2-40 彷徨う凶星 其之十八
逃すべきか、守るべきか。
逡巡するルクレツィアの横を、雷光が駆け抜けていった。
セリカだ。神速を以て間合いを詰めた彼女は、魔星が振り抜く杖に太刀を交差させる。
直後に解き放たれる圧倒的な霊素の濁流。触れる物全てを破砕する暴力の発露はしかし、直前に杖を上方に逸らされたことで、黒雲に呑まれて消えいった。
剣聖はそのまま流れるように魔星との斬り合いに移行する。刃鳴り散る戦場へ、マリアンとテオドアも飛び込んでいく。
「相変わらずの腕だな」
旧友の隔絶した剣技に称賛を送りつつ、ルクレツィアは結界を操った。
空間を波打たせ、無防備に立ち尽くすヘイズを引き寄せる。
「無事か、グレイベル」
「ああ……うん、よし。調子戻ってきた。手間をかけさせたな、感謝する」
頭痛を堪えるように額に手を置き、やや覚束ない足取りでヘイズが立ち上がる。
振り向いた彼の顔を見て、ルクレツィアは小さく息を呑んだ。左の眼球が、充血と呼ぶのも生温いほど真っ赤に染まっている。
紅の中に琥珀の虹彩が輝く色合いは炎が焚べられているようで、火眼金睛という言葉を連想させる。その異様な変貌に思わず見入っていると、ヘイズは申し訳なさそうに苦笑した。
「さっき使った魔術の副作用でね。気色悪いだろうが許してくれ」
「いや、こちらこそ不躾だったな。すまない。戦闘に支障はないのか?」
「ああ。たかが左目が殆ど見えなくなったくらいだからな。どうとでもなる」
「……それは普通に大問題なのでは?」
「慣れてるんでね。それに放っておけばその内治る」
懐から取り出した霊薬を左目に振りかけながら、ヘイズは何食わぬ顔で言う。
と言うことは何だ。先程のような死中に活を求める所か無理やり捻じ込む真似を、今まで何度も繰り返してきたということか。
ルクレツィアは呆れ混じりに嘆息した。
「セリカが気に入る訳だ、全く」
以前よりヘイズの存在自体はエリオットからの報告で知っていた。
曰く、アンブラの新人にして不死身の錬金術師を討ち取った魔導士。
セリカに斬り捨てられかけた部下を寸前で救い、その後蹴り飛ばした男。
話を聞く限りでは訳が分からない人物であり、神秘に携わる者としても、結社の長としても多少の興味を抱いていた。
だからこそ、会議の場においてヘイズが魔星を単独で討伐できると、自分たちを邪魔だと、そう言い切った時。
ルクレツィアの中では憤りよりも好奇心の方が勝った。
あのセリカが威勢だけの輩に価値を見出すはずもなし。そもそもヴィクターが彼女やテオドアと同列に扱っている辺り、『アンブラ』の中では鬼札の一つとして数えられているのだと推察できる。
何より負傷したイヴを庇いながら、彼が魔星を相手に大立ち回りを演じていた場面をルクレツィアは目撃していた。
つまり言動に対してある程度の実は既に伴っている訳で、青年の中には勝算に値するだけの何かが存在すると踏んで良い。
それを知りたいと、ルクレツィアは純粋に思った。
もちろん、荒ぶる魔性から人々を庇護するというラインゴルト家当主としての役割を忘れた訳ではない。セリカ達の抑え役を担うべきと考えたのも本当だ。
ただ闘いに参加する理由の中に、個人的な探求心が含まれていなかったかと問われれば、ルクレツィアには否定できなかった。
だって未知を一つ解き明かせば、それだけ黄金の結界は完全無欠に近付く。間近で観察しない道理はなかった。
以上の経緯を踏まえ、現時点における彼に対する所感を述べよう。
この男は、とんでもない劇物だ。
「にしても、セリカでも簡単には崩せんか。……単純な技量もそうだが、妙に反応が良い。何か探知でも使っているのか?」
狩人のように目線を尖らせ、セリカ達の闘いを注視するヘイズ。
言動は至って理知的で、不義理を働けば謝罪するだけの良識も持ち合わせている。
ところがいざ行動させてみれば躊躇なく瀬戸際の綱渡りを敢行し、周囲も巻き込んで振り回す。それでいて成果は着実に挙げるのだから性質が悪い。
総じて味方としては危なっかし過ぎる人材だった。
下手に御そうとすれば、握った手綱ごと腕を引き千切られかねない。
「ラインゴルト女史?どうした、ぼーっとして」
