2-42 彷徨う凶星 其之二十
「さぁて、どうしたもんかね……」
亡霊の騎士と激しい攻防を繰り広げながら、テオドアは小さく呟いた。
足止めを引き受けたは良いものの、具体的な方法については全く考えていなかったのだ。
『あれだけ息巻いておいて、まさかの考えなしか』
案の定、ルクレツィアから呆れた声が飛んでくる。
「しょうがねぇだろ。あんな馬鹿げた提案、乗らないなんて理由があるか?」
『……貴方はいい加減、その無鉄砲な振舞いを改めた方が良い。周りの迷惑だ』
「だったら大人しく引っ込んどけよ。今からでも遅くねぇぞ」
『何だと?私が何のためにここに残ったのか分からないか?大体貴方は昔から――』
『えー、じゃれ合っている所申し訳ないのですけれど』
頭上を紫電が通り過ぎ、突き出された異形の杖を叩き落とす。
続く斬撃が甲冑の関節に傷を入れ、青黒い霊素を血飛沫のごとく吹き出させた。
が、それもすぐに修復され、杖による横薙ぎが返ってくる。
『引き受けたからには完遂しますよ。やること自体は明確なのですから』
「そうは言うけどな……っ」
反撃を躱しつつ、テオドアは思案を巡らせる。
セリカの言う通り、自分達の役目は単純だ。ただ魔星の注意を引き付ければ良い。
問題はその方法である。どうも魔星にとってヘイズの存在は無視し難いらしく、こうして対峙しながらも、警戒の意識自体は彼が去った方角に向けているようだった。
抜け殻とはいえ、騎士を破られたことが余程意外だったのか。はたまた別の要因か。
ともかく魔星の中の評価を上書きするためには、ヘイズよりもこちらの方が脅威であると知らしめる必要があった。
「神のごときモノ、世界の創造者か……」
会議の場で、市長やヴィクターが述べた分析を反芻する。
肝となるのは魔星が何を脅威と感じるかという点。ヘイズに対する執着を見るに、戦闘における強弱ではあるまい。
となれば次に考えられる軸としては神秘としての格か。
神秘の本質とは即ち、奇跡を起こすこと。そして奇跡とはとどのつまり、法則を意のままに歪める現象に他ならない。
魔星が己にとって都合が良い箱庭を築く存在であるならば、それを侵し、荒らすモノはさぞや目障りなことだろう。
要するに、だ。
「世界の敵になれってことだろ。得意分野だ」
自らを奮い立たせるように、テオドアは獰猛に歯を剥いて笑った。
置かれている環境を改めて確認する。通常のそれとは異なるものの、霊脈の乱れは確かに拡大を続けており、溢れた霊素によって空間の調和も著しく安定を欠いている。
強大な星霊が降臨できるだけの土壌は、完璧に整っていた。
「なあおいセリカ、気付いてるか?」
「藪から棒に何です」
脈絡を無視した問いに剣聖が困惑を示す。構わず続けた。
「こっちはこんなに必死こいて足掻いてるってのに、野郎はヘイズにご執心と来た。これがどういう意味か分かるか」
「……舐められている、ということでしょう」
「ああ、そうだ。そうなんだよ――許せねぇよなぁ」
事実を認識すれば、今まで抑え込んでいた激情が体の奥から湧き上がってくる。
故郷が危機に晒されている?仲間が殺されかかった?なるほど、どちらも憤るに足る事柄だろう。
だが何よりも、ヘイズだけに"敵"という役割を押し付けてしまっていること。この一点がテオドアの腸を滾らせて仕方がなかった。
何故なら彼は知っている。ただ一人苦難を背負い、暗闇を歩き抜いた誰かの生き様を。
それに憧れ、追いかけて、されど同じ轍は踏ませぬと誓ったから。だからテオドアは幼馴染と袂を分かち、舞台裏へ潜ることを決めたのだ。
「つー訳で、術式を使う。もしもの時は任せたぜ」
『……私はまあ、構わないのですけれど。本来ならルクレツィアさんに頼むのが筋では?』
「だからこそだ。お前なら躊躇なくばっさりやってくれるだろ」
『それはそうですね。貴重な経験になりますし』
「……うん。自分で言い出したことだが、もうちょい葛藤して欲しかったぜ」
余りにも明け透けな物言いだが、お陰で覚悟は固まった。
殊更集中する必要はない。
撃鉄は脈打つ心臓を胸の上から叩くだけ。そして挑むように諳んじるのだ。
「術式起動。裏返れ、我が血脈」
それが変化の撃鉄となった。
テオドアの『竜血の加護』は彼が生まれ持った機能を解放する魔術である。
比類なき怪力も、不死身に等しい耐久性も、全てはある巨大な幻想から切り取られた断片に過ぎない。
では今まで限定的に運用していたものを、余す所なく同時に稼働させた場合、どのような現象が生じるのか?
