第3話 コンディション・グリーン
『人形みたいな娘』
クラリスを初めて見た時の印象だ。
棺に入れられ、儚げな白い顔で眠る彼女は、とても生きた人間には見えなかった。
そんな彼女は、目を覚ました第一声で俺に言った。
『……おなかすいた』
儚さどこ行った。
この一言に俺は少し呆れ、そして安心した。
『飯が食いたい』と言えるのは、まあまあ心が元気な証拠だ。
差し出した統合軍の携帯食を、クラリスは美味そうに食べた。
クラリスの体が邪神であることには、割と早くに気が付いた。
心臓の位置に、邪神の核の気配があったからだ。
だが普通に受け答えをし、人を食おうともしない。
俺の判断で『即処分』はすべきでないと思った。
心情的にも気が進まないので、面倒な判断は大人に押し付けようと、判断を仰いだ。
結果、俺がお守りを仰つかることになったが。
あの時は正直、面倒だと思ったよ。
情けないことに、自分の心のことで精一杯だったからな。
あの子が焼いたクッキーを食べなければ、俺の態度は淡白なままだったろう。
あれで心を開いてくれたのか、クッキーの日を境に、気付くと俺のベッドに潜り込む様になった。
この子はまだ子供だ。態度には出さないが、不安を抱えているであろうことも予想できる。
好きにさせてやりたいとは思うが、当時の俺には例の『悪夢』があった。
最悪、諸共ゲロ塗れ。
何とかやめさせようとしたんだが上手くいかず、とうとう、俺は悪夢に襲われてしまった。
血の海に沈む街、頭と、体のどこかを失った孤児院の家族達、赤黒く染まった花飾り、そして――
『どっせい』
『ごっふぅ』
俺は救い出された。
腹をさすりながら目を開けると、ベッドの上でクラリスがフラフラと体を揺らしていた。
『らいりょぶ……?』
『あ、あぁ、大丈夫』
『ん……おやすみ……』
そう言ってベッドに倒れ込み、彼女はスヤスヤと寝息を立て始めた。
その日から俺は、できるだけクラリスを一人にしないと決めた。
恩義がある。
この子は、俺を悪夢から救ってくれた。
打算がある。
これからも、俺を助けてくれるかもしれない。
同情もある。
家族の存在すら思い出せないこの子に、全てを失った自分を重ねた。
だが何より、クラリスは俺に『大丈夫?』と聞いたのだ。
あんな夜中に、俺がうなされてることに気付いて、眠気を振り払って助けてくれた。
そんな強く優しいこの子が、少しでも安心できるようにと、そう思うようになったんだ。
それからあちこち一緒に旅して、仲間が増えて、それでも気付けば俺にへばりついて、もう当たり前のように1つのベッドで寝て。
最初は長いと思った4ヶ月が、いつしか、とても短い時間に感じられるようになって――
魍魎の件がひと段落したら、任務が終わってもクラリスと一緒にいられるよう、閣下に願い出るつもりだった。
俺は、ギリアム閣下から養子にと誘われている。
新しいお父さんに、『妹』が欲しいと駄々をこねてやると、そう意気込んでいた。
しばらく面倒を見るだけの子供は、俺の新しい『家族』になっていたんだ。
――クラリス。
あの子は今どうしてる?
酷い扱いを受けてはいないだろうか。
震えたり、泣いたりしていないだろうか。
感性と感情表現が少し独特なだけで、あの子は6歳の普通の女の子だ。
肝が据わってるように見えて、俺がいないと泣いてしまう寂しがり屋だ。
悪意を持った大人に囲まれて、怖くない筈がない。
何故、俺は側にいてやれない?
そんな思いが胸に充満している。
それに身の安全だって保証されているわけではない。
セインのこともあるが、あの力そのものが危険なんだ。
クラリスが明確に力を使ったのは、恐らく2回。
1つはヤムリスクで、邪神の口に突っ込もうとした時。
『がんばれ』
あの時はまさかの肉声かと思ったが、よくよくレーゼに聞いてみると、あの淡々とした声援が届くほど、近くにはいなかったらしい。
もう1つは、先日の天空王との闘い。
『子供がそんなことを受け入れるんじゃない』
何もかも諦めた俺の頭に響いた、先生の声。
あの声は幻聴の割にはクリア過ぎたし、かなりぼやけていたらしいが、マリエルもそれらしい声が聞こえたと言っていた。
そしてその直後、クラリスは倒れたらしい。
状況からして、クラリスの『交信』の力と見るべきだ。
何のリスクもなく使える力ではなかったのだ。
女王との決戦で『切り札に』されたときの負荷など、想像もつかない。
だからこそ閣下は、クラリスに世界を見せようとした。
俺達と一緒に旅をさせて、時に奴隷オークションなんて『闇』まで見せて……せめてあの子が、人類を救うか、見捨てるか、自分で選ぶための材料を与えようとしたんだろう。
だが教会は、クラリスの意志を力で捻じ曲げようとする筈だ。
最悪、心を壊してでも。
――絶対に……させねえ……!
