サンプル作品 「魔王誕生」
「ざまぁないな」
鎧、剣、盾、全てにおいて煌びやかな装飾に施された武具を纏い、その人物は言った。
まだ、若い女性の声だ。
そして、その剣の先、彼女の目の前には、魔王と呼ばれた男がそこにいる。
地べたに座り込み、片手で身体を支えている。
白の手袋は徐々に赤く染まっていき、冷い石畳に血溜まりを作っていた。
乱れた漆黒の長い髪からも血が滴り落ちる。
防具らしき防具は付けていない、彼の髪と同様な漆黒の衣装はところどころ焦げ、切り刻まれており、そこから血が滲んでいる。
「まったくだ」
その魔王と呼ばれた男は、呟きを吐き捨てると、顔を上げ彼女の方を向く。
長い漆黒の髪から覗く瞳、そのルビーのごとき瞳は、未だ輝きを失ってはいない。
彼女はその瞳を知っていた。
二人の間に沈黙が訪れる。
冷たい春先の雨の中、私は小さな祠の影でうずくまっていた。
ひとりぼっち、父さんも母さんも弟も、もういない……
昨日までは一緒だった。
みんなと笑いながら晩ご飯を食べた。
父さんは沈んだ顔を浮かべていたが、母さんが父さんに向かって微笑みを浮かべると、父さんが思い出したかのように笑顔を見せたのが何故か印象的だった。
そして今朝、私達の村に役人が来た、兵隊たちを引き連れて。
その役人は、金糸・銀糸をちりばめた真っ赤で派手な衣装を着込み、尊大な態度を取っていた。
貴族って言うらしい。
まるで虫けらを見るような眼差しで私達を見る。
小太りの役人は、洋紙を掲げると何やら喋り始める。
私は言っていることが、よくわからなかった。
税がどうのこうのといった、言葉だけが聞き取れる。
その役人の言葉の途中で、村長さんがすがるように何かを訴えかけた時、役人は怒鳴りつけて村長さんを足蹴にした。
その時、隣で音がした。
見ると父さんが立ち上がっている。
父さんの顔は、今まで見たこともないような、恐ろしい顔をしている。
怖かった、不安も感じた。
父さんが立ち上がると同時に、村人からも声が上がる。
役人は顔を真っ赤にすると同時に、荒げた声を出す。
「立ち上がっている奴らの家族は見せしめに…… 」
その声を合図に兵隊たちは下卑た笑いを浮かべながら、村人達に向かってきた。
「逃げろ!」
怖い、恐ろしいまでの形相のまま父さんは私に言った。
足がすくんで動けない私を動かしたのは母さんの手だった。
「早く!」
母さんも父さんと同じような表情を浮かべている。
(なに? 何が起きているの?)
何が起こっているかわからないまま走る、ただ走る。
後ろで、広場で叫び声が響く。
私は必死になって母さんと走った。
だけど、母さんは幼い弟を抱えていた。
だんだん、その足取りが弱くなっていく。
「森に逃げなさい!」
母さんの声が聞こえた時、母さんのその手が離れる。
私はほんの数歩だけ進んで、慌てて振り返った。
目に映ったのは、弟を抱えたまま苦しそうに座り込む母さんの姿。
そしてその背後には、朝霧に蠢く兵隊の影。
「行きなさい! 振り向いてはダメ!」
その声に気付いてか、影が母さんに迫ってきている。
私はどうして良いか、分からずにいた。
俯き、もう泣き出そうとしたその瞬間に、肩に痛みが走る。
「痛い!」
石の飛んできた方向を見ると、母さんが石を構えている。
「行きなさい!!」
父さんと同じ目をしていた。
怒りを含んでいた、拒絶を放っていた、「行け!」と言っていた。
そして涙をはらんでいた……
私は身体の向きを変え走った。
泣きながらに走った。
村の柵を越え、朝霧の纏う森に向かって……
背中越しに弟の泣き声が聞こえる。
「やめて!」と母さんの叫び声が聞こえる。
何か鈍く重い金属音がすると、弟の泣き声は途絶え、母さんの張り裂ける叫び声がこだまする。
そして、その叫び声も金属の発する音とともに、霧の中に消えていった。
私は走った何も考えずに、考えられずに走った。
そこから先はもう、記憶がない……
(ここは、どこだろう…… )
私が気付いた時に思った事はそれだった、それだけだった。
走った、彷徨い続けた、森の中を……
