01. 居酒屋の宇宙人
駅前のドンキでパーティーグッズを物色中に、オレは宇宙人に遭遇した。
より正確に言うのなら、宇宙人を自称するイカレた女、だ。
ただ困ったことに、オレはその頭のおかしい女のことが、さほど嫌いではないらしい。ソイツが本気でそう信じているふうに話す与太話は、不思議と不快には感じなかった。
第一声はこうだ。
「もしも過去をやり直せるとしたら、キミはいつ、どの時をやり直す?」
男みたいな喋り方をするソイツの手には『私が王様』と書かれた襷があった。
「いや、王様タイムリープできねーだろ」
思わず、そう、ツッコミを入れる。
「ん、この星ではそうなのか? 王族ならばそれくらい可能かと思ったんだが」
「星て」
じゃあアンタは宇宙人なのか、などと、問いですらないぼやきを漏らせば、まさかまさかの首肯が返る。
あ、コイツやべーヤツだ。そう認識し、関わるのはよそうと踵を返す。返した、ところで言葉が追いかけて来た。
「それで、最初の質問に答えてもらっていないが」
「……なんだっけか?」
振り向き、肩越しに訊ねた。
「――もしも過去をやり直せるとしたら」
あぁ、それか。オレは呟き、振り返って答える。
「やり直さない」
「……はぇ?」
結構な美人は、それはそれは間抜け面をさらしてくださった。
「失敗はいくつもしてきたし、後悔はもちろんある。でも、過去のやり直しなんてのは選択への冒瀆だ。自分が択んだものを、自分で穢す気は無いね」
やり直せたら、と思うことならばある。でも、本当にやり直せるとしたら、オレはやり直しなんてしない。したくない。
「……へぇ」
女が、笑う。その顔に、何故か背筋が寒くなった。冷たいわけではなく、むしろ温かいや熱いを通り越した、とろけるようなその笑顔に。
「良いね、キミ。実に良い。『誰か』を欲しいと思ったのはこれが初めてだよ」
言葉を返すまでに、少し間ができたのは、その寒さのせいだ。
「残念だったな。オレはもう売約済みだ」
言って左手、その薬指にはまった指輪を見せたのだが、ソイツはそれに小首を傾げて応じた。あー、はいはい、宇宙人宇宙人。
「嫁が居る、って意味だからな?」
★
「そっか。じゃあ、これから一杯どうだい?」
おごるよ、と笑って続けるが、繋がりがまるでわからない。
「じゃあ、ってなんだよ。既婚者逆ナンしてんな」
「キミの言葉は良くわからないけれど、この国では既婚者が誰かと飲酒をするのは罪なのかい?」
その言い様が面白かった、というのがソイツに付き合った理由のひとつだ。それ以外の理由としては、口調のせいもあってか不思議とコイツに『女』を感じないということ。外見だけなら、かなりの美人ではあるのだが。
★
連れて行かれたのが居酒屋、というのも良かった。これがもしも小洒落たバーだったりしたなら、言葉通り一杯だけ付き合って退散していただろう。
宇宙人を自称する、中性的な美女と、居酒屋で酒を呑む。実にバカげた愉快さではないか。
ソイツは呑みっぷりも実に良く、オレはすぐにその自称宇宙人を性別の関係ない友人と思うようになる。
「んで、宇宙人、過去がどうこう言ってたが、時間旅行でもできんのか?」
ジョッキ片手に、そんなことを訊ねた。当然、酒の席の与太話である。
「より正確を期すならば、時間旅行ではなく、時間遡行だ。過去に遡り、特定の未来を枯死させることで、望む未来を手繰り寄せる力だ」
「ふーん。ノベルゲーの栞みてー」
などと適当な相槌を打てば、ソイツは一瞬きょとんと目を見開いて、すぐに嬉しそうに破顔した。
「キミの表現は実に個性的だね」
「そーか? どっちかってーとつまんねー例えだと思うぞ?」
突き出しの枝豆をつまみつつ、雑に答える。
「つまらない、というか、俗な表現だね」
これにはオレも苦笑い。
「褒めてんのかけなしてんのかどっちだよ」
「勿論、褒めている。キミたち地球人類にとっては、ほとんど奇蹟のような力を、俗っぽく例えられるのはキミくらいだよ」
「そりゃ随分気に入られたよーで。奇蹟を起こせる宇宙人サマには、取るに足らねー相手だぞ?」
年収は平均を大きく下回るし、顔だって十人並みだ。
