2-26 かくて星は応えたり 其之二
「あーあー、酷ぇことしやがるよなァ本当」
壁に背を預けながら、サルバトーレは悪態を吐いた。その顔色は蒼白を通り越し、およそ生気と呼べるものを感じさせない。
寧ろ彼の負傷具合から考えれば、会話が成立すること自体が奇跡と言えた。
何故なら彼の下半身は、腹部から先が損なわれていたため。鮮やかな切り口から内臓と汚液を垂れ流す様は、壊れた玩具のようでどこか滑稽だった。
「お前さんも人が悪いね。サシの勝負なんてのは大嘘で、端から二人がかりで仕留めるつもりだった訳だ。傷つくねぇ……人を騙して良心は痛まねぇのかよ悪党共め」
「そりゃこっちの台詞だ、死霊術師」
吐き捨てるような声が降りかかる。見上げた先、テオドアが渋い顔でサルバトーレを睥睨していた。
「何もかも嘘だったのはテメェの方だろうが。結界の効果もそうだが……その体のこともな」
超常の力を操ると言えど魔導士も人間だ。血液を多量に失えば、生命活動に支障をきたすのが摂理である。ましてや体を両断される程の重傷など、それを負った時点で即死しても可笑しくない。
にも拘わらずサルバトーレは呼吸を続け、更には声を発することさえできている。これは果たして何故なのか。
「――全く酷い匂いですね。墓穴の中に放り込まれた気分です」
不快そうな呟きと共に、崩れた瓦礫の向こうから人影が近付いてくる。
大太刀を佩いた白金の髪の女。情報によれば名は確か、セリカ・ヴィーラントと言っただろうか。
サルバトーレを真っ二つに斬った張本人であった。
「ようお嬢さん、やってくれたじゃねぇか。プレイヤーでもねぇのに手を出してくんのは、ちと反則が過ぎるんじゃねぇの?」
「面白い冗談ですね。とてもイカサマを働いた詐欺師の台詞とは思えません」
涼し気な表情で、サルバトーレの非難を聞き流す。
彼女が行ったことは要するに、テーブルごと遊戯盤を引っ繰り返したようなものだ。
サルバトーレの『運命は賽に因る』は因果の配置を弄る性質柄、原因と結果を術式が観測する必要がある。裏を返せば結界の外側については監視の対象外であり、そこから干渉を受けたとしても術を発動するための条件を満たすことができない。
きっと賽の出目をサルバトーレが指定できることも含め、セリカ達はそのことを看破していたのだろう。
だからこそ一芝居を打った。
まず片方が一騎打ちに持ち込み、結界の機能について誤った解釈をしていることをサルバトーレに印象付ける。そして残った方は間合いの外から闘いの状況を伺い、彼が致命的な隙を晒した瞬間にばらりずん……という寸法だ。
「分かった分かった、俺の負けだよ。精々次はヘマしないように努力するさ」
手ずから組んだ魔術である以上、欠点は把握していたし対策もある程度は用意していた。無論『アンブラ』と事を構えるにあたって情報収集は怠らず、闘いにおいても油断していたつもりは毛頭ない。
しかし結果は敵の策略に見事に嵌り、無様を晒す憂き目となった。誰がどう見ても完敗である。
(……まあこいつらの実態を多少なりとも知れただけ収穫と思うかね。これで賭けにも敗けたら大赤字確定だが)
後々他の幹部達から揶揄されることになると思うと気が滅入るが、身から出た錆だ。甘んじて受け入れつつ、今後の計画の糧としよう。
そう自らを納得させ、サルバトーレは肩を竦めた。
「随分余裕じゃねぇか。テメェに次があると思ってんのか」
「おい寝ぼけてんのかい坊主。逆に聞かせて欲しいんだが、ない理由があるか?」
即座に切り返すと、テオドアは舌打ちして黙り込む。
彼も理解しているのだ。ここにいるサルバトーレが、本物のサルバトーレでないことを。
「貴方の本体は今頃遠く離れた場所で優雅な一時を過ごしているという訳ですか。散々こちらを引っ搔き回しておきながら、良いご身分ですね」
「いやあこれでも不便な所はあるんだぜ?飯も混沌も、やっぱ直接味わうのに限るし。何よりこいつ一体拵えるだけでも馬鹿にならん手間と金がかかってなァ……」
結論から述べれば、サルバトーレの肉体は彼自身のものではなかった。
厳密には屍を切り貼りして造り上げた模造品である。それに死霊術の秘奥である『憑依』を用いて意識を転写することで、彼は遠隔からの活動を可能としていた。
証拠に体の顔面からは凄まじい死臭が垂れ流され、甘ったるい香水の匂いと混ざりながら大気を穢している。
