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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第二章 彷徨う凶星
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2-30 彷徨う凶星 其之十二

「……なるほど、状況は把握しました。こちらもすぐに動きます」

 通信を終えたセリカは、懐中時計の蓋を閉じた。報告された内容を脳内で反芻し、思わず嘆息する。

「その様子じゃ、予想よりもやべぇことになってるらしいな?」

 深刻そうな表情を浮かべ、テオドアが声をかけてくる。

「全体を俯瞰すれば、まだそこまで悲観する程ではありませんよ。ただ一つ、イヴの安否を除けば、ですが」

「……どういうことだ?」

 肩を竦めつつ、セリカは答えた。

「旧市街に発生した星霊らしき存在と、イヴが単独で交戦しているそうですよ。そして有事の際に控えていた要員は、彼女の指示により近隣住民の避難を優先していると」

「はあ?あいつ、ンな殿みてぇな真似するタイプだったか?」

 驚きを隠さずテオドアが目を見開く。セリカとしても全く同じ心境だった。

 地下深くにまで伝わる霊脈の歪は、もはや天変地異と称して差し支えない。ならばその引き金となった存在とは、至上の怪物に他ならず、たった一人で挑むなど無謀を通り越して自殺行為も同然だった。

 時間稼ぎのつもりか、はたまたもっと別の切迫した理由か。何を狙ってそうしたのかはさっぱり不明だが、普段の友人からは到底考えられぬ行動である。

 イヴは決して情緒を解さぬ性格ではない。だが職務を遂行するという点においては一貫して冷酷無慈悲だ。

 合理を重んじ、周到に用意を重ね、粛々とマルクトに巣食う邪悪を刈り取る――それがセリカがよく知る、宵闇の魔女の在り方である。

 ゆえに今回も敵を討てるという確信を得るまでは、直接的な戦闘は避け、様子見に徹するものだと踏んでいた。

(そう言えば、少し前から何やら物思いに耽ることが多くなりましたが……)

 もしや何かしらの悩みを抱えていて、それがこのタイミングで爆発したとでも言うのか?