それしか思わなかった、それ以外のことは思い出したくなかった。
辺りは月の光に照らされて、かすかに広がりを見せている。
道の上にいるらしい。
この道がどこに向かっているか、どこに繋がっているかもわからない。
不安で寂しいと思う気持ちが湧き上がってくる。
その時、オオカミの遠吠えが聞こえた。
(近い)
私はさらなる不安に押し殺されそうになりながらも、辺りを見渡す。
そこに月の光に照らされた小さな祠が目に止まった。
子供がやっと身を隠すことが出来るくらいの、小さな祠。
私はそれにすがりつく。
身をかがめ、這いずる様にその祠の中に入る。
扉は壊れ、屋根もボロボロだ。
それでも、それしかなかった、そこしかなかった。
中に入ると壊れた屋根から差し込む、月の光に照らされた小さな女神像が安置されている。
「運命の女神」
村でも崇拝されている神様だ。
その女神像は柔らかな笑みを浮かべてそこにいた。
「父さん、母さん、弟が無事でありますように」
私は祈った、願った。
目を瞑り長く願った。
叶わぬ願いと知りながらも……
その時、後ろで獣の息遣いが耳に入る。
私は声を殺し、慌てて扉のほうを避け、身を隠す。
しばらく女神像の横で震えていたが、獣の近付く様子は無い。
私はそおーっと音を立てずに扉の方に向かい、外の景色を覗く。
誰かいる!
外に人影が見える。
その人影はジッと立ちすくみ、こっちを見ているようだ。
逃げようとしても逃げられない。
私は震えながらその人影を見ていた。
その人影はその場所で動かない、変わらずこっちを見ている。
月にかかっていた雲がよぎる。
月の光がその人影に差し込み降り注ぐと、その姿があらわになった。
(女の子だ私と変わらない)
その少女は喪服を纏っていた。
だか、その少女の透き通るような白い肌と、長いプラチナブロンドの髪が月の光にあてられ。
まるで浮かび上がっているかのように見える。
声をかけようか、どうしようかと迷っているうちに、その少女はゆっくりと口を開いた。
「あなたは選択を強いられる…… 」
透き通るような声。
だけど何を言っているのだろう……
私もその少女に声をかけようとした。
「あ、あの…… 」
私の、その言葉続きは最後まで出ることはなかった。
少女の声が響く。
「だけど…… 今は眠りなさい…… 」
その少女が手を私の方に差し向けると、私は猛烈な睡魔に襲われた。
しばらくは、霞む目で少女の姿を私は捉えていた。
その少女はゆっくりと背を向けると森の方へ向かっていく。
「まっ…… 」
「待って」の言葉も出ないくらいの睡魔との戦いの中、霞む視界で大きな獣の姿を捉える。
オオカミだ。
大人の人よりもはるかに大きい。
だがその恐怖よりも先に睡魔が襲って来る。
霞む視界の中、オオカミはその金色の目で一度だけこちらを見ると、喪服の少女に駆け寄り並んで森の中に消えていった。
「なんだ…… ガキか」
私はこの言葉で目が覚めた。
ゆっくりと目を開けると太陽の光を背にした、大きな影が写る。
「ヒッ!」
私は慌てて祠の奥に逃げた。
あの兵士達が来たと思ったのだ。
私は女神像の横で震えながら扉の方へ顔を向ける。
「あ〜ん、盗賊かなんかと思ったか? そこまで落ちぶれてね〜よ」
黒い服に包まれたその男はそう言うと、その場で身をかがめた。
腰に刀を刺している、その色も黒だ……
男は顔を覗かせる。
その時に初めて見たのだ……
このルビーのような、赤い瞳を……
俺は昔、家を飛び出した。
いいとこのお坊ちゃんだった俺は、ガキの頃から家のしきたりだの、騎士道精神だのと叩き込まれていた。
口やかましく言う親父は、その権力をかさに、住民に、屋敷のみんなに、そして母さんにまで、その力をまき散らしていた。
だから俺はそれに嫌気がさして飛び出しちまったのさ、もうずいぶんと前になる。
俺は魔力と言うものを持っているらしい、原因は赤い目だ。
これを見た時、親父は凄く喜んだらしい、知ったこっちゃないが。
俺は剣や弓はガキん頃から叩きこまれていたし、目利きも効く方だった。
ヤバいことも何度かあったが、それなりに旅を楽しんできた。