答えはここに示される。
暴力的な力の発露が嵐を引き裂いた。氾濫する霊素が渦を巻き、空間を蜃気楼のように歪ませる。
その中心で、テオドアの肉体が変貌を開始した。
体躯は見上げんばかりに膨張し、表面を鱗を伴う鋼のごとき甲殻が覆っていく。五指から延びる爪は剣のごとく研ぎ澄まされて、背には飛膜のない翼が展開される。
嗚呼、その姿。恐怖と災いを体現するかのごとき異形。
正しく人に仇成す怪物の頂点に他ならない!
即ち――竜である。
"――――!"
弾かれたように騎士の視線がこちらを向く。
そうだろうとも。無視などできるはずがない。
強大な星霊はただそこに在るだけで世界を蝕む。魔星が築き上げた箱庭は、テオドアが変身を終えた途端、猛烈な速度で狂い始めていた。
寒波は瘴気を孕んで大地を穢し、雨雪は気温の乱高下に合わせて凝固と蒸発を繰り返す。
重力すらも散逸して無軌道に振舞い、嵐の夜はここにあらゆる生命を脅かす魔の神殿へと捻じ曲がった。
極めつけに、人が竜に変身するという異常事態である。
一族の歴史を紐解いても、テオドアほど竜の血に適応できた者はそういない。
例え魔星が千年単位の歳月を有する神秘であろうとも、特例中の特例であるに違いなかった。
"さあ一緒に踊ろうぜ、神様もどき。安心しな。他所に目を向ける余裕もないくらい、夢中にさせてやるからよ――!"
人の言葉と重なる咆哮が、嵐の夜を軋ませる。
不滅の邪竜と亡霊の王。二柱の幻想の対峙を狼煙に、神殺しの紛争は終局に向けて動き出した。
◇◇◇
背後で強大な神秘が出現したことを、ヘイズは肌で感じ取った。
離れていても伝わる、魂を震わす禍々しい気配。紛れもなく最上位の竜のものだ。
呼び寄せたのか、それとも誰かが変わったのか、仔細は気になるが確認している暇はない。
市長に指定された刻限まであと十分。今はただ己の為すべきことを為すのみである。
「それで、どうやって本体を特定するつもりなんだい?何かアテでもあるの?」
隣を併走するマリアンが問うてきた。
亡霊の軍勢はもう間近に迫っている。霊素を練り上げつつ手短に答える。
「奴は必ず戦場を観察できる位置にいるはずだ。でなけりゃ、あの視野の広さの説明がつかん」
「こっちの不意打ち、見事に完封されてたもんねぇ。でも未来予知っていう線もあるんじゃない?」
「どうかね。本当に未来が分かっているんだとしたら、随ぶん慈悲深いと思うがな」
未来予知と聞くと高度な推測能力を想像するが、その本質は確率の収束である。
極まった使い手ともなれば、無数に広がる可能性の枝葉から、望んだ結果に繋がる道筋を手繰り寄せ、現実に反映することもできるという。
要は起き得る余地が僅かでも存在するなら、あらゆる事象を描き出す業だと捉えたら良い。
よって敵が本当に未来予知を所有しているならば、手も足も出せずにマルクトは陥落していたはずだ。
にも拘らず、今はこうして闘いの体裁が整っている。
合理性の化身である魔星が手心を加えるとも思えず、ならば元より機能として持ち合わせていないと考えるのが妥当だろう。
「話を戻すぞ。戦況をいつでも確認できて、かつ自分が本体だとバレ難いこと。この二つの条件を満たせる場所はそう多くない」
「ふぅん……なるほどね。話が見えてきたよ」
得心したとばかりに頷いて、マリアンは獰猛に歯を剥いた。
「つまり、木を隠すなら森の中ってワケだ」
「そういうことだ!」
肯定と同時にヘイズは術式を駆動する。
踏み込んだ足を起点に幻想が形を結び、炎の河となって地を走る。
人間との殺し合いに興じていた亡霊たちは、背後からの急襲に反応できない。雪崩れ込む熱量に呑み込まれ、隊列の中に風穴を生じさせる。
そこにヘイズは迷いなく身を躍らせた。当然の帰結として弾丸の雨に晒されるも、展開した熱の壁によって全て防ぐ。
更に鉈を振り上げて近付いてきた猟師の喉を剣で串刺し、そして、