呼びかけられ、ルクレツィアは我に返った。
戦場で集中を切らしてしまうとは。己の不徳を猛省し、意識を現実に引き戻す。
「失礼、少し考え事をしていた。この後はどう動く?セリカ達を援護しつつ、仕掛ける隙を探ってみるか」
「個人的にはもう少しアレの特性を知っておきたいな。ルーン、使い魔、呪詛と色々使ってきたが、どうせまだ何か隠し持ってるだろ」
「だろうな。怪物はいつだって人間に厳しいものだ」
ヘイズのざっくばらんな物言いにルクレツィアは笑い、そして思案気に顎に手を添える。
「確認させてくれ。貴方の対魔術は攻撃に付与に類するものと考えて良いのか?」
「あー、少し違うな。俺の術式は……何と言うか、見切ることが本質でね」
「見切る」
「そう。でその見切った箇所を斬るなり突くなりすることで、神秘を無効化する訳だ」
「……なるほど、視覚を拡張する術式か。概ね理解した」
本来捉えられぬモノを捉え、触れられぬモノに触れることを可能とする魔術。
観測という行為が要となるのだから、酷使の代償として眼球の機能が低下するのは道理だった。
「つまり、先ほどのような広範囲に及ぶ解呪はあくまで特例ということで良いか」
「別に右目使ってもう一度同じことやっても良いけどな。ただまあ、反動のことを考えると使い所は見極めたい」
裏を返せば時機次第で幾らでも実行するつもりらしい。
対価を支払うことを何ら厭わない辺りに、ヘイズ・グレイベルという男の精神性が窺える。
ともあれ原則として、彼の術式を活かすには標的に近づくことが必須なのは分かった。
「であればそうだな……隠形を使って近づいてみるのはどうだろう。敵の知覚の限界が把握できれば、奇襲の段取りも組みやすくなる」
「妥当な案だな。ただ……」
ヘイズはそこで歯切れが悪そうな顔をした。
「俺、そこまで高度な隠形は修めていなくてね。バレる自信しかない」
「……安心しろ、元から私の結界で補助するつもりだったから。と言うか、分かった上で聞いているだろう」
「いやいやそんなことは。じゃあ引き続き俺の命運はあんたの"盾"に託すよ。頼りにしてるぜ」
「はあ……」
良い様に使われている感は否めないが、毒を食らわば皿までか。
何より全幅の信頼を寄せてきた者を裏切ることなど、ルクレツィアの矜持が許さない。
それにまあ、勝つために使えるものは何でも使う姿勢は、泥臭いが嫌いではなかった。
◇◇◇
横薙ぎの一撃を屈んで躱し、重心を落とした姿勢のまま踏み込み、抜刀。
鞘走る大太刀は紫電を纏い、暴風の中に逆袈裟懸けの軌跡を刻む。全身のバネと魔術の併用によって繰り出される斬撃は神速の域に達しており、天翔ける雷さえも切り落とそう。
正しく剣聖の号を戴くに相応しい、卓越した剣技である。
しかし武の練度に関して言えば、魔星もまた尋常ではない。
空振らせたはずの杖が急に軌道を変更し、セリカの太刀を抑え込むようにして絡みつく。ならばと即座に手を引いて、喉を狙った平突きを打たんとするが、次の瞬間には体が宙を舞っていた。
「素晴らしい」
鮮やか過ぎる手並みに、敵ながら賞賛の念が禁じ得ない。柄を支点に投げられたことは理解できるが、その予兆が全く掴めなかった。
正直な話、魔星が扱う技自体に目を見張るものはない。あくまで基礎の範疇に収まる程度で、模倣するだけなら容易いだろう。
だが腕の振り方や足運び、或いは意識の間隙を突く呼吸の妙――戦士として求められる性能が純粋に高く、しかもどれ程激しく打ち込まれようと決して対処を過たない。
例えるなら常に最適解を出力し続ける超高性能の計算機。
体調や感情といった不確定要素に左右されてしまう人間ではとても辿り着けぬ境地である。
ゆえにこそセリカはこの強敵を心底から激賞し、同時に嘘偽りなく想うのだ。斬りたい、と。
"棘よ"
「おっと」
空中で身を翻し、虚空から伸びた氷の刃を斬り落とす。
周囲に視線を走らせれば、魔星の使い魔たる黄金の腕輪がセリカを包囲していた。続く二射、三射と密度を増す魔術の鏃を天稟が導くまま両断する。
無粋とは言うまい。魔星からすれば自分達は進路上に転がる障害物に過ぎず、正々堂々の死合いなど最初から望むべくもない。
