第4話 大好きな姉さん達
視界を埋め尽くす邪神の群れ。
俺はがむしゃらに走り回り、剣を振り回した。
奴らは味方の被害などお構いなし。
押し合い、圧し合い、伸し掛かり、時には味方を突き飛ばしてまで俺に群がってくる。
切っても切っても数は増えるばかり。
手足の肉は、もう何箇所も食いちぎられ、疲れと痛みで感覚がなくなってきた。
生体魔法の治癒も追いつかない。
もう自分がどこにいるのか、姉さん達が無事なのか、それすらわからない。
――ダメだ、俺……ここで死ぬんだ。
やりたいこと、いっぱいあったのに。
先生の剣を継いで、傭兵になって姉さん達と仕事して、ハンナと結婚して、子供作って……家族、作って。
それが、全部無くなる。
あの日、先生が教えてくれた道が。
ハンナが、ルクスが、姉さん達が……みんながくれた、俺の人生が。
ここで、こんなところで……!
ちくしょう……ちくしょう……!
ちくしょうっ!!
「がっ!?」
剣が持ってかれた。拳も握れない。
全方向から迫る口、口、クチ。
あぁ、終わった……。
――パァンッ!!
「グレンこっち!!」
「っ!?」
乾いた破裂音とミュリー姉さんの声に、辛うじて体が反応する。
殆ど無意識のまま、声を目がめて足を動かして……駆け込んだのは行き止まりの通路。
そこで姉さん達に迎えられた。
2人はすぐさま俺の口に強壮薬を捩じ込み、傷口に傷薬を塗りたくる。
「んぐっ! ……ぷはっ! ミュリー姉さん……こんなところ来たっ……て……えっ!?」
『すぐに追いつかれる』
そう言おうとして背後を振り返った俺の目に映ったのは、まるで目潰しでもくらったかのように滅茶苦茶に動き回る邪神達だった。
「……へへっ……どんなもんよぉ~……」
そう言ってミュリー姉さんが見せてきたのは、閃光弾の様な小さな球体。
「霊子撹拌弾……! ミュリー姉さん、こんなもんどこで……?」
周囲の霊子力を掻き回して、邪神の知覚を潰す対邪神用兵器だ。
確か、天才少年『錬金術師』ライル・アウリード様の発明だとかで、まだ統合軍にも卸されてない筈なのに。
「一つの土地でずっとやってるとね、こうゆうコネもできるのよ」
「まさか、ホントに……つぅぅ……使うことに、なるとはねぇ~」
まったく……やっぱ凄えな、俺の姉さん達は。
攪拌弾の効果は抜群だ。
邪神共は前後左右も分からず、岩壁にバンバン体を打ち付けている。
これなら――
「無理よ」
ゾッとするほど、平坦な声。
「アリサ姉さん……?」
「あいつ、わかる?」
「ん? …………っ!!」
そいつを見た瞬間、心臓が跳ね上がった。
何だ……アレは……?
サイズは小型だけど……多分、あれは人型だ。
左右の腕も指も長すぎるし、顔には目が1つだけしかない。
でも、大雑把に見れば人間と同じパーツがついている。
何よりその目が、こっちを、見てるように見えるのだ。
「そうよ。あいつ……見えてる。見えてて、遊んでる。私たちが動いたら、アイツは必ず仕掛けてくるわ。出口の方もデカいの2体がずっと塞いでるし。あれを突破するのは無理よ」
アリサ姉さんが言葉を切る。
そして、ふっと表情を緩めた。
「グレン、アンタ以外はね」
――え?
アリサ姉さんが何を言ったのか、よくわからない。
「というわけで、これ強壮薬ね。こっちは傷薬~。あとね……じゃじゃ~ん! 撹拌弾も2つあげちゃおう!」
「えっ? えっ!?」
「あと丸腰だねぇ……短剣でもいいかな? これもあげる」
ちょっと待って、そんなに渡したらミュリー姉さん達はどうするの?
嫌だ……嫌だよ……何か、これ、嫌だ!