 しかし市民の安全に気を配っている辺り、自暴自棄に陥ったという訳ではないだろう。となると益々、イヴが勝機の乏しい闘いに臨んだ理由が分からないのだが……。

「おい、しっかりしろ。心配なのは分かるが、悠長にしている暇はねぇぞ」

 テオドアの鋭い口調に、セリカは我に返った。思いの外、動揺が顔に出てしまっていたらしい。

「失礼、落ち着きました」

 深呼吸を一つして、感情を鎮める。

 テオドアの言う通り、今は思考に没頭している場合ではない。僅かな時間の損失が、マルクトの趨勢を左右し兼ねないのだから。

「で、どうするよ。結社の一員ってことを差し引いても、今イヴが落ちるのは戦力的にまずいだろ。俺としちゃ、さっさと助けに向かうべきだと思うがね」

「いえ、そちらは置いておきましょう。もうすぐヘイズが到着するという話でしたから」

「……良いのか?いや、別に野郎の腕を疑ってる訳じゃねぇんだが……」

 訝しむテオドアに、セリカは確固たる自信を以て断言した。

「問題ありません。彼がいるなら、イヴを失うことにはならないでしょう。……まあ、本気のマリアンと散々やり合った直後だそうですけど」

「すげえ、安心できる要素が欠片もねぇ」

 愕然と頬を引き攣らせるテオドア。だがこれに関しては、セリカは真逆の意見であった。

 彼女は知っている。ヘイズ・グレイベルという男は、逆境に直面した時ほど牙を研ぎ澄ませる人種であることを。

 だからこそ彼は瀕死の重傷を負いながらも、最後には不滅の錬金術師を打倒してのけたのだ。

 とは言えその場面を実際に目撃していない者からすれば、楽観的に映るのも頷ける。テオドアの不安を払拭するべく、セリカは理由を付け加えた。

「もちろん、ヘイズだけを頼りにしている訳ではありませんよ。貴方の幼馴染だってそろそろ駆けつける頃でしょうし、私達が加わらずともイヴは救助されます」

「……分かった。なら俺達は爺さんと合流して、迎え撃つための準備を進めておく――ってことで良いな?」

「ええ、異論はありません。後は……」

 そこでセリカは言葉を区切ると、通路の隅に視線を向けた。

「おーおー、何だか大変そうだなぁお前さんら」

 まるで他人事のような、揶揄を含んだ声。上半身だけになったサルバトーレが、薄汚れた壁にもたれたまま厭らしい笑みを浮かべていた。

「まさかそんなに愉しんで貰えるとはなァ。俺も博打を打った甲斐があったってもんだ」

「テオドア」

「わーってるっつの」

 不愉快そうにテオドアは鼻を鳴らすも、それ以上の行動を起こすことはなかった。

 サルバトーレの態度は、明らかに誘っている。セリカ達の感情を逆撫でして、自分に止めを刺させようという魂胆なのだろう。

 ならば何故と考えれば、答えは一つ。彼の肉体には、まだ何らかの罠が隠されている。

 従ってここは無視を貫くのが最適解であるのだが、それでは勝ち逃げされるような感があって些か面白くない。

 ゆえに急ぐ必要があることは理解しつつも、セリカは敢えて口を開いた。

「残念ですが、貴方の目論見は失敗に終わりますよ。この程度の異変で終わってしまう程、マルクトは柔ではありませんので」

「大した自身だねぇ。だがお前さんも魔導士マギウスの端くれなら分かるだろう?ここまで深い歪みは、歳食った竜種ですら起こせない。別に反抗したいなら好きにすりゃ良いと思うが……その自己満足のために、一体何人が犬死するか見ものだよなァ」

「だから何です?」

 憂慮を煽るようなサルバトーレの言葉を、セリカはせせら笑った。

「確か『魔星』、と呼んでいましたか。それが竜を超える神秘だと?結構ではありませんか。斬り甲斐があって大変よろしい」

 正義を掲げるつもりなど毛頭ない。セリカを突き動かすものは、何時だってたった一つの欲求だ。

 即ち、剣の道を究めたい。森羅万象を切り伏せる、無双の鋼に至りたい。

 ゆえに強敵と闘いは己が技を磨く絶好の機会であり、マルクトを守護するのはついでに過ぎなかった。

 そしてそれは、テオドアや他の魔導士達も同じだろう。

 賢明なだけでは貫けぬ生き様が、叶えられぬ願いがあるから、彼らは神の秘蹟を暴く道を選んだのだ。

「まあ、そういうこった」

 黙っていたテオドアが、言葉を継ぐ。

「要するに、ここから先はてめぇみたいな負け犬はお呼びじゃねぇんだよ。――とっとと失せろや死霊術師、今回は特別に見逃してやるよ」

「……は」

 堪えきれぬとばかりに、サルバトーレは噴き出した。

 嘲るような、それでいてどこか眩しがるような。彼という男の本質を仄めかすような、複雑な表情だった。

「お優しいこった。裏稼業の人間を気取るんなら、つべこべ言わずに殺っちまえば良いのに」

「私、これでも選り好みする主義ですので。……行きましょう、テオドア」

「ああ」

 なおも挑発的な態度を崩さぬサルバトーレに背を向け、セリカ達は地上に戻るための道を歩き出した。

 すぐにテオドアが目配せしてくる。こんなもので良かったか、と。

 やはり結社でも古株なだけあって、語らずともこちらの意図を察してくれていたらしい。

 ならば、仕上げはセリカの役目であった。


 ◇◇◇


 流石にこの程度の罠には引っかからないか。

 遠ざかるセリカ達の背を、サルバトーレは冷めた眼差しで見つめていた。

 肉体の機能停止を条件に起動する、自爆術式。その存在に勘付いたからこそ、彼女らは尋問を行うでもなく立ち去ることを選んだのだろう。

 魔星という特大の異常生が、二人の判断力を多少なりとも狂わせてくれることを期待したのだが……蓋を開けてみれば、ほんの僅かな動揺を与えただけ。

 つまりそれだけの場数を彼女達は踏んできたという証であり、一筋縄ではいかぬ相手なのだと改めて認識させられる。

 こちらの痛い所を突く舌鋒と言い、若い癖に全く可愛げがない。だが。

(最後の最後で、甘さを出したな)

 サルバトーレは内心でほくそ笑むと、残った霊素エーテルを静かに循環させ始めた。皮膚の裏側に刻まれた夥しい数の回路が、火を点けられたように熱を帯びていく。

 結論から述べれば、彼の自爆術式は、任意による発動が可能であった。

 挑発を繰り返していたのは、単にその方がセリカ達に嫌がらせが出来ると踏んだため。要するに先程までの彼の言動の全てが、何ら意味を持たぬ"嘘"に過ぎなかった。

 無論、設定された制約を無視して発動する以上、殺傷力は本来よりも格段に落ちるだろう。

 しかし肉体の消滅と引き換えに撒き散らされる呪毒は一帯を汚染し尽くして余りあり、熟練の魔導士と言えども浴びれば当面の間は前後不覚に陥る。

(術式起動――)

