第1話 子供の時間の終わりの始まり
このご時世、そんなに珍しい話じゃない。
統合軍の少年兵なんて、別の事情の奴を探す方が面倒だ。
でも俺にとっては、世界でたった一つの特別な話。
――俺の故郷は、邪神に滅ぼされた。
故郷って言っても孤児院だ。
俺の実父は筋金入りの魔術至上主義者で、俺が魔術の使えない持たざる者だとわかると、一瞬で興味を無くした。
そんで9歳の時、とうとう別の女に生ませた優秀なガキを嫡子にして、俺を捨てたんだ。
捨てられた直後の俺は、それは酷いもんだった。
ショックで五感の殆どがやられてな。
視界は常に靄がかかってるし、音もノイズ混じりでよく聞こえない。
味も、匂いもしない。
俺の世界は、その殆どが閉ざされていた。
でも孤児院のみんなは、そんな俺を見捨てないでいてくれた。
引っ込み思案だけど優しい、猫獣人のハンナ。
トラブルメーカーだけど、人情家なルクス。
いつも穏やかで、色んなことを知ってるジード兄さん。
寡黙だけど、いざって時は頼りになる、鬼人のケビン。
やんちゃなチビ4人組の、クルム、エピカ、デュマ、コルン。
そそっかしいけど、暖かい俺達の『お母さん』、リス獣人のパティ先生。
俺の新しい家族――グリフィス孤児院のみんな。
みんなのお陰で、俺は少しずつ世界を取り戻すことができた。
孤児院だけじゃない。
院のあるルーベンスの街は、いい人が沢山いた。
ギルドの傭兵さん達も、俺を気にかけてくれていた。
特に、魔術師のアリサ姉さんと、シーカーのミュリー姉さん、あと受付のシエラ姉さんには、本当に可愛がってもらったよ。
そして、俺がそんなみんなと向き合う切っ掛けをくれた人。
俺の剣の、いや、人生の師――レイ先生。
最初に名乗った名は、『レイヴィス・アルザード』だった。
後で知ったけど、母方の姓を名乗ってたらしい。
先生と出会ったのは、まだ俺の世界が真っ暗だった頃だ。
ある日俺は、ルクス達に引っ張られて山に『探検』に行った。
アイツなりに、俺を元気付けようとしてくれたんだ。
そしたら、熊の魔獣に襲われてな。
もう、大パニックだよ。
ジード兄さんとケビンがみんなを逃がそうと頑張ってたけど、全然、何ともならなくてさ。
俺が囮になった。
一応剣術とか、身体強化とかはできたし、その頃の俺は捨て鉢になってたから。
でも、当時9歳の俺の力なんてたかが知れてる。
散々山ん中連れ回したけど、とうとう力尽きて、追い詰められちまった。
んで、『こりゃ死んだな』って観念したところで、先生に助けられたんだ。
『子供がそんなことを受け入れるんじゃない』
って。
その時、まだ耳も治ってないのにさ、ハッキリ聞こえたんだよ。
先生の剣は圧巻だった。
結構でかい魔獣が一刀両断よ。
しかも魔獣だけじゃない。
その剣が描く軌跡の向こうに、一瞬だけど、明るくて青い空が見えたんだ。
先生は、俺の薄暗くて色褪せた世界まで、一刀両断してしまった。
その後俺は気絶して、気付いたら先生の家のベッドの上だった。
で、先生が素振りを始めたから一緒にやって、従者のエリックさんと3人で飯食って、俺の身の上話も聞いてもらって、その日はそのまま泊まって。
で、朝起きたら言われたんだ。
『明日から、私と剣術をしないか?』
俺の五感をどうにかする方法を、先生が出来る範囲で考えてくれたらしい。
先生は先生で、自分の剣の後継者を探していた。
長続きする弟子がいなくて諦めてたけど、俺の見様見真似の素振りを見て、『これだ』と思ったらしい。
なんか、俺がノービスなのも都合がいいんだって。
先生もノービスだ。
普通のノービスとは、ちょっと違う気もしたんだけど。
こうして、俺は先生から剣を教わることになった。
先生の訓練は厳しかった。
というか、おかしい。
『グレン、戦いにおいて最も大事なものはなんだ?』
『え、あ、お……技術……?』
『逃げ足だ。俊足と、1日中走り続けられる体力があれば、生存率を大きく上げられる! というわけで、街の周りを10周!』
ルーベンスの外周は1周7km。10周で70km。
9歳のガキが70km。勿論、身体強化は禁止だ。
狂ってる。
因みに、これはウォーミングアップだ。
『絶体絶命の窮地に置いて、最後に自分を助けてくれるのは『冷静な思考』、『折れぬ心』、そして『鍛え抜いた筋肉』だ!
