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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第一章 彼方に捧ぐ哀歌
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1-7 ある雪夜の出会い 其之二

「貴方の名前は?」

 ヘイズを現実に引き戻したのは、セリカと名乗った女の問いかけであった。

「……ヘイズ。ヘイズ・グレイベルだ、好きに呼んでくれて良い」

「ではヘイズと。私のこともセリカとお呼びください」

 何とも緊張感のないやり取りだったが、仕切り直しには丁度良い。

 深呼吸を一つすれば、驚きの連続で千々に散っていた思考が、ようやく常の冷静さを取り戻す。

「闘えますか?」

「……お陰様でな」

「結構。では吸血鬼退治と参りましょうか」

 セリカは不敵に笑い、背後に向けて見もせずに太刀を振るう。

 直後、火花が散った。飛来した鋼鉄の爪を白刃が弾いたのだ。

 視線を向けると、体勢を立て直した女が、淡々とヘイズの様子を窺っていた。

 背中から爪を生やしたその異形に、美しかった面影は残っていない。

 艶やかなドレスは襤褸ぼろと化し、整っていた長髪も乱れに乱れている。

 だが中でもヘイズの目を引いたのは、彼女の頬や胸部に刻まれた裂傷である。

 そこから覗く中身は、血肉は、人のそれではなかった。

 それどころか、生物ですらなかった。

 鋼鉄によって構成された骨格と筋繊維。鉄臭さの代わりに、機械油を思わせる独特の異臭を放つどすぐろい体液。

「吸血鬼の正体見たり、自動人形オートマタか」

「ご明察です。最も、正しくは自動人形よりも遥かに悪趣味な代物な訳ですが……」

 口振りから察するに、セリカはあの人形の来歴を知っているらしい。

 その声音には僅かながら嫌悪の色が混じっていた。

「さて、まずは彼を安全な場所に運びましょう」

 どうする、とヘイズが聞く前にセリカは指を軽快に鳴らす。

 同時にゆらり、と彼女の足元が波紋を浮かび上がらせた。すると影の一部が隆起し、立体としての輪郭を獲得し始める。

 たちまち象られた形は、黒い猟犬とでも言うべきか。立ち上がればセリカと同じ位の身の丈になる獣であった。

「彼を連れて行きなさい」

 セリカが簡潔に命令すると、猟犬は器用にアルフォンスをひょいと咥え上げ、背中に乗せる。

 そしてそのまま一目散に、表通りへと続く路を走り去っていた。

「……大丈夫なのか、アレ」

 猟犬を見送りながら、ヘイズは呟く。

 突然路地裏から影の獣が飛び出して来たら、表は結構な騒ぎになるのではなかろうか。

「友人から借りた使い魔です。近くに私の仲間が控えていますから、引き渡して病院まで運ばせます。ご安心を」

「……いやまあ、何でも良いんだが」

 その時ふと、ヘイズは疑念を抱く。

 明らかに怪しげなこの女に、アルフォンスを任せてしまって良いものか。

 だがすぐに無意味な考えだと気が付き、頭の中から振り払う。

 もし彼女がヘイズ達に害を為すつもりだったなら、態々助けるような真似はすまい。

 それにあくまで勘なのだが、こんな状況で欺瞞を述べるような人物ではないように思えたのだ。

「次は場所を変えましょう。着いてきなさい、ヘイズ」

「は?」

 そう言うや否や、セリカは踵を返した。

 困惑するヘイズなどお構いなし。勝手についてこいと言わんばかりに駆け出す。

 清々しい位の唯我独尊ぶりである。

 なのに不思議と高飛車な印象は受けない。それどころか彼女の声には、つい従ってしまうような気高さがあった。

 なるようになれ。割と自棄気味に、ヘイズはセリカの背を追いかける。

「おい、あの人形は良いのか」

「問題ありません。食事を邪魔した敵を逃がす程、彼女は寛容ではありませんから」

 その証拠にほら、と促され、ヘイズはちらと背後を一瞥する。

 セリカの言葉通り、女の人形は確かに追跡してきていた。

 負傷などものともせず、軽快に路地の中を跳ね回る。

 その縦横無尽の機動を可能としているのは、背中から伸びる禍々しい爪である。時に障害物を押しのける腕となり、壁を這う足となり、女の疾走を支えている。

 器用なものだと思わず感心する一方、彼我の距離が徐々に縮まっていることに気が付く。

「追いつかれそうだぞ」

「ふむ、少し速度を上げましょうか」

