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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第二章 彷徨う凶星
54/67

2-25 かくて星は応えたり 其之一

 潮時が来たのだと、エドワードは思った。

「欲ってのはつくづく毒だよなァ。賢い奴の眼を曇らせ、善良な奴の心を狂わせ、もっともっとと道を踏み外させちまう。実に業の深い話だ」

 応接室は異様な雰囲気に包まれていた。愉し気な声が響く度、しんとした静寂が重圧となってエドワードの喉を締め上げる。

 まるでか細い糸の上で綱渡りをしているかのような、一瞬たりとも気を抜けぬ緊張感。その元凶たる人物は底知れない笑みを顔に張りつけ、悠々とソファに体重を預けていた。

 やたら派手に着飾った男である。

 サルバトーレーー真偽はともかく、それが彼の名であった。

「……っ」

 一方で男の対に座すブルーノは何事も発さない。当初こそ招かれざる客に意気軒高といった様子を見せていたのだが、今となっては冷や汗を流して委縮するばかりである。

 しかしそれを誰が咎められようか。

 長年商人として場数を踏んできたと言っても、彼は結局表側の人間なのだ。つまりその感性自体は分別を弁えており、本物の邪悪を前に恐怖を覚えるのは当然の帰結であった。

 寧ろあんなもの見せられて尚、理性を手放さなかっただけ上等と言える。

「とは言え世間ってのはよく出来てるもんだ。悪事を働いた奴、それに加担した奴……要するに好き勝手やらかした馬鹿は、いつか必ず手痛いしっぺ返しを食らうようになっている。例えば、こんな具合にな?」

 嘯くサルバトーレが、机の上に鎮座するそれを顎で示す。

 長期の旅行で使うような、大きめの革鞄。サルバトーレがロッシーニ邸へ乗り込んできた際、突然の訪問の詫びと称して渡してきた代物だった。

 では中身は何かと問われれば、咄嗟に顔を逸らしたブルーノの反応から概ね窺えよう。勿論エドワードも直接検めたので知っている。

 きっと今も口を開けば、苦悶に満ちた幾つかの双眸と目が合うことだろう。

 要するに、鞄の内には人体の、とある一部分が詰め込まれていたのだった。

「あんたもそう思わないかい会長さん?人が苦労して探し回って、ようやく手に入れる段取りまで付けた代物を横から掠め取るなんざ……偉く仁義に(もと)る行為だとは思わねぇか?慈悲深い女神サマでさえ、呆れて物も言えねぇだろうよ!」

 サルバトーレの語気が鋭さを増す。その切っ先を突き付けられたブルーノは、普段の気炎が嘘のように一層身を縮こまらせた。

 発端はつい先日、マルクト外の商会との取引に赴いた時のことだった。

 ブルーノの趣味のためとある骨董屋の暖簾を潜った所、彼の目を痛く引いた品があったのだ。すぐさま店主に購入を申し出たものの、既に買い手の予約が付いているという。

 しかし珍しい古物には目がないブルーノである。そこで諦められる筈がなく、執拗なまでに交渉を持ち掛け、最終的に店主が折れる形で目当ての品を手にしたのだった。

 ここまでは彼と付き合っていればまま出くわす場面であり、店主と顔も知らぬ誰かの恨みを買うだけで済んだだろう。

 ただ今回に関しては運が悪かったという他ない。結果としてロッシーニ商会は貴重な戦力を失った挙句、絶体絶命の窮地に立たされている。

「わ、私に報復するつもりか?」

 悲壮な面持ちでブルーノが訊ねるも、サルバトーレは黙して語らない。ただ不気味に微笑んだまま、値踏みするような視線を向けてくる。

 本人ではなく関係者から狙う示威的な手口からして、男が裏社会の人間であることは疑う余地もない。ならば背後には犯罪組織が控えている可能性が高く、少しでも対応を過てば、その時点でロッシーニ商会は破滅が確約されるだろう。

 護り切れるか。エドワードは思った。

 確かにブルーノは善良とは言い難く、寧ろ悪人に分類される手合いである。現に幾度となくエドワードに商売敵を始末させ、それによって得られる利益を何ら恥じることなく貪ってきた。