「こくっ、こくっ……ぷはぁっ! よし、行くわよ。準備しなさい」
「ちょ!? アリサ姉さんそれはっ!」
「しょうがないでしょ? 自然回復じゃ間に合わないし。寿命……何年だっけ?」
10年だよ……アリサ姉さん……。
今、アリサ姉さんが飲んだのは、魔力回復薬。
肉体の持つ霊子力の吸引力、吸収力を爆発的に上げる薬だ。
……が、人体に与える負荷も凄まじい。
1本で、寿命が10年削られると言われている。
「よく聞きなさい。今から私がありったけをぶっ放して、出口までの道を凍らせる。そしたらミュリーはアイツに牽制。見えるってことは、威嚇やフェイントも効く筈よ」
「うん、まっかせて~」
「それで、グレンは私の作った道を強行突破。いいわね?」
『危なくなったら逃げるのよ? アリサ達は見捨てて』
「待って……待ってよ、アリサ姉さん」
『グレンはそんな薄情な奴じゃないわよね~?』
『ふっふっふっ、どうかなぁ~?』
違う……違うっ!!
あれは、ただの悪ふざけで……そんなつもりじゃ……!
「わかってるわよ」
ふわりと、アリサ姉さんの髪が俺の頬を撫でた。
そのまま、幼子のようにアリサ姉さんに抱きしめられる。
「でも、アンタはそれを選びなさい」
「やだ、やだよっ……姉さん達を置いていくなんてっ!」
「あ、やっと我儘言ったね~」
「まったく……初めて会ったときは、肩肘張った可愛げのないガキだったのに……聞いてあげたいけど、今回ばかりはダメよ」
「やだよぉっ! 一緒に帰ろうよぉっ!!」
「ハンナはどうするの! アイツら、きっとこれだけじゃない。街の方にも出てるはずよ」
「……で、でも……だって……!」
「ハンナもあの子達も、アンタが戻って、守ってやんなきゃ」
俺の抵抗は、そこまでだった。
頭ではわかっていたんだ。
俺が残っても、3人で死ぬだけだって。
あの時の無責任な言葉どおり、2人を置いて逃げるしかないんだと。
アリサ姉さんが、抱きしめる手を少し強める。
「いい男になりなさい。泣いても喚いても、逃げても間違えても、最後は必ず立ち上がる……そんなガッツのある、私好みのカッコいい男に」
「アリサ姉さん……」
「大丈夫、アンタならなれるわ」
そっと頬に唇が触れる。優しい感触を残して、アリサ姉さんは離れていった。
「次は私だね~」
「ミュリー姉さん……」
入れ替わりで、今度はミュリー姉さんに包まれる。柔らかい。
「何か失礼なこと考えなかった?」
「ぐずっ……めっそうもない」
「台無しだね~」
いつものやりとり。でも、これで最後。
明日からはもう、姉さん達は、いない。
「グレンが来てから、楽しかったよ~。弟ができたみたいでね、いつもワクワクしながら待ってたんだ。『今日はグレン来ないかな~』って」
言葉が、声が、出ない。
少しでも気持ちを伝えようと、ぎゅっとミュリー姉さんを抱き返す。
「辛い思いをさせてごめんね……でもグレンなら、いつか今日のことにも、ちゃんと向き合えるようになるから。だから私たちのことも、たまには思い出してね?」
「ミュリー……姉さん……っ」
キスは、アリサ姉さんとは逆の頬。
そしてミュリー姉さんの手も、俺から離れていく。
嫌だ、行かないで。
涙が……気持ちが止まらない。
伝えたいことがいっぱいあるのに、言葉にできない。
口を開いたら、また駄々をこねてしまいそうで。
「グレン! 準備はいいわねっ!」
よくない、行きたくない、姉さん達と一緒がいい。
「………うん」
叶わない願いを、全部胸の内に押し込んで、ぐしゃぐしゃの顔で小さく頷く。
アリサ姉さんは優しく、『いい子ね』と微笑んだ。
ちくしょう、いい子なんて最悪だ。
絶対に、今日でやめてやる。
「フリーズグレイヴッ……ライナァァーッッッ!!!!」
アリサ姉さんの渾身の魔力が迸り、無数の氷柱が突き上がる。
出口まで続く氷の道だ。
俺と姉さん達の世界を分ける、冷たくて残酷な、でも、いっぱいの優しさが詰まった……。
「っ! ……ぁ……あ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁっっっ!!!!!」
俺は……そこに飛び込んだ。
群がる邪神共を躱し、殺し、涙に滲む視界のまま、ただただ前へ。
――戻れっ!
遠くなった咆哮の中、姉さん達の断末魔が耳を苛む。
――戻れっ、戻れよっ!
うるさい黙れっ!!
目を背け、耳を塞ぎ、心を閉ざし、ただ、そう命じられた人形のように、地上へ。
そんな俺を出迎えたのは、血で染まった赤黒い大地と、街から響く人々の悲鳴だった。
――ほんと、なんなんだよ、コレ。




