第11話 せめてこの身の動くうちに
――大気が、震えた。
ランドハウゼンの皇族と共にブラックバードで待機していたクラリスは、室内にも関わらず強烈な大気の震えを感じた。
「グレン……?」
思い出すのは、この数ヶ月間いつも一緒にいた少年の顔だ。
仕事でクラリスを護衛することになっただけの……それにしては、妙に面倒見のいい少年。
いて欲しい時に隣にいてくれて、『護衛』というより、まるで兄の様に接してくる。
そんな彼との旅路は、クラリスに『家族』という感覚を思い出させた。
だからこそクラリスも、グレンのために何かしたいと思うようになったのだ。
グレンがよくうなされることは、早いうちから気付いていた。
そして気付いてから程なく、何故か、グレンが悪夢を見るタイミングがわかるようになる。
だが、わかっただけ。
小さく、なんの力もないクラリスにできることは少ない。
あの日のクッキーも、『どっせい』も、そんなクラリスがグレンのためにできる精一杯の頑張りだ。
そして今、その精一杯を捧げた『家族』の命が、大気の鳴動と共に溶けていくように感じた。
「……そんなことない」
クラリスはかぶりを振って、不吉な予感を否定する。
――大丈夫、きっと帰ってくる。帰って……来て……。
グレンの無事を強く願う。
今、自分ができるのはそれだけだと、幼いながらに理解しているから。
――っ!?
瞬間、クラリスは、何か大きな力が体を通り抜ける感覚に襲われる。
力の起こす波に押し流され、小さなクラリスの意識は唐突に闇に落ちた。
――グレン……。
◆◆
「が……ぁ……ぐっ……ごぶっ……!」
――生きて……るのか……?
霞む視界に映るのは、一直線に抉られ、赤熱する地面。
どうやら天国や地獄ではないらしい。
あの時、天空王の放った光は、完全に俺を捉えていた。
回避は不可能。
瞬間的に防御を捨て、相殺を選んだが……よく生き残れたもんだ。
意識は朦朧、全身が焼けつくように痛いし、指一本動かせない。
が、この惨状を作り上げた光に真正面から晒されて、辛うじて死なずに済んでいる。
『GRUUU……!』
……いや、若干寿命が伸びただけか。
天空王はピクリとも動かない俺を見下ろし、一歩一歩近付いてくる。
死へのカウントダウン。
ここまで『死』を身近に感じたのは、あのルーベンス壊滅の日以来だ。
死にたくない、助かりたい。
生物として当然の思いが……恐怖が、加速度的に膨れ上がる。
……でも、そんな怖くて小便ちびりそうになっている筈なのに……俺はどこか、安堵していた。
――やっと、終わる。
瞼を閉じれば広がる、血の海が。
頭の中に響く悲鳴が。
眠れば、変わり果てたみんなを見せつけられる、地獄のような日々が。
邪神がいれば狂喜して襲いかかり、全身を切り刻んだ。
全てを奴らのせいにして、心を怒りと憎しみに満たすことができたから。
他人の必死の願いを、身命を賭して叶えてきた。
その間だけは、『生き残った意味はあった』と、自分を誤魔化すことができたから。
でも、それも一瞬。
汚泥はすぐに俺を捉え、暗く深い罪の世界に引きずりこんでしまう。
罰が与えられることのない、誰が課したわけでもない。
ただ罪を直視するだけの、俺が俺に課した、終わらない拷問の様な世界。
その日々が、もうすぐ終わる。
それは、死の恐怖を覆い尽くすほどに、俺を安堵させていた。
――街のみんなや孤児院の奴らは、また俺を受け入れてくれるかな?
――ハンナには、あの日置いてっちまったこと、ちゃんと謝らないと。
――アリサ姉さん、ミリュー姉さん……ごめんな。せっかく生かしてくれたのに。でも俺……結構頑張ったよ?