 サルバトーレの言う通り、報いを受ける時が来たのだと考えれば、きっとそうなのかもしれない。

 だとしても、エドワードにはブルーノに対する恩があった。彷徨い朽ちるだけの人生に道標を与えてくれたという恩が。

 それだけでも命を張るには十分で、何を引き換えにしても彼の身柄だけは保障したかった。

 ゆえにエドワードは密かに覚悟を決める。もしもサルバトーレが僅かでも妙な動きを見せた瞬間、即座に首を圧し折る。

 その後は公社を頼り、ブルーノを安全な場所へと匿うのだ。

 無論それは商会が隠匿してきた数々の違法行為が露見する危険性を秘めているが……少なくとも命だけは助かるだろう。

(さあ、どう来る?)

 体内で霊素エーテルを練りつつ、エドワードはサルバトーレの一挙手一投足に全神経を集中させる。

 だが結論を述べると、その決意は無駄に終わることとなった。何故ならば、

「勘弁してくれよ会長さん、それとそっちの護衛の兄さんも。俺は今日、商談しに来ただけなんだから」

 と、サルバトーレが剣呑な気配を一瞬で霧散させたのである。

「しょ、商談だと……?」

「そうとも。まあこいつらはアレだ、名刺代わりと思ってくれたら良い。商売の基本はまずお互いを知ることから……そうだろ?」

 鞄を見やりながら、にこやかに男は言う。確かにエドワード達は、サルバトーレが如何なる人物であるのかを思い知らされた。

 だからと言って安心できるかどうかはまた別の問題だろう。

 この男は箍が外れている。人の生死すら彼とっては消耗品と変わらず、使い潰すことに一切の躊躇がない。

 それはブルーノも察しているだろう。険しい表情を浮かべたまま、返答を悩んでいるようだった。

「俺はあんたの手腕を俺は痛く気に入ったよ。流通の経路を調べ上げ、かつ軍警局の監視を掻い潜るだけの計画性。何より自分の欲求に正直に生きている姿勢が良い!」

 一頻り褒めそやしてから、サルバトーレは唐突に声の調子を落とす。

「聞いてるぜ、あんた随分敵が多いそうだな?それこそ何時も護衛が側にいないと安心できねぇって位にな。しかし俺としちゃあ応援してるあんたが有象無象に煩わされる姿なんぞ見たくねぇ訳だ」

「……何が言いたいんだね?」

「だからよ」

 男は平然と告げた。

「あんたを躓かせようとする路傍の石ころを、俺たちで全部掃除してやろうって言ってんのさ」

「――正気か?」

 そんなつもりはなかったのに、エドワードはつい口を挟んでしまう。しかし当の本人は至って真面目な顔で、

「本気も本気さ。俺達は今マルクトで活動するための足掛かりが必要でね、あんたらの助力を得られたら凄く助かるんだ。その代わりに、諸々の汚れ仕事は今後こっちで受け持ってやる。シンプルな相互扶助って奴だよ」

 と続けた。

「どうだい会長さん、悪い話じゃねぇだろう?上から目線で抑えつけてくる成金共も、横から寝首を掻こうとしてくる屑共も。皆みーんな綺麗にしちまえば、あんたは誰より自由になれる。より趣味に没頭するも良し、或いは――この街の天辺を目指したって良いかもしれないな?」

 水面に波紋を立てるように、サルバトーレの声が耳朶の奥へと優しく浸透していく。それは人を堕落の道へと引き摺り込む、悪魔の囁きに他ならない。

 現にブルーノの眼の色は明らかに変化していた。若き日に夢想し、されど現実を前に手放してしまった未来を思い描いているのだろうか。

 どこか茫漠とした主の様子に、エドワードは一抹の不安を覚える。しかし、

「いや……いや、駄目だ!」

 甘い幻影を掻き消すように、ブルーノは頭を振るった。

「おっと、何か懸念でもあるのかい?もし対価のことを心配してるなら、その必要はないぜ?ただ必要な時にちょいと人手を貸してくれるくらいで良いんだが……」

「そうではない、そうではないんだ。君はマルクトの外から来たから知らないかもしれないが……この街にはいるのだよ。番人気取りの掃除屋共がな」

 吐き捨てるような口調でブルーノは言った。

 そう。マルクトには軍警局とは別に、秩序を司る集団が存在する。

 彼らは決して表舞台に上がらず、幽霊のごとく輪郭を掴ませない。しかし大きな事件の裏には必ずその足跡が残されており、都市の影に巣食う魍魎たちを恐怖という鎖で戒めていた。