 セリカの体から霊素エーテルが迸る。

 脚力の『強化』を行ったのだろう。疾走の速度が急激に増す。置いていかれないよう、ヘイズもまた同じように加速した。

 あくまで人形と付かず離れずの距離を保ったまま、ヘイズ達は人目につかない道筋を駆け抜けていく。

 やがて彼らが踏み込んだのは、都市の片隅に存在する庭園だった。

 昼から夜にかけて散歩を楽しむ市民や逢瀬を重ねる恋人達が集う場所だが、今は人っ子一人として見当たらない。

 セリカの口振りから察するに、組織立って行動しているようなので、先んじて人払いを済ませたのかもしれない。

 そして、見晴らしの良い広場までやって来たところで足を止める。

「さて。ここなら、貴方も加減せずに暴れられるでしょう?」

 こちらに振り向きながら、セリカはどこか挑発的な笑みを投げてきた。

「どういう意味だ」

「特に含みはありませんよ。ただ昼間に打ち合った時、随分窮屈そうにしていましたので」

 まるで見透かしたようにセリカが指摘してくる。

 窮屈。そう言われると確かにそうかもしれなかった。

 ヘイズ・グレイベルという魔導士マギウスが戦闘で用いる術式は、人里での行使に向いていない。

 仮に使ったとしても周囲へ被害が及ばぬよう、制御に神経を割く必要がある。

 その点を踏まえればなるほど、セリカの表現は実に的を射たものであった。

「……良いだろう。ならお望み通り、暴れてやるよ」

 ここまでお膳立てされたなら、応えない訳にはいかないだろう。ヘイズは口元を獰猛に釣り上げる。

 直後のことであった。

 林の中から、歪な輪郭をした影が飛び出してくる。

 それは広場に着地すると、異形の爪で土埃の帳を払いのけ、深紅の瞳でヘイズ達の姿を確と捉えた。

「念のため聞いておきますが、助力は必要ですか?」

「必要ない。……あれは俺の獲物だ」

「それは重畳」

 ヘイズの返答に、セリカは愉快気に笑う。

 だがその双眸は、こちらの一挙手を冷徹に観察しているようだった。

 きっと彼女がここまで手を貸してくれたのは、善意からではない。その真意は知る由もないが、今はありがたく利用させて貰うとしよう。

 ヘイズは挑むように前に出た。

 機械仕掛けの吸血鬼は、もう待ちきれぬとばかりに背中の爪を広げて襲い来る。

 ……そもそもの話をすれば。

 セリカの介入があろうとなかろうと、ヘイズの中にはある決意があった。

 この人形は絶対にただでは帰さない、と。彼女が誰の血を啜って殺そうが、どんな深慮遠謀を企てていようが別に構わない。

 ただヘイズの友人に手を出したこと。それだけは相応の報いを受けて貰う。

 錆びついた歯車が急速に回りだすように。

 胸の内でくすぶり続けていた怒りが、ヘイズの四肢に闘うための力を漲らせていく。

術式起動ブート――愚者火ウィル・オ・ウィスプ

 思考は冷たく、されど煮えたぎる感情を以て、魔法の呪文を紡ぎ出す。

 眉間を狙う凶爪を、ヘイズは正面から短剣で迎え撃った。

 例え切れ味を『強化』していたとしても、質量の差は歴然。鋼鉄の怪物の暴威を打ち払うには、手に握った得物は余りにも心許ない。

 だが、その現実を覆してこその魔導士。

 激突する鋼と鋼。

 果たして、競り負けたのは人形の方であった。

 断たれた分厚い爪が地に落ちる。その切断面は高温で炙ったかのように赤熱し、濛々と蒸気を上げていた。

 雪が散る空の下、火炎が熾った。

 ヘイズの体内を巡る霊素を燃料に、虚空に幾つもの火球が出現する。彼が腕を振るえば、それらは流星と化し、大気を焼きながら迸った。

 人形は咄嗟に背後の爪を展開し、体を包み込む。

 着弾と同時に、広場を熱風が吹き荒れた。攻撃を防がれた形となったが、ヘイズの顔に落胆はない。

 何しろ、炎はまだ消えていないのだから。

『……!?』

 人形もどうやら異変に気が付いたらしい。

 盾にした爪の表面。そこに未だ炎が纏わりついて、じりじりと焦がすような熱を発していた。

 これこそ、『愚者火ウィル・オ・ウィスプ』。

 神出鬼没にして千変万化、怪しき鬼火を操るヘイズが最も得意とする魔術であった。

 炎という特性ゆえ、市街地ではおいそれと出力を上げられないのだが、今はお誂え向きに周囲を気にする必要がない。

 久々に、思う存分振るうことができる。

「とっとと死ね」

 距離を詰めてきた人形に対し、その眼前で再び火球を呼び出し、爆発させる。

 そうして吹き飛んだ所に、重ねて炎の塊を叩きこむ。

