2-31 彷徨う凶星 其之十三
率直な感想を述べると。
この場に乱入したことを、ヘイズは若干後悔し始めていた。
「生きてるか?生きてるな?なら死なないように全力で気張れ。生憎、俺は治癒魔術は苦手なんでな、その辺は自力で頼む」
矢継ぎ早に捲し立て、眼前に迫った青黒き影を切り伏せる。
声が相手に届いているか否かは考慮の外。僅かな気の緩みが死に直結するのだから、それ位は許して欲しい。
旧市街に辿り着いたヘイズを迎えたのは、亡霊の軍勢による圧倒的な数の暴力だった。
重々しく空を割る鉈に、火を吹く長銃。無貌の猟師達は倒しても倒しても続々と湧き出てきて、まるで大海を相手取っているような気分にさせられる。
尤も彼らは所詮、使い捨ての雑兵だ。底なしの物量は確かに厄介だが、全力で魔術を回せばまだ辛うじて捌ける範疇に留まっている。
ゆえに現状、最も警戒すべき対象は。
亡者たちの群れを統率し、この冬の嵐を従える神話の怪物に他ならない。
「おおおおッ!」
背筋に悪寒が走った瞬間、ヘイズは裂帛の気勢と共に死角目掛けて剣を振り抜いた。
放たれた灼熱の波が飛来した真空の断層と激突し、空間を激しく軋ませる。
すると今度は大気中に生じた蒸気が凝集、凍結して無数の氷柱を形成した。剣のごとき切っ先が一斉にこちらに狙いを定め、機関銃さながらの勢いで射出される。
「ンの、少しは加減しやがれ!」
悪態と共にヘイズは再び術式を繰った。散布した霊素を固めて障壁を成し、その表面に焔を纏わせる。
次の瞬間、燃え盛る結界に氷雪の鏃が降り注いだ。視界を靄が埋め尽くし、巻き込まれた亡霊たちが、青黒い粒子を血飛沫のように上げて消えていく。
そうして斉射が止んだ所で、ヘイズはようやく呼吸を取り戻した。
「――はあッ、はッ……次から次へと、退屈しないなクソ……!」
膝を付きそうになるのを、気合で堪える。マリアンとの死闘のダメージが抜けていないという点もあるが、ここまでの攻防が彼に著しい疲弊を強いていた。
だが休んでいる暇などない。次の攻撃に備えるべく、ヘイズは敵の動向を注視する。
「っ……」
その偉容を視界に納めた途端、心臓が一際高く鼓動を打つ。
雷鳴轟く厳冬の嵐の中心地。瓦礫の山の上に、錆びついた騎士が立っていた。
手には槍のごとき異形の杖を握り、周囲に幾つもの淡く輝く記号を躍らせている。
鎧の部品一つとっても、どれ程の神秘を内包しているのか。圧倒的な情報量はヘイズの眼を以てしても構造はおろか、輪郭すらも掴み切れない。
確かなのは、あれが星霊という枠組みを超えた規格外の存在であり、そしてマルクトを覆う異変の元凶であるということだった。
とは言え本来の目的を忘れて闘いに興じるほど、ヘイズも軽率ではない。
第一に優先すべきはイヴの救助である。ヘイズが駆けつけた時には彼女は既に虫の息で、本格的な治療を施さなければ遠からず命を落とすだろう。
ゆえに本来ならこうして睨み合う時間すら惜しく、すぐにでもイヴを連れて離脱したい所なのだが。
(どうも見逃してくれそうにないんだよなぁ……)
凍える嵐の王が、そんな甘い考えを許さない。
籠手に包まれた指が軽く持ち上がった瞬間、青黒い影が再び氾濫を開始する。
その間も騎士の隻眼は冷徹にヘイズだけを捉えており、背を向けることを躊躇わせた。
早い話が八方塞りである。業腹だが今の自分にこの場を切り抜けるだけの力はなく、こちらに向かっているであろう救援の到着まで何とか耐えるしかない。
「……どうして?」
徐々に亡者の軍勢が近付く中、背後から問いが来た。
「ああ?」
「どうして、来たの?」
今にも消え入りそうな儚い声。そこにどんな感情が籠められているのか、まだ付き合いの浅いヘイズには分からない。
ゆえに騎士から視線を外さぬまま、彼は思うままを口にした。
「仕事のためだ。以上」
仲間だからだとか、正義のためだとか。そんな理由で他人のために命を賭けられる程、ヘイズは殊勝な人間ではない。
ただ彼は、一度請け負った依頼は、余程のことがない限り必ず達成すると決めている。