 ここにサルバトーレは最後の賭けに打って出た。

 術式が臨界に達するまでの時間は僅か数秒。敵は前方を向いたまま、こちらに一瞥もくれない。

 よしんば察知できたとしても、術式の稼働は不可逆だ。どうあれ破局の時は免れない。

 さあ、最期は盛大に散るとしよう。

 サルバトーレは己が本懐が果たされることを確信し、炸裂する呪詛の奔流へと身を委ねようとして。

「言ったでしょう、貴方は失敗すると」

 刹那、白銀が閃いた。

 術式に供給される霊素が唐突に途絶える。まるで穴を空けられた配管のように、想定された場所へと燃料が流れない。

 何が起きたのかと視線を落とせば、肩から左胸にかけて線のごとき傷が走っていた。

 斬られた?いつの間に?

 サルバトーレが疑問を呈すると同時、どす黒い血と共に蓄積されていた呪詛が漏出する。

 誰の仕業かは考えるまでもなかった。

 顔を上げ、前方を行く白金の女を睨みつける。その手には手にはいつの間にか抜き身の大太刀が握られており、今正に付着した血を振り払う所であった。

「て、め……斬らねぇんじゃ、」

「失礼、嘘を吐きました。お互い様ということで、ご容赦を」

 悪戯っぽく微笑んで、セリカが太刀を鞘に納める。

 直後、斬――と。サルバトーレに残された体が、指先から分割されて地に落ちる。

 それもただ切断されている訳ではない。自爆の威力が最小限に収まるよう、術式の中でも要となる部分を正確に絶っている。

 果たしてどのように剣を振るえば、こんな出鱈目な切り口を生めるのか。魔導士の視点から見ても余りに現実離れしており、斬られたという自覚が未だに乏しい。

 ただまたしても裏をかかれたという点だけは、否応なく理解させられて。

 内から膨れ上がる呪毒の炎に巻かれながら、サルバトーレの意識は暗転していった。



「は……っ!」

 横たわっていた寝台から、サルバトーレは跳ね起きた。

 全身を冷や汗が覆っている。しかしその不快な感触を拭うよりも先に、彼は首筋や胸元を掌で探り始めた。

 繋がっている。血が通っている。生きている!

 そうしてどこにも斬られた箇所が見当たらないことを確認し、サルバトーレはようやく落ち着きを取り戻した。

「全く……やってくれたな小娘」

 普段のお道化た調子をかなぐり捨て、忌々し気に舌打ちする。

 疑似的ながら、今まで幾度となく死を体験してきたサルバトーレだが、ここまで深い戦慄を味わったのは久方ぶりであった。

『憑依』の最大の利点は、術者の安全を常に確保できる点にある。

 ゆえに操作する肉の器が破壊されたとしても、サルバトーレには何の痛手にもならず、夢から覚めるのと何ら変わらない。

 だが、あの女はその前提を見事に覆してのけた。

 とにかくサルバトーレを勝ち逃げさせないことが狙いだったのだろう。

 会話を通じて油断を誘い、理外の斬撃を以て死ぬ心構えすら許さず殺す。

 要するにとびきりの悪夢の中に突然叩き込まれたようなものだ。それもこちらの策謀を徹底的に踏み躙るおまけつきである。

 お陰でサルバトーレの脳裏には、冷たい刃に刻まれる感覚が未だ鮮明に残っており。少し身動ぎするだけでも、体が崩れてしまうのではないかという不安が付き纏う有様だった。

「良いさ、今回は引き分けってことにしてやるよ」

『ゴスペル』の名の喧伝に、魔星の解放と、当初の目的は概ね達成されたと捉えて良い。

 ただ最後に醜態を演じたことは紛れもない事実であり、帳尻としては足し引き零といった所か。

 成果自体は挙げているので罰を受ける羽目にはならないだろうが、他の幹部共からの陰湿な嫌味には、今から覚悟を決めておいた方が良さそうだった。

 と、そこで窓の外が騒がしいことに気が付く。

 カーテンの隙間から覗いてみれば、通りを歩く人々が一様に西の方角を眺めていた。

 晴れやかな空を、不穏な暗雲がたちまち蝕んでいく。マルクトで発生した嵐は今なお勢力を拡大し、近隣の街をも呑み込まんとしていた。

「さて、俺たちはここからが本番だ。どいつもこいつも死ぬほど躍らせてやるから、期待しとけよ?」

 薄闇の中で福音の使徒は邪に嗤う。

 彼らが蒔いた種は密かに、しかし着実に芽吹かんとしていた。

お待たせして申し訳ありません。

次話は明日投稿いたします。

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