 防御に徹しても無駄だ。高熱を宿した短剣は、鋼鉄の爪をいとも容易く引き裂いていく。

 反撃も、逃走も、降伏も許さない。

 人形のあらゆる行動を封殺し、ヘイズは一方的なまでに炎熱を浴びせ続ける。

 実力を十全に発揮する彼を前に、人形は防戦一方の様相であった。

 今はその躯体の頑強さにより耐えられているが、魔術を打ち破る手段がない以上、遠からず限界を迎えることは明らかである。

 ゆえに彼女がその行動を選んだのは、ごく自然のことだったのだろう。

 或いは自らに与えられた命に殉ずるという、自動人形としての矜持の表れであったのかもしれない。

 身を屈める姿は、さながら矢を引き絞るがごとく。

 皮膚や髪が焼けることなど歯牙にもかけず、人形は弾けるように炎の中へと飛び込んだ。

 それは刺し違えることを前提とした特攻に他らならない。

 ヘイズを殺すという目的を果たすため、彼女は己の全てを費やすことを決めたのだ。

 走って数秒も要さぬ距離。鋼鉄の怪物が半数にまで数を減らした凶爪を伴い、突撃を敢行する。

 対するヘイズが選んだのは、前進であった。振り下ろされる爪の軌道を予測し、掻い潜るように躱す。

 そうして人形の懐へと潜り込み、その胸元目掛けて短剣を突き出した。

 狙うは一点、内部に組み込まれた動力機関。

 器物である自動人形に超常の力を与えているのは、偏にそこから霊素を供給しているからに他ならない。よって動力機関さえ破壊してしまえば、活動を停止させられる。

 放たれた切っ先は違わず、人形に命を吹き込む心臓を刺し貫いた。

 だがヘイズが手応えを感じた直後である。もはや動けぬはずの人形が最後の力を振り絞り、彼の腕にからみついた。

 体内に刻まれていたとっておきの術式が起動する。残存する霊素が規格を越えた加速を始め、回路に致命的なまでの負荷をかけていく。

 自爆するつもりか。ヘイズは人形の狙いを悟った。

 彼女の自壊を機にエネルギーは行き場を失い、周囲一帯を吹き飛ばす程の破壊を生むだろう。

 如何に魔導士とて、至近距離からそれに巻き込まれれば死は免れまい。だが。

「悪いな、心中の相手なら他所を当たってくれ」

 ヘイズの顔に焦りはない。最後の意地を見せた誇り高い道具へ、彼は無慈悲に引導を渡す。

 踵で地面を叩く。次の瞬間、噴き上がる火柱が人形を呑み込んだ。膨大な熱量が彼女が備えていた機構を、完膚なきまでに蹂躙する。

 やがて炎の勢いが鎮まった頃、その場に立っていたのはヘイズのみだった。

 人形は彼の足元で、糸が切れたように倒れ伏している。再び動き出す気配はない。

 かくして吸血鬼と魔導士の闘いは、断末魔一つ上がらぬまま、しめやかに幕を下ろしたのであった。


◇◇◇


「……ふう」

 コートに付いた煤を払い、ヘイズは短剣を納める。

 するとぱちぱちと、背後から呑気な拍手の音が聞こえた。

「見事ですヘイズ。やはり私の見立てに間違いはありませんでしたね」

「ふん、言ってろ」

 調子よくそんなことを言うセリカを無視し、ヘイズは吸血鬼の正体であったものを見下ろす。

 人形の体は随所が歪み、焼け焦げ、辛うじて人型を保っているだけの残骸と化している。

 けれども、動いている時は本当に生身の人間にしか見えなかった。

 前提として、自動人形はあくまで魔術を搭載した機械に過ぎない。

 ゆえにどれだけ人間に形を寄せようと、その本質は器物であり、関節や筋肉の稼働にはどうしても違和感が生じる。

 だと言うのに、この人形は生々しい程の『らしさ』があった。

 これ程の完成度を誇る自動人形を、ヘイズはこれまで見たことが無い。

 恐らくは高位の人形使いが製作したと思われるが、この領域に至るまで一体どれほどの歳月と、そして執念が必要だったのだろう。

「っ」

 その時、周囲に人の気配を感じてヘイズは顔を上げる。

 いつからそこにいたのか。黒服で着揃えた集団が、ヘイズとセリカを取り囲むように佇んでいた。

「……何だ、お前たちは」

 このまま襲ってきたとしても、返り討ちに出来る程度の余力は残っている。

 相手の出方を警戒しつつ、いつでお応戦できるよう、ヘイズは短剣の柄に手をかけた。

「ああ、彼らは大丈夫です。私の仲間ですから」

 警戒心が空回りして、思わずつんのめった。

 そんなヘイズの横を素通りし、黒服たちはいそいそと自動人形の残骸を回収していく。更には戦闘の余波まで綺麗に補修していくものだから、その手際には思わず感心してしまう。

