは理解しているでしょう」
「そんな……」
だんだんと近づいてくる彼の姿に、私は胸が痛んだ。
私だって、加護なしに付け込んでお金目当てで縁談を受けたのだ。押し込めたはずの罪悪感が、ここにきて現実味を帯び、じくじくと痛むような気がした。
「私、聖様にできればこの国を好きになってもらいたい」
過去は変えられない。
でも、これから幸せになることはできるはず。
「きっかけはお金でも、これから仲睦まじく暮らすことはできるわよね?」
大丈夫だと言ってほしくて、凱に問いかけた。
けれど、彼の返事は実に現実主義な宰相らしい言葉だった。
「どうでしょうね?人には合う合わないがございますし、大国での暮らしとここでの暮らしは違いますから可能性は五分五分では?」
「そこは嘘でも大丈夫って言ってほしかったわ」
「ははっ、宰相であっても男女のそれは予想できるものではございませぬ。けれど、幸せになるんでしょう?彼も含めて、一族全員で」
その言葉に、私は深く頷く。
「ええ。私は彼を幸せにする。それに、もう誰のことも死なせない」
今度こそ、一族を滅亡させない。
必ず皆で幸せになってみせる。
それからすぐに、こちらに向かってきている二人と互いの姿がはっきりわかる距離にまで近づいた。
黒髪の青年は、立ち襟の黒い装束を纏っている。
処刑台で見た姿よりは健康そうだ。間違いなく、聖皇子だとわかった。
雰囲気は警戒心が強そうで、その表情は険しい。よく言えば凛々しく、18歳という年齢にしては大人びていて頼もしく見える。
そばに付き従う茶色い髪の青年は、従者だろうか?
二人は周囲を警戒しながら、こちらにやってきていた。
「いよいよ……!」
どきんと心臓が高く鳴る。
あぁ、会ったらまずは何を話そう?
色々と考えていたはずなのに、急に何も思い浮かばなくなってしまった。
「まずは挨拶、第一印象が肝心よね…………って、ん?」
霧があるので、私たちと彼らには視界に差がある。
だからなのか、彼らは馬から降りず、あろうことか腰にあった刀を抜いて警戒心を強めた。
「おや、これは困りましたね」
どうやら出迎えの一行ではなく、盗賊か何かだと思われているらしい。
ここで、凱が声を張り上げた。
「ここより先は心彩国!我らは迎えの者だ!刀を下げよ!」
低いがよく通る声は、確実に彼らに届いている。2人は馬を止め、戸惑うようなそぶりを見せた。
本物かどうかを確かめようがなく、どうすればいいか考えている?
「私が行くわ」
「え?姫様」
「「「姫様!!」」」
凱や武官らが慌てて声を上げるも、私はすでに足早に前へ進んでいっていた。
「平気よ、いきなり斬りかかってはこないでしょう」
大人数で行くと警戒されて逃げられるかも。
私が行くのが早い。
何より、近くで彼を見たかった。
万が一、斬りかかってきたとしても、私は普通の人間とは違う。
精霊神様の加護があるから、触れる直前に刀の方が折れるだろう。ただしそんなところを見られれば、泰仁の人間には妖怪か何かだと思われるかもしれないから、それは困るんだけれども……。
「私たちは心彩国の者です!」
少し大きめの声で、私は告げた。
彼らは近づいてくる私を見て、視界が悪くても女性だとわかったらしく、その場で停止していた。
「ようこそお越しくださいました。ここより先が、心彩国にございます」
目の前までやってくると、聖様の顔を見て挨拶をする。
彼らは刀を鞘に戻し、不思議そうな顔で私を見た。
その反応を見てにこりと微笑んでから、まずは目の前にある馬の顔を撫でて話しかける。
「いい子ね。ここまでよくがんばったわ」
ブヒンと鳴く黒い馬は、とても立派だった。
長旅に耐えられるだけのことはある。
馬がおとなしいことを確認すると、私は馬上の聖様に笑顔を向けた。
「ご無事の到着、喜ばしいことです。初めまして、わたくしが心彩の姫・心如でございます」
挨拶をすると、青い目が動揺で揺らぐ。