しかし勝利こそが最優先なのはこちらも同じことだった。
各々個人的な願望や思惑は抱けども、この場に集った魔導士達は一様に魔星を討つという意志を共有している。
ゆえに隙を見出したのなら味方にも手段にも構うことなく牙を剥くのだ。
「余所見は寂しいなァ」
恐らくは、指差しの呪詛をセリカに使おうとしていたのだろう。
左の籠手を持ち上げた魔星の横合いから、マリアンが急襲をかけた。
未だ敵の底が見えぬ状況であろうとも、彼女に余力を残すといった温い思考は存在しない。槍の一刺しと共に解放される死の風は紛れもなく全霊が籠められていて、形ある物ことごとくを塵に還す。
さしもの魔星と言えど、これを真面に受けては痛痒を免れまい。
"剣よ"
よって、セリカへの呪詛のために練り上げた霊素を、防御に回すのは当然の運びであった。
不滅の加護を躯体に纏い、絶滅の息吹を耐え忍ぶ。しかも手元に残していた腕輪にも同じ秘文を使わせて、効果を補強する徹底ぶり。
甲冑が徐々に崩壊に蝕まれる中、魔星が杖を振り被る。直後に迸った霊撃はマリアンの魔術を内側から粉砕し、その余波だけで戦場全域を震撼させた。
「あは、滾るね」
技巧など欠片もない、ただただ圧倒的な暴力の発露に、マリアンの顔が随喜に染まる。
天井知らずに燃え上がる戦意に駆られるまま、薔薇の傭兵は槍を握り締め魔星の懐に飛び込んだ。
「雷切」
セリカも彼女に続いた。雷速を以て腕輪の包囲を抜け、再び白兵の間合いに踏み入れる。
太刀と槍と杖。三種の得物が絶えず交錯し、衝突し、火花と霊素を撒き散らす。
二対一かつ魔術まで併用している状況にも拘らず、剣戟は互角の様相を呈していた。
セリカは勿論のこと、マリアンもまた卓越した戦闘力を持った魔導士である。旧知の間柄ゆえに彼女らの連携は即席とは思えぬほど洗練されており、それを以てしても拮抗を保つ敵の守りは異常と評して相違ない。ゆえに、
「ぶち抜く」
邪竜の血の担い手が加勢するのも必定だった。
軽やかな歩を刻み魔星に肉迫したテオドアは、胴を下から抉り込むように拳を撃つ。
彼の四肢には霊素が凝縮されており、衝突と同時に莫大な熱量を炸裂させる。
言うなれば手足から放つ竜の息吹。本人の隔絶した膂力と相まって、テオドアの攻撃は牽制であろうと必殺の威力を誇る。
これを受け止めるのは愚策でしかなく、かと言って回避すればセリカとマリアンが食い付く隙が生まれよう。
さあどう出る?魔星の動向にセリカが目を凝らした瞬間だった。
"雄牛よ"
誦んじられる新たな秘文。直後に跳ね上がった杖の石突がテオドアの拳にぶつかり、そのまま弾き飛ばした。
「こいつ……!?」
素早く体勢を整えながらも、テオドアの顔には動揺が表れていた。
無理もない。セリカだって彼が力負けする場面など、殆ど見たことがなかった。
竜とは最強の星霊であり、その因子を宿すテオドアの暴威は天変地異にも匹敵する。
それをただ力任せに逸らす?ルーンの恩恵があるにせよ、余りに出鱈目な芸当だった。
何より特筆すべきは、持ち前の技術には一切変わりがないという点である。それはつまり、つまり竜をも凌駕する怪力が人外の精度を以て襲い掛かってくるということを意味しており。
「うん、これ無理だね!」
真っ先に見切りをつけたのは、意外にもマリアンだった。
愉快満面といった表情は健在であるものの、彼女からしても今の魔星相手に近接戦闘を続けるのは無謀と判断したらしい。
セリカとテオドアも迷いなく同意を示し、杖が生み出す殺戮圏から一歩外に退く。
当然、守勢に回れば八つの腕輪によるルーン魔術が飛んでくるが、弾幕の密度は彼らが召喚された当初よりも明らかに落ちていた。
加えて魔星も"災厄"や"停滞"といった、こちらに致命的な隙を捻じ込むことができるであろう、概念に干渉する類の文字を使わない。
理由は明らかだった。魔星はヘイズによって再び術が阻害される事態を恐れ、慎重になっているのだ。
お陰でセリカ達は付かず離れず、即座に間合いに飛び込める位置を維持できている。
しかし一方で、この状況は敵の厄介な性質を浮き彫りしたとも言える。
