第3話 台所の黒いアレと同じ
「ふっ!」
邪神に向け、倒れ込む様に身を屈める。
間髪入れず、右から左に頭上を擦る風切り音。
俺の胴体ぐらいの太さはある、洞窟の岩壁をも粉砕する筋肉の鞭だ。
当たれば最後。
俺の小さな体など、あっさりと肉塊になってしまうだろう。
安堵も束の間だ。
かがみ込んで突き出す形になった後頭部に、もう1本が振り下ろされる。
「くのぁっ!」
全力で斜め前に飛び出せば、背後で地面が弾ける音。
音に押し潰され、ミンチになった自分が脳裏を過ぎる。
ビビるなっ……!
全身の硬直を振り払い、転がった勢いのまま邪神の懐へ。
だが、奴も出迎えを用意していた。
突撃槍の様な前脚が、俺の進路に振り下ろされる。
止まれ! いや潜るか!? ダメだ、間に合わねえ!
「ふんならぁっ!!」
ならばと、跳ぶと同時に迫る脚に剣を打ち付ける。
反動に逆らわず横に逃れ、また転がりながら間合いの外へ。
攻めきれない。
危ない橋を渡っても、触手の内側に潜るのでやっと。
脚や顎に追い返されてしまう。
間合いが広いクセに穴もないとか、なんて厄介な野郎だ。
かなり戦ったが、大したダメージは与えられていない。
俺も直撃こそ受けてないが、打ち身や擦り傷は重なってる。
こっちの被害は、そろそろ無視できない。
このままじゃ間違いなくジリ貧。
だが――
チラリ、と視線だけで2匹目を伺う。
脚の関節という関節にナイフが刺さり、触手も1本は完全に凍結。
胴体部分には大きな氷柱が2本突き立っている。
よし……さすが姉さん達、優勢だ。
俺が1体引き付けてる間に、姉さん達がさっさと片方を片付ける。
単純な作戦だが、有効だったらしい。
俺が相手をしてる1体目も、相棒の窮地に気付いたようだ。
攻撃が激しく、執拗に、そして雑になってる。
さっさと俺を倒したいよな?
残念、さっきまでのが手強かったぜ。
力の限りブン回す触手は、まるで嵐のよう。
だが大振りばかりで、覚悟を決めれば隙間を潜るのは簡単だ。
触手の内側に潜り込めば、奴は高々と両前脚を持ち上げる。
10m級の邪神が視界を埋め尽くす。
その威圧感は、とても言葉にできるようなものではない。
だが、それは諸刃の刃だ。
冷静に距離を測り後ろに飛べば、振り下ろされた前脚が空を切る。
俺は、差し出された頭部に肉薄――せずに、上に飛ぶ。
一瞬遅れて4つに割れた顎が、俺のいた空間に齧り付いた。
残念、地面にキスでもしてろ。
這いつくばってな。
曝け出された後頭部。柔らかいそこを目掛け、剣を振りかぶる。
――ガバッ。
奴は、この体勢から動いた。
「あ」
8本の脚を跳ね上げ、一瞬でバックステップした。
嵌められた。
誘い込まれた。
開いたままの口が、俺の目の前に広がる。
世界が、徐々にスローになっていく。
俺はもう落下を始めてる。躱せない。
4つの顎が、歓喜に震えるように蠢いた。
死――
――ザシュッ
耳を撫でる冷たい空気。視界に散らばる紫の血。
俺の……血じゃない……?
「っ!?」
感覚が死の世界から戻ってくる。
俺を飲み込む筈の大口は、代わりに氷の槍を咥え込み、激しく悶えていた。
「グレンっ!」
ありがとう、アリサ姉さん!
「おおおぉぉぉぉぉぉぁぁぁあああっっ!!!」
叫ぶのは、恐怖に凍りついた体に、熱を入れるため。
この野郎………チビっちまったじゃねーかっ!!
今度こそ隙を晒した邪神に向けて、俺は頭上に掲げた剣を、全力で振り抜いた。
◆◆
大量の血液を撒き散らし、邪神が地に倒れ伏す。
普通の生物ならこれで終わり。だが、コイツは邪神だ。
確か10mくらいになると、核を潰さないと息を吹き返す可能性があった筈。
核……どこだ? 全身滅多刺しにするか?