今回の目標は"アーク"を回収することだ。
しかし肝心の品は所有者のエドワードも含めて影も形も見当たらず。更には神秘の極致とも呼べる存在がマルクトに未曽有の災禍をもたらしている始末。
状況から察するに、あの亡霊の騎士が遺物の所在に絡んでいることは想像に難くなく、ならば本懐を果たすためには討伐は必須と言えるだろう。
そして現時点において、敵に関する情報を誰より多く有しているのはイヴを置いて他にいない。
要するに効率の問題だ。
依頼を遂行するにあたって、イヴが生きていた方が有益だから。そうするべきだと思ったから。
だからヘイズは彼女を守るのだ。
「死にたいなら別に止めんが、この仕事が終わるまでは許さんぞ。あんな化け物を相手にするんだ、使える手は多ければ多い方が良い。……いやまあ、ヴィクターさんに任されたってのもあるんだがな?とにかく俺がそう決めたから、お前は生き延びることだけを考えろ。代わりに近付いてくる奴は、残らず消し炭にしてやる」
我ながら身勝手だという自覚はある。何なら軽蔑してくれても構わない。
それでもいつか終わりの日を迎えるまで、ヘイズは小さな意地を張り通すのだと決めていた。
「……ヘイズ君、は」
しばしの沈黙の後、イヴがぽつりと呟いた。
「ヘイズ君は……頭がおかしいの?」
「意外と余裕ありそうで安心したよ!」
叫んだ直後に、亡霊たちが雪崩れ込んできた。
再び迎撃すべく剣と魔術を操るヘイズ。宣言通り、接近する敵を片っ端から燃やし尽くしていく様は、正に獅子奮迅の活躍と呼ぶに相応しい。
しかし連戦に次ぐ連戦による弊害は、着実に彼の肉体を蝕んでいた。
「――!?」
結果、普段ならば決してあり得ないような綻びが、形となって表れる。
踏み込んだ拍子に膝から力が抜け、ヘイズは体勢を崩してしまう。
しまった。そう思った時には既に遅く、亡霊の王は杖で地を叩いていた。
宙を舞う文字の一つが輝き、意味を結ぶ。果たして数瞬の内に発生したのは、土石で象られた巨人の腕であった。
特殊な効能を持ち合わせない、単純明快な大質量。ヘイズだけならまだしも、イヴを連れてこれを躱し切るのは不可能だった。
かと言って相殺しようにも『愚者火』では火力の面で不安が残り、『落日の智慧』を行使するには事象を観察するだけの猶予がない。
ヘイズは肚を括った。
「――燃え上がれ」
胸に手を添え、囁く。
単に術式を励起させるのとは違う、ヘイズ独自の詠唱。それは起死回生の幻想を呼び覚ます、どこか不吉な響きを湛えた言霊だった。
出力はほんの僅か、この一時を凌げる程度で良い。只でさえ霊素が枯渇している今、本気で使えば戦闘を継続することが不可能になる。
そして大地の鉄槌は振り下ろされた。
ヘイズは己が内で荒れ狂う力の上澄みだけを掬い取り、熱量として解き放たんと剣を擬す。
――鋭い罵声が耳朶を叩いたのは、その時であった。
「伏せろ馬鹿者!」
反射的に身を屈めるのと同時、頭上にまで迫っていた巨腕が何かにぶつかったかのように砕け散る。見れば燦然と煌めく黄金の結界が、ヘイズの前に現れていた。
それを皮切りに、周囲に続々と蒼い外套を纏った人影が降り立つ。
彼らの胸元を一様に飾るは、剣に貫かれた竜の紋章。マルクトで活動する魔導士の中で、その意味を知らぬ者は一人としていまい。
ようやく来てくれたか。ヘイズは小さく安堵の息を零すと、自分の隣に立った男に向けて皮肉気な笑みを送る。
「待ちくたびれたぞ、アーヴィング。貴い血族を気取るなら、遅刻なんかするなよ」
「煩い!減らず口を叩いている暇があるなら、とっとと立て!」
焦燥も露に男が――エリオット・アーヴィングが怒声を張り上げる。
結社、『竜狩の騎士団』。
マルクト最強と謳われる魔導士達が、加勢に訪れた瞬間だった。
◇◇◇
「保険をかけておこうと思うんだ」
正午を近くに控えた頃合いである。
『カジノ・アヴァリティア』の執務室にて、ヘイズ達と情報共有を終えたヴィクターは、開口一番にそう言った。
「我々だけでは対処し切れない事態が発生し得ると?」