そん時だ、俺はボロボロな祠ん中で震えるガキを見つけたのは。
聞けば村が役人とその兵士に襲われたと言う。
今どき珍しくも無い。
どうせ、あのクソッタレな親父と同類のもんだろう。
面倒ごとは嫌いだが、ほっといても寝覚めが悪い。
しゃーないから連れて回ったのさ、まっ気まぐれってなモンよ。
そん時色々教えてやったさ。
狩の仕方から、捌き方、料理までな。
時たま剣も教えてやってたんだが、それがビックリすることによー。
すんげぇ飲み込みが早ぇんだよ。
まずスピードが尋常じゃあねぇ。
そん時は身体が出来ていねぇから、剣に振り回されているところがあったが、そん時でも凄え剣士になるぜと思ったもんだ。
それからしばらくは一緒にいてやったんだが、このガキはな、強くなった、逞しくなった、そして……美しくなったんだ。
いい娘になっちまったんだよ。
だから置いてったのさ、王都に……
俺なんかちょっといいとこ出っていう、ただの風来坊だ。
いつ魔物や夜盗に襲われて、くたばってもおかしくない。
だから「捨てた」んだよ。
それが…… こんな形になっちまうなんてな。
私は王都についた時に、彼に捨てられた。
訳がわからなかった。
朝、宿屋で起きると「ここで生きろ」と書かれた手紙と、金貨が数枚テーブルの上にあった。
私は彼を探した。
王都の外までも足を運んだ。
それでも彼は見つからなかった。
それから私は、泊まっていた宿屋で働くことになる。
宿屋の親父さんも奥さんも、実の娘のように優しくしてくれた。
その中で私は教会に赴き、祈りを捧げていた。
「彼に会いたい」
そう、毎日願っていた。
それから数年の月日が経ち、私は決心する。
私はいつものように教会で祈っていた。
ただ、いつものような町娘の格好では無い。
床に剣を置き、身には革鎧を身につつみ、祈っていた。
「それで……いいの?」
後ろから声がかかる。
私は跪いたまま身体を背後へ向ける。
そこには喪服を着た少女がいた。
間違いない、あの小さな祠で出会った少女だ。
私は目を疑う。
バカな、あれから何年経っていると思っている。
私と同じくらいの歳だったはずだ。
「あなたは…… 」
私が少女に問いかけようとすると、少女はスッと私の後方を指差した。
その方向に顔を向ける。
そこには女神像の姿がある。
この教会の、私が祈りを捧げている女神像。
その女神像の違和感に、すぐさま私は気付いた。
「!」
女神像が、泣いていた。
石像のその瞳から涙が流れている。
私は呆気に取られながらそれを見ていたが、すぐに我にかえる。
雨が降っているのか……いや、ここは教会の中だ、雨など入ってくることはない。
それに今日は雨など降っていないはずだ。
そう思い入り口の方に顔を向ける。
そこで私は再び驚かされる、あの少女の姿が無いのだ。
女神像に顔を向けたのは、ほんのわずかな時間だ、走ったとしてもその音でわかるはず。
私は困惑したままその場で立ち上がっていた。
教会の入り口は強い日差しに照らされ、道行く街人の影が私の視界に入っていた。
俺は彼女と別れた後は、各地を点々と巡っていた。
どこもかしこもでたらめだ、気が滅入る。
貴族は住民を家畜のように扱い。
その住民もそれがさも当たり前のように振る舞う。
「虫唾が走るぜ」
そう吐き捨てるように呟きながら、ある村に立ち入ろうとした時に声がかかる。
「待て! 怪しい奴だな! 通行証を見せろ!」
その村の門番らしき男が槍を、俺の喉元に突き付けながら、そうほざく。
俺は背に担いでいた荷物を地べたに落とすと、黒の刀を鞘ごとその男に向けた。
男は俺が刀に手をかけた時に、一歩下がり槍を構え直していた。
どうやら俺が反抗すると思ったらしい、やれやれだ。
「こっ、これは! 失礼しました! 巡回、ご苦労様です!」
俺の刀には家紋が記されている。
クソッタレな家の家紋だが、こんな時は利用させてもらう。
だいたいこれで、どの村も街も通行証なしで通ることが出来るからだ。
わざわざ事を荒げる必要は無い。
俺は敬礼したままの門番を無視するが如くに通り過ぎる。
そして俺はいつものように酒場に足を向けた。
