第10話 珠玉粉砕! 鉄肘幼女クラリスたん
クラリス・グリフィス・アルザード・グランツマン。
このクソ長い文字の羅列が、ただの平民であるこの8歳の少女の今の名前だ。
自己紹介の時に疲れるから、もうちょっと短い方が助かるとは思いつつ、クラリスはこの名を、とても大切にしていた。
この名をくれた血の繋がらない兄と父、そして兄と共にずっと面倒を見てきてくれた母のような女性は、クラリスの宝物だ。
だから、そんな彼らのためならば、クラリスは自分のできる範囲で、結構無茶をすることがある。
『わたしが塔をこわす。まかせて』
『ちょっと、クラリス!? 貴女どこにいるの!?』
なので、今回の潜入にもこっそりついてきており、抜け道の中から城内の様子を伺っていたのだ。
何事もなければバレないうちに帰るつもりだったが、『城中の人間を眠らせる』と言っていたルーアリノアがの反応が、いつまで経っても2人から離れない。
クラリスは、家族のために人肌脱ぐことを決めた。
「わたしのでばん」
テレーズとギオルードが場所を移したおかげで、抜け道を出た先の大部屋は難なく通過。
山積みのエグい死体は見なかったことに。
その先の城内も、魔獣がグレン達を追って配置を変えていたのでかなり手薄。
クラリスはあっさりとバベルの最下部の、その直前の部屋まで辿り着いた。
「たのもう」
「何者だ!?」
「わたしだ」
さすがにバベル直前の部屋には、かなりの兵士が控えていた。
勢いよく開いた扉に即座に反応したことから、彼らは街のゾンビ市民達とは違い、自我を奪われていないのだろう。
ルーアリノアが言っていた、金に忠誠を誓ったある意味信用できる傭兵達だ。
そんな彼らは、やはり仕事に私情を挟まないらしい。
現れた侵入者が年端もいかない幼女であろうと、一瞬で動揺を押さえ込み、『敵』として剣を向ける。
「殺せ。例外はない」
クラリスへの問いかけはない。命を奪うと決めた相手に、伝えることなど何もないからだ。
命令を受けた兵士は、剣を振り上げクラリスに切り掛かる。
そして、その小さな身体を両断せしめようとしたその直前、クラリス体がふっと視界から消えた。
「っ!?」
グレン達と大陸外の旅を始めて2年間。クラリスはほぼ毎日、グレンの後に引っ付いて、見よう見まねでトレーニングを続けてきた。
かつて9歳のグレンがゲロを吐いてぶっ倒れていた地獄のメニューを、休まずにだ。
見た目は幼女。
だがその肉体はもう、邪神がベースであることを差し引いても、尋常ではないほどに鍛えられている。
『少し強い』程度の一兵卒に、クラリスの踏み込みを視認することは不可能なのだ。
体勢を落とし、一瞬で彼我の距離を消し去ったクラリスの構えは、肘を突き出す拳法のもの。
見込みがあるということで、グレンからちゃんと教えを受けた頂肘は、既に達人の風格すら漂わせる。
尚、大人の男の兵士に対して、小柄なクラリスが更に体勢を落としたことで、2人の高低差はかなり広がっている。
その状態で突き出したクラリスの肘の先には、兵士が男たる証である大事な大事な金の宝玉。
兄、グレンは言った――
『いいかクラリス。大人だろうとガキだろうと、男に襲われたら決して躊躇うな。どんな結果になろうと、俺が許す』
――潰せ。
「なむさん」
ブチュッ。
「あふんっ」
男は死んだ。少なくとも男としては。
内股になりながら、泡を吹いて気絶する兵士。
幼女のまさかの反撃と、仲間を襲った惨劇に、冷静冷徹なはずの兵士達の間に衝撃が走る。
クラリスはそんな彼ら向けて、突き込んだ肘をまっすぐに伸ばす。
まるで、レディに手を差し伸べるように手の平を上に。
そして『かかってこいや』とばかりに、その手をくいっ、くいっと動かした。
兵士達は既に冷静さを欠いている。挑発に乗せられ、その中から3人が怒りに任せて切り掛かった。