「そうでもないさ」そう言ったソイツの顔はやけに真剣なもので「あらゆる選択肢を試せても、最初からゼロの可能性には手が届かない。たとえば、このボクがキミの妻になる未来は何処にも存在しなかったように」
浮かべた笑みは、素直に美しいと思える表情だ。
美人に言われるのならば、それは男冥利に尽きるセリフだったのかもしれない。けれど、オレが感じたのは……
と、そこでクスクスと、それだけは随分女性的な笑い声が響く。
「嫌そうな顔だね」
「まぁな」
「そんなに過去改変は嫌いかい?」
「嫌いだな」即答だった「今の自分を否定する気はねぇ。ま、全肯定できるほど上等な人間でもないけどな」
そこだよ、とソイツは言った。
どこだよ、とオレは返す。
ジョッキに半分ほど残っていた生ビールを呑み乾した自称宇宙人は、顔色も変えずに言う。
「キミはボクが宇宙人だってことも、時間遡行の話も信じていないんだろう?」
「そーだなー、宇宙人と未来人、一人二役なんてすげーなー。これで超能力が使えたらフルコンプだなー。あ、言っとくがオレは神様じゃねーぞ?」
良く考えたら未来を枯らすというのは超能力っぽいか。なんてことを考えるオレの前で、ソイツは軽く首を傾げる。
「うん? キミがごく一般的な地球人であることは、見ればわかるけれど?」
「偶蹄目の方だったかー。いや主人公でもねーよ」
オレのつまらない冗談は、しかし鼻で笑われることすらなく、
「何の話かまるでわからないんだが……何故偶蹄目?」
真顔でそう問い返された。
「おいおいマジかよ。ひとつの時代を築いたラノベだぜ? 電波なこと言ってるクセしてオタク文化にゃ興味ありません、ってか?」
ケッ、と吐き棄ててポテトフライに手を伸ばす。嫁と違って趣味の話ができそうだと少し期待したんだが……
「いや、ボクはキミに興味津々だが?」
真っ直ぐに見つめてそんなことを言うものだから。あんぐりと開いた口からこぼれた、皮付きフライドポテトが膝の上に転がった。
……口に運んだのがビールじゃなくて良かったよ、マジで。
「話を戻そうか。キミはボクの時間遡行を話半分程度にも信じちゃいない」
「そりゃそーだろ」
混ぜっ返すつもりで言ったが、ソイツの真剣な表情は崩れなかった。
「だったら総ては仮定の話だ。無人島にひとつ持っていくなら? 明日世界が滅ぶなら? もしも願いが叶うなら? そんな、ただのたとえ話と一緒。だというのにキミは、そんなモノ要らないとはねのける。
奇蹟を拒絶する、キミの人間としての潔癖さは実に好ましい。これはもう、愛していると言っても過言ではないだろう」
ソイツの言葉の不快感を呑み下すように、ひと息にビールをあおる。空になったビールジョッキを、オレは叩きつけるように卓に置いた。
「だっからっ、既婚者口説いてんじゃねーよ、自称宇宙人」
帰る。そう言い捨てて立ち上がったオレの背を、また言葉だけが追いかける。
「次に逢う時までには、勉強しておくよ。オタク文化について」
驚きもなく、慌ててもいないソイツのフラットな声音に、思わず笑みが零れた。
「あぁ、また会えたら、そん時はそのへん肴に酒でも呑もう」
★
「……つって、マジでまた会うとは思わなかったんだが」
ちょうど1週間後のことである。前回ソイツに連れて行かれたのとは違う、オレ自身の行きつけの店――今回も居酒屋ではあるが――の暖簾をくぐると、いつも座る席、その隣にソイツが居た。
思わず立ち尽くすオレを、自称宇宙人は計ったようなタイミングで振り返り、にやりと笑った。
「運命を感じるかい?」
焼き鳥の串を片手にそんなことを言われたオレは、ハッと鼻で嗤って返す。
「ソイツは都合の良過ぎる、もしくは悪すぎる偶然の呼び名だな」
「それは悲観主義が過ぎるんじゃないかい?」
「現実主義、つーんだよ、コレは」
くす、とソイツは笑う。
「ともあれまた逢えたんだ、約束通り、付き合ってくれるんだろう?」
「……ま、いーか」
約束は約束だし、そもそもコイツのことは嫌いじゃない。個性的なヤツはだいたい好きだ、なんてことを言うと、何故かよく呆れられていたが。