俺は、必ずあの子を守ると自分に誓った……いや、『守れ』と『願った』んだ。
握りしめた手には、血が滲んでいた。
◆◆
魔力探知機の画面を横目に、グレンの様子を伺う。
かなり力が入っているな。
アグリア修道院には飛空挺で向かうことになったのだが、乗り込んでから暫くして、グレンは険しい表情で黙り込んだ。
仕方がない。
クラリスのことを思えば、『焦るな』と言う方が無理だ。
「レガルタでは平気そうだったのに」
「アルテラがいたからな」
レガルタであの姿を見せれば、アルテラは再び罪悪感に苛まれただろう。
それがわかっているから、グレンも平静を保つよう努めていたのだ。
言ってしまえば、そういう気遣いのできる冷静さは残している。
胆力もある男だ。
先走ってミスをするようなことは、ないと思うが……。
「ん、よしっ」
胸の前でグッと両拳を握り、トテトテとグレンに駆け寄るレーゼ。
なんて可愛い生き物なんだろう。
悪いな、俺の嫁だ。
「グレン、準備運動、しよ?」
コテンと首を傾け誘いかける。
天使。
断ったら、お前は構想中の魔導錬金術の実験台だ。
戦略級のヤバいヤツをぶっ放してやる。
「ありがとな……じゃあ、さっきのおさらいもするか!」
心配は杞憂だったらしい。
表情を緩めたグレンは、そのままレーゼと甲板に出ていった。
「ふっ……これで大丈夫だな」
今のグレンなら、レーゼとも互角に渡り合える。お互いにいい運動になるだろう。
そう言えばレガルタでも、飛空挺を待つ間に互いの技を教え合っていた。
コンディション・グリーン。計画は今のところ支障無し。
『セインのシナリオを壊しつつ、激昂させ過ぎない』
基本的に、奴は思い通りにいかないことがあれば、すぐに癇癪を起す。
本当に面倒な奴なのだが、その中でも触れてはいけないタブーがある。
それは『セインを蔑ろにする』こと。
――ジャキンッ! ブゥンッ! ガンッ! ガガガガガガッ!!
自尊心、自己顕示欲、承認欲求が肥大化したセインは、自身の存在が、言葉が、意向が軽んじられることに耐えられない。
今回で言えば『俺とグレンの2人で』というところだ。
レーゼの言った『皆んなで乗り込む』あたりは、クリティカルヒットだろう。
なので1人だけ、俺の魔導具に偽装することにした。
――あっ、これ当たらないんだ……初めてかも! じゃあこれは!? これは!? これはどうっ!?
それが、レーゼだ。
レーゼは元々結婚式披露宴のことを話しに俺のところまで来たのだが、ちょうどいい小道具を持ってきていたのだ。
サイズもレーゼ用なので、そのまま同行してもらうことにした。
『練習の成果』を披露できるのが嬉しいのだろう……俺は、少し気が進まないが。
――おいレーゼっ! 準備運動っ! 準備運動だからっ! お前意味わかってうぉぉぁぁっ!!?
……楽しそうで何よりだ。
レーゼは、自分とまともに打ち合える同年代なんて初めてだろうからな。
飛空挺を使う関係で出発を遅らせた分、『白虹』の完成を待つこともできた。
あの剣なら、レーゼの魔剣と打ち合っても問題なかろう。
――ガンガンッ!! ライルッ! ライルゥゥッ! ギギギンッ! ブゥンッ! こいつを止めろぉぉぉっっ!!! ジャギギギギギッッ!!!
因みにレーゼの偽装だが、バレたらバレたでリスクは低い。
偽装という手段を取ることで、俺達が奴の条件を強く意識していると、そう思わせることができるからだ。
寧ろ奴は、自分の敵が姑息な小悪党だと喜ぶところがある。
俺達を見下すことで、相対的に溜飲は下げられるだろう。
……何故ここまで奴を理解しないといけなんだ。
ともあれ今回の作戦のメインは、単純だが『伏兵・赤頭巾の剣聖』だ。
そもそもレーゼとグレンがいる時点で、大体のことは力押しで解決できる。
下手に策を弄する方が、足を取られて失敗するというものだ。
決して、大した作戦が思いつかなかったわけではない。
ないぞ?
――ゴイン! ゴイン! バギィッ! おわぁぁぁっ!? 柵がぁぁぁっっ!!? ギィィィィィィンッッ!!!
それに、この探知機と飛空挺もある。
レガルタではグレンを見つけるのに使ったが、今はクラリス用に調整してある。
あの子の魔力波形は、ランドハウゼンでグレンから事情を聞いた時点で取っていたからな。
まさか、追跡に使うことになるとは思わなかったが。
準備は万端。後は乗り込むだけだ。
――ガインッ! ブゥンッ! 待て待て待て待てッ!!? ズッッバァァァァァァンッッ!!! ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!
懸念は1つ……お前ら、飛行機関だけは壊すなよ?