 と、しばし呆気に取られていたヘイズであったが、突然思い出したように傍を通りがかった黒服の男を呼び止める。

「なあ、あんた達アルフォンスさんをどこに運んだんだ?」

「あ、はい、えっと……?」

 いきなり尋ねられた男は戸惑った様に視線を彷徨わせる。

「貴方がたに預けた男性のことです。どこの病院に運び込んだか、教えて差し上げてください」

 セリカが助け舟を出すと、黒服の男は得心したと頷いた。

「彼でしたら第四区のイーグレット治療院に運び込みましたよ」

「ああ、あそこか……」

 聞いた名前には心当たりがあった。

 誰が相手であろうと、患者として門戸を叩いた者に分け隔てなく治療を施してくれると有名な病院である。

 ヘイズも何度か世話になった事があるので、医者の腕前については疑う余地もない。……時折、実験と称して怪しげな新薬を投与しようとしてくるのが玉に瑕だが。

「邪魔をして悪かったな。教えてくれて、ありがとう」

 男に短く礼を告げ、ヘイズは立ち去ろうとする。

 あの病院に運び込まれた以上、滅多なことにはならないだろうが、やはり自身の目で安否を確認したい。

「ヘイズ?どこへ行くのですか?」

「俺はアルフォンスさんの様子を確かめに行く。後始末はお前たちの方で好きにやってくれ」

 ヘイズの返答に、セリカは何故か面食らったようだった。

 昼間の意趣返しのつもりは無かったのだけれど、崩れた澄まし顔が少しばかり小気味良い。

「……えっと、気にはならないのですか?」

「何が」

「この街で何が起こっているのか、とか。我々が何者なのか、とか」

「知らん、どうでもいい」

 セリカは今度こそ、ぽかんと呆気にとられた表情を浮かべた。

 本音を言えば、何も気にならないと言えば嘘になる。しかし知りたいことは自分で調べれば良いし、そのための伝手もある。

 何より素性が判然としない連中と、これ以上関わり合いになるのは御免だった。

 とは言え、どんな意図があったにせよ、彼女たちが手を貸してくれたことは事実な訳で。

 礼も述べずに立ち去るのは、不義理が過ぎるというものだろう。

 そう思い立ったヘイズは、セリカの方に向き直った。

「まあ、なんだ。助けてくれたことには感謝してるよ。この借りはいつか返す。……それじゃあな」

 ぶっきらぼうにそう言い残して、ヘイズはそそくさと広場を後にする。

 去り行く彼の背中を、セリカは興味深そうに見つめ続けていた。


 ◇◇◇


 薄暗い部屋に、老人は佇んでいた。

 ぴんと伸びた背筋は齢を感じさせず、品の良い身なりは貫録に溢れている。

 そんな居住まいに相応しく、眉間や目元には深い皺が刻まれており、彼の重ねてきた経験を物語っているようだった。

 彼の視線は、窓の外に広がるマルクトの街並に据えられていた。

 文明の象徴ともいえる闇を照らす明かりの数々は、満天の星空にも勝るとも劣らない美しさがある。

 手元のグラスを傾け、鮮血よりも真っ赤な液体を舌先に転がす。

 まるで生命をそのまま溶かし込んだような、濃厚で芳醇な味わい。それを充分に楽しんでからゆっくり嚥下すれば、老いた体に精気が満ちていく。

 この全身に熱を流し込んだような高揚感は、ただの酒ではまず味わえまい。仕事の後、夜景を肴にこれ(・・)を一杯やることが、老人の最近の楽しみだった。