「ここよ」
声と共に、どデカい杭のような氷柱が、8本脚の中心の少し前辺りを抉る。
「お疲れ様。ちょっと危なかったけど、上出来よ」
「頑張ったねぇ~。偉いっ!」
「へっ……へへっ……」
姉さん達の言葉に、全身から力が抜ける。
身体中にヤツの血をベットリとつけたまま、俺は地面に崩れ落ちた。
首を横に向けると、姉さん達が戦っていた2匹目が視界に入った。
破城槌レベルの氷柱で、ケツから脳天まで貫かれた無惨な姿。
見てるだけでケツがズキズキしてきた。
「流石だね、姉さん達」
「でっしょぉ~」
「なんで、お尻押さえてんの?」
ちょっと、幻痛がね。あんまし見ないようにしよう。
「にしても、何とか勝ったね……」
そう、『何とか』だ。
姉さん達の珠のお肌に傷はない。が、2人とも肩で息をしている。
疲労の色は濃い。アリサ姉さんは魔力も消耗している筈だ。
Bランクの傭兵2人。それに、俺だってそこそこやれる。
その俺達が、たった2体にここまで苦労させられた。
邪神の力……知識としては知ってたけど、実際戦ってみると想像以上だ。
「じゃあ、さっさとギルドに戻るわよ」
「賛成」
邪神の最大の脅威は戦闘能力じゃない。
デカいのを2体も見つけたからには、すぐ報告しないと。
あと、ちびったのバレる前にパンツ替えたい。
「じゃあグレン、疲れたからおんぶ」
は?
「あ~、ずるぅ~い。じゃあ~、私は抱っこ~」
はぁっ!?
「美女2人お持ち帰りよ? 嬉しいでしょ?」
ダメージ一番酷い弟分に、大人2人持って帰れと?
馬鹿なの? ねえ、馬鹿なの?
まったく……こんなんだから、2人とも綺麗なのに、彼氏ができ――
「「グレン?」」
「めっそうもありません」
どうやら、女の前では男の思考など丸裸らしい。
2人とも、圧を強めてにじり寄ってくる。
冗談じゃない。まだ全身ヒリヒリするのに。
股間だって、冷えた小便で気持ち悪いんだ。
こんな所にいられるか! 俺は街に帰るぞ!
「あっ! 逃げた!」
「私から逃げられると――グレンっ!!」
「えっ」
突如、ミュリー姉さんが俺を突き飛ばす。
直後、俺のいた場所を水流のようなものが通り過ぎた。
――ジュッ!
音の方を向く。
そこには、俺の方に突き出した、姉さんの右腕が――の、断面。
「あぐぁあぁあああぁぁあぁぁっっ!!! あぁぁああぁあぁあああぁあああっっっ!!!!」
「ミュリー姉さんっ!」
「ミュリーっ!!」
肘から先を失った右腕を抑え、ミュリー姉さんが苦悶の声を上げる。
「ふぅっ! ふぅっ! だいっ……じょうっ……ぶ! ふぐぅっ! しゅっけ、くぁぁっ! 出血はっ……少ないっ……がらっ」
「喋らないでいいから! 息を整えなさい!」
「……はぁーーーーーっ……ふぅーーーーーっ……」
痛みを和らげようと、ミュリー姉さんの呼吸が深くなる。
だが状況は、俺達を待ってはくれないらしい。
脇の道から、別の邪神が現れた。
ミミズのような細長い胴体。
丸型の口からは液体が滴り、地面に落ちてしゅうしゅうと音を立てる。
間違いない、ミュリー姉さんの腕をやった奴だ。
「何とか隙を見付けて逃げる……いいわね……?」
ミュリー姉さんは戦えない。
アリサ姉さんはまだ魔力が戻ってないだろうし、俺もボロボロだ。
アリサ姉さんの判断に、異論はなかった。
問題は……それが、できるかどうかだ。
「っ!?」
地上に続く道から、もう1体大型の邪神が現れた。
さらに洞窟内の道という道から、小さいのがワラワラと。
10……20……30……どこにこれだけ潜んでやがった。
――1匹いたら1,000匹いると思え。
邪神の最大の脅威は――物量だ。