姫が出迎えに来ると思っていなかった、という顔だった。大国では、絶対にこんなことはないから当然といえば当然である。
「お会いできるのを楽しみにしておりました」
「…………」
返事はない。
驚いた顔をしたまま、聖様は固まっていた。
それを見た付き人の青年が、慌てて馬から飛び降りる。
「初めてお目にかかります。姫君とは知らず、大変なご無礼をいたしました……!こちらは泰仁の聖皇子、私は付き人の天陽と申します」
とてもまじめそうな人だ。
異国人はこの国の人間より気性が荒く、敵意を向ける者も多いと聞いているが、この人は大丈夫そうね。
「長旅で色々ありまして、あちらの出迎えの方々が本当に心彩国の方々か判別がつかず、用心のために抜刀いたしました。どうかお許しを」
誠心誠意謝罪をする彼に、私は笑顔で頷く。
「気にしないで、きっとこれまでご苦労があったことでしょう。今日に限って霧が出ていて、泰仁から来たあなた方には視界が悪く大変だったとお察しいたします」
こちらが申し訳なくなるくらい謝罪の意を示す天陽に、私は大丈夫だと笑って言った。
そのとき、トンッと土を踏みしめる音がして、聖皇子が馬から降りてくる。
すぐ目の前に立った彼は、私よりも頭一つ分は背が高い。自ら戦おうと刀を抜いただけあって、その体格も逞しい。
「出迎え、感謝する。泰仁第五皇子、聖だ。姫君の伴侶候補として参った」
思わぬ言葉に、私は目を瞬かせる。
「……候補?」
まるで、ほかにも候補者がいるような言い方だった。
どういうこと?
泰仁には、王配として聖様を……ってきちんと書簡を送ったはずなのに。
その表情はほとんど動かず、彼がどんな感情でいるのかわからなかった。
いうなれば「無」。
ただ必要だから挨拶をしている、という風に思えた。
ここからどうしたら?
私は困ってしまい、とりあえず誤解を解かねばと考えた。
「あの、何か勘違いなさっているのでは……?」
私の夫はあなた一人です。
そう言おうとした瞬間、彼の方が先に口を開いた。
「加護なしの身では、一国の姫にふさわしくない。俺にかまわず、先に後宮入りしているほかの者を寵愛してくれればいい」
「えっ」
後宮入り?ほかの者を寵愛してくれ?どういうこと?
何より、この人は私と夫婦になる気はさらさらないってこと?
一見すると自分は身を引く……みたいな言い方だけれど、どう考えてもこの結婚を嫌がっているようにしか思えない。
その「ほかの者」なんていないんだけれど、誤解とはいえいきなり振られた?
驚きすぎて、放心状態になってしまう。
「「…………」」
どうしよう。
何か言わなきゃ。このままじゃ、どうにも話が進まない。
乾いた唇をこじ開けて、「誤解です」と言おうとしたとき、一部始終を見ていた凱が怒りを込めた笑顔で近づいてきた。
「聖殿下。お話を詳しく伺いましょうか……?」
「「っ!」」
すごくいい笑顔ではあるが、「うちの姫様に文句でもあんのか?場合によっては斬るからな」という心の声が聞こえた気がした。
腰の刀に手をかけてはいないものの、ものすごく怖い。
「凱、落ち着いて?とにかく、宮廷へ向かいましょう」
こんなところで、立ち話をするような内容ではない。
とにかく、この場を収めなきゃ……!
「あのっ、私!私は未婚です!ほかに伴侶候補なんて」
必死でそう伝えると、聖様は「は?」と眉根を寄せた。
お互いに混乱している。
「あの、お疲れでしょう?まずはお食事にしましょう!」
なんで振られた私が気を遣うはめに!?
いやいや、でもここは私の国。
私ががんばらないと!
凱が斬ってしまう!
笑顔ですごむ凱と聖様の間に強引に割り込み、私は言った。
「ようこそ、心彩へ!さぁ、参りましょう!」
持参金目的で政略結婚しようだなんて、考えが甘かった……?
でも、どうにかして彼の心を開いてもらわなきゃ。
まさか初対面で躓くなんて思わなかった。明るく振舞いながらも、言い様のない不安に駆られるのだった。