天空王が、俺の前まで辿り着く。
そして、大きな前足を上げた。
――……先生……俺は……。
『子供がそんなことを受け入れるんじゃない』
「っ!!」
勢いよく振り下ろされる剛爪。
その瞬間、俺の全身が熱を帯び、動かなかった四肢が僅かに力を取り戻した。
「くおぉぉおぉあああぁぁっっ!!」
幻の先生の声が、死の誘惑に一閃を通す。
生への執着に、体が僅かに息を吹き返す。
夢中で転がした体は、間一髪で致命の爪から逃れた。
「うっ……がはっ……ぐっ……!」
だが、その程度で逃してくれる、天空王ではない。
即座に大地を蹴り、追いかけてくる。
俺は爆風と土砂に晒され、無様に転がるしかできない。
「こんのおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!」
「な……!?」
そんな死刑執行直前の処刑台に、雄叫びと共にマリエルが突っ込んできた。
かなり前に出ていたようで、天空王より一歩早い。
動けない俺を抱え込み、全力でその場から飛び退いた。
背後で鋭い風切り音が響いたのは、その直後。
目を向ければ、天空王が苛立たしげにこちらを睨みつけていた。
仕留める寸前の獲物を奪われたんだ。
流石の超常生物といえど、お怒りだろう。
俺を抱えたマリエルの腕に力が籠る。
……震えが、ダイレクトに伝わってくる。
そうだよ、わかってんだろ?
これが、どんだけ無茶なことかって。
「よせっ……マリエ、ルっ……」
「ちょっと黙ってなさいっ!」
マリエルは、そんな己を鼓舞するよう語気を強める。
天空王が大地を蹴り、マリエルはそれに対し後方に飛んだ。
無理だ、一歩遅い。
「ぐぅっ!?」
「あぁっ!?」
俺達は、石ころのように弾き飛ばされた。
マリエルの脇腹は大きく裂かれ、鮮血が噴き出ている。
ほんの僅か、爪の先が脇腹を掠めたんだ。
今の天空王の一撃は、そんな些細な被弾ですらこれだけのダメージになる。
マリエルは、最低限出血だけを止めて立ち上がった。
俺の治療と、何より回避に手一杯で、完全には直せないんだ。
天空王は肉弾戦主体の魔王。
高出力の魔法攻撃には一拍の溜めを必要とするが、肉弾戦は加速、最高速、切り返し、全てが馬鹿みたいに早い。
俺達や勇者達のような少数で突っ込むパーティにとって、それは視界を埋め尽くす羽根よりも、空を切り裂くブレスよりも恐ろしい力だ。
ぶっ飛ばされて距離が開いたはずなのに、奴はもう眼前まで迫っていた。
回避は無理だ。
マリエルがロングメイスを構えたが、全く歯が立たなかい。
俺達は再び跳ね飛ばされた。
盾になったアダマンタイト製のメイスが、あっけなく砕け散る。
メイスを持っていた右腕は、無惨にひしゃげていた。
吹っ飛んでいく俺達に、天空王がその場で翼を振り上げる。
追撃の、羽根の散弾だ。
マリエルは折れた腕を治すのを諦め、俺ごと転がって逃げようとするが――間に合わない……!
「させるかっ!!」
「足元もお忘れなく!」
だが、追撃は2つの声に遮られた。
ライル……アルテラ……っ。
俺達が狙われている間に、2人は天空王の足元まで接近していた。
あいつらも、なんて無茶を……!
天空王の注意が俺達からライルに移る。
光粒子を警戒したのか。
だが、ライルの方が一歩早い。
奴が視線を向けた直後、その胸元までを山吹色の霧が包み込んだ。
同時に、全方位の地面から突き出す、アルテラの石槍。
何本かは胸部を直撃するコースだ。
剥き出しの心臓を庇い、天空王の動きが鈍る。
石の槍衾は粒子を絡めとり、天空王の腹に、脚に、心臓を庇った翼にと突き刺さった。
大きなダメージに、天空王が怯む。
……今しか、ないな。
「全員撤退だ! 俺は捨てていけ……囮くらいにはなる」
こいつらは、連れて行かせない。