魔星には油断がない。神秘としての格では魔導士など蟻にも等しい高みに立ちながら、とにかく堅実に立ち回ることに徹している。
悪く言えば臆病とも呼べる姿勢だが、対峙する側としては難儀なことこの上ない。
上位者は上位者らしく驕ってくれれば斬り易くもなるものを。セリカは嘆息した。
(ヘイズは……)
一瞬だけ後方に視線をやると、そこには灰色の魔導士の姿はなく、結界を展開するルクレツィアだけが佇んでいた。
彼の性格からして逃げたとは考えられないので、また何か仕掛けるつもりなのか。
セリカが知る限り、ヘイズ・グレイベルという男の本領は正面切っての戦闘ではなく、相手の強みを潰して一気に戦況を覆すことにある。
先程、いきなり魔星に突撃したのが良い例だ。とても正気の沙汰とは思えぬ蛮行も、彼からすれば活路を拓くための最短経路に他ならない。
よって今もまた息を潜めて時機を見計らっていると考えるべきで、ならば自ずと取るべき行動も見えてくる。
「マリアン、テオドア。私と地獄に挑んでくれますか?」
「殺し文句だねぇ。もちろん良いとも」
「どうせ真面にやって勝てる相手じゃねぇしな。とことんまで付き合ってやらァ」
問えば望み通りの答えが返ってくる。如何なる強敵を前にしても、彼らの戦意に一切の陰りはない。
そしてセリカは花咲くような笑みと共に、自らの生存を捨て去った。
死線を踏み越えた瞬間、異形の杖が襲い来る。八つの使い魔らも魔術の掃射の密度を高め、戦場は正しく地獄と相成った。
嵐の王の一撃はセリカの技量を以てしても受け流せず、また掠めることすら命取りとなる。
従って基本的には回避行動を主軸に攻め手を展開しなければならないのだが、それを黄金の腕輪が許さない。杖を掻い潜った先には彼らが起動したルーンが置かれていて、着実に退路を狭めてくる。
要するに闘いの主導権を魔星に握られている状況であり、これを奪い返さねば話にならない。
ならばどうするか?答えは邪竜の継承者が示してくれた。
「竜の祝福、同胞に宿れ」
掌に爪を立て、溢れた血をテオドアが宙に振り撒く。飛び散る赤は同色の霊素へと変じ、セリカとマリアンの身に吸い込まれていった。
次の瞬間、ルーンが呼び出した日輪の焔が彼女らを覆う。が、骨髄まで灰に帰す灼熱の波から飛び出す二人の姿は、軽い火傷を負った程度で五体満足のままだった。
竜血の加護の付与である。本人程の耐久度は望むべくもないし、受けるダメージが完全に消える訳でもない。
だが魔術の雨に晒されながらも、構わず剣を振り続けるだけの無茶は可能にしてくれる。
「斬る」
刹那の間に刻まれた十の斬撃が、杖のたった一振りを以てあらぬ方向に外される。
互いに魔術が決定打とならぬ以上、頼りになるのは磨き上げた己の技量のみ。
例え必殺を期した一手が防がれたとしても、即座に次の手を繰り出す。それが駄目でもまた次を。技を返されたのなら返し返す。
マリアンとテオドアも畳みかけるように魔星を攻め立て、剣戟は更に苛烈さを増して荒れ狂う。
「ふはっ――」
背筋を絶えず死の悪寒が走り続ける中、セリカは堪え切れず笑みを溢した。
誤解の無いように述べると、彼女は別にマリアンのように闘争を好んでいる訳ではない。
彼女にとっての闘いとは自身という刃を研ぎ上げる行為に等しく、ある種鍛錬としての趣が強い。
ゆえに強者との死合いは絶好の研鑽の機会であり、また持ち前の天稟を存分に発揮できるともなれば、一人の剣士として高揚するのも無理からぬ話であった。
だが、
「惜しいですね」
そう、惜しい。
首筋に走らせた太刀を、片手のみの白刃取りによって止める妙技を目の当たりにしながらも、剣聖の胸にはどこか酷薄な感情が過っていた。
もしももっと早くにこの怪物と出会えていたならば、より充足を抱いて闘いに没頭できていただろう。
でも今はもう駄目だ。一月前、あのくすんだ冬の日に、セリカ・ヴィーラントは魅せられてしまった。
魔女よりも、邪竜よりも、傭兵よりも、如何なる神秘幻想よりも。白と黒の狭間にて、煌々と燃え盛る灰色の焔に。
ゆえにお前ごときに構っている暇はない。疾く剣の錆となれ。
私を真に高みへ押し上げてくれるモノは別にある。
「村雨」