魔力が尽き、剣が折れ、信頼する友に裏切られようと、筋肉は絶対にお前を裏切らない! 筋肉は裏切らないっ!』
『何があったんすか、先生』
『というわけで、次は筋トレだ』
これも、ウォーミングアップだ。
狂ってる。
『基本的な体の動かし方を理解するんだ。体が動く時、筋肉はどう動く? 肺は、血は、関節は、心臓は、神経パルスは? 太極拳は、それらを感じ取るのに最も適した運動だ』
『神経パルスは無理じゃね?』
誰も長続きしなかった理由がよくわかった。
結局、俺が剣を握れるようになるまで、9ヶ月かかった。
孤児院での生活、街の人達の手伝い、ギルドの傭兵さん達とのふれ合い、そして先生との稽古。
俺のルーベンスでの生活は、慌ただしくも、幸せに過ぎていった。
それから3年後――そんな幸せな日々は、あっさりと終わりを告げることになる。
◆◆
「じゃあ行ってくる。いい子にしているんだぞ」
最低限の手荷物を抱えたレイ先生が、俺の頭を撫でる。
「やめろって……もうそんな歳じゃねーよ」
先生は月に一度、1週間くらい遠出をするんだ。
必ず孤児院に挨拶に来て、俺の頭を撫でて。
嫌じゃないけど、俺ももう12歳だ。さすがに恥ずかしい。
「どうだかな。私がいない間は、ギルドに世話になっているのだろう? 迷惑をかけないようにするんだぞ」
「わかってるよ。先生こそ、道中気をつけてよ? もう歳なんだから」
「私はまだ43だ」
おっさんじゃん。絶対生活習慣病とか持ってるだろ?
「まったく……今回も1週間程で戻る。ではな」
「ああ、いってらっしゃい」
尚も心配そうな視線を残して、先生は孤児院を後にした。
さて、俺も行くか。
「じゃあ、行ってきます」
先生と違って、ちょっとそこまで行くだけの俺だが、見送りがいる。
ピンク色の髪をピッグテールにした、可愛らしい猫獣人の女の子。
「行ってらっしゃい、グレン君」
俺とハンナは、一昨年から付き合い始めた。
色々回復した中で、最後に残った視覚の靄にトドメを刺したのも彼女だったのだ。
お姫様のキスで、世界が色付いたわけだな。
………言わせんなよ。
明後日は、そんなハンナの12歳の誕生日だ。
今年はジュリさんの宝飾店でガチのプレゼントを買うんだ。
今までも手作りのプレゼントは送っていた。
去年の白い花飾りとかは、今でも付けてくれている。
でもやっぱり、自分で稼いだ金で買うプレゼントは、何かこう緊張感がある。
大人の階段を登る感じ?
いい物を贈ってやりたい……ところなんだけど、残念ながらグレン君はお子ちゃまだ。
女の子へのプレゼント選びなど初めて。
指輪? 髪飾り? それとも実用品のがいいのか?
ヤバい、どうしよう、全然わかんねー。
と言うわけで、俺は子供らしく、大人を頼ることにしたのだ。
我ら街のガキども&ギルドの傭兵さん達のお姉様、シエラ姉さんの出番である。
アリサ姉さんとミュリー姉さん?
2人の名誉のため、コメントは控えさせてもらう。
「夕方には戻るから……どうした? ハンナ」
だが、どうしたんだろう。
ハンナがどうにも浮かない顔だ。
「ううん、大丈夫。ちょっと……寂しくなっちゃって」
今日はハンナは孤児院の手伝い。一緒には来れない。
だからこの日にしたんだけどな。
まさか本人の目の前で、誕生日プレゼントの相談するわけにもいかないし。
「そんな、もう二度と会えなくなるみたいな顔すんなって。姉さん達に浮気なんてしないぞ?」
「そそそそそそんなこと思ってないよっ!? 私……その……グレン君のこと……信じてるから」
真っ赤になって俯いた。
付き合って2年、俺の恋人は今日も可愛い。
「ありがとな、ハンナ。明後日は久しぶりにデートだ。いっぱい一緒にいような!」
「っ……うんっ!」
元気、出たかな。
――ズキン
なんだ、今の……?
胸に、大穴を空けられたみたいな……。
「グレン君……?」
「あぁ、何でもない。行ってきます」
俺の都合で、ハンナを寂しがらせたからか……?
そうだな、きっとそうだ。
なるべく早く帰ってきてやろう。
そう思い、俺はギルドへの道を急いだ。
――胸の痛みは、ハンナの姿が見えなくなるまで続いた。