他の面々を代表してセリカが疑問を呈すると、ヴィクターは真剣な表情で頷いた。
「君たちの推理通り、『ゴスペル』とやらの目的がある種の宣伝行為にあったとしよう。しかし死人が出ているとは言え、たかが亡霊を使って都市の信用を落とす程度では、些かインパクトに欠けると私は思うのだよ」
ヴィクターはそこで言葉を区切ると、ヘイズの方に視線を寄越してきた。
「例えばヘイズ君。君が彼らと同じ立場だったとしたら、どうする?目的をより確実に達成するために何をする?」
「俺ですか?あー……そうですね。とりあえず公社の時計塔でも圧し折りますかねぇ」
「その心は?」
「マルクトに古くからあるランドマークですし、市民もそれなりに愛着を持っているでしょう。それにでかい建物ですから、倒壊に伴う二次被害にも期待できます」
促されるまま、思い付いた考えを素直に口にする。しかし周囲の反応は、質問してきた本人も含めて全く芳しくなかった。
「いやあ……よくそんな酷いこと思い付くね君。流石の私もドン引きだよ」
「振ってきておいて梯子外すのはずるくないです?……おい、その目は何だよお前ら。流石の俺もそこまではやらないぞ。多分、必要性がなければ、きっと……」
絶対と断言できない点が、我がことながら悔しかった。そんな消沈するヘイズを尻目に、セリカが話の軌道を戻す。
「つまりより大規模な破壊工作、ないしはそれに類する何らかを警戒している訳ですか」
「今の所は何の根拠もない、ただの憶測に過ぎないがねェ」
椅子に深く座り直しつつ、ヴィクターは続けた。
「でもほら、先月はたった一人の魔導士によって、マルクトは散々引っ掻き回されてしまっただろう?だから最悪の場合に備えて、事前に打てる手は打っておきたいんだ」
「理解しました。では実際にどう動きましょうか?軍警局に要請を出すのは大前提だと思いますけど」
セリカの問いに、ヴィクターが頷く。
「もちろん。市民を守るという点において、彼らの右に出るものはいないからね。しかし、今回はここに別の勢力を二つ加えたい」
言って、ヴィクターは虚空に術式で映像を投射した。
そこに浮かび上がるのは剣に貫かれる竜の印と、真紅の薔薇の印。
「目下敵側に付いていると思われる『不凋の薔薇』と、静観を決め込んでいる『竜狩の騎士団』……彼らが引き込む対象だ」
「……正気?」
今まで黙っていたイヴが訝しげに口を開く。ヘイズも同感だった。
ヴィクターは気軽に言ったものの、『不凋の薔薇』は傭兵団である。
即ち信頼を第一の価値とする組織であり、依頼人に不義理を働く行為は最も忌避する所だろう。話を持ち込んだ時点で、『アンブラ』に全面抗争を仕掛けられても何ら不思議ではない。
しかしこちらの懸念を余所に、提案した本人はあっけらかんとした調子で笑った。
「大丈夫大丈夫。あそこの頭領とは昔馴染みでね。少し工夫は必要だが、交渉の余地は充分あると踏んでるよ。……まあ失敗したら確実に殺されちゃうんだけどネ!」
それは果たして大丈夫と呼べるのだろうか。
とは言えあの狡猾なヴィクターが、根拠もなく無茶を冒すとも思えない。本当に彼らを味方に引き込むだけの算段が、彼の中にはあるのだろう。
「それでもう一方、『竜狩の騎士団』だけど……」
「……絶対こっちに来ると思ったぜ」
ヴィクターの視線を受けて、テオドアがその端正な顔を苦々しく歪めた。凄まじく嫌そうである。
だが悲しいかな、我らが上司は使える駒を遊ばせておくほど優しくはなかった。
「団長殿への直談判は任せたよ、テオ君。マルクトの未来は君の肩にかかっている!」
「マジでか……普通に門前払いを食らう未来しか見えねぇんだけど……」
「良いではありませんか。これを機にそろそろ蟠りを解消してきては?」
「そうそう、この手の問題は先送りにするほど拗れていくものだからね。何、取り敢えず数発引っ叩かれでもすれば話を聞いてくれるようになるさ!」
「テメェらは単に面白がってるだけだろ!」
頭痛を堪えるように眉間を揉むテオドア。
ヘイズも伝聞ではあるが、彼と『竜狩の騎士団』の首領が只ならぬ関係であることは把握している。