「…… の村は酷えらしいぜ」
飯を食っている時に横の席の奴らが何やら噂話をしているのが耳に入る。
「ああ…… 隣の村でも酷ぇことしてるらしいぜ」
(ハッ、どこもかしこもこんな話ばかりだ)
「王様は何をしているのかねぇ」
「シッ! バカ止めろ! 滅多な事口にすんじゃねぇ」
(ハンッ、ワインの瓶ぶら下げてるよ。今頃な)
そんな悪態を吐きつつ、村人の声を拾いながら、エールを傾ける。
「それよりもだな。最近、冒険者ギルドに凄腕の奴が現れたらしいぞ。何でも魔物をバッタバッタとなぎ倒しているらしい一人でだ」
「はぁ〜、世の中そんな御人がいるんだねぇ〜。どんな偉丈夫なのかねぇ〜」
「それがな、何と! 女なんだ!」
私は冒険者ギルドに入り、冒険者となった。
あの男を探すために。
宿屋を去る時、親父さんと奥さんは私を涙ながらに引き留めようとした。
申し訳ない気持ちはある……
だけれども、あのままでは私の気持ちは治らなかった。
冒険者達はあちこちに飛び回り、魔物を狩り、その場所の情報を得て戻ってくる。
その情報を求めて私は冒険者になったのだ。
もちろんその情報を得るのにタダと言うわけにはいかない。
私も依頼をこなして、日々の生活を行なっていた。
この冒険者という仕事には、あの男の教えが役に立った。
剣や弓は元より、獲物に対する観察眼。
罠の仕掛け方。
気配の消し方。
素材の取り出し方法。
薬草の知識。
それにより依頼の失敗はほとんどなく、私は知名度が上がっていった。
そして時々、黒の男の噂が耳に入るようになった時、私は聞いたのだ。
黒の男が私の村を壊滅させたと……
「魔王が現れたぞ〜」
街中がその話題で持ちきりになる。
私は信じられなかった。
だが信じなければならなかった。
私は、その黒の男を追うために、魔王討伐隊。
騎士になる事を志願したからだ。
俺は何となく、噂になっていた村に足を向けたんだ。
理由なんかねぇ。
調べたら親父の派閥に入っている貴族が所有している村ってことだけで、それだけの事だ。
本当に何となく向かってただけなんだ。
村に近付くとちょっと気になることがあった。
その村に着いた時は、日も落ち、だいぶん薄暗くなっていた。
だけどどの家からも煙が上がってねぇんだ。
普通めし作る時間だろ? だけどどの家からも煙が上がってねえんだ。
それからな……
村の周りの木々によ、数えきれないくらいのカラスが止まってんだよ。
普通カラスってよ、日が暮れる前に寝床に帰るもんだろ?
それがよ、獲物を待ち構えるように並んでんだよ。
俺はカラスの視線の中をくぐって村に入っていったんだ。
門は開きっぱなしだ、櫓の上に門番もいねぇ。
後で気付いたんだがよ、門番は酒瓶抱えて櫓の中で寝てやがった。
そして、俺は村に足を踏み入れたんだ。
今思えばな、そこが境界だったと思うわけよ。
何がって? わかるだろ。
「人間でいられる」ということに対してだ。
私は騎士に志願した時は、平民出の女と蔑まれていたが、すぐに解決する事となる。
誰も私に剣で勝つ事が出来なかったからだ。
そして教会の教皇と呼ばれる人物に、私には女神の加護があると言われた事が決定打となった。
私はその事に何の興味も無かった。
誰よりも先に魔王と呼ばれる黒の男と出会う事だけが、私の関心であったからだ。
私は教会に呼ばれ、女神の祝福が授かっている剣、鎧、盾を渡される。
その時、私は私の村にいたと言う人物の話から魔王と言われる黒の男が、あの男だと確信する事になった。
村から逃げたという、その人物は私の知らない、見たこともない人物だったが、あの男は村の娘を黒の刀で刺し殺し、魔物を引き連れ兵隊をなぶり殺したあと、村に火をつけたと言う。
そして暗闇でも赤く光る目が印象的だった、間違いなく魔王だったと震えながらに言った。
話を聞くに、黒の男が火を放った家は私の家だろう。
あの男は私の思い出さえも奪ったのだ。
この瞬間に私を捨てたあの男は、私の仇となったのだ。
俺が村に入った時にデカい倉庫みたいな家があってよ。
そっから臭ってくんだよ。
何だ? 家で家畜でも飼っているのか?
