消えた二年三組
掃除時間終了後、五時間目が始まる直前。
二年三組の教室の片隅で、男子七人女子六人のグループは青い顔をしていた。
このクラスの中では最大のグループだ。
「おい……どうするんだよ、竜也」
「天野の奴、戻ってこねえよ……」
「やっぱり、あいつ……もう……」
「うるせえ! あいつが勝手に落ちたんだ! それに元はと言えば陽子が提案さえしなければ!」
「はあ? 実行したのは竜也でしょ?」
責任の押し付け合いが始まる。
彼らが気にしているのは、クラスメイトの天野薫のことだった。
彼らは今日の昼休み、いつもおもちゃにしている薫を、立ち入り禁止になっている校舎の屋上に呼び出した。
今日もいつも通り薫をおもちゃにして遊んでいた。
中学生ではなく小学生にしか見えない低い身長、女子にしか見えない顔、アニメや漫画の話になると気持ち悪いくらいによく話すオタク……薫は彼らにとって最高のおもちゃだった。
何より反応が良い。殴りかかると、とっさに防御しようとする。そこを背後から蹴り飛ばし、倒れたところを集団でボコボコにする。それでも薫はあきらめずに逃げようと、反抗しようとする。その反応が面白くて、彼らは薫を一層痛めつけた。
彼らに罪悪感はなかった。
話すとオタクっぽくてキモイ、男なのに女みたいでキモイ、そんなキモイ奴に制裁を加えているだけという意識しかなかった。
だが、どんな遊びもいずれ飽きが来る。
いつもとは違うことをしたい、もっと面白い反応が見たいと考えた彼らは、尾上陽子の提案で、屋上に呼び出した薫から生徒手帳を奪い取った。そして、転落防止用のフェンスの隙間から生徒手帳を落とした。
フェンスの向こうの屋上の端、薫では絶対に手の届かないところに落とされた生徒手帳。
「どうしよう……どうしよう……」
薫は今にも泣き出しそうな、困った顔をしている。
そんな様子を見ながら、彼らは大笑いしていた。
そして、
「よーし、それなら拾わせてやろう!」
グループの中心人物である浅野竜也が調子に乗って、薫の体を抱えてフェンスの外に投げ飛ばした。柔道部である竜也は体格が大きく、小さな薫の体を持ち上げることは容易だった。
その時は、竜也もグループのほかの面々も、薫は屋上の端に引っかかって泣き出すと思っていた。泣き出す薫を放置して笑いながら教室に戻ろうと考えていた。
そこで、彼らの予想外のことが起こる。
「うわああああああっ!」
フェンスの向こう側に投げられた薫は、屋上の端に引っかかることなく、生徒手帳と一緒に地面に向かって落下した。
小さくなる薫の声と何かがつぶれるような嫌な音を聞きながら、彼らの視界から天野薫は消えた。
「ヤバい……」
予想外の出来事に動揺した彼らは、何もせず、何も考えられないまま、黙って屋上を立ち去った。
それから三十分近くたった現在、薫は教室に戻ってこない。
天野薫はあのまま死んでしまったのではないか?
誰も口にはしなかったが、そんな考えがグループ全員の頭をよぎる。
「……先生に、話そう」
重い空気の中で口を開いたのは、橋本静香だった。
尾上陽子の提案を何も考えずに支持し、浅野竜也の行動をその場の勢いであおった、いわゆる傍観者だ。
「チクるのかよ、静香?」
「お前も共犯だぞ?」
「……わかってる。でも、天野が死んじゃったのなら……それは私たちのせいだ……!」
そう言って静香は頭を抱えた。
自分は何も考えてなかった。
楽しめればよかった。
まさか、人の命を奪う結果になってしまうなんて、思いもしなかった。
……天野薫のことなんて、何も考えていなかった。
「天野……ごめん……私が、バカだった……」
静香は涙を流して、誰にも見つけられずにいる薫に謝罪の言葉を口にした。
そんな静香に、陽子が小声でささやく。
「余計なことするんじゃないよ、静香」
「でも……! 陽子……!」
「運がいいことに天野が死んだことは誰にもばれていないんだ……このままなら、隠し通せる。余計な事したら絶交だよ?」
絶交。
それは中学生である彼女にとっては死刑宣告にも等しい言葉だった。このクラスでの居場所を完全に失うことになる。
「いいな?」
「う……うん……わかった。私は何も言わない……」
静香は、悪魔に魂を売った。
何とも言いようのない、後悔と安心感に包まれる。
(これで……よかったんだ……)
静香は無理やり自分を納得させた。
仕方がない。こうでもしないと自分の居場所がなくなるのだから。
五時間目のチャイムが鳴る。先生はまだ来ない。
その時だった。
「え? ちょっとなにこれ?」
クラスの誰かが叫んだ。
突然、教室の床が赤く光り始めた。
教室の中が騒然とする。
不気味な赤い光は見る見るうちに教室全体を覆いつくす。中の生徒たち二十四名も一緒に。
「外に出れない!」
「う……嘘だろ……!」
何人かが扉を開けて廊下に出ようとするが、見えない壁のようなものに阻まれて教室から脱出できない。窓を開けて脱出を試みても、やはり見えない壁に阻まれる。
生徒たちは教室に閉じ込められてしまった。
「嘘……スマホも通じない!」
「助けて! 誰か助けて!」
持ち込み自体が校則違反のスマホで助けを求めようとした者もいたが、電波も遮断されているようだった。恐怖にかられた生徒が大声で叫ぶ。
「な、なんだこれは……!」
二年三組の教室の前に、騒ぎを聞きつけた先生たちやほかのクラスの生徒が集まってくる。先生たちは教室の中に入ろうとするが、やはり見えない壁のようなものに弾かれて中に入ることができない。
「う、うわああああああっ!」
教室を覆う赤い光が一際強くなる。
――小さな人影が全速力で走ってきて、赤い光の中に飛び込む。
そして赤い光は、ゆっくりと弱まっていき、消えた。
「……一体、なにが起こったんだ?」
学年主任の先生が呆然とする。
さっきまでいた二年三組の生徒たちはいなかった。机もかばんも教室の中にあったものは全部なくなっていた。
この日、東田中学校二年三組の生徒全員が、姿を消した。