第7話 性奴隷が逃げたぞぉっ!
『いい男になりなさい』
アリサ姉さん。
『グレンが来てから楽しかったよ~』
ミュリー姉さん。
姉さん達が去っていく。
頬に優しい感触だけ残して、俺に背を向け、深い霧の向こうに消えてしまう。
待って、行かないで。
俺、強くなったんだよ? 今なら2人を守れるから。
だから行かないで。
お願いだから。
俺をおいていかな――
「どっせい」
◆◆
「ごっふぅ」
鳩尾に突き刺さる重い衝撃に、俺は目を覚ました。
よくわからんが、随分といいのを貰ったようだ。
「アリサ……ねえさん……?」
「わたしだ」
寝ぼけ眼で見上げると、ベッドの上からクラリスが俺を見下ろしていた。
腕を組み、足を肩幅に開いた仁王立ち。
相変わらず、堂々とした佇まいだ。
「っ! アルテラはっ!?」
慌てて周囲を見回すと、綺麗に畳まれた法衣と壁に立てかけられた杖。
閉まっていた筈の窓は開いている。
「……どんまい」
「いや違うからなっ!?」
がっついて逃げられたわけじゃない。
ええいっ、優しい笑みで頭を撫でるなっ!
「どうしたの?」
騒ぎを聞きつけて、マリエルもやってきた。
開いた窓を見て息を呑んでいる。
「ちょうど良かった。急ぎの話が――」
「最低」
「どいつもこいつもっ!」
お前ら、俺をどんな目で見てやがる?
「マリエルは、クラリスを連れてギルドに行ってくれっ! 昼間の依頼を受ける」
「あの依頼主不明の?」
「依頼主はアルテラだ」
「なっ!?」
「あいつ、自分を売った金で、依頼を出したんだ」
「じゃあ、リリエラって……」
「家族か、友達か……あいつ、俺を眠らせて飛び出して行きやがった」
「行き先はコルトマン邸ね……あぁっ、もぅっ! もっと素直に依頼書を見てれば……っ」
あの依頼書を最初から疑ってかかったのは、支部長とマリエルだ。責任を感じてるんだろう。
「仕方ねぇよ、多分あのバイヤーに仲介させたんだろ。あの野郎、無駄に怪しさ満点にしやがって……今はとにかく動け! あれの前金全部ばら撒いてでも、人集めるんだ」
「……グレン君は……?」
マリエル……わかってて聞いてるだろ?
お前にそうゆう顔されると、不安になるじゃねえか。
「なんて顔してやがる……ご主人様を嵌めて逃げ出した、悪い性奴隷に『躾』をしてくるだけさ」
まったく、世話のかかる奴を買っちまった……生きてろよ、アルテラ!
◆◆
投擲したナイフが男の額に突き刺さり、その命を奪う
躊躇している暇はなかった。
メイド2人も、騒ぎ出す前に首筋を打ち昏倒させる。
花の眠りは、興奮によって極端に効果が薄れるのだ。
今の2人には効かない可能性が高い。
「手荒にして済まないな……」
倒れたメイド2人を、最も近い部屋に引きずり込む。
彼女達は、侵入者が闇人であることを知っている。
すぐに見つかってもらっては困るのだ。
この状態なら花の眠りも効くだろう。念入りに、深く深く眠ってもらう。
このメイド服ともお別れだ。
持ち主が見つかってしまった以上、メイドに扮することはできないからな。
メイド服を脱げば、その下には下着紛いのオークション衣装。
ここから先は『奴隷』として行動する。
私はコルトマンが好む闇人。
しかも下腹部には、奴隷の証とも言える呪印が浮かんでいる。
疑われることはないだろう。
メイド2人を部屋に隠し、周囲を警戒しながら廊下へ。
3階のメイドが見つかったのなら、ここの2人もすぐに見つかるだろう。
花で深く眠らせたとはいえ、手荒な真似をすれば流石に起きる。
残り時間は、そう長くはない。
私は警備をしているゴロツキを見つけ、意を決して話しかけた。
「あ、あの……すみません……っ」