そう思って窓から覗いたんだ。
そしたらよ、人間だったよ。
全員がクソにまみれた地べたの上で横たわってたんだ。
足かせをはめられててな、クソの上に皿が置かれてんだ。
家畜の方がマシと思ったぜ。
そん時だ、灯りのついた近くの家から女の悲鳴が聞こえたのは、だいたい察しはつくが俺はそっちへ向かったんだよ。
「おいおい、オメェのを突っ込んじまったら、また壊れちまうだろうが」
「股だけにな! ギャッハッハッ!」
「また、隣の村からかっぱらえばいいだろう?」
「ったくよ、使えるのソイツだけってのに! めんどくせぇ」
「領主様も、王様ばっかりに金使わず。コッチに酒と女よこしゃぁ、いいのによぉ〜」
「まったくその通りだ。こんなチンケな村に押し込みやがって」
俺は近付きながら男の声を数える。
三人、四……六人……
俺が家の前に立つと、扉が開き中から小さな影が現れた。
その影はヨロヨロと近付いて来るが、段差で足をもつれさ、俺の目の前でうつ伏せに倒れ込んだ。
女だ、まだ小さい……
全身アザだらけで血が滲んでいる。
そして股は大量の血と体液で汚れていた。
「う……うぅ」
少女は呻き声を上げながら、土に汚れた髪を払うことなく顔を俺のほうに向けたんだ。
「!」
ヒデェもんだった。
目も開かないくらいに顔は腫れ、鼻も曲がっている、切れた口から血を流し、外れた顎からは歯が何本も折れているのがわかる。
「……ひゅて」
少女の口から声が漏れる。
俺はただジッと立ちすくむ事ぐらいしか出来なかった。
「ころ……ひゅて……」
少女は血の涙を浮かべて最後にそう言ったんだ。
その涙が溢れた時は俺はもう人間では無くなってたよ。
その声が最後だったんだ。
人の「声」として聞こえたのは……
「もう一発いくぞ! ガキが逃げんな! あぁーん? なんだテメェはよぉ〜」
扉から差し込んでいた光が遮られるほどの男が現れる。
黒の男は刀をゆっくりと引き抜く。
「オッオッ やろうっていうのか?」
大男は扉の横に掛けている戦斧に手を伸ばし、それを構える。
黒の男はそれを気にする事なく、刀の刃先を音もなく少女に……
「あ……り……ぁ……」
その言葉を最後に少女は地面に崩れ落ちる。
黒の男は少女の横を、ただ通り抜ける。
一歩一歩ゆっくりと。
大男の横から、他の二名の兵士が顔を覗かせる。
一人は慌てて警笛を鳴らし始めた。
「ん? あ〜オメェさんやっちまっったなぁ〜。俺らの大事な村び ゴフッ」
警笛を鳴らし終えた兵が、安堵の表情で扉の方に顔を向ける。
すぐに外回りの仲間が駆けつけるはずだ。
彼はそう思っていた。
彼の目には刀を抜いた黒の男の姿が目に入る。
おかしい? 扉には二人の仲間がいて奴の姿が見えるはずが……
ゴトッとした音と共に目の前で何かが転がる。
視線を下げてそれを見る。
彼はそこでそれが仲間の下半身である事が、ようやく理解する事が出来た。
「ヒッ! ヒィ〜!」
警笛を鳴らした兵士は慌てて家の奥に逃げ込む。
黒の男は動かない。
家の中から別の三人の屈強な兵士が武器を携え飛び出して来る。
周りからもぞろぞろと兵士が集まって来ていた。
「距離を取って囲め! 逃すな!」
家から飛び出した兵士の一人が声を張り上げる。
「………… ゴミが」
黒の男から出された声、それは以前の彼の声とはまったくの別のものだった。
地面から響くような、深く重い声。
その声を合図に黒の男から赤い湯気のようなものが全身から立ち登り始める。
兵士達はジリジリと距離を詰める。
あともう少しで一斉に飛びかからんとした時、不気味な鳴き声が響く。