ゆえにこの場で殺されようともサルバトーレには何の痛手にもならず、また次の分身を造れば済むだけの話であった。
「つう訳で拷問の類も一切無駄だぜ~。俺ァ痛めつけるのはともかく、痛めつけられるのは嫌いなんでね。そうなりそうだと分かった時点でとんずらこかせて貰うとするよ」
などと不敵に嘯くサルバトーレ。対しセリカは「まあ」と殊更わざとらしい仕草で口元に手を当てた。
「ゲームに完敗した挙句、勝者への支払いまで渋るだなんて。ええまあ、貴方がそうしたいのであればそうすれば宜しい。博徒を気取る割には些か吝嗇……いえ倹約家だとは思いますけれど」
「……痛い所を突いてくるねぇ」
「はて、私はただ事実を述べただけですか?」
にっこりと素敵に微笑む女。絶対に性格が悪い。
それはともかく、言われっ放しにしておくのも怠惰というものだろう。自分が貶される分には一向に構わないのだが、彼が首領と仰ぐ人物の品位にまで傷が付くのは困るのだ。
ゆえにサルバトーレは渋々口を開く。
「しょうがねぇなァ、俺を倒したご褒美をちょっと置いていってやるよ」
「素晴らしい。信用に値するかはともかく、聞くだけ聞きましょう」
どうせ賽は投げられた後なのだ、何を知られた所で計画に支障はない。
サルバトーレは一拍の間を空けて、問いを投げかけた。恐らくは、此度の騒動に関わった者全員が抱いたであろう、その疑問を。
「なあおいお前ら。"アーク"ってのは一体何をするための装置なんだろうな?」
セリカ達の目の色が変わる。やはり『アンブラ』もあの魔導書を狙っていたか。
新たな情報を抜け目なく脳裏に刻みつつ、サルバトーレは言葉を継いだ。
「おかしいと思わなかったか?人類の発展に心血を注いだ稀代の天才サマが、その存在を墓の下まで持っていったんだぜ?他の研究成果は惜しげもなく世間に公表したってのにな」
「貴方はその答えを知っていると?」
セリカからの質問に、首を振る。
「俺も所詮は伝聞さ。ただまあ、概ね核心を突いているとは思っちゃいるがね」
つまりだな、とサルバトーレは結論付けた。
「博士はなァ、きっと正解に辿り着いちまったんだよ。その上でこう判断した訳だ……ああ、コレは駄目だってな」
「そいつはどういう――」
真意を質さんと、テオドアが詰め寄った時だった。
ぎしり、と。世界が不気味に軋む音を、その場の全員が耳にした。
「ッ!?」
大規模な霊脈の揺らぎが、天井を越えて伝わって来る。歪曲の規模は竜の発生をも凌駕しており、テオドア達を瞠目させた。
しかしサルバトーレは違う。ただ一人事の仔細を知る彼は、何が起きたのかを正確に把握し、
「くはっ、はははは!やりやがったな、あの野郎!なんだよやっぱり未練たらたらだったんじゃねぇか!」
と、堪らず歓喜の喝采を上げるのだった。
「テメェ……何をしやがった」
怒気を滲ませたテオドアに首を掴まれる。気道に食い込む指が呼吸を制限するが、サルバトーレは得意げな笑みを崩さない。
「酒場で教えてやっただろ。俺はただ賭けただけさ。コインを高く高く放り投げて、表か裏かどっちが出るかっ具合にな」
そして今、勝敗は明らかとなった。天運はサルバトーレの側に傾き、『ゴスペル』の計略はここに本当の意味で始まりを迎える。
ゆえにこそ福音の使徒は寿ぐように謳い上げた。
衆生の祈りに応えて舞い降りる、神秘の頂たるその星の名を。
「刮目しろよ、魔導士ども!そして慄け!これこそは死兆の具現、彷徨う亡者共の馬鹿騒ぎ――第一の魔星、『ワイルドハント』のお出ましだァ!!」
◇◇◇
甚大な破壊の痕が残る旧市街を、イヴはゆっくりとした歩調で歩いていた。
「……やはり、そう上手くはいかないわね」
どこか失望したように、嘆息する。
"アーク"の主という類を見ない検証対象ゆえ、効率を度外視して観察に徹してみたのだが、収穫を得られたとは言い難い。
垣間見えた苦悩や葛藤も、叩きつけられた激情の意味も。何れも理解からは程遠く、イヴの心は変わらず夜の静寂のように薙いだままだった。
お前は冷酷な魔女なのだと。改めて突き付けられているようで、諦念にも似た寂寥感が去来する。
しかし彼の姿を脳裏に浮かべると、そうした昏い感情は消え失せて、もう少しだけ頑張ってみようという思いに駆られるのだ。