そしてヴィクターが述べた通り、人と人との間に生じた溝は、時間と共に深まっていくのが常だ。
なのでヘイズとしても和解なり決別なり、何らかの形での清算を勧めたい所だが。
「……」
「……どうしたの、ヘイズ君?」
「いや、色々耳が痛くてな……」
自分にも思い当たる節が多分にあるため、偉そうに口を挟む気にはなれなかった。
「まあ、なんだ。どうしても気まずいってことなら、俺が代わりに行ってやっても良いぞ?もちろん、一つ貸しにするがな」
「おま、もうちょいダチとして手心ってもんをだなぁ……いや辞めだ。うだうだ俺らしくもねぇ。分かった行く、行きますよ」
半ば自棄気味にテオドアが了承する。闊達な彼をここまで悩ませる事情とは、一体どんなものなのか。
興味はあるが詮索するのは趣味でないし、いつか話してくれる時を待つとしよう。
ヘイズはヴィクターの方に向き直った。
「では俺とイヴは引き続き、例の『アラネア商会』の調査をする方針で構いませんよね?」
「ああ、それで良いよ。踏み込むタイミングについては、交渉の状況に応じて決めるとしよう。セリカ君の方は軍警局と協力して、引き続き『ゴスペル』の追跡に当たってくれたまえ。――他に質問は?よろしい、では解散」
ヴィクターの号令の下、ヘイズ達は再び行動を開始する。
果たしてマルクトが異変に見舞われたのは、二日後のことであった。
◇◇◇
「法陣の構築を急げ。時間は私が稼ぐ」
毅然とした女の声が、暴風雨の中に朗々と響く。
受けて青き外套の魔導士達は、一斉に行動を開始した。亡霊の群れを薙ぎ払いつつ、旧市街を囲うように位置取る。
無論のこと、新たな敵の登場を嵐の王が見過ごすはずもない。
振るわれる杖が摂理を崩し、輝ける文字が万象を支配する。
舞い踊る地水火風。あらゆる属性をほんの一呼吸で具現する姿は、御伽噺に語られる魔道を極めし賢者を彷彿とさせる。
ならばそれに正面から挑まんとする彼女もまた、数多の幻想を下してきた練達の戦士に他ならない。
「『竜絶界域』――」
駆動する術式が、夥しい数の結界を旧市街の全域に渡って展開させた。絶えず牙を剥く亡霊から、天変地異から、地面に術式を打ち込む仲間たちを守る。
恐るべきは防ぐ攻撃に応じて、結界の一つ一つに異なる構造を持たせている点だった。極めて最小限かつ、最大の効力を以て、ただ一人の魔導士が殺戮の嵐を凌いでいる。
ルクレツィア・ラインゴルト。
マルクト最強の肩書を誇る結社、その首領の座に相応しい超絶的な技巧である。
にも拘らず神業を披露した当の本人は、端正な顔を曇らせていた。何故なら彼女の掌には幾つもの切創が走り、血の雫を滴らせていたため。
「結界を通じて感染する呪詛……小手調べでこれか。全く、とんだ貧乏くじを引かされたものだな!」
ルクレツィアが手を掲げると同時、前触れなく形成された結界が、亡霊の騎士を四方八方から打ち据えた。
切り取られた領域と言えど、空間という概念が秘める質量は膨大だ。それを直接激突させられれば、並大抵の星霊は瞬く間に圧壊するだろう。
対して亡霊の騎士は悠々と杖を構えるばかりであった。全身に叩き込まれる衝撃に、甲冑が拉げるのも構わず、得物を槍のごとく無造作に一閃する。
瞬間、大気が覆された。
霊素の濁流は電荷を伴いながら結界を粉砕し、瓦礫の山を木っ端微塵と吹き飛ばす。技としてはごく単純な霊撃に過ぎないが、余りにも桁違いの威力であった。
「くっ――!」
目を剥くルクレツィアであったが、持ち直すのは早かった。何百という結界を即座に重ね、押し寄せる余波を相殺する。
「アーヴィング!」
「はい!ぼさっとするなグレイベル、ここは退くぞ!露払いは俺が務める!」
この場に留まっていたエリオットに腕を引かれ、ヘイズは立ち上がった。
要するに離脱を手伝ってくれるらしい。大きな借りを作ることにはなってしまうが、こちらもとうに限界だ。素直に甘えさせて貰うとしよう。
振り返ると、イヴは気を失っていた。硝子細工を扱うようにそっと、華奢な体を肩に担ぎ上げる。