それは空から聞こえた。
兵士は黒の男に注意を払いながら上空に視線を送る。
巨大な影が上空をよぎる。
その影は一つまた一つと数を増やしていく。
それは巨大なカラスだった。
鷲の大きさほどの目を赤い光らせたカラス。
それが夜空の全てを覆わんと、何百匹何千匹と集まって不気味な声で夜空を奏でていた。
ガチガチと震えながら、見上げる兵士達。
そのうちの一人が意を決して黒の男に向かっていく。
「ギヤァァ〜!」
たちまち上空からの黒い影に襲われる。
その兵士は鎧ごと手足をもがれ、目にクチバシを突きつけられている。
それを助けようとした兵士も別の影に襲われる。
村は阿鼻叫喚響きわたる地獄へと変貌した。
兵士達はもがれ、砕かれ、肉塊に変わっていく。
その肉塊もカラスの胃袋に収まっていくのだ。
やがて兵士の姿が見えなくなると。
カラス達はいずれかへ飛び去って行った。
地面にはひしゃげた鎧と目をえぐられ頭皮を剥がされた兵士達の頭が転がる。
周りの草葉は赤く染まり、葉からこぼれ落ちる滴は血溜まりを作っていた。
黒の男はゆっくりと身体の向きを変える。
もう今は身体から赤い霧のようなものは出ていなかった。
黒の男は歩きながら自身のマントをはぎ取るとそれを少女の遺体に被せる。
あのカラスの襲撃に対し、少女の遺体は荒らされていなかった。
黒の男はそれをゆっくりと抱えると、兵士の使っていた家に入り込み、少女を静かに床に下ろした。
テーブルの上に置かれた兵士達が飲んでいた酒を取り上げると、それを少女にかけ、床に撒いていく。
黒の男は松明代わりの叩き割ったテーブルの脚に火を着けると、それを家の柱、床へと当てていく。
勢いよく立ち昇る炎の中へ視線を送る。
黒いマントに包まれた少女の姿は揺らめきながら炎の中へ消えて行った。
黒の男は村人が集められている家へ松明を放り投げると、夜の森の中へ消えて行った。
私は黒の男を追った。
奴は西へ西へと移動しているらしい。
私は預けられた兵士数十名と男を追った。
途中、私の住んでいた村に差し掛かったが、私は立ち寄る事はしなかった。
そこにはもう…… 何も無いのだ。
私とは別の討伐班が黒の男を追っている。
急がねばならない。
黒の男、あの男を討ち取るのは、私だ。
俺はよく夢を見るようになった。
夢に出てくる連中は俺に向かって、魔王だの悪魔だの言って向かってくる。
その連中は目の前で勝手に頭を吹く飛ばされたり、どこからか現れた魔物の牙に爪に倒されていく。
そして、村が街が破壊されるんだ、壁は壊され、屋根は吹き飛び、周りは火の海に包まれる。
そんな夢ばかり見ている。
俺は夢の中で「ヤメロ!」と叫ぶんだ。
だが、ソイツは聞きやしねぇ。
街を人を蹂躙し破壊し尽くす。
そしてそんな夢を見た後は、決まって……
俺の周りが、そんなふうになっちまっているんだ……
また人を見ると、俺は俺でなくなっちまう。
俺は国を出るため、西へと向かうんだ。
私は黒の男を追う。
奴は国を越えようとしているようだ。
「そうはさせん!」
私は、はやる気持ちと共に馬を走らせた。
俺は国の国境近くまでたどり着いた。
このまま真っ直ぐ行けば関所に着く。
だが、俺は道を逸らした。
「あんな夢は見たくねぇ」
そして、国境を越える寸前で古い教会にたどり着いた。
古い古い教会だ。
誰もいない。
誰も立ち寄った形跡もない。
そんなくたびれた教会で、俺はこの国で最後の夜を過ごそうと決めた。
「見つけたぞ!」
その言葉を合図に……
私は……
俺は……
出逢ったのだ!