 仮にブルーノが取引を承諾すれば、それは完全に一線を越えたことを意味する。

 ならば彼らから目を付けられるのも時間の問題で、遠からず刺客が差し向けられることになるだろう。

「あー、確かここはそういう連中がいるんだったか……よし分かった。確かに目障りだし、早々に手を打つとしよう」

 対してサルバトーレの反応は淡白だった。

 無知ゆえの大言壮語かとも思ったが、違う。彼の態度には確固たる自信が滲み出ており、決して口先だけではないことを示していた。

 それでもブルーノは懐疑的な面持ちを崩さない。

 一度表と裏の境界を侵した者は、番人によってどこまでも追い詰められ、狩り尽くされる。マルクトで長らく商人として生きてきた彼は、その絶対の規則を痛い程に知っていた。

 だがサルバトーレはあくまでも楽天的に提案する。

「まあ確かに、いきなり信用しろってのも無理な話だよな。ならあんたらに実際に見て貰うとしよう。俺たちの手並みと――近代魔術の父祖が残した、遺産の性能をなァ」

 かくして生贄が選ばれる。

 白羽の矢が立ったのは、かねてよりブルーノと鎬を削り続けてきた派閥。その末端に属する組織……『アラネア商会』だった。


 ◇◇◇


 サルバトーレの来訪を受けた三日後、旧市街である。

『アラネア商会』の本拠ビルは突如発生した亡霊の襲撃を受け、惨劇の舞台と化していた。

 異形の影は建物の中を駆け巡り、目に付いた人間を片っ端から呑み込んで屍へと変えていく。

 当然助けを求めて外への脱出を試みる者の姿もあるが、何れも無為に終わっていた。出入り口は鉄壁の牢獄さながらに封鎖されて動かず、拳で殴ろうが物を叩きつけようがびくともしない。

 そしてその事実が一層彼らを恐慌に陥らせ、阿鼻叫喚を加速させるのだった。

 しかしこれだけの騒ぎが起きながら、周囲が気付いた様子はない。建物の側を歩く住民でさえ、何事もないかのように素通りする有様である。

 元より人通りの少ない区画であることを加味しても、これは明確な異常事態と言えるだろう。

 では原因は何かという点に疑問は集約されるのだが、答えは言うまでもなく魔術が作用しているためだった。

「いやあ、お誂え向きの隠れ蓑があって助かったよ。武器の密輸に売買……色々後ろ暗いことに関わっている連中は、突然消えても表沙汰になり難いからなァ」

 悪意に満ちた笑い声が、背後から鼓膜を叩く。

 路地裏であった。人目の着かない場所で停めた乗用車の中から、エドワード達は『アラネア商会』を見舞う災禍を眺め続ける。

 軍警局が駆けつける兆しすらないのは、偏にサルバトーレの結界の巧妙さゆえだった。

 逃亡者を皮切りに、些細な音から視覚情報に至るまで。不可視の障壁は異変の察知に繋がるあらゆる要素を囚え、建物の存在自体を曖昧にぼかしている。

 仕組みとしては認識阻害の類であるが、同じものを再現せよと命じられてもエドワードには到底叶うまい。

 術式の緻密性も然ることながら、何より魔術の気配を誰にも勘付かせない自然さが異常だった。総じて結界としての完成度は極めて高水準と評して良く、サルバトーレの尋常ならざる技量を証明している。

 だが、エドワードが真に戦慄を覚えた点はまた別にあった。

「どうだい、この"アーク"の力は。俺たち死霊術師がとんでもない時間と労力をかけてようやく成し遂げられる技を、こいつはほんの一呼吸でやっちまう。おまけに幾ら動かしても使用者に霊素の消費はないと来た。全く厭になるくらい高性能な代物だよなァ」