「術式起動――愚者火」
灼熱の大輪が嵐の空を焦がした。爆発の衝撃が唸る大気を更に掻き混ぜ、周囲の亡霊を木っ端と薙ぎ倒しながら塵に返す。
嵐が止む気配はない。外れか。
間髪入れずにヘイズは生き残った獲物に襲い掛かり、血飛沫代わりの青黒い霊素を浴びる。
「ヒュウ、派手にやったねぇヘイズ!」
死角から忍び寄っていた影を、マリアンの槍が穿つ。
そのまま背中合わせの状態で、次から次へと襲い来る雑兵たちを薙ぎ払う。
恐らく魔星が何らかの指示を下したのだろう。これまで排除に勤しんでいた人間には目もくれず、彼らは殺意の矛先をヘイズにのみ集中させていた。
「モテモテじゃないか。うらやましいねぇ色男」
「欠片も嬉しくないが好都合だ。奴らを一体一体調べている時間はなかったからな」
己に圧し掛かる殺意の束を鼻で笑い飛ばし、ヘイズは剣を振る速度を上げた。
「このまま片っ端から祓いまくって炙り出す。お前好みのやり方じゃないだろうが、付き合え」
「確かに一方的な蹂躙は私の趣味じゃないけど……偶には悪くないかも、ねッ」
そして殺戮の演舞が幕を開けた。
千変の炎と絶滅の息吹。二つの魔術が絡まり、高め合いながら、周囲の亡者を手当たり次第に喰らい始める。
加減や見境といった思考は彼らの脳内に存在しない。眼前に現れた敵を討つこと以外は全て些事と投げ捨てて、術式を最大出力で駆動させる。
無論、集団戦の場において見境なく暴れ回るなど、禁じ手も良い所。整然と戦線を維持していた側からすれば堪ったものではない。
「だ、誰だあの馬鹿どもはッ!俺達まで殺す気か――!」
なのでこのように。味方であるはずの者達から、悲鳴混じりの罵声が飛ぶことになる。
討ち漏らしが起きないよう着実に、堅実に闘っていた所をいきなり引っ掻き回されるのだ。ヘイズも彼らの立場であったなら、同じく憤っていたことだろう。だが、
「めちゃくちゃ文句言われてるけど?」
「遠慮はいらん。俺まで磨り潰すつもりで暴れ倒せ。そもそもお前、手元を過つ下手は打たんだろ」
「……いーいねぇ、やる気出てきたよ!」
マリアンの喜悦に呼応するように、轟と風がより強く咆哮を発する。
迷惑をかけている自覚はある。申し訳なさも感じている。だが斟酌してやる気は一切ない。
何故なら今求められているのはとにかく速度だから。
魔星の能力によって、亡霊はその数を増やし続けている。生産を上回る勢いで殲滅を行わなければ、本体を発見することなど到底叶わない。
だから斬る。焼く。壊す。人間であれば間合いの外に放り投げ、また狩りに戻る。それをひたすらに繰り返す。
不意に、外套の内で懐中時計が通信術式を起動した。最近になってようやく耳に馴染んだ老爺の声が聞こえる。
『――えー、一応確認するけども。もしかして乱心したりしちゃったかね?』
「違いますけど、説明してる時間が惜しい。アンブラには他の連中が俺達に近付かないよう、フォローに回って欲しいんですが」
『なるほど?亡霊たちの中に、魔星を倒すための鍵があるのだね。では一部は君達の取り零しを処理するように手配しておこう」
「……察しが良すぎて怖いんですけど」
『この位分からなければ、マルクトでは生き残れないよ。軍警局にも君の狙いは伝えておく。無茶も程々にしたまえよー』
などと緊張感のない台詞を締めに、ヴィクターとの通信が切れる。
味方への被害については、彼に任せておけば問題ないだろう。言動は胡散臭いが、采配の腕は確かなのだ。
「おい!おい貴様、グレイベル!」
すると今度は剣呑な怒号が飛んできた。
視線をやると同時に亡霊の壁が爆散し、こじ開けられた隙間から蒼銀の外套を纏った男が大股で近づいてくる。
「あんたは……ダングラールさんだったか」
「何故こんな場所にいる!あの竜はテオドアだろう!?それに総帥はどうした!まさか貴様だけ逃げてきたのではあるまいな!」