「助かった、この借りは何れ必ず返す」
「なに、我らは引き受けた依頼をこなしているだけだ。そう気負う必要はない」
ただ、と結界を操る手を緩めぬまま、ルクレツィアは真摯な口調で続けた。
「恩と思ってくれるのなら、どうかイヴのことを頼んだよ。重傷の貴方に任せてしまうのは心苦しい限りだが、昔からの友人なんだ」
「おお……」
ヘイズは感動した。何と真面な性格なのだろう。
もしかしなくともテオドアと関係が拗れているのは、全部あの男が悪いのではあるまいか。
そう自然と考えてしまう程に、ルクレツィアの態度はヘイズの胸に響いた。ここ最近、某剣聖を筆頭に曲者とばかり関わってきた反動である。
「おい、その娘を死なせたいのか早くしろ貴様!」
「すまん、ちょっと泣きそうになってた」
エリオットからの叱責に尻を蹴られ、ヘイズは駆け出した。
当然のごとく、逃がすものかと亡霊の群れが進路上に立ち塞がる。だが。
「術式起動――!」
彼らの接近を先頭を走るエリオットが許さない。振るわれる剣が閃光を放ったかと思うと、猟師の陰影を跡形もなく消し飛ばす。
不浄なるものを祓う、退魔の術式。先月見たのは風を操る術であったが、それ以外の属性の扱いも彼にはお手のものらしい。
貴族という自称に相応しく、彼もまた才気溢れた魔導士の一人であった。
「それにしても……」
こじ開けられた道を駆け抜けながら、ヘイズは感心を籠めて呟いた。
「あれが噂に名高いラインゴルト家のご当主か。聞きしに勝る化け物っぷりだな」
「ばけも……まあ良い。当然だろう、我ら貴族の頂点に立つお方だぞ?そこらの馬の骨とは比較にもならん。取り分け、星霊を相手取るという点においてはな」
追い縋る敵を蹴散らして、エリオットが誇らしげに言う。矜持の高い彼にとっても、ルクレツィアは心から敬服できる存在らしい。
実際、魔導士としての腕もさることながら、人格面においても好感の持てる女性だった。
力と道徳を両立させた魔導士は貴重である。話が通じるし、取引だってし易い。願わくば彼女とは、今後も互いの流儀が許す範囲で、良好な関係を築きたいものだ。
「む――」
突然、エリオットが弾かれたように後方を見やる。
理由は訊ねずとも分かった。莫大な霊素の奔流が、旧市街の方角に渦巻いていたため。
それは紛れもなく、大規模な魔術が発動される前兆に他ならない。
「目を伏せろ!」
エリオットが鋭く声を発すると同時、眩い白が景色を塗り潰す。
やがて視覚が正常な機能を取り戻した頃、それの姿を見上げてヘイズは感嘆の息を零した。
「あれは……」
「『無間大迷宮』……何とか成功したようだな」
二人の視線の先では、街区一つを丸ごと包む程の巨大な箱が出現していた。表面には幾何学的な紋様が走っており、絶えず形状を変え続けている。
熟練の魔導士達が総力を挙げて構築した大結界にして、あらゆる魔性を空間ごと閉じ込める断絶の檻。現存する封印術式の中でも、最も堅牢なものの一つだった。
とは言え、予断を許さぬ状況であることに変わりはない。元凶が現世から隔離されたことで幾分か和らぎはしたものの、霊脈の乱れは依然として健在である。
加えて結界自体も内部から解呪を仕掛けられているのだろう。時折輪郭を不安定に揺らがせており、遠からず破られることは明白だった。
ゆえにここからは時間との勝負になる。嵐の王が再び現世の地を踏む前に、ヴィクター達と万全の布陣を整えなければ。
"――■■たい"
不意に、か細い声が鼓膜に触れた。
「……おい、今の聞こえたか」
「なに?」
怪訝そうな表情でエリオットが周囲の音に耳をそばだてるが、すぐに首を横に振る。
幻聴だろうか?――否。
この現象の正体を、ヘイズは過去の経験から察していた。
「……なるほどな」
知らず、口元が自嘲に歪む。どうやら奴と自分は立ち位置が近いらしい。
「グレイベル?」
「妙なことを言って悪かった。先を急ごう」
エリオットの背を叩き、ヘイズは走る速度を上げる。
その琥珀の眼光は、獲物を定めた狩人のように鋭く研ぎ澄まされていた。