声を上げた兵士の首が飛ぶ。
空中に漂うそれが地面に落ち、鈍い音を奏でたと同時に時に双方は動いた。
まるで見えない。
空を切り裂く音のたびに、古い教会の壁が削られ、床がえぐられていく。
ただ、金属の重なり合う音だけが、教会の講堂に響き渡る。
教会の壁裏から多数の赤い目をしたコウモリが騎士に襲いかかる。
騎士は一瞬だけ身構えたかと思うと、コウモリは騎士に襲い掛かろうとする手前で、姿と共に霧散した。
黒の男は腰を落とし、力を蓄えると一気に騎士に向かって行く。
騎士も剣を水平に構えたと思ったら、その距離を詰める。
古い教会は、地響きと共に揺れ、その壁と壊れた屋根からから煙を吐き出した。
俺は夢を見ている。
だけどいつも見ている夢と違う。
目の前の奴は壊れないんだ。
刀を当てても盾で受け。
剣で受け流し。
当てたと思ったら、姿を消して、俺に剣を突き立てるんだ。
だけど、苦しそうだ。
肩で呼吸をしているのが分かる。
ダメだ、それじゃあ、わかっちまう。
こうだろ?
左から俺の腕らしい影が騎士に襲いかかる。
その影は騎士の兜へ伸びていった。
鈍い音をが響くが、騎士はわずかに身体を捻り、攻撃を躱した。
兜を覆う一部が剥がれ落ち、騎士の顔が露わになる。
「!?…… お前だったか…… 懐かしいな…… 」
(強い!)
私は驚愕した。
黒の男の攻撃は、そのどれもが人間離れしている。
速く、重く、硬い。
そして、読めない。
全く次の攻撃が読めないのだ。
ふざけるな!
私は誰よりお前を見てきた!
私ほどお前を見てきた者はいないのだ!
私の視界の右隅に影がよぎる。
「しまった!」
身を翻すが、顔面に衝撃が走る。
意識を刈り取られる思いがしたが、何とか耐えられた。
しかし、すぐに次の攻撃が来る!
体勢は崩れたままだ!
反応出来ない!
「やられる!」
…… だが、黒の男はそこに立ったままだった。
何もしてこなかったのだ。
それどころか私に向かって、笑みを浮かべている。
「ふざけるな!」
私は叫ぶ。
(昔からそうだった。人のことをバカにして、からかい。人の気持ちなんかわかっちゃくれない!)
(そして、お前は奪ったのだ! 私から! 全てを!)
私は剣を握りしめ。
黒の男に向かって行く。
雨が降る。
私の剣に。
雨が降る。
黒の男に。
屋根の壊れた教会から雨が降りそそぐ。
「ざまぁないな」
黒の男に向かい私は言う。
「まったくだ」
黒の男は昔のように、人をバカにした口調でそういう。
黒の男はそのルビーの瞳を私に向けた。
「お前は、私の村を破壊し、村人を殺害した。報いを受けてもらう」
私はそう言い剣を喉元に突きつける。
黒の男は喉元を気にする様子もなく、私の事を見ていたが、急に笑い出した。
「ハッ! ハハッ! そうか、お前の村だったのか! ハハハハッ!」
「何が! 可笑しい!」
私は剣を喉元にさらに押しやる。
男の首は剣で押され、そこから小さな血が滲み出すがさして気にしていないようだ。
もう首をはねようとした時、男は口を開いた。
「それだよ、その鎧、剣に付いている紋章だ」
男は不遜な態度で言う。
私は油断することなくそれを聞いていた。
この時までは……
「お前の着ている鎧、それに付いている紋章な。お前の両親を殺した役人、貴族の紋章だよ」
一瞬……
男が何を言っているのかわからなかった……
「これは…… 教会で承ったものだが」
私は気持ちを殺し、この鎧を受け取った時の事を思い出しながら述べる。
「見ろよ、俺の刀を、家紋を、よく似ているだろう? 俺のクソ親父の派閥の奴の紋章だよ」
床に転がる黒の男の刀……