 ふと、扉をノックする音が聞こえた。憩いの時間に水を差され、思わず口調に険が籠ってしまう。

「入れ」

「失礼します……」

 ゆっくりと開く扉の向こうから現れたのは、白い法衣ローブを身にまとう男であった。

 波打つ長髪は艶やかな闇色を湛え、面差しは彫像の如き冷たさと麗しさを体現している。なのに本人が漂わせる存在感は、今にも消えてしまいそうな程に希薄。

 総じて、酷くちぐはぐな印象を受ける奇妙な雰囲気の男だった。

「お休みの所申し訳ない。……お加減は良さそうですね」

 その美麗な外見に違わぬ、耳心地の良いテノール。

 すると厳めしかった老人の表情は、たちまち数年来の友人を迎える柔らかいものへと変わった。

「ああ、お陰様でご覧の通り。すこぶる快調だとも」

「左様ですか。とは言え油断はいけませんよ、急激な変化は体に相応の負担をかけますゆえ」

「相変わらず心配性な男だな。言われずとも、重々承知しているよ」

 老人は苦笑を零した。顔を合わせる度に同じことを言われている。

 だが彼がそれを邪険にすることはなかった。

 信を置く友人の言葉には耳を傾けるべきだと思うし、何より目的を果たすためにつまらない矜持になど拘るべきではないからだ。

「……っ」

 不意に、長髪の男が頭痛を堪える様に眉間にしわを寄せた。

「どうした?」

「いえ……」

 男は瞑目し、憂いに満ちた声音で告げる。

「……我が作品がまた一人、失われたようです」

 それを聞いた老人の顔が、みるみる険しくなる。

「ふん、公社カンパニーの犬共の仕業か。全く以て忌々しい!」

 心の底から嫌悪するように、吐き捨てる。

「如何致しましょう、そろそろ我らの計画も佳境に入ります。許可を頂けるのであれば、私が出向きますが」

男の申し出に、老人は僅かに逡巡する。

しかし、計画の遂行のためには止むを得ないと判断し、

「……そうだな、頼めるか?手段は問わん、確実に始末しろ」

「御意」

「面倒をかけてすまんな」

「いいえ、会長には多大なご助力を頂いておりますから。偶には恩を返しませんと、罰が当たるというものです」

 長髪の男は恭しく一礼して、退出する。

 彼に任せておけば、目障りなあの連中も黙らせることが出来るだろう。

 多少の邪魔こそあれど、計画は概ね順調に進んでいる。

 今までの経験上、焦っても良いことなどない。一つ一つ障害を着実に排除した先に、自分達の大願は果たされる。

 気を取り直して老人は、再び窓の外に目を向けた。

 世界最大の貿易都市、マルクト。巨万の富が飛び交い、誰も彼もが熱に浮かされる魔都。

 若き日はここで頂点に立つのだと、恥ずかし気も無く息を巻いていたものだが。

 今や何と小さく、狭き場所であることか。

 夜の街を見下ろす老人の瞳には、燃えるような野心が渦巻いていた。

誤字脱字等のご指摘、お待ちしております。

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― 新着の感想 ―
[一言] 好きな作者さんのブックマークから来ました。めちゃくちゃファンタジーな世界観を感じられて面白いです。
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