旧友が言うには、オレが好むのは一般に言う『個性的』を周回遅れにしたような連中だとのことだが、それには異を唱えたい。少なくともウチの嫁はそんな奇人変人の類ではない。
……今目の前で、旨そうにビールを呑んでいる自称宇宙人については何も言うまい。何か言うとドツボにはまりそうだし。
「これも約束通り、『オタク文化』なるものについて勉強もしてきたんだが……キミ、少し不親切じゃないか?」
甘噛みのように恨めし気な視線で睨まれたオレは、はて、と首を傾げる。
「なんの話だ?」
「――ラノベ。ライトノベルの略だと突き止めるのに、結構な時間を要した」
「……いや、そこまで珍しい単語でもないと思うんだが。本屋で訊いたらすぐわかるんじゃね?」
とりあえず生を注文し、いつもの席に着く。
「そもそも本だということもボクは知らない。キミが帰った後、他の客や店員に訊いてみたが、誰も知らなかった」
「……あー。」
居酒屋に来るようなおっさん連中は知らなかった。ということもないだろう。きっと何人かは知っているヤツもいたはずだ。
けれど、いきなり美人に訊かれて「知っている」と答えられる陽キャという制限をつけるといなかった、ということだろう。
新幹線でスーツ着て、ラノベをカバー無しで読める猛者ばかりではないのだ。ちなみにその時のタイトルは某『殺戮者たち』のすぺしゃるの方だった。あのおっちゃんのことは心の中で師と仰いでいる。
「だがちゃんと調べて来たぞ。無自覚な神様の憂鬱の物語」
ふふん、とドヤ顔をかましてくれているが、エライ大仰な言い方だ。
――あぁ、先にやったのはオレの方か。
ともあれ、同じネタが共有されるのは、素直に嬉しい。
同好の士……に、なれるかもしれない相手に乾杯。オレとソイツはビールジョッキを打ち鳴らした。
「理解したよ。なるほどそれで偶蹄目か。正確にはキョンは鯨偶蹄目だが、そこまで限定するとくどくなる。やはりキミの表現は独特で面白いね」
――前言撤回。
「……お前ね、一度滑ったギャグを掘り返される身にもなれっての」
なんだこの羞恥プレイ。
「何故だい? ボクの理解が足りていなかっただけで、特定の単語を同音の別のもので表現するというのは、実にユーモラスなジョークじゃないか」
「やーめーろー」
分析すんな。あとユーモラスとか言うな。
頭を抱えてカウンターに突っ伏すと、隣から言葉が振って来る。
「可愛らしい反応だね」
「ケンカ売ってんのかドS宇宙人」
「うん? キミとは仲良くしたいと思っているよ?」
真顔でこういうことを言うヤツだ。
ため息ひとつでいろいろなことを諦め、身を起こす。
「んで、ラノベはお気に召したかよ、宇宙人?」
「あぁ。実に興味深いね。ライト、などと謳っているからか、言葉での遊び方がとても自由だ。常識にとらわれない表現技法はボク好みだよ」
オタク特有の早口、というほどでもなかったが、その語りぶりは本気で気に入ったのだろうと思わせた。
「ラノベ読んでその感想はなかなか出てこないと思うがな」
「そうかい?」
「そーだよ。たいていはキャラに萌えるもんだぞ、アレ。口数は多いケドお前、発想はあのシリーズの宇宙人みたいだな」
「そうかな。ボクはどちらかと言うと超能力者の方に似ていると思うが」
「うさん臭さがか?」
「いいや、黒幕臭さが」
にやり、と意味ありげに笑って見せるが、ちっとも怖くない。
「似合わねー」
「え、嘘。」
「嘘じゃねーよ。お前はイロイロ馬鹿正直にぶっちゃけ過ぎなんだ、腹黒キャラはどうあがいたって無理だろ」
「そうでもないさ。これでも、欲しいものは手段を選ばずに手に入れる主義だよ」
胸に手を当て、自慢げに言うが、それは誇ることなのだろうか?
「タイムリーパーが言うとシャレにならねーな」
もちろんこれはただのジョークだ。コイツの設定を信じてなどいない。
ビールジョッキを傾けるオレを、ソイツが上目遣いに覗き込む。
「それでも手に入らなかったから、ますます欲しくなってるんだけどね」
浮かべている表情は、いつか見たとろけるような笑顔だった。
元々の顔も相俟って、とても綺麗ではあるのだが。何故かオレには悍ましさを感じさせる、そんな笑顔だった。