「あん?」
警戒を露わに睨みつける、警備の男。
だが、羞恥で体を掻き抱く私に、すぐさま下卑た視線を向け始めた。
「なんだ奴隷か……にしても、へへっ、いい格好だな? こんな夜更まで働かされる俺達に特別サービスでもしてくれんのか?」
「マジかよ!? うっはっ、たまんねーな! おい手ぇどけろ! 見えねぇじゃねーか!」
向けられた視線に本能的な悪寒が走り、体を隠す手に力が困る。
女を慰み者としか思っていない下衆が……っ。
「こ、これは、その、コルトマン様に、この格好で、部屋まで歩いてこいと……あ、あの! それで、コルトマン様はどちらでしょう? すみません、迷ってしまいまして……」
「冗談だ。わかってるよ……大旦那は今、寝室でお楽しみ中だ。3階登って、右手側にある一本道の奥の部屋に行きな」
「あ、ありがとうございます!」
「おい待てよ!」
私が男に一礼してその場を去ろうとすると、もう1人の方……いかにも頭の悪そうな方が、私の手を掴んだ。
「せっかくそんな格好してんだ……ちょっと俺らの相手してけや……!」
口から涎を垂らしながら、私に迫ってくる。
今、こんな奴に時間を取られるわけにはいかない。
私の体を、好き放題させてやるつもりもない。
どうする? 始末するか?
この2人くらいならどうにでも――
「やめろっ! この前それやって、リグの野郎がどうなったか忘れたのか!」
「で、でもよ、こいつに口止めすりゃ、ばれやしねぇよ、な? お前だって楽しみたいだろ?」
「ばれんだよっ! あの人、自分の奴隷に他の男の臭い付いてっとすぐにわかんだ! 俺は同罪はごめんだ……てめぇがおっ始めたら、後ろからぶっ刺すからなぁっ!」
「ちっ……わかったよ……ちくしょうが……っ」
助かった……どうやらコルトマンは、相当彼らに恐れられているようだ。
頭の悪そうな男は、散々脅しをかけられ渋々引き下がった。
「し、失礼します……っ!」
私はその隙に、彼らの間をすり抜けその場を逃げ出す。
「あっ! 俺は道教えたしっ、こいつも止めたからなっ!」
背後から、もう1人の男の怯え混じりの叫びが聞こえた。
3階に着き右側に進むと、男の言った通りの長い通路が見えた。
窓もない一本道。
何かあれば、ここに護衛を集めて閉じこもるつもりか。
ただ情事の邪魔をされたくないだけかもしれんが……。
道を進むと、奥に大きな扉があった。
その前には見張りが2人。
「ん……奴隷か? 大旦那から追加の話は聞いてないぞ」
「ですが、こ、この格好で、ここまで来るよう、言われました……っ」
「はっ、大旦那も好きだねぇ……一応確認するから待ってろ」
見張りの1人が扉の方を向く。
――ここだ。
私は即座に服に隠した『武器』を抜き取り、見張り2人の頸椎に突き刺した。
「ぁっ」「ぇっ」
グラセルの葉……枯れるとガラスのように硬質化する植物だ。
脆くて打ち合いには向かないが、こうして、不意打ちで柔らかい部位を切り裂く程度なら問題ない。
ネムリバナもこの葉も、法衣や槍に装飾に扮して取り付けていたものだ。
買い戻してくれたグレンには、改めて感謝だな……。
僅かばかりの声とともに絶命する2人を、音が立たないよう静かに横たえる。
この扉の先にコルトマンが……。
奴を捕らえ、リリエラの牢まで連れて行き、契約を解かせる。
本当に上手くいくのだろうか……いや、何とかするんだ。
私は覚悟を決め、目の前の扉をそっと開いた。
「い、いやぁぁぁっ! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」
耳に飛び込んできたのは、聴き慣れた妹の悲鳴だった。