クラリスは、後ろに引き絞った左拳に力を込め彼らを迎撃――
「ぶびゅっぱ」
と見せかけて、突き出したままの右手の方から魔術を発射。
「なにぃっ!?」
打ち出された6本のウォーターカッターは、飛びかかってきた兵達の間をすり抜け、後ろで油断していた間抜け共の股間に突き刺さる。
「おごおおおおおおおぉぉぉっっ!!?」
「ひぎいいいいいいいぃぃぃっっ!!?」
「はどびっっ!!?」
「いぼそっっ!!?」
クラリスオリジナルで、先端がドリルのように回転しているから痛い。削られてめっちゃ痛い。
直撃を受けた元男達は、各々悲鳴を上げながら悶絶した。
間抜けな犠牲者は彼らだけではない。
まさかの背後を狙った術撃に、切り掛かってきた男達は足を止め、後ろを振り返ってしまったのだ。
あろうことか、クラリスの目の前で。
「いっしゅんせんげき……!」
そんなには打てない。が、3人分の玉を砕くには十分すぎる時間だ。
「おぅっ!」
「ほぅっ!」
「おぴゅんっ!」
3人の首の筋肉の動きの僅かな差を見切り、振り返る順に膝、肘、拳を叩き込む。
生々しい破潰音と気色悪い悲鳴が響き、倒れ伏す兵士達。
これで倒した兵士は10人。
「のこり8つ」
玉の数だ。
無表情で股間に視線を送りながら、手をポキポキと鳴らすクラリスに、兵士達が無意識に後ずさる。
当然の反応だ。
クラリスはそんな彼らに、水槍を放ちながら一直線に駆け出す。
受ける兵士達も、さすがにもう相手が子供だと油断はしない。
迫るクラリスに注意を向けながらも、水槍を一つ一つしっかりと躱していく。
が――
――ドンッ!
「なっ!?」
「おいっ!?」
「邪魔だっ!」
仲間の動きにまでは、注意が回らなかったらしい。
魔術に誘導され、まんまと一箇所に集められてしまった。
そして、水に隠して足元に投げられたナイフには、ついぞ気付くことはなかった。
白木の柄に、緑色の宝石の刀身。
アルテラの祝槍と同じ、大樹リーンアークの素材を使った『樹晶石のナイフ』だ。
ナイフを中心に、兵士達の足元に円形の光が広がる。
光に気付いた彼らが下を向いた時には、高速に螺旋回転する円柱が、その股間を打ち抜いていた。
「「「おぼごふっ」」」
悲鳴は3つ。
ただ1人隊長と思しき男が、間一髪で回避していたのだ。
だが、体勢を立て直した時には、もうクラリスは眼前に迫っていた。
小さな身体を更に低くした、非常に狙いにくい高低差。
「ぬおおおおおぉぉぉぉぉっっっ!!!」
隊長はギリギリまで上体を沈め、クラリスの顔面めがけて横薙ぎに剣を振るう。
日頃の訓練の成果か、無理な体勢から放った剣はかなりの鋭さ保ち、カウンター気味にクラリスの頭部に吸い込まれていく。
「ほいっと」
だが、その剣が切れたのは、クラリスの残像だけだった。
一瞬で飛び上がったクラリスは、剣を踏み台にもう一段飛んで、隊長の顔面に肘打ちを見舞う。
「なごがっ!?」
剣を振り切った反応しづらい体勢な上、ここまでの股間狙いで上半身への警戒が緩んでいた隊長はあっさりと直撃をもらってしまった。
仰向けに倒れていく隊長。
クラリスは飛び上がった状態のまま、空中で勢いよく回転。
伸ばした足の先には、無防備に曝け出された隊長の股間。
――ゴリュッチュ。
「ぽみゅぱっ」
回転の力も加えた強烈な空中踵落としが、残り2つの玉を粉砕した。
全ての玉を砕き、シュタッと着地するクラリス。
「はっぴーばーすでい」
決め台詞である。
今日から新たな人生が始まる彼らへの、祝いの言葉だ。
数秒の残心を経て、部屋の奥の大扉に目を向けるクラリス。
破壊目標のバベルはあの扉の先だ。
クラリスは扉に向けて悠然と足を踏み出し――
「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!」