我が事ながら不思議な作用だが、精神の安定に役立っているのだから、きっと悪いことではないのだろう。
やがてイヴは足を止めた。眼下に転がる影に向け、彼女は氷柱のような視線を落とす。
「苦しそうね」
「……お陰様で」
そこには仰向けに倒れるエドワードの姿があった。
右腕は無惨に千切れ飛び、脇腹に穿たれた風穴から絶えず血液が零れている。目の焦点も合っておらず、か細い呼吸は消える寸前の蝋燭を連想させた。
辛うじて命を繋いでいるのは、恐らく獣性魔術の名残だろう。尤も術を維持する力も失われた以上、彼の死は約束されたも同然だが。
さて、どうしたものか。エドワードがの傍らに転がる"アーク"を見やりつつ、イヴは思案した。
魔導書は完全に稼働を停止したようで、解き放たれた亡霊たちも既に霧散している。後はこれを回収するだけで任務は終了となる訳だが、エドワードをこのまま捨て置くのは些か憚られた。
特に因縁のある相手という訳でもないし、徒に苦しめる必要性も感じない。寧ろ後顧の憂いを断つためにも、確実に息の根を止めておくべきだ。
「遺言があるならどうぞ」
そう結論付けたイヴは淡々と、銃口をエドワードの左胸へと番えた。
外しようのない至近距離である。イヴが引き金にかけた指をほんの少し動かすだけで、魔弾はエドワードの心臓の鼓動を止めるだろう。
「……なんだよ、案外優しいじゃねぇか」
対してエドワードは弱々しい笑みを作った。
何やら勘違いをしているが、敢えて水を差す理由もない。死出の旅路は安らかな方が望ましいと、その位の理屈は知っているつもりだから。
彼はしばし逡巡した後、小さく声を絞り出した。
「……特に、ねぇよ。一思いにやってくれ」
「そう」
返答にどこか自分を誤魔化すような趣を感じ取ったとしても、イヴには関係のないことだった。
漆黒の銃口が火を吹く。放たれた魔弾は真っ直ぐに標的の心臓へと吸い込まれていく。
エドワードは抵抗しなかった。訪れる永遠の眠りを受け入れて、ただ静かに瞑目する。
……ならばこそ。
この末期の際に紡がれた言葉こそ、彼の本心であったに違いない。
「――■■たい」
かちり。
擦り切れた声に混じって、時計の針が進むような音を、魔女は確かに耳にした。
「……?」
目の前で起きた事象に対し、イヴは反応することができなかった。
魔弾に貫かれるはずの男の姿が、忽然と消えている。地面に穿たれた傷痕が、外したという事実を理解させた。
すぐさま周囲に視線を巡らせる。
見つけた。イヴから十メートル以上も離れた位置に、エドワードは移動していた。
これだけでも尋常ならざる事態であるが、決して無視できない変化がもう一つ。停止したはずの"アーク"が再び機構を回し始め、エドワードを守るように浮遊しているのである。
空間転移まで可能なのか。多彩な性能に内心舌を巻きながら、イヴは即座に追撃に打って出た。
装填するは『壊滅の矢』。追尾性よりも破壊力を選んだのは、偏に魔導士としての直感ゆえ。
エドワードに照準を合わせるなり撃鉄を落とす。標的に死をもたらす魔女の矢が、音速を越えて疾駆する。しかし。
「っ!」
息を呑むエドワードの眼前で、弾丸が不自然に曲がり地に落ちる。
弾かれたというよりは、逸らされたというのが正確だろう。いつの間にかエドワードの周囲にはあの青黒い霊素が循環し、強固な力場を形成していた。
そして、異変はそれだけに留まらない。
魔導書が口を開く。次の瞬間、頁を埋め尽くす夥しい数の文字が、堰を切ったように氾濫した。
黒々と不吉な潮流はエドワードの元へと殺到し、指先から全身を見る間に塗り潰していく。
先刻彼が披露した、人から強制的に亡霊を抽出する外法。あれがイヴの脳裏を過ったが、すぐに違うと否定する。
目の前で繰り広げられている光景は、あんな生易しいものではない。
敢えて形容するならば――捕食。
途方もない力を秘めた何かがエドワードの存在を食い尽くし、現世に顕れんとしている!
もはや止めることは不可能だ。
そう判断を下したイヴは迷わず防御の姿勢を取った。四方に影の結界を敷き、更に魔術を重ねて強度を高める。
だが結果を考えれば、彼女は選択を誤ったのだろう。
「お嬢さん、逃げ――!」
そんな途切れた言葉を最後に、エドワードの姿が青黒き奔流の中へと沈む。
直後、天地を震わす爆轟によって、イヴの視界は漂白された。