確かに柄の部分に似たような紋章が描かれていた。
「俺が襲ったという、お前の村…やっこさんにとっては都合が悪かったらしい。やりたい放題して問題になっててな。そん時、査問にかけられそうになってたらしい。だが、俺が村をぶっ潰したせいで不問になったそうだ。ククッ」
私の着ている鎧が……
私の家族を失わせた貴族の物だと……
「ソイツな、俺に罪を着せたんだよ! 魔王が現れたと言ってな! 知ってるか?」
私は唖然となって彼を見つめる。
彼の口から血が流れる。
「ソイツは言ったらしいぜ? 「運命の女神は私に微笑んだ」ってな! ハハハッ!」
それは……どういう……
声にならない声で自問する。
「俺達は踊らされてたって事さ」
剣が重い。
鎧も、身が潰される程に重く感じる。
視界もぼやけ、焦点が定まらない。
その視界の中、彼は血塗れの腕を、震えながら上げる。
「見ろよ」
赤く染まった手袋で指差す。
ゆっくりとその方向を見ると、古い運命の女神像の姿があった。
女神像は雨に打たれ、その瞳からは滴がこぼれ落ちている。
…… どこかで見た光景だと思った。
「泣いてやがる」
その声が聞こえた瞬間に、腕が剣ごと引っ張られる。
「しまった! 剣を取られ…… 」
慌てて男の方へ視線を向けると、そこには剣の刃を掴み、その刃を自らの胸へ突き刺した男の姿がうつっていた。
何が起こっているのか……
男は、ゆっくりと倒れて行く。
「新しい…… 魔王の誕生…… だ」
「ざまぁ…… みろ」
魔王と呼ばれた男は、誰に向けて放ったのか、その言葉を最後に、冷たい濡れた石畳みの床の上に伏せる。
女騎士は何が起こったか、理解出来ないままに立ちすくみ。
そのまま膝を落とし、項垂れた。
しばらくすると、甲冑を着込んだ足音が教会の入り口から響き出す。
「おお! 勇者殿ご無事でしたか!」
兵士の一人が声をかける。
(…………)
だが、女騎士は放心状態のまま身動きしない。
「見事、魔王を討ち取りましたな!」
(………… )
「さすがは、女神の加護を受けしもの。これで我が国も安泰ですな」
(…… さい)
「その鎧を授けてくれた方々にも、お礼を申さねねばいけません」
(…… る……さい)
「さあ、戻りましょう。王都でパレードですな。ハッハッ!」
(………… ゴミが)
数日後、王都に魔王が倒されたという噂が流れる。
魔王が持っていたとされる、黒の刀と鞘が送られたからだ。
だが、噂だけにとどまっていた。
魔王討伐隊の誰もが戻ってこなかったからだ。
この王国の宰相なる人物が刀に付けられた紋章を見るや否や顔を青くして、その場に倒れ込んだと噂された。
そしてある貴族の行方が分からなくなっていた。
そして今朝、朝靄立ち込む城門の前。
「うぉ〜い、城門開けるぞ〜」
警備の兵が声を上げる。
開く城門の先に小さな影がうつる。
「ん? 何だありゃ?」
門の中央に何かが置かれている。
門番の兵士は何気なくそれに近付いていった。
「な、なん? ウゲェェ」
それは血塗れの鎧だった。
そして鎧の中には、無理やりに押し込められた、もはや肉塊と言っていいモノが入っていた。
門の前が騒然となり出す。
その様子を、見つめる視線があった。
視線を送る者は、朝靄の中でハッキリとしないが、小柄で喪服を着ている。
そして朝靄の中から大きな獣の姿が現れると喪服の人物に擦り寄り、哀しげに鳴く。
「大丈夫…… 行きましょう…… 」
喪服の人物はそう言うと、朝靄の中に消えていった。
私は「ざまあみろ」って呪いの言葉と思っているんですよ。
「人を呪わば穴二つ」
この言葉をモチーフに書いてみました。