全力で、その身を前方に投げ出した。
両目と口を大きく開けたその表情に、男達を恐怖に陥れた冷酷なボウル・クラッシャーの面影はない。
必死のダイブを敢行したクラリスの背後、一瞬前まで彼女が立っていた床が大きく爆ぜる。
床を食い破って現れたのは、巨大な龍。
バベルに続く、ゼーラディスト第二の切り札。
蛇の胴体にワニの頭と手足の超大型魔獣、シルヴルオルムだ。
「へぶっ」
顔面から床に落ちるクラリス。
自身の無事を確認しながら振り返ると、巨龍は既に天井を貫いていた。
シルヴルオルムの長大な体が、物凄い勢いで上階に登っていく。
そっと正座に座り直したクラリスが、存在感を消してその様を眺めていると、程なくして魔獣は天井に消えていった。
「ふぅ…………お?」
巨龍が去った穴を見上げていると、クラリスの目にキラリと光るものが映った。
くるくると回りながら落ちてきたそれは、『ストンッ』と小さな音を立てて床に突き刺さる。
柄にグリフォンの意匠が施された、寒気を覚えるような銀を放つ長剣。
「びゃっこー……?」
兄、グレンの愛剣、白虹だ。
『グレン、びゃっこーおとした?』
『クラリス? あぁ、ちょっとトラブルで……って、お前何で知ってんだ!? まさか……!』
『げっ』
『『げっ』じゃねえよ! お前、さっきマリエルとだけ話してやがったな!? あ、おいっ、念話切るな――』
切った。
本格的に怒られる前に速攻で切った。
さっきの念話も、怒られるのがわかっていたから、マリエルにだけ伝えたのだ。
白虹だけ落ちてくるという異常事態に、思わず念話を繋げてしまったが、元気そうだし多分大丈夫。
クラリスは、さっさとバベルを壊して退散することに決めた。
白虹を回収して、そそくさと大扉の先へ。
扉の向こうは、壁や床の間接照明だけが照らす薄暗い大部屋で、上を見ると上階4つ分ほどが吹き抜けになっていた。
そして、その中心。
吹き抜けを貫いて聳え立つ、円柱形の大型建造物。
これこそがゼーラディストの強大な力の源――『バベル』だ。
「でっか」
でかい。クラリスが小さいから、対比で余計でかい。
クラリスの火力でこれを壊すのは、かなりの労力がいるだろう。
が、やるしかない。
グレンとの念話を切った後に上の気配を探ったクラリスだったが、そこにはマリエル、ルーアリノア、そしてゼーラディストの3人しかいなかった。
グレンはあの魔獣に連れ去られたのだろう。
あの2人だけでゼーラディストと戦うのがどれほど危険なことか、クラリスにもよくわかっている。
1秒でも早い破壊を試みるクラリスは、手にした剣に視線を移す。
「……びゃっこー、つかっていい?」
天空王グリフエラーナが、自らの意志でグレンに残した素材を使ったこの剣は、グレン以外が持つと盛大に機嫌を損ねるのだ。
ご機嫌を伺うクラリスに、白虹は部屋の照明とはあきらかに違うリズムと色彩で、寒色七種の反射光を放つ。
白虹がやる気を出した時の合図だ。
「ん、ありがと」
白虹は、自身の身の丈を大きく超える少々肉厚の長剣だが、使用を認められたクラリスはそれを軽々と構える。
そこに魔力と共に破壊の一念を注ぎ込むと、薄寒いほどに美しい銀の刀身が、禍々しい黒い瘴気に包まれた。
歴史上でも発現者はほとんどいないと言われる、幻の魔術『死属性』だ。
武具や拳への付与限定で、魔力障壁は苦手と弱点は多いが、触れた物質は例外なく壊死させる危険極まりない力。
……ルーアリノアとの出会いの際、彼女が抵抗したら、クラリスはこれを太股にぶちかまそうとしていた。
死を呼ぶ剣を構え、バベルへと飛びかかるクラリス。
放たれた一閃は……兄の姿をよく見ているのだろう。
歴戦の剣士も目を剥くほどに、洗練されたものだった。
「どっせい」