 鼻歌交じりに言いながら、サルバトーレが手中のそれを弄ぶ。

 歯車式の時計を本の形に落とし込んだような、奇妙な物体だった。一見すれば単なる工芸品としか映らないが、実態は歴とした魔導書である。

 名を"アーク"。ブルーノを一目で虜にし、また現在進行形で殺戮に狂う死霊たちを解き放った元凶だった。

 受け石が放つ淡い光に誘われるように、ビルの方から青黒い粒子が流れを成して集まってくる。それが頁の上に落ちる度、解読不能な文字が独りでに紙面に綴られていく。

 食らっているのだと、エドワードは漠然と感じた。殺された『アラネア商会』の構成員達の死体から霊素を徴収し、魔導書は力として蓄えている。

 理屈などは一切不明。ただ魔導士マギウスとして本能的に恐怖を覚えることだけは確かであり、サルバトーレ共々早急に関わりを断つべきなのは自明だった。

 しかし。

「ふ、はは――」

「……会長?」

「はははははははは――!」

 唐突に、後部座席で沈黙していたブルーノが哄笑を上げる。

 余りの急変ぶりに二の句を告げないでいると、彼はぽつりと誰にともなく呟いた。

「なんだ、こんな簡単なことだったのか」

 その声音に、ぞっとした。昏く陶酔するような想念の発露が、エドワードに過ちを気付かせる。

 摂理を書き換え、不可能を否定する神秘の業。それは時に目の当たりにした者の価値観を根底から覆し、"魔"の道へと堕としてしまう。

 特にままならぬ現実に苦悩し、挫折を経験した人種ほど狂気に陥る傾向は顕著と言える。

 つまり全ては遅きに失したのだった。

 ブルーノは"アーク"が見せる幻想に呑まれ、もはや誰の言葉も聞き入れない。ただ遠き星を追い求め、断崖の先に自ら身を投じるのみである。

「ご満足頂けたようで何よりだ。んじゃま、契約成立ってことで良いかい?」

「ああ、ああ……もちろんだとも」

 唖然とするエドワードを置き去りに、契約が結ばれていく。

 本来ならば無理やりにでも割って入るのが護衛として、人として正しい在り方なのだろう。しかし恩義と道徳の狭間で惑う心が、彼の体を縛り付けて動かさなかった。

「それじゃあ話も無事纏まったことだし……こいつは返しておこうかね」

 玩具を捨てるようなぞんざいさで、サルバトーレが助手席に"アーク"を投げ入れた。

 突然の暴挙にぎょっとさせられるが、魔導書の動作に異常が生じた様子はない。内心で安堵の息を零しつつ、エドワードは真意を問うた。

「……どういうつもりだ。お前はこれが欲しくて取引を持ち掛けたんだろう?」

「そうだなァ。でもお前さんらの依頼をこなす分には別に必須って訳じゃねぇし……ああ、俺達が契約を破らねぇようにするための担保ってことなら納得するかい?」

 要領を得ない答えに、自ずと眉間に皺が寄る。それでもサルバトーレはお道化た調子を崩さず、馴れ馴れしくブルーノの肩に手を回した。

「やれやれ、何でも疑うのは良くないぜ?借りてた物を元の持ち主に返すのは、人として当然の話だろう。会長さんもそう思うよな?」

「その通りだ、エドワード。彼はもう我が商会の友人なのだ。私に恥をかかせるなよ」

「……分かりました」

 主から釘を刺されてしまえば、それ以上エドワードが口を挟むことはできない。諸々の不服を押し殺すように、彼は唇を噛みしめた。

「さあ後は高見の見物と洒落込もう。折角手間暇かけて拵えたショーなんだ、最後までお愉しみあれ」

 地獄を肴に、ブルーノ達が今後の展望を和やかに語り合う。

 その異様な光景から目を逸らすように、エドワードは空を見上げた。

 今からでも諫言すべきではあるまいか。いや拾われた身の分際で、主の意向に逆らうのか。

 心は未だ宙に浮いたまま定まらず、我ながら無様すぎて嫌気を覚える。

(ご当主、俺は――)

 未だ色褪せぬ過去に縋ってみるが、当然答えが返って来るはずもない。

 エドワードは何時ものように叶わぬ願いに蓋をして、胸の奥へと投げ捨てる。

 その時かちり、と。

 傍らの魔導書が一際高らかに歯車を回した気がした。

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