猛々しい喜悦と冷徹な殺意。相反する二つの情念を乗せられた太刀筋は、これまでの正確無比な軌道から一転、奇怪なぶれを起こし始める。
無為な偽装が挟まれ、流すべき場面で攻め、格好の隙に食い付かない。
セリカとしては思いつくまま技を試しているだけなのだが、どうしたことか。魔星の鉄壁の守りに亀裂が生じていく。
さもありなん。合理を追求できるということは、内に正誤を評価する一定の基準が存在するということ。
そこから逸脱した事象、例えば無意味な行動などに対しては反応が遅れるのは自明である。
もっとも魔星ほどの技量があれば、大抵の異常には対処が可能だろう。しかし、
「独り占めは良くないなァ」
「余所見してんじゃねぇぞボロ騎士がッ!」
その対象が三つとなれば話も変わる。
後先を考えず、味方の状況すら気に留めず。血を流すことも厭わず前進する魔導士らの狂気を捌くには、使い魔だけでは明らかに力不足だった。
よって、嵐の王は封じていた手段の行使を選ばざるを得なくなる。何故ならそれが最も合理的だから。
虚空に浮かぶ災厄の文字。
効果を受けた対象に失敗を強制する力の前兆を前にセリカは、
「では、こうしてみましょう」
ふわりと、風船を空に飛ばすような気軽さで、太刀を宙に放り投げた。
何か意図があった訳ではない。ただ思いついてみたからそうしただけ。
されど余りにも突拍子のない行動は、魔星の機械じみた思考の中に僅かながらも雑音を挟み。
「死ね」
音もなく現れた灰色の狩人が、騎士の背中に切っ先を走らせた。
高度な隠形の術を使っていたらしい。セリカをして攻撃の直前まで、彼の気配を察知できなかった。
それは魔星も同様であり、彼の姿を目で追うことすらできていない。
では奇襲はこのまま成功するか?――否。
"駆動中止"
籠手の中で輝いていたルーンが瞬く間に霧散する。
セリカは悟った。秘文に宿っていた霊素が少なすぎる。初めから発動するつもりがなかったのか!
そう理解する頃には魔星は迎撃の体勢を整えていた。
振り向きざま繰り出された刺突が、ヘイズが握った短剣を破砕する。
恐るべき精度。そして用心深さ。
彼の神秘殺しが武器を媒介に実行されることを見抜いたがゆえ、まずは武器を奪ったのだ。
だが奴は気付いているだろうか。
重要なのは時機である。灰色の青年はセリカが得物を放ると同時に襲撃した。
それは即ち、彼が目的を達成できると確信していることを意味している。
ゆえに狩人に動揺はない。迷いもない。
無意味に舞い上げられた太刀の柄を灰色の腕が掴み取り、そして。
「落日の智慧」
返す刀で放たれた突きを中空で躱し、振り下ろす。
果たして神秘を断つ斬撃が、遂に嵐の王の真芯を一閃した。
――獲った。
その光景を目にした殆どの者が、そう確信した。
事実、ヘイズの魔術を受けた魔星は指先から崩壊を始めており、もはや消滅は免れない。
だと言うのに、ただ二人。
遠方から戦場全体を見渡していた黄金の結界使いと、怪物を切り裂いた本人は驚愕に目を見開いていて。
「クソが――そういう絡繰りか!」
歯噛みするヘイズが体の左手に太刀を構えた瞬間だった。
「ぐはァッ」
叩きつけられた衝撃が、彼の体を鞠のように吹き飛ばす。
誰が何をしたのか、把握している暇はない。確かなのは今すぐ行動に移さなければ死ぬということだ。
「退避!」
"災厄よ"
あらん限りの声で叫んだのと、不吉極まる呪文が囁かれたのは同時であった。
戦場に存在するあらゆる物体が、自らの維持に失敗する。
雨粒と雪は蒸発し、風は絶え、瓦礫は塵と化す。使い魔にも同様の秘文を使わせ、効力を上乗せした"災厄"の発露である。
この破壊の波に人間が巻き込まれればどうなるか、いちいち想像するまでもない。
神速を起動する。地に転がされたヘイズと太刀を回収しつつ、セリカは全速力で後退する。
マリアンとテオドアも地を蹴り、魔星から離れていた。
かくて剥がされた距離は少なくとも五十メートル余り。
再び接近するにしても神速を使って一瞬が必要だ。そしてその絶好の余白を、魔星が見逃すはずがない。
"神性招来――天滑る死の軍馬"
戦の主導権を嵐の王が再び握る。
大気を貫く流星の瞬きが、セリカの網膜を焼いた。




