第2話 怨骨髄
――こいつが……王様……!!
グレンと出会ったその日、僕は僕のいた世界より、もう1つ上の世界があることに気付いてしまった。
そこから先は地獄だった。
侯爵はその日から、僕にもグレンと同じ教育を受けさせるようになった。
正妻に第二子が産まれなかったから、僕を奴のスペアにでもしようとしたのだろう。
当然、受けた教育の全てで、僕はグレンを大きく上回った。
剣も学問も礼法も、奴は僕の足元にも及ばない。
優秀さを示すたびに、僕に与えられるものはどんどん上質になっていく。
……が、それでも、グレンよりいい物を与えられることはなかった。
ただ別の腹から産まれたというだけで、奴は僕に与えられるべき物を全て奪っていく。
剣術の稽古で、奴の顔面に木剣を叩きつける時だけが、唯一僕の気持ちが晴れやかになる瞬間だった。
そんな日々に、最初の転機が舞い込んだ。
僕らが6歳の時、グレンが魔術を使えない、所謂持たざる者であることが発覚したのだ。
帝国は魔導先進国だ。
魔術が使えなければ魔導具を使えばいいと、大した差別を受けることはない。
だが、それはあくまで庶民の話。
貴族社会では、まだまだ魔術は強いステータスだった。
そしてバークレイ侯爵は、帝国でも屈指の魔術至上主義。
侯爵は、グレンに対して一切の興味を失った。
その日の夕食で、グレンの食事は僕のものより粗末になり、いつからか同じ食卓に呼ばれることすらなくなった。
ようやく、世界が正しい形になった。
自分の立場が無くなったことに、焦りを感じたのだろう。
それからのグレンは、見ていて憐れになる程に死に物狂いだった。
そんなことをしても、侯爵がグレンを認めることはないし、僕に勝てる筈もないのに。
だが、正しかった世界は、また歪み始めた。
どこをどう間違ったのか、剣術で、学問で、礼法で、奴は僕との差を縮め出したのだ。
僕と競おうとでもしているのか?
見苦しい、お前はもう終わった人間なんだよ。
競うどころか、手を伸ばすことだって許されないんだ。
それなのに……奴はまるで虫のように這い寄り続けた。
特に剣術の時のグレンは、本当に鬱陶しかった。
コイツの顔面を叩くのは僕の至福の時間だったのに、無防備な顔面を晒すことがなくなったのだ。
一方的に勝つことは出来なくなり、僕の体に木剣を当てるようにすらなった。
10本中の1本を取られた後は早かった。
2本、3本、5本……半年後には、僕は奴から1本も取ることができなくなった。
学問も剣術ほどの差はないが抜かれ、礼法も大きな差は出なくなる。
僕が奴を圧倒出るのは、奴がどう逆立ちしても使えない魔術だけになった。
それでグレンが食卓に戻されるわけでもなかったが、僕が感じた屈辱は以前の比ではない。
何を勘違いしている?
僕は、ヨダレと鼻水を垂らして、息も絶え絶えで全力疾走するお前を、ジョギングで追いかけながら、憐れみを向けているだけ。
本気を出したら、僕はすぐにでも追い抜けるんだ。
本当に優秀なのは、僕の方なんだ!
だが、世界は狂ったままだった。
学問では追いついたが、剣術では少しも追いつくことが出来ないまま、月日が流れていく。
明確な殺意すら湧き出した9歳の頃、2度目の転機が訪れた。
――僕が、『勇者』に選ばれたんだ。
全身が歓喜に震えた。
神が、いや世界が! 僕を選んだ!
グレンじゃなく、このセイン・バークレイを!
しかも僕に与えられたのは、かつて初代勇者アルス・ランベルトの使っていた剣と鎧。
僕は今なお『最高の勇者』と語り継がれる、初代の再来と言われるようになった。
勇者の中でも最も優れた存在……それはつまり、世界で最も優れた存在ということだ。
これだ、これこそが僕に相応しい力、相応しい立場だ。
やはり世界は僕のための物、僕が主人公の物語を進めるための、舞台だったんだ!
侯爵は、そこから僅か数日でグレンの廃嫡を決め、僕がバークレイ家の次期当主となった。
それを伝えた時は最高だった。
絶望に歪むグレンの顔。
きっと奴の頭の中では、今まで積み上げてきたものがガラガラと崩れていったことだろう。
激昂して襲いかかってきたグレンの動きは、まるでスローモーションだ。
片手でひっくり返し、そのまま背中から叩きつける。
とどめに鳩尾を踏みつけてやれば、奴は汚い悲鳴をあげて動かなくなった。
目は開いているが虚で、血と涎を吐く口は、うわ言のように何かを呟いていた。
勝った! 完全に! 完膚なきまでに!
生まれた瞬間から僕に纏わりついていた最初の『悪』は、勇者セインによって退治されたのだ!
その日、奴は家名を取り上げられ、対外的には死んだことにされた。
僕のオモチャとして置いてやろうかとも思ったんだが、父親に捨てられたことで壊れたのだろう。
何をしても、血しか吐かないのではつまらない。
結局、奴は孤児院に送られることになった。
これでもう、奴は一生日陰者として、下を向いて生きていくしかない。
脚光を浴びながら生きる、僕の人生に関わることも、もうないだろう。
……だが、奴は『蘇った』。
『天空王討伐』という、僕のために用意された栄誉を掠め取って。
崩れ落ちるランドハウゼンの城。
グラーヴは踏み潰される民の姿に、漸く自分の愚かさを認識する。
そして残された僅かな民の助命を、生意気な娘共々、平身低頭僕に懇願する筈だった。
そして兵隊を率い、天空王を打ち倒す僕の姿にアリアも心を入れ替え、僕に永遠の従属を誓う。
そんな未来が、音を立てて崩れていった。
忌々しいランドハウゼンの街は無傷に終わり、魔王討伐の栄誉はグレンのもの。
僕に残されたのは、間に合う距離にいながら、魔王に立ち向かわなかったという汚名だけだった。
ハラワタが煮え繰り返るなんて言葉が、生易しく感じる程の憎悪が、全身を駆け巡る。
今すぐにでも殺してやりたい。
でも簡単な死などでは、もう奴の罪は贖えない。
奴の身も心もズタボロにして、自分が『誰に』『何を』したのかを理解させる。
そして地に頭を擦り付けて僕に謝罪し、赦しを乞う頭を踏みつけ、その上でゆっくりと首を刻んでいくのだ。
そうでもしなければ、もう僕の気は収まらない。
絶対に、生まれてきたことを後悔させてやる。
――グレン……!!