ヘイズに対する隔意も相まってか、激しい剣幕で捲し立ててくる。
彼の後ろにはエリオットの姿もあり、はらはらした面持ちで成り行きを見守っている。
探す手間が省けた。ヘイズは詰め寄るダングラールの胸倉を逆に掴み、引き寄せる。
「要点だけ言うぞ!どこかに本体がいる!探し出して祓えッ!」
まさか怒鳴り返されるとは思っていなかったのだろう。
練達の魔導士は面食らったように数度瞬きを繰り返し、
「――――承知した!」
物言いたげな表情を引っ込めて、力強く頷いた。
ダングラールを始め、『竜狩の騎士団』の構成員は総じて気位が高い。捉えようによっては傲慢と映ることもあるだろう。
だがそれは優れた血統に裏打ちされた実力を修めているがゆえ。
そもそもあのルクレツィアが家柄だけの無能を配下に、ましてや幹部にまで据えるはずがなく。
意図を伝えれば必ず協力してくれると、ヘイズは確信していた。
「行くぞアーヴィング!他の構成員にも通達しろ!我々も討って出る!」
エリオットを引き連れて、亡霊たちの元へと駆け出すダングラール。
最強の結社を率いるに相応しい背中が、そこにはあった。
「やっぱり悪い男だよねぇ、キミ」
「かもな。傭兵団の方に言伝は――」
「いらないいらない。皆もともと全滅させるつもりで動いてたし」
ほら、とマリアンが顎で示した方を見やると、満面の笑みを浮かべた傭兵の部隊が亡霊たちに急襲を仕掛けていた。
たちまち掃討を終えると、こちらに向けて爽やかに親指を立ててくる。
「いや怖いわ」
「その内慣れるさ」
けらけら笑うマリアンに渋面を返しつつ、ヘイズは剣を振るう速度を上げる。
とは言え敵も無抵抗に祓われる訳ではない。
反撃として振り下ろされる鉈が、放たれる銃弾が。皮膚を裂き、体内に呪詛を流し込んで血流を鈍化させる。
元より物量の差は歴然なのだ。質の面では上回っているにせよ、ヘイズ程度の才覚では捌き切れる量にも限界がある。
結果、一歩進む度に新たな傷が刻まれて、灰色の外套に赤が滲む。だが、
「それがどうした、温いんだよ」
肩に食い込んだ刃を抑えつけ、動きを止めた亡霊を焼き滅ぼす。
別に苦痛を感じない訳ではない。ただ慣れているから気にしていないだけだ。
寧ろ孤立無援でないだけ普段よりマシであり、ならば何を恐れることがあろう。
より鋭く、より効率的に。安全よりも攻めることを優先し、行動に支障が生じるような傷以外は大体無視。
猟師の亡霊の構造を学習しながら、己という炎に火種をくべていく。
「手が緩んでるよヘイズ!もしかしてもう疲れちゃった!?」
「抜かせよ戦闘狂、ちょいと飽きが来てただけだ!」
意気軒昂と狂乱するマリアンと共に、死せる大軍の中を突き進む。
十、二十。見つからない。
もうすぐ百。"■■たい"という声はまだ聞こえている。
祓っても祓っても新たに湧き出る亡霊は、死肉に群がる蝿のようだった。
魔星も何か働きかけたのか、増殖の速度も向上している。
体力の方は無視して良い。限界に達しながらも闘う術を、ヘイズは過去の経験から身に着けている。
だがやはりと言うべきか、手数が不足している点については如何ともしがたかった。
『竜狩の騎士団』、『不凋の薔薇』、軍警局に『アンブラ』――都市内で集められるおよそ最高の戦力を総動員してなお、未だ本体の所在が掴めない。
敵の隠形が余ほど巧妙なのか、或いは捜索する場所がてんで的外れなのか。
痕跡を辿ろうにも周囲に神秘の気配が充満しているせいで、ヘイズの感知能力も精彩を欠いている。
せめてあと一手。敵の数を削り、視野を広げてくれる何かがあれば。
そうヘイズが歯噛みした時だった。
「お困りのようね」
――救いの主は宵闇を引き連れて。
影の淵より這い出た獣が、彷徨う死霊の喉笛を噛み千切った。
評価、感想いただけますと幸いです。




